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以前、こんな疑問を呈した、
( 最悪を思えるとき、思えないとき、
)
「最悪の状況が思えるときは、意外と結果は悪くなく、
逆に最悪が思えないときは、結果が思わしくないのは何故か、」
で答えらしきものが来た、
ココロの中に水が豊かにあるときは、
自由に様々なイメージが泳ぎまわる、
(それはよいイメージ、悪いイメージどちらもである、)
こんなときは、自分に覚悟ができている、 何でも来いだ、
臨機応変に対応しまっせ、の世界ね
そして何故か、往々にして、よい結果が多い、
逆に、ココロの中が凍っている時は、
イメージが自由に泳げない、
もう自分の思いしかない、
他のイメージが入ってくる余地はマッタクない、
(例)
「日経は上がるかな」、「上がれ、上がれ」
これはココロが凍りついている、 固執の世界ね、
臨機応変の対応度"0"だ、
よって、
そのイメージが良くても、悪くても、
ココロで あらゆるイメージを自由に泳がすことができるか、これが試金石ではないか、
結局、
ココロの自由度 が、
そのままパフォーマンスにつながると言うこと、
これだな、上の答えは、
で、思ったんだが、
ココロの自由度、 これってユルの世界だよナ、
ココロをユルめとくって言うのは、ココロを開放しておくことでもある、
また、固執しないとは、結果にこだわらないことでもある、
何だかんだ言って、結局ここらへんに落ち着きそうな感じだな、
まず、ココロを自由にしておこう、と言うところで、
ケセラ、セラの世界ダナ、
(追記)
で早速だが、ココロの自由度をチェックしてみよう、
明日、朝起きてNYの株価をチェックする時、
「上がっていろよ」と思って見るか、「どっちでもいいよ」で見るか、
いかが? (意外とココロの訓練に使えるかしれないね、)
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