リュウちゃんの懐メロ人生

リュウちゃんの懐メロ人生

2026年08月26日
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祝!
「飛鳥・藤原の宮都」が、
遂にユネスコの「世界文化遺産」に登録された!


(高松塚古墳)


(キトラ古墳)

(前回のブログの続きです)

<(番外)「稲渕の棚田」>

今回の 「飛鳥・藤原の宮都」 の19の遺跡には含まれていないのですが、リュウちゃんが彼岸花の季節に明日香村を散策する時には、必ず 「稲渕の棚田」 に立ち寄るのです (「石舞台」から「稲渕の棚田」までは、片道徒歩30分位掛ります)

「日本の棚田百選」に
選定されている「稲渕の棚田」、
ここは秋には「案山子祭り」が行われ、
「案山子ロード」に道筋には、
赤・白・黄色の3色に彼岸花が咲き乱れる。
隠れた「世界遺産」なのだ!











ここから「飛鳥・藤原の宮都」散策の後編のブログスタートです。

「前編」で貼り付けた 「飛鳥・藤原の宮都」 の19の遺跡の略図を以下に貼り付けますので、
本ブログの散策経路の参考にして下さい。



更にもう一枚、 「明日香村散策図」 を貼り付けます。以下のリュウちゃんの「明日香村散策ブログ」は、こちらの「図」のほうがより参考になる筈です。


(明日香村散策図)

<(8)「川原寺跡」>

川原寺跡は、 「石舞台古墳」 から、10分位、「飛鳥駅」に向かう下り坂を降りた路の右側にある 「原っぱ」 です。この「原っぱ」の奥手に、 「川原寺」 の法燈を継承する 「弘福寺(ぐふくじ)」 があります。


(川原寺跡)

<(6)「橘寺(たちばなでら)跡」>

「川原寺跡」の対面(といめん)に、 「聖徳太子の生地」 とされる 「橘寺」 があります。

「橘寺」の前の彼岸花、
明日香村屈指の彼岸花の名所なのだ!



「橘寺」の境内に入ります。

彼岸花の季節、境内では 「芙蓉」 の花が咲き乱れています。


(橘寺の芙蓉の花)

また境内には、 聖徳太子の愛馬「黒駒」 の像が建てられています。
聖徳太子は飛鳥の地から「黒駒」に跨って、約20キロ離れた 「法隆寺」 に通勤したのだそうです。



<二面石>

「橘寺」の本堂の横手に、 <明日香村の謎の石像物> の一つである 「二面石」 がひっそりと建てられています。

橘寺の二面石、
橘寺の遺跡の中では、
リュウちゃんが一番惹かれる
「謎の石像物」なのだ。


(二面石)

――――<閑話1>――――

<手塚治虫の漫画「三つ目がとおる」の第4話「酒船石奇譚」>



前回のブログでリュウちゃんは、 <松本清張の「火の路」を読んで、明日香村の謎の石像物群に心惹かれた> といいましたが、実は「謎の石像物群」に惹かれる原因となったもう一つの著作物があります。その著作物とは、手塚治虫が、昭和49年から「週刊少年ジャンプ」に連載した漫画 「三つ目がとおる」 の第4エピソード 「酒船石奇譚」 なのです。

尚、「三つ目がとおる」の概要、主人公の設定等につきましては、下記の手塚治虫のオフィシャルサイトをクリックしてご覧くださいね。
以下のサイトは、「三つ目がとおる」のエピソー
ド4 「酒船石奇譚」 に関するオフィシャルサイトの記事です。
以下、上掲のサイトからお借りした「酒船石奇譚」の漫画を幾つか貼り付けます。

★「酒船石」







★「石舞台」





★「二面石」





★「亀石、鬼の雪隠、猿石」



――――閑話休題――――

<(番外)「亀石」>

「橘寺」を出て細い農道を10分ほど下った田園地帯にある 「謎の石像物」 です。
リュウちゃんが明日香村を散策する時には、必ず 「亀石」 に立ち寄るのです。

飛鳥の「謎の石像物」を代表する亀石、
以前はこの下に、
赤い彼岸花が咲いていたが、
最近は殆ど見ることが出来ない。
枯れてしまったのかな?


