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地域の掃除やら、お祭りやら、嫁さんの出張の留守番やら、子供の試合の送迎やら、消防団のイベントやらでなかなか自由な時間が取れず、久々の開催です。仕事がくそ忙しくて、なかなか乗る気になれなかったんよね。さて、'25 11月の遠征ツーリングは、「メガ盛り・かき揚げ」ツーとして、呉の江田島に行ってきました。先週、様子見でF8引っ張り出してみたんだけど、完全にバッテリー上がってました。セルがキュっとも言わんかった。今日は万全を期して前日からバッテリーチャージャー付けときました。一発始動だぜ~♪今回の参加者は、F8、フォルツア、Z750の3台Z750は新規参加です。よく見ると…。Z750は、サイレンサーが同じ「デルケビック」のスリップオンです。全く同じ形のものだな。デルケビックってお値段がめちゃ安なんだけど、同じものを付けている人初めて見た。こんな近くにいるなんてね・・・。山陽道を西進して高屋JCから東広島呉自動車道に乗って南下。音戸経由で江田島に向かいます。江田島にわたる早瀬大橋はお色直し中でした。ここも橋下は重要航路なんで、航行船舶用にしっかりクリアランスを確保していますね。江田島の倉橋まで来ました。今日は、ここ「ゆりいち」さんの名物「かき揚げうどん」を食べに来たんよ。元広島(現オリックス)のピッチャーの九里選手も来てる。フォルツア先輩は麺は細麺で、麺も具も大盛。Z750は麺は細麺で、麺も具も普通のサイズ。普通サイズで丼の中が1枚と外に4枚かな具を大盛すると、丼の中が2枚、外が6枚になるのかな私は太麺の麺も具も大盛にしました。もうね、どんぶりを前にしたら、笑いしか出んのよ早く食べないと、かき揚げが出汁を吸ってどんどん重たくなってくるのよ。結局、丼の中の2枚と外の1枚は食べたんだけど、そこでギブアップ。もうね、うどんの汁がなくなっちゃたんよ。更に島を北上して、長瀬海岸へここの海中遊歩道なんだけど、高潮の満潮で潮位350㎝以上の時だけ、逆に水没しちゃうんです。今日の午前11時が大潮で丁度いい時間だったんだけど、ゆりいちさんの開店も11時だったから、かき揚げを優先したんよね。現在12時。我々がかき揚げに悪戦苦闘している間に、潮が引いて、終わってしまってました。ここは次回の宿題やね。毎回ミッションコンプリートとは行かないですね.さて、第二音戸大橋まで戻って来ました。通称日招き大橋。2013年(平成25年)に完成。この第二音戸大橋ができて、バイパスと接続したことで交通渋滞が一気に解消されたそうです。この第二音戸大橋は工期を短縮して、船舶への影響を少なくするために、国内では前例のない空中ジョイント方式で建造されました。呉の工場で組み立てて、クレーン船で持ってきたものをその場で架設しています。架設状況は一般公開されていて、当時ネット配信で見ましたわ。第二音戸から下流の本家?音戸大橋こちらは1961年(昭和36年)に完成。当時の総工費で3憶6千万ってすごない?第三音戸橋?の遊歩道橋。音戸大橋も第二音戸大橋もこの遊歩道橋からが一番よく見えます。平清盛が日招きをして一日で切り開かれたという伝説がある音戸の瀬戸。橋の赤色は、平清盛と関係の深い厳島神社の鳥居の赤と同じ色にしてありるそうです。向こうに見えるのは呉海軍工廠跡地。日本製鉄の瀬戸内製鉄所呉地区は、戦艦大和を造った旧日本海軍の工廠跡地に昭和26(1951)年建設され、日鉄に吸収された旧日新製鋼の主力製鉄所として地元経済を長く支えてきたが、国内需要の減少など厳しい事業環境の中で、令和2年2月に閉鎖の方針を決め、令和3年9月に高炉を休止しました。72年の歴史に幕を下ろし、以後10年程度で解体することが決まっています。今回解体現場をバイパスから覗いてみたら、かなりの面積が更地化されていた。空母っぽい大きい艦艇が2隻、沖に停泊してる?予定してなかったけど、アレイからすこじまに寄ってみようか。「アレイからすこじま」では、かつて呉港が軍港だった時代、魚雷などの揚げ下しに活躍した経歴を持つクレーンがお出迎え。「アレイからすこじま」は、1985年(昭和60)に海上自衛隊第一潜水隊群司令部前から護岸沿いの約200mの車道に沿って整備された公園の名前です。潜水艦の停泊艦艇数も少ないし、停泊艦艇のラインアップもいつもと違うような・・・。あの、奥のエンジン掛ってる平たい船体は・・・。あのシルエットは空母?わー。航空母艦って初めて見たわ。今日こんなラインアップって知ってたら、事前の見学予約しておけばよかったなあ~そもそも、「アレから」には寄らない予定だったからなあ~「アレから」の帰りに、ロド軍団続々登場しかもレッドばっかり。給油口の所にみんな「SR」のおそろいのロゴステッカーが貼ってあったからオーナーズクラブSoulRed Loversの集まりかな?呉の商店街へやって来ました。久々の「昴珈琲」さんへオーナーさんの刀も健在ですね。このピンクの刀は、先般亡くなった漫画家の「東本昌平」氏の漫画にも登場してましたね。「東本昌平」氏は「キリン」や「RIDE」の作者って言えば分かるかな。珈琲いただくに茶菓子を買いに行きましょう。昴珈琲前の信号を渡って、商店街を進みます。ローソンのある角を右折。福住フライケーキ店で、フライケーキ購入平たく言えば「餡ドーナッツ」なんですけどね。再び昴珈琲へ戻りましょう。呉の書店街って自転車、原付天国やね路上駐輪場の整備が凄いな。「呉焼」ってあるの昴珈琲さんは、珈琲豆の販売をされているんですが、店頭でコーヒーの販売もされています。もちろん店頭販売の珈琲豆は、店内で買えますよ。専門店の美味いコーヒーがLサイズで300円なんでリーズナブルなんですよね。ベンチに座って、フライケーキをお供にアイスコーヒーを頂きました。さて、お土産を買って帰路につこうかと思いましたが、お土産を買おうとした「メロンパン」さんは今回も閉まってる。今回は売り切れなのかな何回もツーリングで呉には来てますが、未だ行けず・・・。相性が悪いですね。野呂山経由で帰ります。野呂山までの呉市広地域の渋滞には毎回閉口しますが、夕日を受けた、紅葉の中の約10㎞のワインディングは、走りごたえがありますね。展望台から見えるのは、安芸灘とびしま海道の島々と、東方には、しまなみ海道も見えます。瀬戸内海に浮かぶ島々を、庭園をわたる飛石(とびいし)にたとえて名付けられた「安芸灘とびしま海道」は、朝鮮通信使や参勤交代大名の寄港地として栄えた下蒲刈島「三之瀬地区」、伝統的な建造物が残る大崎下島「御手洗地区」は、おすすめの立ち寄りエリアですよ。野呂山の山頂から、北へ降りるルートの林道郷原野呂山線を北上します。並走する「東広島呉自動車道路」から見える急勾配のカタパルトみたいな橋「紅葉橋」が見てみたかったんよ。もみじ橋は、橋長L=214m。深さ 90mの渓谷部をひとまたぎするため「鋼上路式逆 ローゼ桁」を採用しています。縦断勾配は6%で、来てみたら思ったほどのカタパルト形状じゃあなかったな。まあ、冬季は凍結が怖いだろうね。紅葉橋を下って、郷原ICから東広島呉自動車道→高屋JC→山陽道と渡って無地帰岡しました。いつもにガススタで満タンにして帰還。今回は440㎞の旅でした。まあまあ走ったね。燃費は23㎞/L弱でした。晩御飯は、「ゆりいち」さんで食べきれなかった、かき揚げを再びカリッと焼いた「かき揚げ丼」と、フライケーキの残りは、デザートで頂く前に女衆が食ってた。デザートは、帰還途中に休憩で寄った小谷SAで入手した、生もみじアレコレ。昴珈琲さんで買った、ドリップ珈琲アレコレは、隠しておこう。年内もう1回開催できるかな
2025年11月22日

’25 8月の遠征ツーリングは、「丹波ビフカツ」ツーに行ってきました。今回も朝活バージョンで開催です。早起きして、涼しいうちに移動します。第一集合場所:山陽道瀬戸PA 6:00集合出発出がけにちょっとトラブって10分遅れで到着。ニンジャ、フォルツアと連ねて第二集合場所を目指します。第二集合場所:中国道加西SA 7:20集合出発ここには時間丁度でつきました。ここでCBとサンダーエースと合流。サンダーエースはいつ以来かね。本日は、この5台で回ります。舞鶴道春日IC下車して「90」で朝食購入。突如、田園地帯のど真ん中に奇抜なオレンジ色の工場?倉庫?登場。ここは手作りサンドイッチのセルフ販売所「90(きゅうまる)」丹波市産の卵を使い、和風だしを効かせた「たまごサンド」と、ボリューム満点の「かつサンド」を気軽に味わえます。カツサンドと、たまごサンド、飲みのもの用の三つの冷蔵庫があって、そてぞれの冷蔵庫の中にある各サンドもバリエーションが豊かで、たまごサンドは2種類、カツサンドは3種類かな?カツだけのパックもありました。勝手に商品を取って、支払い口にお金を投入するセルフ形式になっています。おっさんたちも、思い思いの朝食をゲット。セルフ自販機?形式だけど、品物の補充やおつりの両替はインターホンでお願いすれば、お店の方が出て来てくれます。