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初めて礼拝の「説教」というお話を聞いた。その記録を読んでもらったのだ。私の詩を紹介していただいたのがきっかけ。
説教というのは、いままで何度も聞いたのがある 。親の「おせっきょう」である。
今度のは礼拝で聞く説教である。礼拝だから、神様がたくさん出てくるのだが、ずっと聞くうち、その神様というのは心のありよう、というか、よりどころ、というか、 すごく実体のないものだとだんだん思った。
実体のない感情とか、気持、とかいうと、これまで私は、すごい恐怖とか怒りとか、感情的なものを思いつく。それらがなんか 方向性を持ってそれでいて実体のないのが神様ということなのかな?
よく神様のお導き、といいます。その「こっち、こっち」と、言ってくれる人は(人でなくてもいいのだ )最初は親とか、先生とかだったけれども、だんだん自分の価値感や信じるものになっていく。
誰でも「信じるもの」という部分を自分の中に持ちたいと思うのだろうか。みんな、それをもとに行動しているのだから、神様みたいに、わかりやすい信じるものを持つ人は幸せなのだろうか。
世の中にはいろんな神様があちこちにいて、神様どうしがすごく合わない場合もある。大切にしているものが違うと、なかなか歩み寄れないだろう。それで今でも闘っている人たちがいる。
私にまだ神様はいない。そのうち出会うのかもわかりません。それでも、初めて「説教」というお話を聞いてみると、 そこからどんどん考えることがたくさんでてくるのだ、ということがわかった。
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