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先週東京に行って来ました。写真は浜離宮です。まさに東京ですね。高層ビルのそばにある庭園です。元国鉄の操車場跡地の再開発で浜離宮のそばに立ったそうです。公園の中では、花の名前は忘れましたが花畑がありました。次に、上野の行き、岩崎弥太郎邸をみてきました。東京はくるたびに新しい発見があり、私にとっては楽しい観光地です。先週長崎で平成22年のMHK大河ドラマ「竜馬伝」を応援する会の発足式がありました。設定は、岩崎弥太郎の目から見た坂本竜馬とのことで、長崎でも期待が高まっています。」2階のテラスから庭を見たと事です。当時は1万5千坪あったそうですが、現在でも5000坪あるそうです。
2008年09月14日
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GWの5日、NPOの仲間と佐世保市の高島、黒島を訪問しました。この2つの島、佐世保市の相浦港からフェリーで25分と50分と結構近い場所にある離島です。相浦港桟橋から乗船するのは初めて。遠くの岡の上に相浦教会が見えています。長崎県はカトリックなどキリスト教の信者が多いところですから、教会も暮らしの中に溶け込んでいます。長崎市はもちろん、佐世保市も佐世保駅の前に教会が見えます。写真の相浦の教会は、黒島の教会より新しく昭和16年の戦争の始まる年に建設されたそうです。現在の教会は昭和35年に創られたそうです。 船は出港すると最初の寄港地高島へ直行します。高島は面積:約2.6平方km 、周囲 - 約21km 、人口 - 239人(2005年国勢調査)で、イノシシの形に似ています。(友人の話)中心部は港湾施設と集落がある中部のくびれた部分で、島で一番高い番岳は江戸時代に平戸藩が沿岸警備のための番所を置いていました。名の由来です。また、西海国立公園の中にあり、九十九島の一つです。最近の発掘(宮の本遺跡)の結果、縄文時代から人が生活していたことが明らかになりました。高島は地元ではちくわの産地として知られています。地元の人の話では100年以上前から続く産業との事でした。 島に着くと真っ先に見えるのが番岳(標高138m) 。高島で一番高い山です。まずは、ちくわ工場の見学と試食へと話していたら、桟橋にいた地元の人から、「せっかく来たけん山に登らんですか、家の車を使えば。」とのありがたい申し出。嬉しいやら驚くやら。まさにホスピタリティーの実体験でした。 車で5分ほどの山の上は、公園になっており、西側からは遠く五島が見えるそうです。また、東側は、旧日本軍の聴音機が設置された跡が整備されていました。約8KM先の飛行機の速度や高度が分かったそうです。(案内看板より)このあとちくわ工場を見学、鱈で作ったというちくわが1本100円、いわしは70円でした。熱々の出来立てを頂きました。いわしのほうが美味に感じました。写真は島の人からお借りした軽トラックです。 つぎに向かったのが黒島。黒島は、面積:約5.3平方km(佐世保市資料)、周囲:約12.5km 、人口:650人(2005年国勢調査)の島で、高島と同じく西海国立公園の中にあります。九十九島の中では一番大きな島です。出黒崎という名前の通り、長崎の黒崎地区から渡ってきた人が多く、隠れキリシタン」の島として知られています。島民の8割はカトリックの信徒だそうです。黒島の名の由来は2つありますが、ポルトガル語で十字架の意味するクルスがなまって、「くろ島」になったという説が有名です。ちなみにもう1つは、樹木が生い茂って黒く見えることから「黒島」となったいう説だそうです。いよいよ黒島の港が見えてきました。港には事前にお願いしていたガイドが見えました。島にある佐世保市の支所を通じて、ガイドさんをお願いしていたのです。3000円ほどかかりますが、車も用意していただきました。ここにもホスピタリティーの精神が見えます。 島に到着するとまずは、ガイドさんに連れられて島の中心部にある旅館さんで昼食。これも事前予約ですが、あわびの刺身、漁師さんから直接買い付けてきたという30センチ以上はあるいっさきの塩焼きとあらかぶの吸い物、などなど食べきれない量でした。これで2000円です。 昼食が終わったら、黒島天主堂へ。 黒島天主堂は、島内の観光スポットで現在は 国の重要文化財となっています。1902年、マルマン神父が島の信徒とともに建造したそうです。世界遺産暫定リストへ追加記載が決定しているそうです。 教会は、信徒の方々のボランティで維持されているそうです。このほかにも、島には串の浜岩脈(島西部の海岸にある総延長約300mに及ぶ長崎県最大の玄武岩岩脈、県指定天然記念物)や、根谷の大さざんか( 根谷地区(島で一番温暖な地区)に樹齢250年~350年佐世保市指定天然記念物)などがあり、ガイドの方から詳しくお話を聞くことが出来ました。最後は、皆で磯に下りてみな拾い。大いに盛り上がりました。
2008年05月06日
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下関の海峡まつりを見学に行って来ました。GWの真っ最中。交通渋滞にもあわず佐世保から2時間半ほどで下関市へ。朝7時の出発でしたが、ついたのは9時半ごろ。あまりの早さに添乗員さんも驚きの様子。とにかくこの日は、往復とも渋滞にあわずGW と思えない日でした。 しかし、カモンワーフは、大変な賑わい。いつもこうなんでしょうか。前回来たのは、カモンワーフや水族館の出来る前でしたから、こんなに変わっているのには驚き。昔の雰囲気はどこにもありませんね。そして次は唐戸市場。私たちはツアーなので先に食事が済んでいたのですが、市場の中の賑わいとお弁当の種類の豊富さにちよっとガッカリ。次回来る時は、迷わず市場の中で食事を計画すべきですね。 その後、お昼の13時からスタートするという先帝祭の会場、赤間神宮へ移動。ここも大変な人だかり。結局いったん戻って、春帆楼を先に見学することにしました。 近代日本の発展はここから始まると言っても過言でない場所。歴史的な場所です。感慨深いものがありますね。じっくりと時間をかけて見学しました。その後、もう一度赤間神宮へもどると、回廊では3,4番の上臈さんを続けて見学。 そして最後に、カモンワーフと門司行きの高速船桟橋をはさんで反対側にある下関水族館へ。展示も興味深く、面白い水族館でした。イルカやオットセイの水槽では、小さな子供たちが歓声を上げて喜んでいました。その無邪気に喜ぶ姿に見ている私たちまで楽しい気持ちにさせられたました。
2008年05月05日
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その上手な日本語で日米交流に貢献されたヘブンズさんが今月末に離日されるとのことで開催された送別パーティーへ参加しました。場所はヘブンズさんの自宅。40人ぐらいが集まり、本人ともども楽しく飲んで食べてお話。そして、少しのイベントで大いに盛り上がりました。 写真は余興のケーキ早食いイベント。黙々と食べるだけのイベントながら、彼らにかかると大いに楽しいイベントのようです。パーティは各自が持ち寄った手料理に、主役のステーキがつきます。1人前で5~600g大きなステーキです。日本人は全員、途中でお土産になりました。