せっかくなんで、眺めのいい高谷山の展望台で朝食にしましょう。ここ眺めは最高なんですが、上り道がかなりの酷道だった。南側の道で上がって来たんだけど、急こう配ヘアピンの連続と、落ち葉と道路の苔が凄いのよ。高谷山の山頂には展望台のほか、駐車場やトイレ、休憩所などの施設も整っています。数年前に、展望台周りを伐採して眺めを取り戻したそうです。このサンド、ボリュームが凄かった。みんなこのボリュームにノックアウトされてたサンドイッチのあまりのボリュームにみんな「腹パン」で動きが鈍いので、消化のために、道の駅「丹波おばあちゃんの里」で休憩。疾風巡拝の御刻印集めのために、柏原(かいばら)八幡宮によります。兵庫県丹波市柏原町に鎮座する柏原八幡宮は、古くから厄除けや家内安全にご利益があるとされ、「丹波柏原の厄神さん」として親しまれている関西屈指のパワースポットです。柏原八幡宮の歴史は古く、創建以来、幾度となく戦火や災害に見舞われてきました。南北朝時代には荻野安芸守と足利氏の合戦、戦国時代には明智光秀の丹波攻めの際に社殿や三重塔が焼失するなど、激動の時代を生き抜いてきました。しかし、その度に再建され、現在の姿へと至っています。これらの出来事から、数々の伝説や逸話が生まれています。三重塔が神仏分離令を乗り越えて現存していることや、境内にある弁天社にまつわる神秘的な話など、多くの謎と魅力に満ちた場所なんです。ちなみに明治の初めの神仏分離令の後も神社に塔が残っているのは、全国で18例しかないそうです。一の鳥居のすぐ右側に弁財天(厳島神社)がたっています。この厳島神社には、明智光秀によって兄たちが殺されたことを恨んだまま息を引き取り、死後、幽霊となって里人たちを恐れさせた女性の霊がまつられています。織田信長の命を受け、丹波の国を攻めた光秀だが、「丹波の赤鬼」との異名をとった黒井城主、赤井悪右衛門直正らの抵抗に遭い、敗走を余儀なくされるなど、さんざん手を焼いていました。まず光秀は、赤井悪右衛門直正の甥で赤井忠家が城主の高見城を攻め、落城します。そんな激戦のなか、飛んできた敵の矢を調べると、鏃に「𡈽屋(はんや)」の印が入っていたといい、これは、地元の豪商「𡈽屋」で造ったものであることが判明します。これに激怒した光秀は、𡈽屋の家族全員をひっ捕らえ、八幡下の池の畔で火あぶりの刑に処したそうです。その𡈽屋の妹・岡女は、高見城主である赤井忠家の妻でした。岡女は高見城落城後、一時は自害を考えましたが、兄たちの菩提を弔うため、柏原新町西願寺の尼僧になります。そして処刑された家族の供養をしながら暮らしていましたが、不運にも若くして病没してしまいます。その後、𡈽屋の家族が火あぶりに処された池の畔に、毎夜のようにうめき声や火の玉がでるようになったといい、それを恐れた人々は、浄財を持ちより池の畔に弁財天を祀ったところ、亡霊は鎮まったといわれています。ちなみにの話なんでけど、山崎の戦いで光秀が敗死したのは1582年6月13日なんだけど、ここ柏原八幡宮を焼き払ったのも、その3年前の6月13日だったといわれ、これは「神罰」だと書かれた史料が神社に残っているそうです。集めてきた疾風巡拝の「御刻印」も兵庫の3箇所はコンプリート。岡山の一つと合わせて、4つ集まりました。次に近いのは四国の10箇所。四国のどこかで1本目は、コンプリートしそうだな。柏原八幡宮の近くには、天然記念物で「木の根橋」と呼ばれている「柏原の大ケヤキ」がありました。このケヤキは幹径6m、樹高22mで推定樹齢は1000年だそうです。その根の1本が幅8mの奥村川をまたいで、自然の橋を形成していました。ちょっと移動して、本日のメイン篠山城です。篠山城は徳川家康の命で1609年(慶長14)大阪や京都から山陰、山陽への街道が通る交通の要衝地、篠山盆地の独立丘陵に豊臣秀頼の大阪城攻略拠点として築城されました。約8万人を動員した天下普請で、縄張りは築城の名手藤堂高虎、築城総奉行は池田輝政で半年という短期間で完成させました。本丸と二の丸はすべて犬走が設置された高石垣で囲まれ、その外側に三の丸と堀が巡っています。さらに外堀周辺には武家屋敷、その外側には町屋を配置し城下町を造りました。天守台は築かれましたが、天守の工事は中止されています。このことは、この城が軍事的拠点としての実戦性よりも、政治的象徴としての性格を強く意識して設計されたことを示しているそうです。篠山城大書院は、慶長14年(1609)の築城と同時に建てられた城内最大の建築物です。京都二条城二の丸御殿に匹敵する壮大な書院造でした。一大名の書院としては破格の規模と古式の建築様式を備えていましたが、昭和19年(1944)に火災で焼失。その後、篠山市民の寄付により、古絵図、古写真、発掘調査等の総合的な学術調査に基づき、平成12年(2000)に木造復元されました。床面積は739.33㎡、棟高は12.88m、屋根は入母屋造り、こけら葺き。内部は8部屋あり、上段の間には、江戸時代初期の狩野派絵師が描いた屏風絵が障壁画として転用され、往時の雰囲気を再現しています。篠山城跡 南堀の蓮は「篠山城蓮(ささやまじょうばす) 」という固有種で花弁が少なく、大ぶりな花をつけることが特徴だそうです。かつては夏の風物詩として、南堀一面にハスが咲き誇っていましたが、2005年頃に突然消滅しました。原因は、当時流行していた「ミドリガメ」と呼ばれる「ミシシッピアカミミガメ」を長く飼いきれず、堀に捨てるという行為でした。2014年からアカミミガメなど外来種の駆除や種レンコンを移植するなど、小学生や地域の方の活動により、2020年夏、15年ぶりにハスが開花したそうです。御徒士町武家屋敷群は、篠山城西側の外堀沿いに整備された武家町で、下級武士・御徒士たちの住まいが南北400mにわたって連なっています。茅葺の主屋や白壁の土蔵、棟門と土塀が連なる景観は、天保の大火後の復興形式をよく伝えています。篠山城下町、ここ御徒士町武家屋敷群を含む城の周囲の武家屋敷群と、東に展開する商人の町、河原町妻入商家群が、平成16年(2004)に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。武家屋敷群の中の変電所も、門構えは旧家造になってましたよ。本来なら、ここで少し移動して、畜産会社直営の肉屋で丹波牛のビーフカツ定食の予定でしたが、①お城をゆっくり見でオーダーストップ時間まで時間がない事、②実は朝のカツサンドがボリューミーでお腹がすいてないことから、城の前の地物定食屋さんで、簡単に食べることにしました。丹波篠山って牛肉だけでなく猪肉も有名なんです。せっかくなんで、丹波猪肉丼と丹波黒豆の定食にしました。せっかくなんで、城東部に展開する商人の町、河原町妻入商家群を散策しながらお土産買ってかえりましょう。老舗のパン屋さんで、「まめパン」買おうとしたらなんと施設整備で長期お休み中老舗和菓子屋さんの水羊羹は何とかゲット。さて、帰ろうかと思ったら「や、やられた!」先輩に我々を代表して、北野武巡査に詫びを入れてもらったら・・・。許してもらえましたよミニスカポリスに!ここは、人形制作などを手掛けている会社の倉庫の前で、通学路でもあるこの道路に対して「何か交通安全対策にできることはないか」っていうことから、この人形を置いてみたんだって。ちゃんと地元の警察に許可も取ってて、ロゴは「POLICE」じゃなくて「PEACE」になってた。まあ、SNSですげ~バズるわなちなみに、ミニスカポリスは人形制作会社の社長さんの好みをフギィア化してるんだって。お隣にはコンテナを改造したお洒落なピザ屋さんもあります。ピザ屋さんの駐車場も、ごらんのとおりです。このピザ屋さんで、お茶させてもらったんだけど、外観と違って、メニューはどれも美味そうだった。自家製のジンジャーエールが辛口で美味かったんだけど、先輩の頼んだ、かき氷も美味そうだったな。それじゃあ、来た道を弾丸で帰りましょう。帰りは、社PAで休憩して、県北組とは福崎JCで流れ解散。県南組とは山陽ICで流れ解散して、いつものガススタで燃料満タンにして、18時半に無事帰宅です。今日の弾丸は400Kmでした。まあまあの弾丸でしたね。今日のお土産は、社PAで目についた、可愛いパッケージのミニラーメンと水羊羹です。せっかくなんで、娘に抹茶入れてもらって美味しくいただきました。今回は面白い集合写真を沢山撮ったんだけど、欲しかったら、メールちょうだいね。一式送るからね。
2025年08月23日

