~弾丸ツーリングREPORT~

~弾丸ツーリングREPORT~

2016年02月08日
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カテゴリ: TEAMツーリング

再び長崎港へ戻ってきました。
いよいよ本ツアーのメインイベント
軍艦島ツアーです。

雲行きも何とか持ちそうですね。船は出るみたいです。

軍艦島クルーズは数社運航しているのですが、今回お世話になるのは
高島海上交通さんのブラックダイヤモンド号
http://www.gunkanjima-cruise.jp/


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船に乗るのは早い者勝ち、並んだもの勝ちみたいです。
我々の後ろはあっという間にすごい列になりました。

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いざ出港。
高島経由で軍艦島に向かいます。
高島に寄るのは、高島海上交通さんの航路のみです。

高島には石炭資料館や軍艦島の模型があって、最初に説明を聞いてからの
クルーズになるので、船内の説明が分かりやすかったですね。

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いよいよ、軍艦島が見えてきました。
このブラックダイヤモンド号、2階デッキに屋根がありません。
(ほかの会社の船は屋根があるようです。写真撮るのには、邪魔がなくて
いいのですが、いかんせん寒いです。)


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上陸前に、島北側の居住区を海上から見せてくれます。
こちら側は上陸見学コースから見えない部分です。

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正面の一番大きな建物は旧端島小中学校、その横は病院です。

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近づいてきました。どんよりしていますが、天気もなんとか持ちそうです。

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島北側をクルーズします。見えるのは社宅群です。
この社宅群は、島の第二の防波堤でもあり、島南東側の炭鉱施設を守るために
自然条件の厳しい北西側に配置されいます。 

冗談ではなく、台風時に西岸を襲った波の到達点が東岸だったって事が
本当にあったそうです。(波が島を越えたってこと?)

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社宅群の上に社が見えます。
旧端島神社です。

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神社もお寺も島内にあったのですが、島の面積の都合上お墓がなかったそうです。
火葬場は隣の島にあり、遺骨は本土の実家のお墓に埋葬されていたそうです。

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この島の名前は端島。
下のアングルが軍艦「土佐」に似ていることから「軍艦島」と
言われる様になりました 。

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いよいよ上陸します。 

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一番高いところの建物は本社職員や鉱長の社宅です。
こちら側は鉱山施設があった側です。
中央部分が鉱山入り口です。現在はコンクリートで坑口はふさがれています。

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四角い枠がドミノのように立ち並んでいますが、この上にベルトコンベアーが
乗っていました。精製された石炭はこの上を移動、貯炭場に蓄えられ、
石炭運搬船に積み込まれました。今はその支柱が残っています。

向こう側に見えるひときわ大きな白い建物は、旧端島小中学校です。 

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端島小中学校。屋上には緑化された屋上庭園が見えます。
この端島が元々は岩礁です。まったく緑のない島に、子供の情操教育のために屋上に緑がありました。

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見学通路を歩いて島西端へやってきました。さっきの小中学校とは反対側です。 

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向かって左側のくの字型が31号棟、正面の四角建物が30号棟です。その奥(31号棟の裏)が25号棟。

見てのとおり31号棟は島の北側の一番波受けする場所に沿って
曲がって立ってます。

まさに第二の防波堤です。31号棟の1階には郵便局、公衆電話があり、
地下には美容院と理容院がありました。 

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30号棟アパートは1916(大正5)年に建設され、当時の日本最古の7階建て
鉄筋コンクリート造の高層アパートで、グラバーハウスと呼ばれています。
鉱員住宅として建てられたこの建物は中が吹き抜けになっており、鉄筋
コンクリート造としてもまだ試行錯誤の実験的段階でしたので、建築学会
上大変貴重な建物です。

ちなみに、角部に小さな窓の部分は集合トイレだそうです。

夜トイレによういかんな・・・。 

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島の最西端にあったプール。

軍艦島は島とはいえ、外海は高い防波堤で仕切られ遊泳禁止です。
プールがあったとはいえ、もちろん水は海水でした。

この軍艦島には、当時なんでもありましたが、隣の高島から送水管が
接続されるまでは、水が宝物でした。 

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主力坑であった第二竪坑を含め、鉱山施設は現在ほとんど崩壊しています
が、かろうじて第二竪坑へ行くために設けられた桟橋への昇降階段部分が残っています。第二竪坑の遺構は今ではこれだけです。

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鉱山の中枢であったレンガ造りの建物。この島の司令塔的存在でした。
軍事機密があり、子供達は入れなかったそうです。
会社の職員を70〜80名詰め込んで、島内の指示を出していました。
このあたりには多くの建物がありましたが、現在ではそのほとんどが
崩壊しています。

こんな感じで、ガイドさんが解説してくれます。

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この軍艦島ですが、世界遺産になっている部分は、近代文明遺産として
手つかずで残っている、この旧護岸だけです。
実はそれ以外の廃墟群は世界遺産ではありません。これらの廃墟群は単に
世界遺産に隣接しているだけのものであり、今後守られる保証はありません。

世界遺産になったことで、廃墟群も守られる機運は高まるでしょうが、
これらをこのまま保存することは技術的、金銭的に不可能でしょう。

そういった意味で、この軍艦島は常に朽ち行く世界遺産ということに
なるでしょう。

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先人達がが作った物って、スケール感が違いますね 。
我々が残したものも、100年後にはこんな風にみられるのでしょうか?

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引き上げます。次に来るときは、もっと朽ちているのでしょうか?

ガイドさんも「今日の軍艦島は、今日だけで、明日はどうなっているか
わかりません」と話の中で言ってましたね。

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こんな波の穏やかな日は珍しく、年に数日しかないとのことでした。

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一路長崎港に戻ります。
長崎港からバスで博多に向かいます。車路2時間強で博多着。
新幹線の出発時間まで、1時間弱の自由時間があります。 

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さすがに、中洲の屋台まで出る時間はありませんから、駅ビルの中の
ラーメン通りで晩御飯を物色。長浜ラーメンをチョイス。
ほんと今回の旅はラーメンばっかだったなあ~  

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新幹線で岡山を目指します。もちろん、車中で最後の乾杯もしましたよ。
持ってきた差し入れのお酒もおつまみも完食しました。

23時前に岡山駅着。そのまま全員流れ解散して帰宅しました

全員無事帰宅しています。皆さんお疲れさま。楽しかったですね。






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最終更新日  2016年03月03日 22時12分42秒


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