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オペラ鳴砂を観てきた母が、あれこれと感想を語りながら夕食をするのを聞いていたら、すっかり寝るのが遅くなった。大人は、こうして、夜の時間ももう一つ活動できるのだから、うらやましいような。芸術の秋だから、夜のコンサートの良さも格別だろう。
バリトンナイトのオペラ日本デビューは大成功だったようで、もっといっぱい歌うところが聞きたい~ということでした。そう! 歌手が歌う上手な歌を聞きに行くのだから、当然ともいえる。 バリトンナイト高橋正典さんには、ばしばし活躍していただきたいものです
ところで。
鳴砂のあらすじを読んでもらったら、主人公の女の人イサゴは盲目なのだそうだ。悩みと苦しみで目を病んでしまったそうだ。
じつは、私も秋のいのちのことばコンサートで用意している紙芝居劇「歌えない小鳥」の主人公の女の子の目が見えない。このことに少しこだわっている。
目が見えないということは、一般の人にとっては、ものすごく大きな障害ととらえられているようだ。私の両親も弱視でも私の目が見えることがわかったときにすごく喜んだ。
ずっと弱視の私には、見えても見えなくても、どっちでもいいような気がしていた。その後見える世界に美しいものがたくさんあって、みんなはそれらを自由に得ていることや、多くのことが視覚情報で処理されてできあがっている世の中のことを知るにつけ、なるほど、視覚障害はちょっと不便か、と思うときもある。
とはいえ、その一方で、目が見えないことをかわいそうとか、守るべきものとばかり一方的に考えるのも、違うな~と思ったりして、この劇のイサゴが盲目であるということの意味を考えたりしている。
見たいものを見たくなくて目を閉じる場合もある。心の目を閉じる場合もある。見たいものが見えなくても別の目、たとえば心の目などとよく言われる感覚でよく見る、ということをしょっちゅう考える。
目が見えないからかえって詩が書けるといわれることもありますが、そうなのかな~と思う。目が見えたとしても、やっぱり詩を書きたくなるのではないか?と思う。ん~、でも、 目が見えないから感覚や耳をよく使ったともいえるか。ならば、やっぱり弱視のおかげなのかな~。
家族みんなで映画を楽しんでいる居間で、私のために吹き替えを日本語にしてもらう。
画面のすごさに感心した家族は、私にも、是非DVDで見なさいよ、とワンセグで見えるようにしてくれます。
これは、たぶん、よかれ、と思ってしてくれることで、私はハイハイ、と見ることにしています。実は画面は見ても見なくてもどっちでもいい。押し売り、というほどではないから受け入れている。見たいときはちらっと見て、疲れるとあっちむいて、で映画は充分。
家族が、わーとか、おお~とか、言ってる状況でけっこう中身を理解したりして、そっちの方がおもしろかったりするのだ。
みんなが見せたいと思うほど、見たくないときも、ものもある。だから、 モノと場合によって聞いてくれるといいのだ。見えない人は見ないだろう、見ていない、と決めつけられて無視されるのが一番困る。
私にも見せたいな~という気持ちは、いつでも素直にうれしい。
つまり、同じ目が見えないという状態でも、色々な状況下におかれているわけなので、場面でも心情でも変化している。
それらを、やっぱり見える人が見る見えない人はひとつの姿になりやすい。「目が見えない人」という全体の一部分であると同時に、その人個人のこれまた一部分なのだと、どうやったら思っていただけるのだろう。
「歌えない小鳥」の女の子は目が見えませんが、自分の感じる世界で楽しく暮らしています。都会にいったらどうするんだろう、とか、一人暮らしはできるかな、などという問題はもちろんあるのですが・・・。
まずは、 見える世界だけを信じ切るのではなく、他の人にもそれぞれの世界があることにも気を配れる思いやりのある関係があったらいいなあ~ というところにこだわった。というわけで、わかりやすく、女の子の目は見えないということになりました。
そう思うと、鳴砂のイサゴさんの様子を聞くうちに、歌えない小鳥の女の子のことも考えたりして、ますます、自分たちの作品を頑張りたいと思いました。
今日もオペラ公演の2日目です。バリトンナイトの美声にしびれる人がたくさんうまれることでしょう!がんばってほしい。
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