令和7年8月7日(金)義父母の退院の手続きと、荷物の搬送、買い出し対応に、奥さんの実家へ行ってきました。朝うどんは、帰省道中の「つよ志さん」。オーナーさんはカブヌシさんです。1か月で3回目の来店か、もう常連やな今回は「冷かけ中サイズ」にしてみた。安定のボリュームと安定の太麺。毎回美味いわ。ごちそうさまでした何だかんだで、アレコレしてると結局、夕方までかかった。帰り道は、高松経由になったんで、高松の東隣の三木町にある町中華で晩御飯食べて帰ろう。先日YouTubeで、まだやってるのを確認したんで、卒業してから約30年ぶりの来店です。昔となんか違うぞ平日の夕方19時前にも関わらず、駐車場は満車で店内も席が全部埋まってる。YouTube効果なのメニュー見たら30年前とほとんど変わってないこれで大丈夫なの。儲けあるのレバニラ炒め400円+ご飯(小)200円=600円天津飯(小)600円+餃子300円=900円二人で1500円このコスパなら、確かに駐車場満車になるわなおやっさんとおかあさんは昔のまゝだったけど、今日は19時まで厨房にバイト?息子?がいた。2人とも30年前に既にいい年だったから、いま幾つなのまた今度、みんなを連れて食いに行くからもう少し頑張ってね。令和7年8月12日(火)子供達(孫)の帰省に併せて、義父母のその後の様子を見に行ってきました。1週間で2回目の徳島弾丸になります。買い出し頼まれて、スーパーに寄ったんだけど、お盆の特設ブースの、徳島県の郷土愛が凄いんよスーパーの入口入って正面のブースがコレよ。金ちゃんヌードルがドーン!1943(昭和18)年創業、徳島県に本社及び工場を置く『徳島製粉株式会社』さんが、徳島県・西日本を中心に販売するカップ麺『金ちゃんヌードル』。1973(昭和48)年から販売され、エビなどのかやく(具材)がたっぷり入ったカップラーメン。『しお』『カレー』味などもある。袋麺タイプの『金ちゃんラーメン』もあり、こちらは1967(昭和42)年から愛されているロングセラー。大野海苔の海苔缶がドドーン!創業1940(昭和15)年の老舗海苔店『大野海苔株式会社』さんが作る『味付のり』。一度、大野海苔さんの味付のりを知ると、他の味付のりは…と言うほど地元民には定番。ごはんのお供やおにぎりにはもちろん、徳島のお土産ソウルフードとしても人気。郷土愛に感服いたしましたさすがに1週間に2回の徳島弾丸は疲れたって言うか、ツーリングも併せて1か月で3度も四国に渡ったから、大好きな瀬戸大橋に飽きてしもうたわそもそも、先の福井弾丸と併せて、1週間で1300㎞強は走りすぎやわもう、車乘りたーないわ
2025年08月12日

<福井弾丸ツアー2日目>です。今回お世話になったのは、福井市内中心街に立地する「ホテル藤田 福井」さん。大きな駐車場も完備かつ、駅も飲み屋街も近くて便利でした。ワシントンホテルチェーンのホテルで、コスパもよかったし、サービス等も申し分なしでした。ウチの奥さん、昨日の夕食といい、エエの探してくるな。福井の食材をふんだんに使用した郷土料理を盛り込んだ「朝が楽しみになる全50種以上の朝食ビュッフェ」も、えかったわ。福井と言えば「東尋坊」は外せないかな。福井市内からそんなに遠くないし、朝イチは東尋坊からスタート。残念ながら本日雨天。前回来た時も、大嵐だったなあ東尋坊の独特な景観は、柱状節理という希少な地形によって作られています。 柱状節理とは、溶岩やマグマが冷えて固まるときにできる柱状の割れ目のことで、地表近くまで上昇したマグマは、冷えて体積が小さく縮み、五角形や六角形の柱状の割れ目ができます。東尋坊の柱状節理は、約1300万年前に噴き出した溶岩が地中で固まり、地殻変動や日本海の荒波で削られ現在の形になりました。1kmにもわたる柱状節理は、ここ東尋坊と朝鮮半島の金剛山、スカンジナビア半島にあるノルウェー西海岸の3か所だけで、「柱状節理世界三大絶勝」と言われていて、地質学的にも貴重であることから、国の天然記念物と名勝にも指定されています。東尋坊商店街を抜けると、景色が一変し、断崖絶壁に到着。「大池」と呼ばれる東尋坊随一の絶壁の高さはなんと25m崖から海を見下ろすと、その高さに思わず足がすくみますわ。波打ち際まで下りていける「千畳敷」と呼ばれる場所もあります。美しい景観を守るため、東尋坊には手すりやフェンスなどが一切ありません。今日の天候はあいにくの雨。しかも強い風に傘をあおられながら千枚敷にも、たくさんの観光客が降りていきました。我々も中段の先端まで降りてみました。東尋坊や近くにある雄島などを約30分間にわたって周遊する「東尋坊観光遊覧船」は、波が低い日は、25mの高さを誇る「大池」の入り江の中まで入り込めるほか、「ライオン岩」や「ろうそく岩」、「軍艦岩」などを海上から楽しむことができるんですが、今日は悪天候を理由に運航休止となっていました。残念、乗ってみたかったなあ~。下を見下ろしていて、ふと、そういえば・・・。東尋坊は自殺の名所として知られていて、その昔は年間20人ほどが亡くなっていたそうです。現在は、NPOが自殺抑止の見回りを行っており、10人を切ったという記事を何かの読んだことがあります。NPOは保護した人の写真を撮っていて、写真集を作っていて老若男女、さまざまな人が一人で岸壁に座り込み、中には大きく頭を垂れている人の姿が映っていました。ここでの自殺の達成率は70%だそうです。高低差はわずか25mなんで、大けがをして助かる人がいるようです。自殺未遂は保険が適用されません。自殺はやめましょうね。途中遊覧船団が来ましたが、着岸せずに戻っていきました。あの波じゃあ、着岸できんわな。やっぱり残念~。さて、雨の中最後のミッションは奥様のリクエストの紫式部ゆかりの地巡りです。ここ、越前の地は、紫式部が父の国司任命に伴い、生涯で唯一都を離れて、20代半ばの青春の1年を過ごした場所です。雄大な自然や文化に触れた越前市での暮らし、上質な越前和紙との出会いは、才能ある紫式部の感性をさらに豊かにしました。このことがのちに源氏物語を執筆する原動力になったと言われています。この資料館では、越前時代の紫式部の暮らしぶりを絵巻物風のアニメーションで分かりやすく紹介してくれます。アニメーションが床面スクリーンにまで広がってくるのが少し驚きでした。京の都から越前国へと移動する、紫式部と父・藤原為時の下向(げこう)行列を再現した模型人形です。行列の人形の数は全部で46人。馬や行列に用いられた調度品のひとつひとつが、越前和紙で丁寧に作られています。これ、和紙なんだけど、凄い精巧に作られいるんよガラスケースの中の展示だったんで、展示のライトが反射して写真がちゃんと撮れてなかっただけど、当時の食事を模した展示があって、庶民と国府の食事が展示してあった。国府の食事が豪華なのにはもちろん驚いたんだけど、平安の庶民の食事がちゃんとしていたのにすげー驚いた。あんな国府の食事でもてなされたら、感性も豊かになるわな~。紫式部をしのんで造られた「紫式部公園」。平安時代の貴族の住居である「寝殿造」を模した3,000坪の広大な敷地に、霊峰・日野山をはじめ武生盆地を囲む山々を借景に池や築山を配置しています。池のほとりには釣殿も配置されており、全国で唯一の寝殿造庭園で、雅やかな雰囲気が漂います。釣殿(つりどの)は、寝殿造の邸宅において、中門廊の先端に池に面して作られています。釣殿は、納涼や月見、雪見の宴が行われた場所です。また、この池は、東から西へと渡る月がいつまでも水面に映るよう、東西に長く造られています。紫式部と婆です。公園内には、紫式部の像がありました。聡明で美しい面影がうかがえる紫式部像は、都の方を向いて立っており、その視線の先には越前富士と呼ばれる日野山があります。大河ドラマ「光る君へ」の越前編の前に、紫式部役の吉高由里子がこの像の前と2S写真撮ってたけど、この像、ホント吉高によく似てる。似てるから、吉高に配役したんじゃねさて、全員のミッション完了です。来た道を350㎞無事に戻って参りました。総走行距離820㎞ほどを無休油で走って帰って、41L入ったので、リッター20㎞も走るの奥さんのマツダ2って優秀やわ。今回の旅行で、御年81歳の母ですが、一緒に永平寺の階段を上り、一緒に三階建ての恐竜博物館の展示をくまなく回り、一緒に駅前で美味い日本酒を飲んで、一緒に東尋坊の手すりの無い階段をスタスタ降りて、一緒に紫式部公園の釣殿に上がりました。まあ、あと10年は死なんわな。っていうか、俺より長生きするじゃね
2025年08月10日