2008年04月13日
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先週、上野に行きました。友人たちと年に一度の同窓会のため、東京に行き、その前日と翌々日に、半日づつ2回に分けて上野周辺を歩きました。この辺りは、学生時代の上野駅でのバイト以来のような気がします。まず、国立博物館へいきました。もちろん、初めてです。当時は、あまり興味も無く、行く事さえ考えた事がありませんでしたが、不思議と、最近は気になります。年をとったせいですかね。上野駅から博物館方向へ向かう手前の噴水です。右手の森の中には野口秀雄博士の銅像があります。博物館は、本館、東洋館、表慶館、平成館、資料館、法隆寺宝物館と6つの建物があり、全部廻るのは、かなり大変そうです。私は、本館と法隆寺宝仏館の2つを廻りました。東洋館の前では、喫茶コーナーがあり、一杯200円位でアイスコーヒーがありました。現在の法隆寺宝物館は、とてもモダンな建築物で、平成11年に開館したとか。3日目に上野不忍池に行った時は、とても天気も良く、抜けるような空でした。ここも今回が初めての訪問。どうして、学生時代に行かなかったのか、わかりませんが、惜しい事をしました。早く、来てみたらよかったですね。この後、上野アメ横から御徒町まで歩き,そこから電車で新橋、浜松方面へ向かいました。アメ横は、台湾の夜市と変わらず活気のあるところでした。
2007年10月29日
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この夏に台北へ行きました。台北101からの風景です。高さ508m、展望台は地上約390m、凄い高さでした。現在のところ世界1とか。でも、この高さに加えてエレベータのスピードに皆、ビックリ。あっという間に展望台へ到着でした。 この後、台湾のお茶とお菓子を楽しんで、ホテルへ。夜は、タクシーで夜市へいきました。金曜日の夜のせいか、大変な人出でした。とおりは人人、久しぶりに活気を感じました。また、品物は全て格安。全てが一つ2~300円の世界です。たくさん買物が出来て、同行者は、大喜びでした。 2日目も松山の夜市へ行きましたが,やはり,大混雑。台北の夜市は活気のある楽しいところでした。次の日は、国立故宮博物院へ、台湾が世界に誇る中華最大の博物館とか。初めて作られたという喫茶室でお茶を楽しんだ後、そこから外のテラスへ。全景をと思いましたが、一部だけでした。 3日目が、その通りのイメージが、アニメ「千と千尋の神隠し」の中で使われているという台北近郊の町チュウフェン。日本人の奥さんがいるという茶房が人気でした。 15年前に仕事で行った時とは、もちろん時間も違いますが、街の雰囲気も全く異なる台北でした。
2007年10月16日
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秋の行楽シーズンを前に、市内の公園でBQのイベントでした。皆さん、1人を除いて外国人です。NRという会の受付を担当されていました。私は、ドリンクの受け渡し係としてボランティア参加。忙しい1日でした。ハンバーグの焼き加減がバッチリです。全員ベテランの方のようです。ハンバーガーの肉は、これくらいの焦げ加減が、ホントは美味いのです。とは私の感想。出来立てほやほやの手作りハンバーガー、これ1つで充分でした。途中地元の市長さんも参加して全員ハンバーガーにぱくつくBQ大会でした。ハンバーガーの他にもパスタやチキンなど、食べるものが盛りだくさん。皆さん大満足の日でした。
2007年10月05日
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黒川温泉に行きました。佐世保からは、高速の日田ICから国道202を経由して、2時間半ほど。連休中でしたが、まだ10時半前のためか車も少なく、駐車場も待たずにOKでした。同行の人の話では、珍しいとか。街中は駐車場が少ないため、普段は順番待ちで半時間は待つそうです。 でも温泉街は、シーズン前とはいえ、観光客も多く、なかなか賑わっていました。この賑わいはいいですね。この川の奥の木立の中に混浴の露天風呂があります。分かりますか。500円を払って入るとこのとおり、露天風呂です。久しぶりにノンビリとして、同行の人たちも大喜びでした。
2007年09月24日
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佐賀県呼子町の朝市へ、久しぶりに行きました。日曜日の呼子の朝市は、狭い路地にたくさんの人が集まってました。幅4m程の路地に店が並ぶ他、途中の空き地には小さな露天の店が出店しています。呼子は、やっぱりイカですね。まだ生きているイカが2匹で1000円。お刺身で食べたら、1ぱいで2000円ぐらいですからやはり安いですね。他にウニが安いですね。前回は、2瓶買いました。それから、知人から聞いていたアジのみりん干し風は、蜂蜜を使っているとかで確かに我が家でも評判が良かったです。朝市で、学生さんたちとアンケートをとったら、通行人のほとんどの人が観光客でした。福岡県からの方が多かったようです。来訪回数も多く年に数回という人もいました。しかし、来訪の目的を訪ねると意外に買物目的の方は少なかったですね。朝市の賑やかな活気を楽しんでいるというと事でしょうか。お昼は刺身定食、これで2000円からお釣りがきます。その後、名護屋の資料館、玄海町の棚田を見学して帰りました。海向かって谷沿いに開いた棚田からは、昔の生活がしのばれました。
2007年07月05日
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先週の日曜日、皇居へ初めて行きました。あいにく途中から雨になり、充分に見れませんでした。しかし、甥っ子の運転で皇居のまわりを一周したら、その大きさに全員、大感激。地元で見るお城とは違う迫力でした。近くには議事堂や警視庁等、TVで見たり聞いたりした場所や地名があり、日本の頂点に立つことの一端を見た思いです。写真は、皇居の正門にかかる橋です。てっきりここが二重橋と思っていたのですが、近くにいたお巡りさんによると、下の写真の橋が二重橋だとか。写真でみる橋の下にもう1つ、仮設の橋があったことから二重橋と呼ばれていたそうです。その後、話題の靖国神社へ。普段はもっと多いのでしょうが、あいにくの雨で参拝者も少ないようでした。これも初めての参拝。以外にこじんまりとしたたたずまいに、拍子抜け。国際問題化しているところとは思えないくらいでした。あらためて、心の中の問題を理解しあう事は、難しい思いがしました。
2007年06月12日