(亀石)

<(16)「天武・持統天皇陵」>

「亀石」のある場所から、近鉄「飛鳥駅」方面に10分程下っていた所にあります。
東西58m、南北45m、高さ9mの 「八角墳」 です。 治定 (じじょう:その古墳がどの天皇の陵かを決定する事)が信頼出来る数少ない古代古墳です。

天皇陵なので、
中に入ることは出来ないが、
古代の空気が
周りに漂っているように感
じられる古墳なのだ。


(天武。持統陵)

―――(閑話2)―――
<飛鳥時代は女帝の時代?>

今回の世界文化遺産の対象になった「飛鳥・藤原の宮都」は、日本史の時代区分としましては、 「飛鳥時代(あすかじだい)」 になります。

「飛鳥時代」 は、(所説ありますが)飛鳥の地に宮都が置かれていた崇峻天皇5年 (592年) から、元明天皇が「藤原京」から「平城京」に遷都した 710年 までの
約120年間 のことです。

以下に593年~710年の飛鳥時代の 「歴代天皇」 を列挙します( 赤字 で示したのは女帝です)

◎第33代 推古天皇 (593年~628年)~第34代舒明天皇(629~641)~ 第35代 皇極天皇 (642~645)~第36代孝徳天皇(難波宮)(645~654)~
第37代 斉明天皇 (皇極天皇が重祚)(655~661)~第38代天智天皇(大津京)(1668~672)~第39代弘文天皇(672年)~第40代天武天皇(673~686)~第41代 持統天皇 (690~697)~第42代文武天皇~第43代 元明天皇 (707年~715年)(藤原京:694年~710年)

以下、上掲の 「女帝」 の画像を貼り付けます( この画像は「歴代天皇一覧のウィキペディア」からお借りしました)

★第33代推古天皇



★第35代皇極天皇、重祚して、第37代斉明天皇)



★第41代持統天皇



★第43代元明天皇




「飛鳥時代」 を593年~712年の約 120年間 とすると、その間には第33代の 「推古天皇」 から第43代の 「元明天皇」 まで、11人の天皇が統治しましたが、 11人中、5人が女帝だったのです (重祚含む)、5人の女帝が統治したのは、約59年間だったのです。つまり、 飛鳥時代は時代の半分が「女帝の時代」だった ということになります。

飛鳥時代の半分は「女帝の時代」だった。
愛子内親王が
天皇になれないように
なってしまった現在は、
飛鳥時代より
も退化しているとも云えそうだ。
「大化(退化)の改新」が期待される。


(愛子内親王)

―――<閑話休題>――――

<(番外)「鬼の俎(まないた)・鬼の雪隠(せっちん)>

「天武・持統陵」の裏手にある小道を辿り、徒歩5分位歩きますと、 「鬼の俎・鬼の雪隠」 に着きます。

この 「謎の石像物」 には、以下のような伝説があります。

<古代、このあたりに 「鬼」 が棲んでいて、旅人を騙して捕らえ、 「俎」 で旅人を調理して食べ、下にある 「雪隠」 (トイレ)で用を足した>




(鬼の俎)


(鬼の雪隠)

<(番外)「猿石」>

「鬼の俎・鬼の雪隠」から10分ほど坂道を下って行きますと、 「欽明天皇陵」 に辿りつきます。



(彼岸花の咲く「欽明天皇陵」)

「猿石」 は、「欽明天皇陵」の前にある小さな 吉備姫王墓(きびひめみこのはか)」 の中に、4体並んでいる 「小さい謎の石像物」 なのです。




(猿石)

<(17)「中尾山古墳」>

「欽明天皇陵」から「飛鳥駅」の前を経由して、20分ほど歩きますと、「高松塚古墳」の入り口である 「国営飛鳥歴史公園館」 にたどり着きます。


(国営飛鳥歴史公園館)

「中尾山古墳」 は、「公園館」の前の「高松塚古墳」に続く小道の左手の小山を少し登った所にある 「八角墳」 です。
この古墳が脚光を浴びたのは、令和2年(2020年)の発掘調査で、この古墳が、 「本当の文武天皇陵」 であることが確実視されるようになったからです。


(中尾山古墳)

従来、 「文武天皇陵」 に治定されていたのは、「高松塚古墳」の奥にある 「檜隈安古岡上陵(ひのくまあこのおかのえのみささぎ)」 ですが、2020年の発掘によって、従来の「治定」がゆらぎ始めたのです。

文武天皇陵は、
「檜隈安古岡上陵」なのか?
それとも、「中尾山古墳」なのか?
明日香村の古墳は「謎だらけ」なのだ。


(檜隈安古岡上陵)