今年の正月に、御年81歳の母が、「永平寺を見ずして死ねんわ。」と放った一言に端を発した、福井親孝行弾丸ツアーに行ってきました。自宅を6時半に出発して山陽道→播但道→中国道→舞鶴若狭道→近畿道→北陸道と渡ってお昼前に福井県入り南条SAで早めの昼食にします。ここまで、約330Kmってところかな。お昼は、福井名物の、冷たいそばに、辛味大根おろし・刻みネギ・かつお節を添え、だし汁をかけた「越前おろしそば」と、香ばしく焼き上げられた鯖を生姜や大葉、酢飯とともに押し寿司にした「焼き鯖寿司」をチョイス。奥さんは福井県民のソウルフードの「ソースカツ丼」にしてた。福井県って恐竜推しの県なので、SAも恐竜一色ですね。子供たちが喜んでる。北陸道→中部縦貫道と渡って、永平寺ICで下車して大本山永平寺へ。永平寺は、寛元2年(1244)、道元禅師によって開かれた禅の修行道場。深山幽谷の境内には70余りもの殿堂楼閣が建ち並び、中でも「七堂伽藍」と呼ばれる7つのお堂(法堂・仏殿・僧堂・庫院・山門・東司・浴室)は、僧侶が修行をする清浄な場所として、特に重要な建物とされています。『永平寺』では今でも、「雲水(うんすい)」と呼ばれる多くの修行僧が、日々厳しい修行に励んでいます。先に紹介した「七堂伽藍」の拝観時に、僧堂・東司・浴室は私語禁止となります。傘松閣は、156畳敷きの大広間で、天井には一面に絵が埋め込まれておりその数なんと230枚だそうです。見事な絵が天井一面に並んでおり、花鳥風月を表した絵が多いですが、鯉や唐獅子などの生き物が描かれたものが5枚だけ存在するそうです。昭和5年(1930年)に当時の著名な画家144名によって描かれました説法の道場である「法堂(はっとう)」。朝のお勤め等の各種法要がこの場所で行われます。正面には「聖観世音菩薩」が祀られ、左右には阿吽の白獅子が置かれています。法堂は七堂伽藍の一番高い場所に位置しており、目の前が一文字廊、その奥が仏殿、左が大庫院、右が僧堂となります。山門に降りてきました。山門から下に目を向けると「鐘楼(しょうろう)」があります。ここは立ち入り禁止区域となっています。山門は寛延2年(1749年)に建てられたもので、中国唐様式の楼閣門となっています。山門の両側には守護神である四天王がおられます。足元の鬼さんは、しっかり懲らしめられています施設にの中心に位置する仏殿。屋根は中国宋時代様式の二重屋根で、欄間には見事な彫刻があり、美しい建築物の伽藍です。仏殿には永平寺の御本尊で現在を司る「釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)」、過去を司る「阿弥陀仏(あみだぶつ)」、未来を司る「弥勒仏(みろくぶつ)」が祀られています。永平寺では日帰参禅体験(坐禅)を1日3回行っておりうまいこと13:30からの回に申し込みが出来ました。料金は1人500円で、体験時間は50分、作法などの説明を受けて15分間の禅を行います。写真は曹洞宗HPより煩悩を捨てさり、頭をリセットするいい機会になりました。婆のリクエストについてはミッション完了です。さて、今度は私のリクエスト。福井に来たなら、ここ県立恐竜博物館は外せないでしょう。そもそも、なんで福井=恐竜なの?福井でたくさんの恐⻯化⽯が⾒つかる理由は、この地の地層に理由があります。恐竜がいた頃の日本列島はアジア大陸の一部で、ここは大きな川が流れる場所でした。そこに生息していた恐竜たちが、川の氾濫などで地層の中に埋もれ、化石となりました。この地層が手取層群であり、福井県、石川県、富山県、岐阜県に分布し、中生代ジュラ紀中期から白亜紀前期(1億7千万年~1億年前)にかけての地層から成ります。中生代の化石が良好な保存状態で産出することで知られ、中でも福井県勝山市の恐竜発掘露頭は日本有数の恐竜化石産地となっています。①ここでは多くの⾻化石などを含む地層(ボーンベッド)を発⾒することができたこと。また、その地層が川沿いの崖に大きく露出していて、採集しやすい場所であったこと。②更に、そのボーンベッドの上部を山ごと切り崩しすことでボーンベッドをしっかりと露出させ、徹底的に発掘したこと。③福井県立恐竜博物館を中心とした研究員たちが30年以上かけて継続的に発掘調査を進めてきたこと。④発掘調査をもとに各分野の研究員が、それぞれの専門性を発揮して地道に研究を進め、成果を発表し続けていること。福井でたくさんの恐竜化石が見つかるのは、有利な地理条件と大規模かつ継続的な発掘調査、さらには福井県立恐竜博物館の研究員による地道な研究の成果なんですねそしてここ福井県立恐竜博物館ですが、全⾝⾻格標本を数多く展⽰する世界有数の博物館として、世界3大恐竜博物館と呼ばれています。館内は「恐竜の世界」、「地球の科学」、「生命の歴史」の3つのゾーンに分かれ、50体もの恐竜全身骨格や数千点の化石、巨大ジオラマなど、見応えたっぷりです。動くティラノサウルスやCGシアター、大迫力のダイノシアターなど、大迫力の臨場感におもわず息をのみます。今回は体験できなかったけれど、研究員気分で化石をクリーニングしたり、発掘体験を楽しめる面白体験プログラムも充実しています。展示空間を妨げない無柱構造で設計されたドーム建物の博物館自体の設計が優秀なんですよね福井県立恐竜博物館のHPも優秀なんですよ。博物館に行く前には、HPで予習していけば、全⾝⾻格標本に肉付けされて、標本が本物に見えてくるはず。この日は、新館ドームで特別展をやっていたので、そちらも見学です。新館ドームは、2023年7月のリニューアル工事で追加されたセクションです。特別展は「獣脚類2025」会期は今年の11月3日まで。福井県の新種恐竜6種の中から、「フクイ」の名を冠する3種の獣脚類と、今後の発見が期待されるスピノサウルス科に焦点を当て、“肉食の一族“の多様な進化を紹介しています。世界初公開となるティラノミムスの全身骨格や日本初公開の最新復元のスピノサウルス全身骨格も併せて展示されていました。係の人に聞いたら、スピノサウルス全身骨格はレンタル品らしく、「今回見逃したら、次は見られないかも」とのことでしたよ。新館ドームではガラス張りの収蔵室が見えたり、1階から3階まで届く高さの「恐竜の塔」と呼ばれるシンボルモニュメントが立っていて、塔には福井県で見つかった恐竜5体と鳥1羽があしらわれています。上からフクイラプトル、フクイプテリクス、フクイベナートル、フクイサウルス、コシサウルス、フクイティタン。すべて実物大だそうです。「恐竜博士、とっても面白かったし、 すげー勉強になったよ。」恐竜博物館を後にして、福井市内のホテルに向かいます。お昼が早かったのでお腹がすきました。チェックインしてすぐに晩御飯に行きましょう。お盆前の三連休だし、どこのお店もいっぱいです。お店を探すのにかなり苦労しましたが、福井駅前の「魚六」さんをなんとか確保。ココが口コミどおりの超大当たり店で、地物の肴も酒も美味しくて、大満足でした明日もロングドライブが待っているので、今日は1次会でお開きにしました。<2日目に続く>
2025年08月09日

’25 8月の遠征ツーリングは、「ぬる湯温泉ツー」として、三瓶温泉に行ってきました。クッソ忙しかった仕事も、けが人の復帰やらでなんとか落ち着いてきたし、あれこれ段取りしなきゃいけない各イベントも終わったので、やっと走りにいけますわ。今回は、開催通知を1週間前にUPしておいたので、メンバー各位は、準備できてたかな?集合場所にいたのは、フォルツア先輩と久々のCB先輩の2台。今日はこの3台で巡ります。涼しい間に移動したかったので、ちょっと早めの7:00に津山集合としてました。さすがに、お腹すきましたね。宍道湖横の「あらびかコーヒー」さんでモーニングにしましょう。中央のドリッパーは、マスター自慢の水出しコーヒー用のドリッパー。朝一、マスターが準備しながらPRしてくれました。朝からお店自慢のカレーやシチューも大いに惹かれたんですが、うまい朝コーヒーが飲みたかったんで、モーニングセットにしました。フォルツア先輩は、マスター自慢の水出しコーヒーです。駐車場で黄色いあらびか号と記念撮影。ここのお店は私の奥さんの友人の実家で、奥さんに自慢げに写メ送ってたら、ウチの奥さん→友人→お店にいる友人妹と情報が渡っていて、俺の正体がバレてたわ(笑)横展開が早いな。宍道湖沿いを流して、高速乗って三瓶山を目指しますが、途中のR184沿いで面白いダム発見。一級河川斐伊川水系神戸川「志津見ダム」。ダムの天端が一段下がっていて、天端が管理橋じゃないね。ってことは・・・。大雨の時に堤体全体で洪水を流下する堤体全面越流式のダムなの?このタイプ、初めて見たなー。管理橋が無い分、コスト縮減になってますね。三瓶山到着。せっかくなんで、リフトで展望台へ上がります。高原は空気が違いますね。風が抜けるし、そもそも涼しい。リフトは大平山山頂へつながっていて、男三瓶、女三瓶、子三瓶など三瓶山全体を見渡すことができる展望台があります。大平山山頂からは、男三瓶、女三瓶、子三瓶山頂へ60分から80分で、アクセスできます。秋の紅葉シーズンのトレックは、綺麗でしょうね。展望台は、テラス形式。心地よくって、ここで少し昼寝がしたいですね。下界の熱波地域とは大違いです。下界(笑)へ戻って、リフト乗り場横のワイナリーを見学。ワイナリーに併設して、売店があります。ワインソフトを発見。アルコール分は飛んでいるので、運転手が食べてもOKです。しっかりブドウの味がして、美味し。さて、本日のメインイベントの温泉へGO国民宿舎「三瓶荘」さんへ三瓶山の麓より湧き出る三瓶温泉は、古くから湯治場として親しまれてきました。三瓶荘さん以外にも、温泉施設が6施設ほどあるんですよ。毎分3,000ℓという豊富な湧出量の三瓶温泉。鉄分と塩を含み、茶色く濁っていきます。34.8度と体温よりやや低い源泉を非加熱でそのまま注ぐ湯船と、加温した温泉を行ったり来たりして温冷交互浴が楽しめます。今日はこの非加熱温泉で、クールダウンを求めてやって来ました。駐車場には足湯もありました。温泉前に腹ごしらえから。穴子やワサビをフィーチャーした定食もありましたが、結局、全員「蕎麦三昧」をチョイス。私とフォルツア先輩は、炊き込みご飯付にしました、これで1750円だった 三瓶荘さんの温泉が付近の温泉施設の中でも、一番バラエティに富んでいて楽しめそうだったことと、温冷交互浴をウリにしていた事が今回のチョイスの理由でした。写真は観光協会さんのHPから。露天が加温なし、内湯が加温ありの傾向で、日陰の露天で、クールダウン入浴を楽しみました。さて、最後は自然豊かな高原道路を、流して楽しみましょう。その昔、自転車競技をしてた時に、ここの大会に遠征して来たけど、転んでひどい目にあったけな。HP調べてみたら、もうやってないみたい。予定ではJR三江線の廃線跡を巡って、三好経由で帰ろうと思ってたんだけど、温泉に長湯しちゃったので、それは次回の宿題ね。三好ICから中国道上で流れ解散で解散。帰路にオチがあって、私は中国道→岡山道→山陽道で帰ったんだけど、中国道から岡山道に乗り換える北房JCあたりでガソリン警告灯が点いて、そのままドキドキしながら岡山ICまで走って帰りました。警告灯が点いて50kmは走れるってことは分かりましたね。今日のお土産は、朝食を頂いた「あらびかコーヒー」さんのコーヒー豆でした。数日間は、うまい朝コーヒーが飲めそうです。
