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今日は真剣モードです。
古い話ですが、部屋の片付けをしたら、
約一年半前のTHE NIKKEI MAGAZINE(2006年1月号)が出てきました。
たっくんのインタビュー記事が載っており、
読んでみると心に残る内容でした。
これから少し紹介したいと思います。
★中学卒業~ (自転車)
・東京都町田市のプロサイクルショップ(たかだフレンド) 高田雄二さん 『どんな小さいことでも手を抜くのが嫌いな子だった』
社会人選手と一緒に走った初めての練習走行でも、
脱水症状で口の中が真っ白になっても音を上げなかった。 インターハイと全国学生選手権での優勝は
才能だけで勝ち取ったものでは決してない。
★大学時代~20歳 (自転車)
・同じ自転車競技部に所属した中田真琴さん
『練習でも試合でも、雨の中のスピードでは誰も琢磨に太刀打ちできなかった』
『普通の人がビビってしまうような下りのコーナーでも、琢磨は躊躇なく突っ込んでいく。
僕らが練習していた秩父や奥多摩の山道はけっこホコリが浮いていてすべりやすかった。
・・・あいつは怖さを感じる限界点が人よりも明らかに高かった』
★20歳(1997年2月) 鈴鹿レーシングスクール 入学説明会
年齢制限の上限ぎりぎりで応募→合格
・たっくん
『面接をしてください』
・事務局の堀川勝明さん 『実技試験だったら無理でしたが、面接なら不可能ではない。賢いなと思いました』
・たっくん
『・・・この世界がどれだけ厳しくて、自分にどれだけ実力があるのかはわからなかったけれど、
F1が好きだという気持ちだけは誰にも負けていなかった』
★スクールを首席で卒業後渡英
ジュニアフォーミュラレース→F3
コミュニケーション能力の重要性を認識→英語学校で猛勉強
・カーリンモータースポーツ代表 トレバー・カーリン
『・・・タクは英語を熱心に学び、マシンの状況を的確に伝える能力をみにつけたという点で、
それまでの日本人とは全く違う』
・ジュニアフォーミュラ時代からたっくんに注目していた英国人ジャーナリスト マーカス・シモンズ
大勢の人が日本人初のF3年間王者を獲得したたっくんを祝福しているのを見て 『不思議な光景だった。英国人にあれほど人気のある外国人ドライバーを見たのは
タクが最初だった』
レース後、パドックで一人涙を流している姿もたびたび目撃されている。
・たっくん 『だけど、そういうこともひっくるめて、今の僕がある。
あの時は乗り越えられたじゃないかという気持ちが今でも支えになっている』
★その他、たっくんの言葉より抜粋
『僕のルーツというか、始まりはコンプレックスだった』 『やっぱり体が小さいし、体型に恵まれていたわけじゃない。
だから、状況が厳しいときほど「なんとかしてやろう」という気持ちが強かった』
雨の日に限界まで攻める運転を指して・・・
『でも、まわりの条件が悪いときこそ、自分の力を示すチャンスだと思うんです。 なぜそう思うか?
小さいころからスタートで人よりも優位に立っているという経験が少なかったからだと思う』
『自分はクルマが好きで、運転が好きだからレースをやっているけれど、
すべてが恵まれて天才で、なんてちっとも思わない。
失敗ばかりだしさ。失敗から学んでもちょっとずつしか前に進めないし。
でも、だからこそ、この状態であきらめるというのは僕にはできない。
確かにスタートは遅かった。でも、ここまでやったからには責任を取って
最後まで証明しなきゃいけない。自分が納得できるまでね』
自分が一番自分らしくいられる場所がコックピット。
『そこで生きたいという気持ちは誰にも負けないし、それが僕の人生そのものだから。
僕は走れなくなるまで全開で走り続けます』
~~~~~
渡英したのは免許取り消しの為という噂もありますが、
たっくんの行動力に敬服しました。
私の友達が、一時期、イギリスに住んでいました。
日本人が生活を送るのは、とても大変な事だったそうで、
英語堪能な方でもノイローゼになり、帰国した人もいらしたと聞きました。
たっくんは世界一のドライバー♪の日記をアップした自分が恥ずかしい。
私より高い164cm、並んで歩くと丁度良い高さ(←妄想・(~o~))で、
身長は十分だと思っていました。
コンプレックスだったなんて・・・。
頑張れ!たっくん!!
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