バス停地名学のすすめ

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2010.04.11
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カテゴリ: 板橋区


かつての都電18系統を辿り、坂上交差点から国道17号を板橋方面へ歩き始めると、すぐに志村のランドマークでもある志村一里塚が見えてきます。

一里塚の跡地は全国でも多数確認されていますが、大半は明治期以降の交通事情、特に主要街道の道路拡幅によりその姿を消してしまっている中、この志村一里塚は国道17号の整備に合わせて復元が施され、道の両側にほぼ完全な姿で残された全国でも珍しい事例となっています。板橋宿の入口、平尾の一里塚が日本橋から二里目、ここ志村は三里目となります。東側の塚は、国道の歩道がわざわざ塚を迂回するような形になっており、西側の塚に「国指定史跡 志村一里塚」の碑が立っています。東側には塚に隣接して籠や箒といった竹細工による日用品を扱う古い商家があり、この組み合わせは都電時代から変らぬ景観と思われますが、これらは「活き粋いたばしまちなみ景観賞」にも選出されているとのこと。殺伐とした国道沿いにあって、オアシスのような一里塚周辺の景観は、街道の歴史を後世に伝える意味でも、貴重な存在となっています。

一里塚を過ぎ、右手に凸版印刷の工場を見ながら、その角の交差点を右へ入ると、工場裏手の台地下に大きな湧水池のある見次公園があります。「見次」とは変わった地名ですが、古くに「貢(みつぎ)」、すなわち年貢の集積地だったことに由来する地名という説があります。この付近の国道17号東側には小豆沢の地名がありますが、諸説ある小豆沢の地名由来のひとつに、平将門が貢物の小豆を船で搬送中に難破し、この付近に小豆が流れ着いたとする説があるそうで、「貢」つながりの関連地名として、興味がそそられます。

かつての都電18系統には、凸版工場の少し先に、小豆沢町電停があり、現在もその跡地には、国際興業バスの小豆沢バス停が立っています。

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最終更新日  2010.04.11 23:08:30
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