2025年08月02日

その昔、「ZEPS.NET」という全国的なゼファーオーナーズクラブがありまして、未だに細々と(?)活動しています。今回は、そのZEPS.NETの饂飩OFFです。前回の饂飩OFFが22年開催だったから、5年ぶりの開催です。前回も、前々回も、前々々回も、泊開催にしたんだけど、今回は2025年7月5日に大地震が発生するかも予言の関係か近傍参加者しか集まらなかったので、泊なしの日帰りツーリングで開催しました。参加者は広島組2、近畿から1ファミリー(3台)と私の6台構成。全員が瀬戸大橋を渡るので、集合は瀬戸大橋途中の与島PAとしました。みんな5年ぶりの再会。今までも数年ぶりのOFF会で会うってパターンが普通だったし、SNSでも繋がってるし、あんまり、久しぶりって感じじゃないんよね。ほぼ時間通り集合して、1件目のうどん屋さんへ1件目は、「つよ志」さんへ。ここは、5月のソロモンクロニクルの時に事前リサーチ済み。前から食べてみたかった、明太バターの「中」を注文。熱いし、オイリッシュで胃腸にヘビーだし、そもそも、中なのにすごいボリューム。太麺なのもあるけど、食べても食べても無くならないなんだか、バイク乗りの集まりミタイネ(笑)観音寺へ移動。わ3さんに走行写真を撮ってもらったんだけど、ちゃんとブーツはいておけば良かったよ。このデニムって立体裁断で、又下にゆとりを持たせてるんだけど凄く太って見えちゃうんだなもう、履かない。観音寺市の讃岐麺処「山岡」さんへここ前回の饂飩OFFの時、2日目に来て、お腹いっぱいで、イマイチ堪能できなかったからリベンジなんだけど、今日もさっきの「つよ志」さんでお腹いっぱいだな。相変わらずの太麺だな。ネジネジスクリューがウリになってる。注文を書いて、レジに出すタイプの会計システム。トッピングは途中で取って、最後のレジで併せて精算。相変わらずの超太麺。割りばしより格段に太いから、1本ずつしかすすれない。これで「小」なんよ沢山食べたら喉詰まっちゃう。観音寺に来たら、銭形公園の砂絵でしょう。有明浜の砂に描かれた「寛永通宝」は、東西122m南北90m、周囲345mもある巨大な砂絵で、琴弾山山頂から見るときれいな円形に見えます。寛永10年(1633)藩主、生駒高俊公を歓迎するために、一夜にして作られたといわれ、この銭形を見たものは健康で長生きができ、お金に不自由しないと伝えられています。何度も訪れているんだけど、お金に不自由してるんだけど・・・。丁度、駐車場が空いてたので、いつものアレね。バイクの集合写真と、みんなの集合写真角度を変えて、もう一つのカメラでも「集合」ここで、天空の鳥居へ向かったんだけど、なんと10:00から18:00は上宮には一般車両は進入禁止で、シャトルバスがさっきの銭形公園から運行しているみたい。あとは、下宮から徒歩であがるか・・・。超暑いし、しかも通り雨もパラパラ来たから、予定を早めて三豊ベースへ…。ピット・インですわ。三豊ベースは、2023年5月にオープンしたバイク好きの女性オーナーによる宿&cafe。築40年の伝統的な日本建築の宿は、タイプの異なる3部屋と、仲間たちとくつろげる共同のキッチン・リビング・16畳の和室・3つのトイレ・お風呂・2つのシャワールームがあるんだって。金土日月は手作りスイーツや日替わりケーキ、調理パンなどが楽しめるカフェ営業もしています。カフェでかき氷をオーダー。みんな頭キンキンしながら食べてた。あまりも暑くって、お代わりまで頂きました。ここで、遅れて姫路の御大合流。三豊ベ三豊ベースさんは、今後バイク神社を併設するんだって。本部との話も終わってカミングスーンみたい。益々、全国からバイカーが寄って来るね。中は古民家だから、大きな部屋がたくさんあるんよ。宿泊で利用もしてみたいね。姫路の御大のゼファーが登場したから、ゼファー率急上昇。2/7=29%になりましたみんなで秘密基地前で集合写真撮って、出発します。荘内半島をぐるっと回って帰ります。まずは父母ヶ浜。父母ヶ浜は、燧灘に臨む約1kmのロングビーチを誇る穏やかな海水浴場。瀬戸内海の燧灘に沈む夕日が美しく、絶景スポットとして知られています。遠浅の砂浜の上に現れる潮だまり(水たまり)に、まるで鏡の様に空が映し出された風景写真がウユニ塩湖の様だと話題になっています。今回は本物のプロカメラマンに撮ってもらえるので、大人たちも、しっかりふざけますZEPS.NETの集まりなんで「ZEP」ね流石、プロ。外しません。お試しも含めて3回跳んだんで、おじさんたちはゼイゼイいってましたが…。全員合流して、記念撮影。行くぞおーーー見事にみんなバラバラ紫雲出山に上ってみました。絶景なんですが、ここも自動販売機がありません。今日は夏日なんだけど、止まった所、止まった所で給水できないなんか、バイクのOFF会みたいやね30歳のゼファー1100が2台。僕がゼファー降りて、もう3台乗り継いでるからね。二人ともホント大事にしてる。なんて言ってたら、突然、黒金号がエンジン掛んなくなった。紫雲出山の下まで下ってきた。黒金号も惰性で降りてきたら、下ではエンジン復活しました。山の高度が影響したのかなこの辺りが浦島太郎伝説の舞台らしくて、亀を助けたのがここの海らしいです。だから公衆便所が竜宮城になってるの。海沿いを流していたら、突然海の中に参道が登場。喉が渇いたし、ちょっと給水休憩しましょう。津島神社は、江戸時代から子供の健康と成長の守り神として信仰が厚く、日本全国から家族連れの参拝者が多く訪れるそうです。特に毎年8月4、5日の夏季例大祭の参拝者は、のべ10万人を超えるそうです。神社は島にあるのですが、この橋を渡ることが出来るのは8月の大祭の2日だけなんです。このJRの駅も、8月の大祭の2日のみしか開設されません。大祭の日以外は、ここで列車は停まらないのです。津嶋神社を後にします。近畿ファミリーは、今日は奥様の実家に泊まるのでここでお別れです。ジイジが大きな孫の帰りを待っとる様です。次回は次男も含めて4台参加かな残ったおじさん4人は、最後のうどんを食らいに宇多津の「塩がま屋」へ寄ります。ついにゼファー率50%になりました。ゼファーオーナーズクラブの集まりですからね。ここ、ウチのブログの御用達になってきたな。最後は冷たいぶっかけに大根おろし突っ込んでさっぱり味で頂きます。裏切者外車会の2人。国産車じゃないし、4気筒でも空冷でもない。ゼファーと全く共通点ナシそれでは、本土に帰還しましょう。広島の2人とは倉敷JCで別れて、姫路の御大とは岡山ICで別れました。饂飩OFFって、帰り道が近いのがいいよね。本日255㎞。近所のGSで給油したら10.5L入ったので255/10.5=燃費はリッター24.3㎞でした。近畿ファミリーは奥さんの実家へ、他の3人は無事帰着報告がありました。これにてZEPS.NETの饂飩OFFはおしまい。浜名湖リターンズ20’Sの話が出てたけど、前回が2017年だったから、再来年開催やね次回も幹事は多田さんお願いね。
2025年07月12日