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去年、開通した第2西海橋です。 橋の下は歩道橋になっており、歩く事が出来ます。歩道橋の中央付近には、 真下の海面が見えるよう透明な窓になっています。 透明な窓の真ん中に立つと、背中がぞくぞくしますよ。 元の西海橋の下をカタマランのヨットが、大村湾から佐世保湾へと 機走して通過していました。 遠くに見える3本の搭は、針尾の無線搭です。 太平洋戦争で、ハワイ沖の連合艦隊に、攻撃開始の電報 「ニイタカヤマノボレ」を発信した事で有名です。正確には 船橋の送信所が最初に発信し、電報が確実に届くように、 全国の8箇所の送信所からも送信したそうです。でも、 現在残る無線搭はここだけとか。正三角形に並んだ3本の搭は、 135~137mの高さがあり、40km近く離れた大村市からでも見えます。 この写真は、第2西海橋の上から取りました。 瀬戸の中は汐が渦を巻いていました。 無線搭のうち、多分第1号の無線搭だと思うのですが、 その真下まで行けます。そこから見上げて見ました。 大正4年に作られた搭は、コンクリートの厚さは 約80cmあるそうで、このままでも、150年は大丈夫だそうです。私たちも戦争の歴史をもっていることがあらためて、感じられました。この搭も、近代化遺産として申請する事が検討されていると聞きました。是非、その歴史と共に残して欲しいものです。
2007年02月12日
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久しぶりに書き込みました。今年の冬は暖冬気味ですね。この3年間、この時期は必ず雪でしたが、まだ、まとまって降りませんね。こちらでも、山のほうでは雪が降ると4.5日はチェーンが必要な場所もあるのですが、まだ、チェーンを使うほどには降ってないようです。温暖化の傾向は、年々ハッキリしてきたような感じですね。去年、11月に湯布院に行った時の風景です。湯布院は雪が降ったのですかね。佐世保よりは高度が高いようですが。
2007年01月28日
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箱根に行って来ました。紅葉の一歩手前でしたがさすが箱根。風景の美しさは素晴しいですね。スイッチバック方式の箱根登山鉄道。これも初めてでした。湯本までの道路の混雑を避けるため、バスから乗り換えて湯本の駅へ戻りました。その優雅な動きは、古きよき時代を思い起こさせます。芦ノ湖の遊覧船にも乗りました。今回初めて来てみて初めて解けた謎は造船所の確認でした。桟橋のそばに造船所を見たときは、ほっとしたような、ガッカリしたような感覚でした。200トンぐらいの船は作れるのでしょうね。
2006年11月05日
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台風13号の目、佐世保の真上を通過したと思うような台風の目でした。夕方18時30分ごろ、時おり強く吹く風の音と夜のような暗さ中で、辺りが急に静かになり同時に薄明るくなったのです。しばらくして「台風の目に入った」という兄弟の声で外に出てみると、まさに写真のような天気で、遠く青空が見えるのです。黒い雲のふちが分かると思うのですが、上空には楕円形の晴れ間(雲は多かったのですが)が広がり、まさに台風の目でした。あらためて、人間の力の及ばない自然というものを体感した瞬間でした。
2006年09月19日
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長崎県北松浦郡福島町の棚田を見てきました。棚田百選の1つとして、美しい棚田が広がります。棚田は、農業だけではその維持が難しいことから、観光資源として農林水産省が1999年7月に選定したものです。現在、その目的は見事に達成され全国に棚田の持つ景観美が知られるようになりました。田植えの時期や秋の収穫時には、多くの観光客が集まっているようです。ヨーロッパでも農村や山岳の風景は、立派な観光資源になってますから、日本の農村の風景も発掘次第で、もっと広がりそうですね。それにしても素晴しい風景でした。
2006年07月02日
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四国の松山市へいって来ました。大分市からフェリーで3時間半の船旅を終えると松山市です。思ったより四国は近いですね。帰りは八幡浜から2時間半のフェリーで別府でした。この2日間は天気も良く、海も凪で快適な船旅でした。宿泊は道後温泉のそばの宿でしたが、道後温泉は待ち時間ありとの事で地元の方のご好意で近くの大きなホテルの温泉へ。移動途中、道後温泉の前で全員で記念撮影です。惜しかったですね。 次の朝は、8時半には朝食を終えて、市内へ。お遍路さんの立ち寄る札所や商店街を視察しました。人口51万人の大きなまちで、商店街も立派でした。松山城です。平地の山の上に立つ立派なお城でした。途中までは、ロープウエイがあり便利です。帰りは別府から耶馬溪を抜けて日田へ。途中、青の洞門へ立ち寄りました。旧青の洞門は、車道の下になってましたが、付近の景色は綺麗なところでした。
2006年06月22日
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木曜日の夜、佐世保に入港したアメリカの空母へ乗船しました。近くで見る空母は圧倒的な迫力です。全長330m、総トン数10万8千t、乗組員5500人とのこと。もちろん機関は原子力です。一般の船にあるような煙突はありません。そばに接岸している船は、小型のタンカーのようですが、燃料のいらない船ですから、きっと航空機用の燃料なんでしょうね。乗船口から乗り込むと5階まで上がり、歓迎式の会場へ。式場の手前には戦闘機が駐機してあり、キャピノーには、覆いが掛けてあり中は見えません。きっと、何か秘密があるのでしょうね。飛行機の名前は聞き忘れました。
2006年05月27日
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5月になったというのに、竹の子ほりに行って来ました。大村湾を抱えるように長崎市から伸びる西彼杵半島の中央付近、雪浦(ゆきのうら)という町に山を持っている人がいるのです。近くにはイノシシの罠もあるからとおそるおそる歩き回りながら、季節外れの竹の子狩り。それでも、1時間ほどで皆で30本以上掘り出しました。家に帰って、その日は竹の子御飯や茹でて酢味噌で。意外に柔らかく、家族の評判は上々でした。竹の子ほりの後、町に戻ると今日はイベントの中日。町の公民館では地元の奥さんたちが作ったという郷土料理雪浦御前(500円)を、いただきました。地元産の米で作ったというおにぎり、薄味の祝いそうめん、そして地元料理の「つぼき」という、細かくきざんだかまぼこ、こんにゃく、しいたけ、にんじん、大根などの入ったお吸い物。懐かしい味でした。この料理、町に来たお客さんに大人気で、前日は途中で売り切れてしまったそうです。この日は天気も快晴で、ひさしぶりの休日という事もあり、気持ちものびのびと、メダカを取ったり鮠を追いかけたりとみんな童心に帰った1日でした。
2006年05月22日
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2月の終わりごろ、佐世保港に鄭和が泊まっていました。早速、知人を訪ねて船へ向かったのですが、外見からは人影も見えず残念でした。2月に長崎で行われたランタンフェステバルに参加すると聞いていたので、時期的にその帰りのようでした。結局、2月中は佐世保港にいて、その後母港の岡山に戻ったようです。鄭和が泊まっていた対岸の五島行きのターミナルの前に、見覚えのある高速船が泊まってました。真ん中の太陽のようなマークのある船です。数年前、平戸と博多の間に就航していた高速船です。今は、佐世保と五島間に就航しているようです。こんな小さな船で、博多までは大変だったようです。玄界灘は、波が高いでしょうからね。でも、江戸時代は鄭和クラス(全長30M、200トン)でも天気のいい日は、長崎から上海まで7日間で走ったそうですから、近海は大丈夫かもしれませんね。1月の海技免状の切り替えを機に、小型4級から小型1級に取り直したので、また、ヨットに乗るチャンスを狙っているこの頃です。
