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馬の詩を読んだ音楽室さんが、じつは私の喪失の悲しみを読み取ってくれていたことが後からわかって、びっくりした。
肉体の一部をなくしてもなお、記憶が残っていて、あたかもそこにまだ、その一部があるかのような痛みや苦しみを感じることがあるという。
音楽室さんはそのエピソードを、重ねて、なくしてしまったものに対する思いを音にしてくれたのです。曲はとってものどかで、あかるい感じ。 でも、詩の底にながれる悲しみをよく表現していると思います。
人間の脳はほんとうに不思議。自分でもとっくに忘れていたことが、ふとしたことで、よみがえるし、毎日毎日繰り返していることは、自動的に行動してしまったりする。
弟のように、大切なことをすぐ忘れてしまって困ったり、また、それは嫌なことを忘れられて気分を変えられる長所にもなる。まあ、これは、記憶と行動だけど。
肉体と意識の関係も、毎日毎日付き合うのだから、ほとんど、あたりまえで、 意識もしないくらい肉体は自分の物になっている。 それが私のように、勝手なまひで動いて、本当の私(精神)が肉体に対して怒っていたとしても、その中にわずかでも 自分の意思で1ミリ動かせる部分を発見するとき、肉体は自分のものになる。
わたしは一応、肉体は全部ついている。機能は悪いが。あるべきものがない、という気持は想像するばかりだ。
ある日突然、肉体の一部がなくなって、意識だけはとりのこされている。自動的に記憶になった感覚が急になにかのきっかけでよみがえる。 これは、ものすごい恐怖や苦しみを、気持の中に押し込めて、思い出さないようにしていたのに、勝手にフラッシュバックするのとも似ている。 長い時間をかけて作られた記憶を自分のものにとりもどすのには、また、同じような時間がかかるだろうな。
わたしが、わたしの肉体に感じる感覚と、音楽室さんが感じた感覚は、同じではない。だけど、 想像して感じた音を通じて共感できたのではないかなあ 、と思う。
馬を書いたとき、まだ私は今より若くて、案外単純に乗馬の喜びを書いた。それなのに時間をはさんで、自分でも変化していた意識の部分をもう一度思いかえしている。
音楽はこうして、 すごく不思議な瞬間をもたらすところがある。
深いねえ。
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