①奥さんがチケットを2枚Getしてきたのと、②貯まったJR西日本のウエスターポイントだけで大阪まで行けるトクトク切符のキャンペーン期間が6月末までなのと、③子供が修学旅行中でいないのと、もう、今しかない!ってことで、ちょっくら大阪万博に行ってきました。いつもの出勤よりも早く家を出て、岡山駅でトクトク切符に交換してのぞみ号君で新大阪へ。JR行脚は行きも帰りも吞めるから嬉しいわ。朝イチはJR西日本のコラボ商品の瀬戸内果実酎ハイの中から岡山シャインマスカット酎ハイをチョイス。新大阪から御堂筋線→中央線と乗り継いで、夢洲(ゆめしま)駅へ夢洲駅は東入場ゲートと直結しています。11時の入場予約しかとれなかったので、この炎天下の中、時間調整で待たされました。これが暑かったのよ。万博会場は9時から開いてるので、9時に予約していればどんなに遅れても、時間調整なしで入れます。様子が分からないから、早めについてたんで、10時過ぎから待って、11時過ぎに入場できました。入場前には手荷物検査があったんだけど、開封のペットボトルの残りはその場で自分で飲んで検査させられます。未開封はそのままX線へちなみにキャスターバッグはサイズに寄らず持ち込みNG。酒類もNGです。後は空港の手荷物検査と同じ流れです。いらっしゃいました。一路リングを目指します。東ゲート周辺には日本企業のパビリオンがたくさんあるのですが、ほとんどが要予約。全館検索しましたが、「思い付きでGO!」状態の私たちには全滅でした。今回の目的の一つは、大屋根リング。大屋根リングは、総工費344億円をかけて建設された世界最大の木造建築物であり、開催前はさまざまな議論を呼んだ建物ですが、実際に目の前にするとそのインパクトは凄まじく、圧倒的なスケール感でこれが木造建築ということに驚かされます。大屋根リングは、「多様でありながら、ひとつ」という会場デザインの理念を表す大阪・関西万博会場のシンボルとなる建築物で、直径600m、幅30m、高さ20m、全周2kmにもなるため、リング屋上を一周するだけでも30分ほどかかります。日本の神社仏閣などの建築に使用されてきた伝統的な貫(ぬき)接合に、現代の工法を加えて建築しています。釘やボルト・ナット、アングル材などの接合部品が外から見えませんこの貫(ぬき)構造は、京都の清水寺の舞台を支える基礎にも同様の構造がされています。柱の幅と奥行きは42センチ。清水寺の半分ほどしかなく、そのまま梁を通すと屋根を支えられない恐れがあったため、柱と梁の接合部分にボルトを通して鉄板で挟み、ボルトを突っ張り棒にして強度を上げる最新の工法を導入することで、耐震性能は基礎設計段階より2割向上させたんだそうです。それでも大規模地震では倒壊する計算となったため・・・。リングの屋根は内側と外側で高低差が8メートルあり、内側は低くて軽い分揺れにくく、外側は高くて重い分揺れやすい構造面に着目し、揺れにくい内側の接合部分はボルトを緩める一方、外側は鉄板を追加して強度を高めることで全体を均一に揺らして倒壊を防ぐ方法で脱却したそうです。リングは会場の主動線として円滑な交通空間であると同時に、雨風、日差し等を遮る快適な滞留空間として利用されていましたよ。さて、リングの上に上がってみましょう。下から見ても圧巻だったけど、上からみても圧巻だな。この池が実は海で、この部分はリングが会場に飛び出しているところなんです。この会場ステージの夜のイベントも楽しそう。リングの上も緑の空間があって、定期的に植え替えをしているみたいですね。リングから会場を見渡すことができます。正面は、水上のイベントを行うウォータープラザでその後ろがシグネーチャーゾーン。平日でこの人出だから、土日とか夏休みは、凄いんやろな。リングから下へ降りてきました。どこもパビリオンはいっぱいやな。予約のいらないパビリオンを狙ってみるものの、長蛇の列。万博行く人は、必ず事前に要予約やね。予約も「抽選付予約」「事前予約」「当日登録」など様々なんで、色んなサイトを参考に、上手な回り方をシュミレートしておかないと「せっかく来たのに見たいパビリオンに入れなかった…」なんて、私達みたいな悲しいことになりかねんよ俺らが汗流して並んでいるのを横目に、上手に予約パビリオンを梯子してるお客さんいたわ。予約不要なパビリオンは、決まって、この状態・・・。途中、通路の遮断機が下りて来て何事かと思ったら、VIPらしき人たちが車で入って来た。場内内に何か所かこんな遮断機が設置されてた。「なるほどなっ」ていう設備だな。仕事でよく使う、仙台銘板さんの信号機だった。パビリオン見学は期待できないんで、ガンダムでも見に行こう。今日はリングとガンダム見て、パビリオンの外観を楽しめたら、それでOKって思って来るから、これで充分なんだけど、ウチの奥さんは、パビリオンの当日予約がもう少しうまくいくと思ってたみたいで、パビリオンの中の見学が、思いの他できなかったのが少し残念そう。俺は「十分満足してる」んだけどね左の笑顔のパピリオンは、よしもと館。事前リサーチで人気があったパソナ館。先端にはアトムが乗ってる。なんだか怪しい「夜の」って名前の付いたパビリオン発見。予約の要らないパビリオンみたいだけど。ここ「夜の地球 Earth at Night」は、2024年1月1日の能登半島地震でも奇跡的に無傷だった漆黒と金の発色の繊細な美しさが特徴の輪島塗による直径1mの大迫力地球儀が展示されていました。輪島塗大型地球儀は「復興シンボルの一つ」であり、「対立や分断を超えて他者に思いを巡らすことの意味を世界に向け伝えていきたい」との願いも込められているそうです。会場には、日本全国の特産品マップがありました。これが、なるほどって感じで結構面白かったのよ。会場をひとしきり回って、シグネーチャーゾーンに出てきた。リングの上から見下ろしてた所ね。このゾーンは、様々な企業がグループを組んで運営していて、著名な映像や音楽プロデューサーとコラボしたパビリオンを出展してる。この「いのちをめぐる冒険」館は、「マクロス」、「アクエリオン」シリーズのアニメ監督で、日産デュアリスの『パワード・スーツ デュアリス』やソニーの「AIBO」のメカニックデザインを担当した河森正治とコラボしたバーチャル動画を中心としたパビリオン。河森正治氏は、慶応の工学部在学中に、“スタジオぬえ”に入社。更に“スタジオぬえ”からタカラ(現・タカラトミー)へ出向。全世界で一世風靡した『トランスフォーマー』の変形ロボットを担当するデザインチームに参加し、複数の人気メカデザインを共同で手掛ている人で、「変形」の教祖様。マクロスシリーズのバルキリーの生みの親なの。我々、アニメメカオタクにはドンピシャの人で、この人の作る「超時空シアター」を見たかったな~「いのちをめぐる冒険」館のキャンセル待ちに応募してたんだけど、結局連絡はなく、会場を後にしました。残念~中央線→御堂筋線で戻って来て、淀屋橋で途中下車。晩御飯は「お好み焼きで一杯」にする気だったんで、北新地の隠れ家お好み焼き屋さんを目指します。水辺空間が綺麗に整備された堀川通りを歩いていると重厚な三井住友銀行の大阪本店を発見。上が太くて下が細い、固定概念を覆す様な建物は大同生命大阪本社だった。NHK連ドラの「あさがきた」でモデルになった広岡朝子が創業者。広岡朝子の無料資料館が解放されてたんだけど、時間切れでした・・・。あまりにも、くそ暑いんで、このままじゃあ新地までたどり着かないんで、途中で中之島のバルで休憩。ここ当たりだったな。ビールもつまみも旨かった。なんと、目指していた新地のお好み焼き屋さんは、「本日予約貸し切り」だった・・・。気を取り直して、曽根崎まで渡っていってお好み焼き「ゆかり」さんへもうね、口がお好み焼きの口になってもうてたんよ二人でそれぞれ全部載せタイプのお好み焼きを2種類オーダー。俺のは、ソバ、イカ、エビがトッピングされた王道の全部載せ、奥さんのはクリームチーズとか御餅、角煮肉とか入ってる変わり種全部載せ。あ~、よく歩いたから、ビールが美味いわ。俺だけじゃなくて、向こう側にもビールはあるからね。新大阪まで戻って、新幹線で無事岡山に戻りました。修学旅行中の子供には万博に行ったことはモチロン内緒です。
2025年06月19日

義親の入院が長引いているので、見舞いに行ってきました。今回の朝うどんは、新規開拓で丸亀の岡田にある「つよ志」さんここ、朝7:00から開いていて、朝うーが楽しめます。しかも太麺店主さんが、カブ主らしく、最近はバイカー御用達うどん屋ともなっています。昔からの付き合いのゼファーオーナーズクラブの仲間にこの夏うどんOFFの企画を頼まれているので、その下見も兼ねています。見舞いも終わり、必要品の買い出しも済んだので、帰路につきます。前回にも増して健康状態がアップしていました次は退院の手伝いですね。今回も少し時間があるので、ソロモンクロニクルの調査に向かいます。伝承によると、仁賢天皇の時代に、この地に白髪の老翁が天下り、この地を「宮内」と改めるよう発言したのが起源とされています。保元の乱の後、讃岐の国の嵩徳上皇を尋ねた源為朝が、阿波国との境にある相栗峠で弓を引いたところ、うなりをたてた矢はこの毘沙門獄に当たり、はねかえって白人神社におちた。この古来弓は、現在は神社の宝物となっており、旧正月14日お的神事が今に伝えられています。ちなみにソロモンクロニクルに女優の山口智子が参戦してきてて、先般ここ白人神社にも来ていました。白人神社の祭神は、瓊瓊杵尊、天照大神、伊弉冉尊、豊秋津姫命に加えて、崇徳天皇、源為朝が祀られています。白人神社の祭祀は、古来75人の宮人(みょうど)が担ってきているそうです。穴吹町史には、「古代忌部の一族がこの村に住みつき、麻や穀物を作るようになった。豊作を願い神明山に集って祀りを行った。やがて聖域を区別するために石を積んで磐境が築かれた。この一族が宮人の先祖である。」とあります。自然に考えると、この75人は忌部一族で、PART2で触れた、麻の紋章でイスラエルとの繋がりが疑われています。