<19)「高松塚古墳」>

いよいよ「石舞台古墳」と並ぶ明日香村のシンボル、 「高松塚古墳」 に到着しました。

「高松塚古墳」は、昭和47年(1972年)3月1日に発掘調査が始まり、同年3月21日、極彩色に彩られた壁画 「西壁女子群像(せいへきじょしぐんぞう)」(通称:飛鳥美人) が発見され、一躍 「大ブーム」 になったのです。「高松塚古墳」は昭和48年に 「国の特別史跡」 に指定され。壁画の 「飛鳥美人」 は、昭和49年に 「国宝」 に指定されました。

直径23m、高さ5mの「二段円墳」
である「高松塚古墳」、
被葬者不詳、
文武天皇の皇子の一人の「陵」なのかな?


(高松塚古墳)


(飛鳥美人)

<高松塚壁画館>

「高松塚古墳」の麓にあります。館内には、発見当時の壁画の精密な模写が展示されています。入場料(大人一人)300円ですので、壁画館を訪れた際には、入場してくださいね。


(高松塚壁画館)


(高松塚壁画館館内)

彼岸花の季節には、壁画館の周りでは 「白い彼岸花」 が咲くのです。



<(9)「檜隈寺(ひのくまでら)跡」>
「高松塚古墳」から、「キトラ古墳」のある近 鉄「壺阪山駅」 方面に20分ほど歩いたところにある「小さな神社」で、現在は 「於美阿志神社(おみあしじんじゃ)」 になっています。

ここは古代、渡来系氏族 「東漢氏(やまとのあやうじ)」 の氏寺である「 檜隈寺(ひのくまでら)」 が建てられていた「跡地」なのです。


(檜隈寺跡)

<(18)「キトラ古墳」>

「檜隈寺跡」から近鉄「壷阪寺駅」の方向に10分ほど歩いた所にあります。

昭和58年(1983年)頃から本格的な発掘調査が始まり、その後、石室の壁に 「四神図」 などの彩色画が描かれていることが判明し、平成12年(2000年)に、「高松塚古墳」に次ぐ我が国2例目の 「極彩色壁画古墳」 として、 「国の特別史跡」 に指定されました。

全国で立った2箇所しかない
「極彩色壁画古墳」としての
「国の特別史跡」、
その2個所は、いずれも明日香村にある
「高松塚古墳」と「キトラ古墳」なのだ。


(キトラ古墳)


(四神図のイラスト)

<四神の館>

「キトラ古墳」の麓に建てられている 「キトラ古墳壁画体験館」 です。
尚、こちらの入場料は 「無料」 なのです。


(四神の館)


(四神の館の内部)

下の写真は、「四神の館」近くの農道の土手に咲く赤い彼岸花です。

ここは明日香村の中でも、
一番の「彼岸花の名所」だったのだ。




(四神の館近くの彼岸花)
以上でリュウちゃんの 「飛鳥・藤原の宮都巡り」 の旅は終わりです。
世界遺産に指定された「19の資産」の内、 <(7)「山田寺跡」>、<(11)「菖蒲池古墳」>、(<12)「牽牛子塚(けんごしづか)古墳」>(斉明天皇陵との説が有力です) の3か所は、残念ながら紹介出来ませんでした。

なので、以下に 「19の資産」 を全て紹介した2つの動画と、「謎の石像物」を紹介した動画を貼り付けますので、興味のある方は下記のサイトをクリックしてご覧くださいね。

<「飛鳥・藤原の宮都」の紹介動画> (いずれも「佳山隆生の奈良とびっきり観光ガイド」という動画です)
<(番外)「益田岩船」>

明日香村の隣町・橿原市の新興住宅街の小山の頂上にデンと鎮座している 「謎の石像物」 です。

東西約11メートル、南北約8メートル、高さ約4.7メートル、 推定重量800トン
最大の「飛鳥の謎の石像物」 です。

リュウちゃんは、11年前に一度だけ歩いて行ったのですが、その時には近鉄「飛鳥駅」から歩いて1時間ほど掛かったのです。

圧倒的な謎の巨岩!
松本清張の「火の路」で云われるように、
ゾロアスター教の拝火台だったのか?
それとも、「かぐや姫」が月から乗って来た 宙船の一部なのか???
飛鳥の古代ロマン、ここに極まる!




(益田岩船)






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最終更新日  2026年08月26日 16時06分06秒
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