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昨日、 腰の痛みの対処、命令すればいいと言うものでもない で、
”十字架を見上げ続けよ、”
とアドバイスを頂いたが、
なぜ、 十字架を見上げ続けよ、なのか?この答え、
昨夜、ジムの帰りの夜道でやってきた、あなたの確信による、
これ、ドー言う意味かと言うと、
こんなサンプルが来た、(自分は遠隔地にいて、)
親の代の土地を遊ばせておいたら、
誰かが勝手に家を作って、住み始めた、

そこはうちの土地だと、書面を送って、
抗議しても、ちっとも聞いてくれない、そこで、登記簿謄本を持って、
実際に、その家に行き、強く出て行くように言った、自分の怒った顔を見るや、
ようやく、相手は、出て行くことに同意する、ある意味、自分は、
十字架信仰を試されていることになる、
ところで、十字架に何の意味があるのか、rom: 6: 6
私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅びて、私たちがもはやこれからは罪の奴隷でなくなるためであることを、私たちは知っています。col: 2:14
いろいろな定めのために私たちに不利な、いや、私たちを責め立てている債務証書を無効にされたからです。
神はこの証書を取りのけ、十字架に釘づけにされました。gal: 2:20
私はキリストとともに十字架につけられました。
もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。
いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。gal: 5:24
キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。キリストが、 十字架に架かったのは、
全人類の身代わりとなって、罪を引き受けたこと、
(ー>罪の贖い、罪の清算、罪の買戻し、)罪とは自分の欲(自我、古い性格、)であるが、
罪からの派生で、 イロイロなものを含む、各種の病、のろい、悪霊の支配、などなど、
また、神との間にあった隔ての幕 (罪) を、
破るためでもあったと、

The curtain of the temple was torn in two
で、ココでは、
もう少しわかりやすく、
今回の自分の腰痛に特化すると、キリストは、
この腰痛(罪の結果としての病)のためにも、
十字架に架かり、これを無効にした、これを無視して、
言いがかりをつけてくるのが、
サタン(悪霊然り)である、コロサイ2:14の債務証書とは、
サタンが突きつけてくるもので、
ココでは、具体的に腰痛の症状となる、
とここまで書いておいて、
あなたの確信による、とは何か、2000年前に、十字架で贖われ、
聖められたはずの、自分の体(腰)に、
ちゃっかり住み込んで、賃貸生活してるのが、
今回の悪霊といえる、それ故、自分は、この悪霊に対し、
抗議しなければならない、お前は、ここにいる権利がないと、
しかし、敵もさるもの、
知識程度の十字架信仰など、どこ吹く風、
出て行け!、
血潮でシール!
などと、言ったところで、
退散のふりをして、いつの間にか戻ってくる、だから、あなたの確信によるとは、
自分の確信度、本気度によるということ、
上の例で、
親の土地に勝手に住み着いた者に対し、
遠隔地からのクレームのむなしさを見たが、実際、現地に行き、顔を突合せ、
抗議しなければ、効果がない、実際、ドーするか、
その答えが、
十字架を見上げ続けること、であった、
過去、30年、
この、十字架信仰は、
ズット自分の頭の中にあった、あまりにも、有名で、過去、何回、
十字架メッセージを聞いたことか、しかし、見上げ 続ける 、ことはなかった、
いつも、その場限り、
昨夜、帰ってきて、
方針を変えた、まだ、右腰に違和感が残っていたが、
(命令は止めて、)
とにかく、見続けることにした、意識的に、見続けた、
実際に、自分で、ゴルゴダの丘に立ち、

民衆と共に、十字架を見た、
墓の中に行って、

空っぽの墓を見た、
イエスが、昇天するさまをイメージした、

ほかにも、あるが、
コーして、十字架にイロイロ思いを馳せながら、眠りについた、
そして、今朝、
起き上がってみると、
状況は悪くなかった、靴下を、立ったまま、
かがんで履けるまで、腰が回復していた、まだ、若干、症状は残るものの、
昨日とは段違いである、
今回、学んだのは、
癒し、体の回復とは、
いかに癒しの信仰を持っているかとか、
聖書知識を知っているか、
ではなくて、
いかに2000年前の十字架の事実に立てるか、
であること、そこに立つために必要なのは、
(とりもなおさず、)
自分の時間をどれだけそこに費やすかであること、
即ち、見上げ続けること、
であった、
追記)
先ほど、このこと、
(癒しは十字架の知識ではなく、
実際、十字架の事実を体に染み込ませることが大事、)
をヨメさんに言ったら、「あら、それ、イザヤ 53 のことね、
知らないでしょ、
と返された、
イザヤ53章、
(特に5節は、預言的であり、有名な箇所、)isa 53: 3
彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。
isa 53: 4
まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。
isa 53: 5
しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。
isa 53: 6私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。
isa 53: 7
彼は痛めつけられた。彼は苦しんだが、口を開かない。ほふり場に引かれて行く羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。まさに、その通りなのだが、
ヨメさんには、オレの本意、
(十字架の事実を体に染み込ませることの大切さ)が、
まだ伝わっていないな、(と思った、)
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