2006年05月10日
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久しぶりに書き込みました。この1ヶ月ほど続いた残業が終わり、ゆっくりとしたら久しぶりに書き込みをする余裕がでてきて、書いてます。写真は、近況方々、この4月から始まった長崎のさるく博の宣伝です。長崎の裏の裏まで見せてくれる案内人さん付きのさるく博は面白いです。ぜひ、ご参加ください。次の写真は、職場の前に飛行船が来たときのものです。4月の初めでした。始めてみる飛行船は優雅で人間の温もりを感じましたね。機械もこの程度までが一番。この飛行船は、ドイツ製で時速120KMで航続距離900K、最高高度3,800mほどの性能を持っているそうです。スイスでは1人3,000ユーロで遊覧出来るそうで、乗った事のある人のコメントがwebにありました。遊覧飛行の途中では、窓まで開けてくれるそうで宮崎アニメの世界に出てくる飛行船のようだったとありました。行ってみたいですね。
2006年04月25日
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先月は東京の親戚のお見舞いを兼ねて横浜中華街へ初めて行って来ました。山下公園とつながる側の中華街の入り口は、バス通りから見えていました。中華街は長崎、神戸と見てきたのですが、横浜の中華街の広さにはびっくり。また、修学旅行の学生さんと彼らが頬張る肉まんの大きさと値段にもびっくり。試しにお土産に買って帰ったら、好評でした。学生時代、渋谷にあった有名な中華レストラン(名前は忘れました。)の肉まんの美味しかったのを思い出します。今と同じような大きさで値段もやはり高かったです。貧乏でしたらから、1個食べるのがせいぜい。ホント、美味しい肉まんでした。ちなみに、私の田舎では肉まんは「豚まん」といいます。中華街を一通り見たら、構内めぐりの遊覧船に乗る為に山下公園へ。途中、山下公園のシンボル、氷川丸を初めてみました。よく手入れされ、北太平洋航路の面影があります。戦前の就航当時は、「北太平洋の女王」と呼ばれた豪華客船です。優雅に船旅いいですね。私も来年は、シンガポールのスタークルーズ程度は行きたいものです。この日の横浜港は晴天で隣のクルーズ船も綺麗でした。東京湾のクルーズ船の中には、佐世保で建造された船もいるんですよ。優雅な白い船体で500トン程度の船なんですが、この日は見ることは出来ませんでした。
2005年11月14日
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ニューオリンズの人たちへボランティア活動の一環として募金を目的にBQ大会が開かれました。私達が所属するNRと言う団体です。 家族ともども、TVで見ていても遠い外国の事でしたから、途中で廻ってきた箱に募金するだけでも、身近に感じました。いろんな問題があるようですが、ここではとにかく出来る事をという感じですね。ボランティア活動の奥深さが伝わります。近所のお寺の若奥さんとその子供や知人など、ご存知方もいたりして結構賑やかでした。食事は、バイキングスタイルのビーフ、チキン、サンドイッチやサラダのほかには、ホットドッグとハンバーガーがメインの簡単なものです。でも、会費は10ドル。円では1100円の会費ですから、結構、頑張ってますね。今回は参加するほうでしたが、ボランティアの方は大変です。雨の中、いろんな仕事を分担してました。カントリーソングなどのバンドもいて、頑張って演奏してました。
2005年10月08日
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夏休みにハワイに初めて行って来ました。4泊6日でしたが、リゾートを満喫できました。往路は窓際でゆったり。ユックリと寝る事ができたのでよかったです。外国だけど、言葉の不安もなく、気候も快適でハワイへ日本の人が行きたがるのも、よくわかりました。戦前の「憧れのハワイ航路」や1963年の「ハワイの若大将」で加山雄三が学生の身分で行ってましたからね。ちよっと古いですかね。「この木、なんの木・・・」やカメハメハ大王の像も見てきました。帰ってきて、偶然「ハワイ・マレー沖海戦」のDVDを見つけたので見ました。何で、こんな戦争をとあらためて思いました。
2005年09月19日
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今日は精霊流し。長崎が有名ですが、ここ佐世保でも8月15日は精霊流しをします。今年は、義父の初盆。精霊流しに行って来ました。年1度の、賑やかなお盆です。約1時間かけて、子供達そして孫達に担がれて義父の精霊船をまちの中央にある広場に運びました。精霊船には、故人の好きだった果物やお菓子そして故人を偲ぶ様々な思い出を積み込みます。運ぶ途中では、爆竹を鳴らし、ドラをならして賑やかです。我が家は、2mほどの船ですが、大きなお宅は10mを超えるものもあり、賑やかです。ちなみに、私達が通る沿道にいた外国人のガイドの声が偶然聞こえてきました。「イッツ、スモール・・・」と言ってたような。街の中央を走る国道は、交通規制がおこなわれ精霊船を優先して通うしますが、各船が爆竹を鳴らすので、おまわりさんの整理の声も聞こえないくらいです。夏の賑やかな1日です。
2005年08月15日
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事務局を担当しているある学会の全国大会が、2日間にわたってあり、泊り込みで行ってきました。4月から常に頭の片隅にあったので、7日に終わった時には、すこしほっとしました。(終わったら、のんびり温泉に)と言いつつ、やっと終わったと言う感じです。少し夏休みらしくなりましたね。ボランティアは大変ですね。と言いつつ、毎回やってますけど。写りが悪いのですが、敷地内にある潅木でセミが羽化してました。自宅内の木で羽化するセミです。この写真は7月初めの写真ですが、そんな訳で、一段落がついたらとそのままになってました。この辺は、ウグイスの鳴き声が何所でも聞こえるほど自然が迫っているのですが、久しぶりに見ました。羽化してわずかな命。この後どんな体験をしたのでしょうか。無事、生きのびたのでしょうか。TVで終戦記念の特集番組をしています。平和が一番ですね。次の写真は、浅草に行った時のものです朝9時前だというのに、修学旅行の学生さんで一杯でした。もし、戦争になったらこんな平和な風景もなくなるのでしょうかね。
2005年08月09日
