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このフレーズ( doingとbeing)、
最初に聞いたのが、もう30年くらい前(?)か、
よく出てきて、使われるのが、

我々はhuman-doingsではなく、
human-beingsというもの、何かをする存在ではなく、存在そのものだと、
なんとなく謎めいているものの、
聞いた当初は結構、新鮮だった、ソーか、
オレは存在していることに意味があるのか、
とか、が、だんだん、忘れていく、
取りとめがないフレーズなのだ、
だから、ドーよ?? って、
が、本日、再び、出てきて、
違う印象が来た、パラレルワールドである、
doingは3次元、beingは4次元、
オットット、ナルホド、
そもそも2つを同次元で見ることに無理がある、
それほど、かけ離れた概念なのだ、
この3次元の見える(doing、行いの)世界で、
見えない存在たるhumanbeingであろうとするなら、
になら なければ、不可である、

我々がhumanbeingsであろうとするなら、
次元の壁を越えなければならない、別表現で、
違うところから眺めるような感覚とでも言おうか、
ソーして、これは、
相当、魅力的なことに思える、
(深い平安が感じられる、)何かをしなければ生きていけないこの3次元世界で、
脱doingが可能になりソーなのである、今日は、この示唆が来ただけで満足、
軽々しく考えていた doingとbeingに、
天地の開き、違いがあることがわかってーー、
doingの世界に生きながら、心はbeing(*)、
*行動以上に、
存在していることに価値を見出すと言う意味、これをさらに深めて行きたいと思う、
追記)
存在者意識を深めて行くにあたって、
有効策があった、感謝、ありがとう、である、
存在者であることが深まると、
後の行動は自ずと決まるようなーー、
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