そこで、今回の調査の目玉。白人神社の奥の院の磐境神明神社。磐境神明神社とは、すべて石を積み上げた東西約二十二メートル、南北約七メートルの長方形をした磐境です。磐境とは、神が降臨する岩石もしくは石を築みめぐらした一定の場所のことを指します。日本の神社の作りとしては異様なつくりをしている磐境神明神社ですが、これは古代イスラエル人が各地に作った「高き所」と呼ばれる礼拝所にとてもよく 似ているそうです。磐境神明神社を見た元駐日大使エリ・コーヘン氏は「これは正に古代イスラエルの礼拝所であると感じた」と言葉を残しています。石積みの中に入ると、高さ1m弱に積まれた祭壇の上に、石で囲まれた木製の小祠が5つ祀られています。祭神は、右から国常立神、瓊瓊杵尊、天照大神、伊弉冉神、豊秋津姫神となっています。伊弉諾神ではなく妻の伊弉冉神、天忍穂耳命ではなく妻の豊秋津姫神と女神が祀られているのはなぜ何だろう?忌部一族は、イスラエル人だったのか今一度、古事記と聖書の読み比べが必要なのかもしれませんね。道中を岡山へ戻るんだったら、高松経由が最短になったので、高松でうどんにしましょう。この時間に開いてるお店も少ないのですが、高松駅前まで出てきたんで、チェーン店でも旨いお気に入りのめりけんやさんで肉ぶっかけにしました。次回調査は、PART1時に荒天で断念した剣山登頂に行くしかないですよね。
2025年05月06日

'25 4月の近征ツーリングは、「旧国鉄倉吉線廃線跡ツー」として、倉吉市関金に行ってきました。本日はこの2台で回ります。かつて倉吉駅から関金の山守駅まで約20kmを結んでいた国鉄倉吉線。昭和60年3月末で廃止となり72年の歴史に幕を閉じました。廃線から月日がたった今でもレールやホーム跡が残り、「日本一美しい廃線跡」として有名な観光スポットです。関金にある泰久寺駅跡から山守トンネル入口付近までは竹林の中に廃線跡があり、幻想的な風景が広がります。「泰久寺駅跡」までは約1km、竹林エリアまでは1.2kmとなっています。泰久寺駅まで来ました。ここからは、廃線跡を通って、竹林を目指します。スタンド・バイ・ミーの世界ですねこの区間の竹林はおみごと。写真にエフェクトかけてみました竹林ゾーンはトンネルまででおしまい。トレッキングイベントの時は、トンネルの中も入れるみたい。再び観光案内所へ戻ってきました。約2.5kmの楽しいウオーキングでしたね。観光案内所の隣にある燻製専門店「燻製道楽」さん燻製料理専門のレストランで、単品のテイクアウトもできます。燻製玉子をゲット。これがめちゃ旨いんだわ。さて、観光案内所から、廃線跡を横目にさらに西へ。大山はまだ雪をかぶってますね。ランチは、「サテンドール」さん。お店は元は診療所だった建物を本格洋食レストランとして改装されています。本来は、様々な地産地消のコース料理がウリのお店で、優しい味の手作りソースが絶品とのことなんですが・・・、時間がないツーリング途中の食事なんで、もう一つの看板メニューの欧風カレーをオーダー。侮るなかれ、三日かかってつくる本格的洋食屋のカレーです。まさにホテルのカレーの味でした次回はコース料理を頂きに来たいですね。少し北に移動して、松井酒造さんのウイスキー工場へ。ちょっと前から工場見学を中止していたのは知っていたんですが、やっぱり駄目でした。商品の直売所は、あるのかなって思ってたけど、それも無しでしたわ。フォルツア先輩が、夕方から予定があるので途中離脱するとのことだったので、関金温泉へ入って解散しましょう。関金温泉の元湯で、源泉かけながしの共同浴場「関の湯」さん開湯120年、源泉かけ流し ラジウム泉の共同温泉です。小学生以上 200円朝6時半からやってます。ボディソープ、シャンプー&リンス等はありません。温泉て不思議ですよね。お湯につかっただけで元気になる。道の駅「犬挟」で、フォルツア先輩と別れて、倉吉に再北上しようか迷ったんだけど、ここまで戻ってきたら、西進して蒜山界隈を回ります。ひるぜんジャージーランドで、濃厚ソフトクリームで休憩です。大山スカイラインは4月17日15:00から冬季通行止めが解除されていますから、大山回ってみますか。鬼女台展望台。大山に近づくにつれて、まだまだ残雪があるな鍵掛峠まで来た。やっぱりここからの大山が、一番迫力があるな。ここから桝水高原までの間の「大砂防地帯」は、それぞれの沢で雪崩の恐れがあるので、まだ冬季通行止めが継続中でした。大山スカイランを戻って、再び蒜山高原へ。蒜山高原センター「ジョイフルパーク」へバイクを停めて、GREENable(グリーナブル)へGREENable(グリーナブル)は、岡山県真庭市の国立公園 蒜山(蒜山高原)の豊かな自然の中に誕生した、誰もがサステナブルの価値を身近に体感できる観光文化発信拠点施設です。建築家・隈研吾氏が設計監修したCLTパビリオン「風の葉」、ミュージアム、ストア、アクティビティを通じて、楽しみながら持続可能な暮らしを体感できる施設となっています。施設の象徴である「風の扉」は、真庭市の木材で作られたCLT(直交集成板)を使い、東京・晴海に建設された隈研吾氏設計監修の「CLT PARK HARUMI」が真庭市蒜山高原に移築され、“GREENable”の想いを具現化する蒜山の新たな観光文化発信拠点施設として、生まれ変わったものです。蒜山高原センターの桜は満開でした。ボチボチ帰還しましょう。蒜山ICがすぐそこなので津山までは高速、そこからは下道で帰ります。小腹が空いてて、蒜山では我慢したんだけど、やっぱり何か食べようと思ったら、この看板にやられたわ院庄IC降りてすぐの「いっちゃんラーメン」。店内に鉄板を囲んだカウンターがあるラーメン屋で、鉄板焼きとラーメンが楽しめるお店です。津山は肉処で、旨いホルモンが流通していることから、古くから焼肉屋、ホルモン焼屋が多いんですよ。ホルモンが美味かった御馳走様。無事帰還。今日のお土産は、松井酒造さんのクラフトハイボール2品とクラフトビール1品です。これ、お手軽価格で旨いんですよ。
2025年04月26日

'25 4月の近征ツーリングは、「三十郎と子供店長に会いに行くツー」と題して高梁市界隈に行ってきました。集合場所は岡山県高梁市南町157の「肉屋カフェ」その名の通り赤木食品さんは肉屋さんで、その一角をライダーズカフェとして開放しています。所狭しと来訪者がステッカーとサインを張っていましたわ。お肉屋さんなんで、カフェに「肉吸い」があるんです。肉吸いは肉の吸い物の事ね。この日は、翌日のイベント出店準備のために、臨時休業だったんだけど、店の前に止まるマフラーの音を聞いた御主人が急遽我々のために店を開けてくれました。ありがとうございました。本来は、先に昼食の予定だったんだけど、肉吸いでお腹もいいことから、腹ごなしも兼ねて、先に山城へ登りますか。天守閣へは約20分の山道を登らなければなりません全国には、天守が残っているお城が12城(現存天守12城)あり、備中松山城はその一つに数えられています。現存天守12城は・弘前城(青森県弘前市)【国宝】・松本城(長野県松本市)・丸岡城(福井県坂井市)【国宝】・犬山城(愛知県犬山市)【国宝】・彦根城(滋賀県彦根市)【世界遺産 /国宝】・姫路城(兵庫県姫路市)【国宝】・松江城(島根県松江市)【国宝】・備中松山城・丸亀城・松山城・宇和島城・高知城の12城。中四国が多いな。また、お城は、その立地から「山城」「平山城」「平城」と分類され、備中松山城は「山城」に分類されます。 現存天守12城の中で「山城」の形態をとるのは、備中松山城だけであることから、備中松山城は、「天守の残る唯一の山城」ということができます。備中松山城は、市街地の北端にそびえる標高約480mの臥牛山に築かれています。備中松山城は、鎌倉時代から戦国時代には「戦のための城郭」として、江戸時代には「備中松山のシンボル」として、備中の拠点としての役割を果たしてきました。天守閣には現在の猫城主「さんじゅーろー」がいます。平成30年7月に起きた西日本豪雨災害では城のある高梁市も甚大な被害を受け、観光客は激減。しかし、豪雨災害後、さんじゅーろーが城に住み着くようになり、地元のテレビや新聞など多くのメディアに取り上げられると、備中松山城への来城者数はV字回復。いまも右肩上がりが続いており、国内のみならずアジアなど海外からも、噂を聞きつけた猫好きたちが、険しい登城道をものともせずさんじゅーろーに会うために次々と訪れているんです。さて、天守閣へ天守閣では備中松山藩の歴史が掲げられているんですが、外せないのが山田方谷さん。山田方谷(1805年~1877年)は江戸時代末期から明治時代初期の漢学者、備中松山藩士です。学者として藩に仕えていた方谷でしたが、藩主板倉勝静(1823年~1889年)のもとで藩政改革を断行し、大きな成功をおさめました。山田方谷の藩政改革は、10万両(約600憶)の借金をわずか8年間という短期間で返済し、さらに余剰金まで蓄えています。勝静が幕府の老中となると、その政治顧問として幕政にも関与しました。