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5月に東京にいきました。仕事です。夕方には仕事が終わり、その足ではとバスに乗って、皇居、東京ドームホテルでの夕食、そして汐留観光、その後、東京タワー、銀座というコースでした。東京ドームに観覧車があるんですね。知りませんでした。このコースは、ここでバイキングスタイルの夕食でした。ホテル内は結構人が多く、あらためて東京の賑わいに感動しました。経済は低迷し、中国には追いつかれそうな日本ですが、上海の賑わいとは違いますね。東京タワーは初め見ました。結構、小高い丘の上に立ってるんですね。それにしても、東京タワーの1Fのライトの明るさには驚きました。まるで釜山の緑山という歓楽街と同じ状態です。同感できる人もおおいと思うのですが。でも、東京タワーから見る街はキラキラとしていました。久しぶりにこんな景色を見ました。案外、日本は元気ですね。もうすぐかも。
2005年07月12日
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今日は、アメリカの独立記念日。日米親善のボランティアで基地の中に出す売店のお手伝いに行きました。この基地は、旧日本海軍の基地をそのまま使っていますので、旧軍時代の赤レンガの倉庫群があり、見事に保存されていました。この赤レンガは、明治時代に地元で作ったそうです。歴史を感じさせるこれらの倉庫を、アメリカも大切しているようです。売店では、帽子やオモチャの眼鏡を売っていたのですが日本人、アメリカ人ともに人気でした。一つ500円から1200円なのですが、私も結構売りました。ブースの並んだ通りでは、おいしそうなバベキューなどもあり、若い人に人気でしたね。また、ピザも日本の3分の1ぐらいの値段で安かったです。日本側からも『ヨサコイ』の踊りがきてました。このダンス、結構アメリカ人に人気がありました。そんな中で、またまた見つけました。変な日本。日本ではまだこんな女性が歩いていると思っているのでしょうね。日本を代表するものは、富士山、真っ赤な鳥居、浮世絵が判りやすそうです。でも、案外、こんな日本を大切にしても、いいのかも。自然に恵まれ、歴史と文化を大切にする日本。こんなイメージが、大切ですね。
2005年07月04日
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この土日、休日返上で京都へ出張でした。会議で国立京都国際会館へ行きました。大阪の伊丹空港からバスで京都へ。55分でJR京都駅です。高速バスは、乗り換え無しで便利ですよ。久しぶりの京都駅は大きな駅舎になってました。大きいですね。京都国際会館は、そこから、地下鉄烏丸線で20分ほど。宝ヶ池公園と言う所のそばにあり、緑豊かな環境がとてもよかったです。2日目は、エライ人の挨拶ばかりだったので市内観光バスで金閣寺と清水寺へ。初めて行きました。金閣寺は天気も良くキラキラと輝いて見えました。外国人も多く、さすが日本を代表する建物ですね。清水寺の本堂は、ぶれてこの写真だけ。780年、坂上田村麻呂ゆかりの開創とのこと。舞台造りの本堂は、徳川家光の援助で1633年に出来たとか。あらためて、京都の歴史の長さに感激しました。日本を動かしてきたんですね。外国の人に自慢できますね。金閣寺の屋根には鳳凰が。手塚治の漫画にあったのと同じに見えました。
2005年06月26日
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久しぶりに日帰りのドライブに行きました。場所は、フェリーで30分かかる長崎県の鷹島町にあるモンゴル村です。フェリーは190トンぐらいの船で、少し小さめでしたがゆれも無くわずか10分程で鷹島に到着しました。博多から移動した蒙古の軍船が、台風にあい沢山沈んでいた海域の島です。島は端から端まで車で40分ほどで小さな島でした。何も無い港から急な坂道を登りあがると島の中央を東西にはしる幹線道路にでます。そこから、漁港のそばを抜けて10分程でテーマパークモンゴル村につきます。ここは、泊まる事も出来ます。 中は、どこかで見たのとそっくり同じでした。1つのゲルで4人分のベットが置いてありました。近くには温泉もあり、ゆっくりと出来ます。 その後、資料館に行ったのですが、展示してあった蒙古襲来の絵を見た観光客の奥さんが、その残酷な場面に「これを外国に見せればいいのに」と怒っていました。800年近く前の出来事でもこうですから、50年前の出来事では忘れられないのかもしれないなぁと感じた次第です。外交は難しいですね。でも帰りの船旅も快適で、来てみて良かったですね。今回初めて、おにぎり弁当を持っていったので約5000円ほどの格安、快適な旅でした。
2005年06月22日
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ハウステンボスへ行きました。天気も良く、快適な日でした。この日は、入場者も多く結構通りに人が歩いていました。ここはホント、ノンビリと過ごすところです。別荘の一帯も景色がマスマス馴染んできました。運河に浮かぶ船、緑につつまれた別荘。心和む景色です。これからも、この景色のままで続いてほしいですね。もっと良くなって。出来れば、弁当持込可だったらいいんですけど。マァ、私達の子供が自分の子供を連れてくる頃はそうなっているかもしれませんね。
2005年04月23日
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先週の日曜日、ボランティアとしてアメリカ人への中古車販売のお手伝いをした。と言っても、言葉が通じないので同じ職場の先生とおしゃべりをして過ごすだけ。その後は、基地内のレストランでパーティがあり参加してきました。アメリカから来られた会長さんは、何所にでもいそうなお母さん見たいでした。3人並んだ左端の人です。この女性が、この世界的な組織の会長さんと聞いてびっくり。とても気さくなお母さんでした。ご主人と一緒の来日でした。地元の人から挨拶を受けていました。その後は立食のパーティ色んな食事が並んだメインテーブルの上には真っ赤な鳥居が。これが日本のイメージなんですかね。もう、60年近く交流してもこんなもんですね。なかなか国を超えて交流する事は難しいと、今の隣国との関係と重なりました。そう言えば仕事で、小型の高速船で沖に泊めてある空母に行った事があったのですが、スッタフの人から、「武器を持った人たちに近づく時は、出来る限りユックリとスピードを落として行くように」とアドバイスされた事もありました。こちらはノンビリでも、乗組員は緊張しているんですね。
2005年04月19日
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今日は、仕事の関係で熊本へ行ってきました。午後からの用件だったので、2時まで市内観光へ。まだ行ったことがない熊本城へ行く事にしました。バスセンターから、1時間に4,5本出ているバスで熊本城へ。約10分ほどで、料金は130円。結構便利です。今日は天気もよく熊本城も快晴です。 市の中心部を見渡せる丘の上一帯が全部、お城でした。中は道路がはしり、すごく広いです。さすが、日本3大名城と呼ばれるだけのことはあります。 すごい迫力でした。加藤清正公により1601年から7年の歳月をかけて完成したとパンフにありました。きっと、熊本の人にとっては自慢のお城でしょうね。見事な長塀です。刈り込んである芝が気持ちよさそうでした。とにかく立派なお城でした。今度から大きな写真を使っています。MASHROOMさんからマダムねねさんへのお話を読んで勝手に使わせていただきました。 絵が大きくて、とてもいいですね。有難うございます。
2005年04月14日
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福岡の花見を楽しんできました。人人で混雑してましたが、やはり花見は、いや、花の下でのお弁当はたのしいですね。これで、酒が楽しめたらもっと楽しいのでしょうね。ちっよと風の強い日で、風が吹くと向こうが見えないくらいにサクラの花びらが舞う様は、映画の一場面のようでした。 その後は、バスで那珂川沿いに移動してまた花を楽しみました。川には、白い大きな鳥がいました。心和む景色です。
2005年04月11日
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3月から4月の職場は、毎年忙しい時期です。でも、最近やっと、先が見えてきました。そんな訳で、日曜日は近場の平戸海上ホテルの露天風呂へ。 このホテルには、平戸瀬戸に開いた露天風呂があります。目の前を船が横切ると、暫くして波がくだける音がします。ドッドーン、ドッドーンといきよいよく露天風呂の前の堤防に当たる音です。少しノンビリしました。鯛茶漬も、おすすめです。
2005年04月05日
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職場の近くの酒蔵で、蔵開きがありました。茶会も開かれるとのことで、早速、同僚と茶会へ。 この酒蔵は、約250年ほどの歴史があるとのことで、茶室は立派でした。 お茶も、こんな歴史のある部屋で頂くのがいいですね。250年前もこんなかたちで人が集まったのでしょうね。短いようで長い時間です。 茶室を出て、蔵に入るとお琴の演奏があってました。また、蔵の入り口には新酒が出来た事を示す飾りがかけてありました。残念ながら何と呼ぶのか聞き漏らしましたが。 それにしても、地元の人が沢山集まっていました。ご近所の農家の方が、家族全員で来ているそうです。皆でお祝いをして賑わっていました。地域の文化と同様、企業も地域に支えられているのですね。
2005年02月20日
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久しぶりに、裏山に上りました。烏帽子岳という山です。標高約570mのこの山は、私が通った小学校から高校までの校歌に歌われています。私の生活に溶け込んでいる山です。1年に1度は必ず登りましたね。真ん中辺りに見える山は中岳。中学最後の年の大晦日、同級生5,6人と、ここにキャンプして初日の出を見ました。焚き火を囲みながら互いの夢を語り合ったものです。その向こうは、佐賀の伊万里市と接する国見岳です。 この広場は、みんなの食事場所。遠くに佐世保湾と九十九島が見えています。 5日前の雪が残っていました。そんなに高くない山ですがやはり寒いのでしょうね。 途中、あたり一面杉が倒れていました。まるでシベリアのツングースの森みたいでした。同じ方向に倒れていましたので去年の台風でしょうか。この他にも2箇所ほど見つけましたが、この辺りが大きく倒れていましたね。 根元から掘り起こされている木もありました。最近、何か変ですね。何かにつけ、被害が大きいですよね。地球温暖化の影響でしょうか。 20世紀に平均気温が1,5℃も上昇したというデータもあるようです。人間の活動の結果らしいです。人間も地球環境の一部なんですよね。経済の効率ばかりを求めてきた結果でしょうかね。最近は、「規制緩和して市場に任せよう」という流れですが、このところどうも「規制緩和」は良いのかって気になってきました。市場って言うのは「人間の欲望の制度化」っていう人もいます。今の金融中心のあり方には問題があるような気になってきました。これから、頑張って勉強して報告します。
2005年02月06日
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久しぶりに日記を書きました。なにやかやと忙しく日記もストップでした。外も1年ぶりの大雪。通勤が大変ですね。何所でも同じですかね。今日は、我が家のホワイトも早々に玄関へ入ってもらいました。 毎日、一緒に30分ぐらいかけて裏山に行くのですが、その山へも雪で動けません。久しぶりなのでもっと長くと思ったのですが、明日も早起きなのでこの辺で止めておきます。
2005年02月01日
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明けましておめでとうございます。今日は、もう10日。どこでも明日からは、本格的に仕事始めですね。長い冬休みもあっという間に終わりました。殆ど何もしませんでしたね。出し忘れた年賀状の返事だけは、きっちりしましたけど。それと、島原近くの小浜温泉にいきました。 途中、日本1の大門松を橘神社でみました。高さは12,3mほどありそうでした。土地の人の心意気なんでしょうね。この日は寒い日でしたが、その姿は勢いがあって、来た人は元気になれそうでした。小浜温泉を見下ろす高台では、遠くに普賢岳が見えていました。 1990年、約200年ぶりに火山活動があった山です。殆ど駄目になった陸上交通の変わりに、船を走らせるお手伝いで現地に行った覚えがあります。夜になると、真っ赤になった火山岩の崩落が見えました。結構、こわかったですね。「島原大変」は観光案内などで聞いた事がありましたが,まさか、この目で見ることになるとは考えもしませんでした。でも、こんな体験も、お正月が何十回も繰り返されるうちに、また、遠い記録になるのでしょうね。暇でしたが、いろいろと感じた冬休みでした。
2005年01月10日
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先週は日曜日に県外からの来客でハウステンボスへ行きました。久しぶりの再会で懐かしい時間でした。 それにしても、先週は忙しい週でした。忘年会が3回とお茶会、もう1つの忘年会はお断りしました。忙しい毎日のおかげか体力が落ちているのか、土曜日の朝起きるとお腹がはって急に吐いてしまいました。何とか出勤したのですが、昼に帰ってからはそのままダウン。妻(看護婦)、弟(レントゲン技師)の2人の見立ては、腸炎の疑い。直に病院に行く様にとのご託宣でしたが、行っても訳の判らない大量の薬を貰うよりはと、漢方薬を1袋飲んで寝ていました。勿論絶食です。何とか、丸1日経った今日は、少し楽になり、重湯程度は食できるようになりました。無理は禁物ですね。何事も8分目を体感した先週でした。それにしてもハウステンボスはすっかりクリスマスです。 私も、実は楽しいクリスマスでした。
2004年12月19日
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やっとお茶会が終わりました。まさに、ほっと一息です。人前で茶を点てるなど、今までは縁も無かったので、この2週間ほど、毎日練習でした。ちよっと大変でしたが、帰宅後の毎日の練習で今日は、われながら完璧でした。そんな中でしたが、嬉野の山の中にある椎葉山荘という温泉へ行ってきました。 椎葉山荘は嬉野の山の中にあり、地元では有名です。川のそばに造られた露天風呂が、いいですね。この日は、お客さんも少なく、のんびりと紅葉を楽しみながら湯気の中に身を沈めました。無心な自分になれるのがいいですね。でも、長湯は気をつけましょう。私も、少々ボッーとしました。
2004年12月09日
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今日も7時過ぎの出勤途中、バイパスで朝焼けを取りました。朝早い通勤の楽しみの1つです。 最近は、お茶の練習が忙しく、家に帰っても毎日練習です。来週のお茶会が終わるまでは、忙しい毎日です。
2004年12月03日
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在福中に参加させて頂いていた会の集まりにお呼びいただき福岡に飛んでいきました。しかも、会場は一度下見をした事のあるモンゴルの店。数日前からワクワク。パオの中は意外に広く、一家族どころか3,40人は入りそうな広さ。近くにある大学の学生さんが多く、大いに盛り上がっていました。もちろん、私達の会も大いに盛り上がり楽しい会でした。 メンバーは様々。服飾関係の人、放送関係の人、大学生、女性企業家、地元の公務員、現役の政治家そして幹事の学校を主宰する先生。7時から始まってわいわいがやがや気づいたら11時過ぎでした。こんな楽しい会は久しぶり。私の町でも、こんな会を始めたいですね。翌日は、古巣の遊覧船へ。久しぶりに乗った船は、運航会社が変わりましたが、スッタフを入れて8人中、5人が昔の仲間。しかも、新しく乗船した航海士は、昔、面接した女性船員さん。国際航路からの転船で、活発で明るい人柄は、当時のまま。楽しい船旅の予感のまま、文字通り同窓会。あっというまの80分でした。 綺麗なガラスの器で出してくれた美味しいウーロン茶は、5,6回位はお湯を足してのめるそうです。 派手な東屋はこの船の特徴。ここで胡弓の演奏会などもしました。 船の向こうに見えるのは、百地の海岸です。大都会の景観ですが、他の似たような海辺の都市の様に、ごみごみとしていないところが、福岡の魅力ですね。最近の日本の海辺の町は、きれいになりつつありますね。高度成長期に、日本の港は埋め立てられて工場や荷揚げの埠頭に変わり人が行けなくなりましたが、最近はきれいな海辺に戻りつつありますね。そう言えば、行政やメディアそして大企業などで「持続可能な社会」と言うのが、盛んに言われるようになりましたが、一部の国や大企業などに利用されるのが心配です。CO2の排出権などは、温暖化のトレンドの中で欧米の企業から発信されていますが、1歩間違えば低開発国の未来を奪う事になりかねませんからね。環境問題というのは、つまるところ人間も環境の一部と言う事なんでしょうけど。
2004年11月23日
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古里大河内山の焼き物を見てきました。伊万里から有田に抜ける途中にある大河内山は、通りが整備されとても素敵な窯元の街です。 鍋島焼きといわれるものは、殆どがここ大川内山で焼かれたものとか。300年以上の歴史を持ち、藩ご用達の組み食器を専用に作る秘釜だったそうです。今では通りも整備され、坂道の両側に広がる焼き物の店を覗くだけで楽しい場所となっています。 片岡鶴太郎の店も有りました。いい店でした。 伊万里には、この他にも黒澤明の記念館もあるので寄ってみるといいですよ。中は懐かしい映画のオンパレードです。
2004年11月17日
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「比較文化なんとか~」という訳の解からないシンポジウムへ誘われたので、今評判の豊後高田へ行ってきました。わが町から豊後高田までは、JRの特急で行くのが安くて早いですね。先ずJRの特急で博多へ。その次に、博多駅でソニックに乗り換え宇佐駅まで。そして、駅前で接続している大分交通の路線バスで豊後高田行きに乗り10分。さらに、昭和の街までは、徒歩1分。朝6時に出発して、着いたのが10時過ぎ、約4時間の長旅でした。それにしても、ソニックはきれいですね。乗るのが楽しい旅でした。昭和の町は、まさに逆転の発想。産業化の波に取り残されたのを幸いに、犬とネコしか通らないシャッター通りを,地域の人たちの知恵で活性化させたそうです。 写真では解かりませんが、この日は土曜日ということもあり大型の観光バスが、4,5台は来てました。ちっよと過熱気味な感じが心配です。 当地で集客の中心となったオモチャ館の館長さん小宮さんが、開業前に下見に来たところ、3時間何度となく商店街を往復してたった2人にしか会わなかったと、面白く話してくれましが、2年後の今では年間30万人が訪れる商店街に変身したのだそうです。大宰府でお店を構えていた福岡出身の小宮さんは、地元から熱心なお誘いを受けて、2年前に豊後高田に来たそうです。農協の廃屋となった倉庫に、長年かかって集めたオモチャを展示されて2年。全長30m程もある倉庫でしたが、まだ半分も展示していないとの事でした。すごいコレクションです。昭和30年代に走っていた3輪のミゼットは、懐かしかったですね。ポスト産業化社会といいながら、この時代にロマンを感じるのは何でしょうね。 それにしても、シンポジウムの会場で「シンポジウムの語源は、古代ローマ時代にお風呂場で一杯やりながらミンナでわいわい、主張しあう事」という、雑談が面白かったですね。
2004年11月14日
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理事をしているNPOの用事で佐賀市内へ行ってきました。約1時間ほどの用事が終わったら、直ちに、土地の観光へ。近くにある、佐賀城内の資料館「佐賀城本丸歴史館」がオープンしたばかりとの事で、早速行ってみました。 中には、近代日本の基礎となった佐賀藩の偉業が盛りだくさん。佐賀藩の持つ進んだ西洋の技術は、幕末の薩摩へ移転され、明治維新を進めた薩摩の原動力となったとの事。自力で蒸気機関をつくったり、日本で最初の種痘の実験をしたりと、西洋文明から貪欲に科学技術の取得に勤めたそうです。はなわさんに、教えてあげたくなりました。佐賀藩はすごい。用件が済んで、帰りは佐賀市内から小城、多久を抜けて伊万里方面へ向かう山間の道を通りました。大分の竹田のような景色でした。途中、武雄市で樹齢3000年の大楠を見つけました。「肥前国風土記」にも記録があり、僧行基が彫ったという観音像もあったそうです。
2004年11月06日
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久しぶりに東京へ行きました。卒業した学校のホームカミングデイという企画のついでに会おうというので、上京したのです。この企画1970年代から始まり、もう30年以上経つそうです。卒業後、25年を過ぎた同窓へ案内が来ます。もう25年が過ぎたのですね。まぁ、浪人、留年、社会人モラトリアムと30過ぎまでは、ノンビリしてたので、そんな気が薄いのですが。それでも、久しぶりの古巣は懐かしい限りです。駅から歩くと、途中の風景は変わり、古本屋も減っているようです。あの頃は、入れなかった庭園では、在校生のイベントを楽しそうに大勢の同窓が、再会を懐かしがっていました。 同じ職場の課長と。彼は、東京出身ですがうちの職場にいます。応援歌も満足に歌えないのに、何故か懐かしい場所です。今回の上京では、もう1つの目的地日光へも行きました。学生の頃、弟や友人達と行く予定が、試験と重なり、行きそびれたままだったのです。ちょうど、研修で上京中の弟を駅に送り出すと、その足で浅草から、まっすぐに日光へ。 日光へ向かう途中の車窓からは、栃木の農村風景が和やかでした。駅から、バスに乗り神橋で下車。橋は残念ながら工事中でした。朱塗りにアーチを描いた綺麗な橋のようでした。 話に聞いていた長い坂道を15分ほど歩くとやっと見えてきました。 (写真は、境内から出口方向に表参道を見たところです。) (見(み)ざる・言(い)わざる・聞(き)かざる)この三猿(さんざる)ばかりが有名ですね。 「本地堂」の鳴き竜は、見事でした。澄んだ音です。 紅葉の美しい季節で良かったです。
2004年10月26日
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玄海の海や背振の山並みの美しい自然、そして自然の恵みの豊かさ。そんな体験が素晴しかったので、忘れられずに、ここでも地元の新米を食べる事を理由にして、始めた地域の再発見もまだ、まだですね。小さな地元ですが、廻りきれません。山に海に、毎週のように出かけています。この豊かさを子孫達に返したいですね。 ココハ、佐世保の展開峰です。コスモスが満開でした。能古の島の秋桜も素晴しかったですね。ココから見える九十九島は、映画「サムライ」の冒頭の映像になりました。 佐世保の街も良く見えています。ちょうど、中心部が見えています。
2004年10月19日
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今日は、長崎の西彼杵半島、佐世保港の入り口にある西海町(さいかいちょう)へ行ってきました。ミカンと切干大根の産地です。ミカンは今の時期になると、20から30個ぐらい入った物で250円ぐらいです。また、切干大根はとても美味で、私は必ず此処で買うようにしています。西海町は、佐世保港と大村湾を結ぶ針尾瀬戸の入り口にある波静かな入り江です。入り江には、佐世保市と結ぶ高速船が就航し、約25分ほどで結んでいます。勿論、陸路も可能です。佐世保市内から車で50分ほどです。最近は、ポルトガルのファドの公演もありました。ポルトガルのファドの歌姫カティア・ゲレイロという人が来ていました。(次の日、アクロス福岡で公演してました。) 日本が初めて西洋との門戸を開いた初期キリシタン時代の貿易の中心は平戸でした。しかし永禄4年(1561)の殺傷事件を契機に、ポルトガル人は他の港を探しており、測量の結果「横瀬浦」が良港と分かり、大村純忠の許しで永禄4年の末から長崎開港前の福田に移るまでの約2年半の期間、横瀬浦が貿易港として栄えた間数会も建てられ、その大きさは約20メートル×10メートルで大樹に囲まれた菜園をもっていたそうです。藩主大村純忠は1563年5月下旬ここで25名の家臣とともに洗礼を受けました。ルイスフロイスの報告書には横瀬浦のことが詳しく書かれています。 『この港は平戸より約6レグワにして、海上より来る時は頗る接近したる後にあらざれば外より港口を見ること能わず。内部の幅約2レグワあり、またある場所は甚だ狭し。諸所に多くの村と船舶のため甚だ良好なる江湾とあり、我等の居る所は港口より右方に入り約半レグワにして、港口には高くして円き一つの島あり。その項上に甚だ美なる十字架あり、頗る遠くよりこれを見ること得べし。十字架をこの場所に建てたるはその附近に一つの幻影を認めたるためにして、すなわち三日間毎日午後空中に一つの十字架顕れたれば、船長ペロ・バルレトもまたこれを認め翌日かの十字架を建てたり。この島の内は甚だ良き港なるにより船舶碇泊す。 この港を形成する入江の右方にキリシタンの村あり、これに面して我等のカサ高所にあり。対岸より会堂に来るため頗る広き石橋を架し、その中央潮の流るる所に石の上に据えたる柱あり、橋の終端に石の階段あり左右に壁を設く、石段は約7段あり、始は橋と幅を同じくし、漸次広くなりてその3倍に達す。その上に甚だ美なる樹木のレセヒメントrecebimento〔待受所か〕あり、ここより4段にして大なる門に達す。その内に奥行および幅8ブラザ余の方形の庭あり、その正面に会堂あり奥行9ブラザ、幅5ブラザ半なり。この会堂はこの地の人々の助力によりて建設したるものにして、デウスの恵により彼らは速にキリシタンとなるべし。会堂の建設せられたる地所は甚だ高き樹木をもって囲まれ、その内には会堂に必要なる他の家屋あり。会堂より着弾距離に菜園あり、また会堂の附近に良材ある森二カ所あり、このカサの木材の最良なるものは多くこの森より採りたり。』 1562年10月25日付 ルイス・デ・アルメイダの書翰より (写真は、ポルトガルとの交流を記念して建てられたものです。) 現在の十字架は昭和37年に復元されたものです。平戸に次いでポルトガル船が来航した町としての歴史を持っています。(以上、西海町HPより)また、西海町は、ローマに派遣された天正遣欧少年使節の一員である中浦ジュリアンゆかりの地。中浦ジュリアンは、中浦の城主中浦小佐々甚五郎の子として生まれ、天正10年(1582年)に長崎を出発し、約9年半を経て帰国。キリスト教の布教に努め、寛永10年(1633年)、徳川幕府によるキリシタン弾圧のなか殉教しました。(以上、西彼7カ町観光案内より)
2004年10月12日
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東京から親戚が来たので、九十九島の遊覧船に招待しました。あいにくの小雨でしたが、久しぶりの海の香りは、やはり良いもんでした。パールクイーンは、この日も大人気。前の便は満席らしく、1便待って、乗船です。 今日の船長は、20代の女性船長。スムーズは航跡は、なかなかベテランのようです。 前方から、海王が帰港して来ました。今日は、2隻体制の運行みたいです。忙しいそう。 この辺りは、ヨットでよく走りました。お正月も2日目からは、弟と船に乗って走ってました。枕島です。その昔、朝鮮半島に向かう途中の船から落ちた木枕が流れ着いたところから、[まくら島]と呼ばれるようになったとか。 この島の中央に見える砂浜、幅30mほどの砂浜に乗り上げて、お昼の弁当を食べてました。勿論、おにぎりです。 船は、ヨキ落とし呼ばれる2つの島の間を抜けていきます。幅は、目測ですが20mはなさそうです。 無事、通り抜けてきました。後は、港へ帰るのみ楽しい1日でした。
2004年10月06日
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今日は、大村の高原にある野岳湖へ行きました。この池は、400年近く前に、捕鯨で巨万の富を築いた町人が作ったそうです。今でも使われているのですから、さぞや喜んでいることでしょう。 湖には噴水があがっていました。近くでは、ペダルボートで船遊びの人達が。また、奥の方には吊り橋が見えます。 池の周りは、公園が整備されていました。 帰り道、青々とした水田と農家、そして前方に広がる大村湾に、思わず車を止め、その清々しい景色に見とれてしまいました。
2004年09月29日
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