江戸幕府で老中を務めていた板倉氏は幕末に朝敵(朝廷・天皇の敵)とみなされ、備中松山藩は危機的状況に追い込まれます。この有事に引退していた山田方谷は呼び戻され、「無謀な戦いを避け、藩の存続を図るしかない」と無血開城を決断し、新政府軍に降伏。この決断により城も守られました。さて、本日メインイベント子供店長のラーメン店へやって来ました。お昼時間からズレて訪問となったので、並ばずに入店できました。私たちが入店した後、後続が入って来てすぐに満席になってました。「麺とり森田商店」は元々は米穀販売・製粉業。店主が、ラーメン大好きな息子にも安心して食べられるように、よい素材のものだけを選んで、理想的な中華蕎麦の味を追求しているラーメン店です。ダシには岡山地鶏や伊吹島産の煮干しや鮮魚のアラ、野菜などをブレンド。鶏醤油ラーメンは鶏ガラと魚介のダブルスープ。奥出雲の老舗『森田醤油店』の醤油を使い鶏油でまとめた一品です。チャーシューもレア感を残した絶品でした店主のラーメン好きな息子さんが、2代目店長として、テキパキ接客してました。2代目店長は店を始めた時は小学生だったけど、今は中学生かな?さて、フォルツア先輩が高梁へ来たら、「必ずお土産にコレがいるんです。」ってことで「あおやぎ」さんへあおやぎさん人気NO.1の「生どら」シリーズです。甘いものは併せて高梁紅茶をゲットしてきました。高梁紅茶の茶葉は標高460mの茶畑で栽培され、緑茶用と同じ品種の茶葉を使っているのですが、収穫後の扱いで区分されるんです。海外の紅茶とは違って、高梁紅茶は渋みがなく、繊細な甘みも感じられるので、高梁地域に行ったら必ず買って帰るようにしてるんです。さて、時間的には少し早いのですが、帰路につきます。時間もあるので下道を帰ります。高梁名物のループ橋経由で広域農道吉備高原線で無事帰宅しています。備中藩の山田方谷さんを大河に推す動きもあるなかで方谷さんの資料館も整備されています。次回の高梁方面は方谷さん巡りですね。
2025年04月19日

義親が急遽入院したので、見舞いに行ってきました。四国入りしたので、とりあえず朝うどんです。いつもご用達の坂出北IC出口すぐの「やなぎ屋」さんは日曜日はお休みなので、新規開拓で宇多津のめりめんやさんへ。めりけんやさんは高松駅前店をよく利用しています。チェーン店なんだけど、旨いんですよね。お見舞いと、病院で必要な物資の買い出しも終わって、帰還します。病院食と規則正しい生活で、健康的になってました。帰路の途中に、ソロモンクロニクル調査を行って帰ります。道中にある下加茂神社へ。西に行けば鴨神社があり、それぞれ京都の上賀茂下鴨神社と関係があることは分かっているのですが、実は徳島の2社が元社で、現在大きく祀られている京都の2社が分祀ではないか?と言われています。社には葵の紋が使われていました。葵の紋は江戸時代には徳川家の家紋として使用されていたことが有名ですが、 元々は京都の賀茂神社がルーツ となっています。賀茂神社の神紋として用いられていたことから、家紋として広く普及しました。現在も毎年5月に開催される賀茂神社のお祭りには、「葵祭り」という名が付いています。京都とのつながりは間違いないようですね。全てはソロモンの秘宝から大衆の目をそらすため、京都に分祀したとのではと疑われています。下加茂神社から北へ上がった所にある倭大國魂神社。倭大国魂神社は延喜式帳にも記載されている古社で、境内には「大国魂古墳」もあります。大国魂神社と言うのはその国の神様を祀る神社のことで、この神社のある 徳島は昔「倭の国」だと言われています。倭大國魂神社には、興味深い説があります。この神社を訪れた元駐イスラエル大使のエリ・コーエン氏が、倭大國魂神社の神紋を見て、「これは、メノラーに似ている。」と言ったそうです。メノラーとは、古代イスラエルで用いられた燭台のことで、現在のイスラエルでも国章として用いられています。倭大國魂神社の神紋は、梶の葉紋です。「古語拾遺」によると、「天富命が天日鷲命の子孫を率いて、阿波国に出かけて、穀(かじ=梶)・麻の種を植えた。」と記され、立梶の葉紋は、天日鷲命を始祖とする阿波忌部氏の家紋にもなっています。忌部氏 (いんべうじ)は古代の宮廷祭祀・祭具製作・宮殿造営を司った氏族で、王権の祭祀に従事する「忌部」という部民を率いました。「忌」は神事で穢れを避け、身を慎むことを意味し、フトダマを始祖とし、天照の時代から天皇家に仕えました。のちに中臣氏 (藤原氏)との政争に敗れたことで排斥され、「斎部」へと改称、斎部広成が『古語拾遺』を著しました。ちょっと神社を巡るだけで、倭の国、神々、神話のキーワードが集まって来ますね。阿波の国には何かがあるんでしょうね。
2025年04月06日

'25 3月の遠征ツーリングは、「KCBM in 徳島」に行ってきましたよ。とりあえずカップOK本日、徳島まで弾丸日帰りツーなんでいつもより早めに出発。瀬戸中央自動車道 鴻ノ池PA8:30出発。本日はこの3台で回ります。朝ごはんは津田の松原SAまで走って讃岐うどんにしましょう。まだ3月なんで、高速道路の乗り放題や、追加割引サービスがまだ始まってないんで、途中で降りず、高速のSA内にちゃんとしたうどん店がある津田の松原まで走って来ました。ここセルフ型のうどん店なんですよ。出汁も伊吹のイリコだし、かけうどんにかき揚げ載せておでんも頂きました。お土産物店のおもしろいPOPが目につきました。猫と一緒にたのしむ鰹節だって。ウチの猫にお土産にしましょう。高松自動車道を東進してきましたけど、路上もPAもカワ車ばっかりでみんな同じ会場目指してるんで、迷うことなく会場の沖洲マリンターミナル入り。カワサキコーヒーブレイクミーティング(KCBM)は、1998年から続くカワサキファン参加型イベントです。会場では無料でふるまわれるコーヒーを飲みながら、会場にズラリと並んだカワサキ車を見て回り、一緒に来た仲間や会場で知り合った仲間同士で、バイク談議に華を咲かせたり、様々な出展社のブースを巡り歩いたりと自由に楽しめるイベントです。カワサキコーヒーブレイクミーティングに来たらまずはコーヒーを楽む!無料でふるまわれるコーヒーを楽しむ条件は1つだけ「カップを各自で用意すること」ウチの2人は物販ブースで「KCBMオフィシャルマグカップ」を買ってたなー。久々のKCBMなんだけど、こんなロゴモニュメントが出来たんやね。主催者と参加者で一緒に作り上げるカワサキコーヒーブレイクミーティングのステージイベント。相変わらずじゃんけん大会は全敗でしたわ。久しぶりのライダー仲間とバッタリ会ったりするのがKCBMの楽しみ。姫路の御大とは何年ぶりの再会だろう。大盛況の会場を早めに抜けて、昼食へ昼食は徳島ラーメンの老舗「いのたに」さんの本店へ。鳴門店は行ったことがあったんだけど、本店は初めてだな。肉入りそば大に生玉子とご飯をオーダー徳島ラーメンって味が濃いから最後に追い飯みたいにスープに入れてご飯を食べるのが正式?な食べ方なんよ。帰りは吉野川を遡上する形で、地道を帰ります。徳島県を東西に横断する吉野川には、8つの潜水橋があります。いくつか巡って帰りましょう。吉野川は、河川勾配が急なため、降った雨が短時間で流出し、下流で越水、氾濫を生じる危険性があり、江戸時代には2年に一度のペースで洪水が起きていたそうです。吉野川の渇水時と増水時の水量の差は、「暴れ川」として有名な利根川の4倍近くあり、治水の難しさでは日本一といわれています。川に橋を架けても流されてしまうため、大雨のときには水没して流出を防ぐ橋が考案されたのが潜水橋です。潜水橋は、両岸の堤防より低い位置で架けられており、流木等が引っ掛かって橋に負担がかからない様に欄干が無いのが特徴です。実際に渡るときに幅員も1車線で狭隘なんで、眼下にすぐ川が迫って来て欄干がないのは、かなり怖いんですよね。徳島県吉野川市山川町まで戻って来ました。高越山の麓のふいご温泉。渓谷の中にポツンとある温泉です。高超山は、かつては「高越鉱山」という、徳島県最大の「銅山」だったそうです。確かに吉野川って中央構造線に沿って流れてるし、中央構造線沿いって銅山が多いもんね。坂出まで戻って来たんで、もう1回讃岐うどん最近当ブログにもよく出て来てる宇多津の「塩がま屋」さんへここ、夜でもやってるし、うどんはリーズナブルだし、丸亀名物の「骨付き鳥」も食べられるし、四国脱国前の食事にはもってこなんよ。先輩は、ざるうどん3玉。先輩朝のうどんもさる大盛じゃなかったっけ?「ざる」すっきゃなー。無事帰還しました。今回は350Kmの旅でした。会場が徳島県の東側だったから、ちょっと遠かったわな。さて、操法訓練の練習だ。
2025年03月09日

3月になりました。シーズン突入です。'25 3月の近征ツーリングは、令和7年3月1日に「雛祭りツー」として、児島に行ってきました。まだまだ朝は寒いね。8時に自宅を出発。先日DIY搭載したLEDも無事点灯しています。児島の旧野崎家住宅へ9時着。ここ児島地域は、明治時代から繊維産業が栄え、国産の学生服や作業服の生産が盛んに行われていました。しかし、1960年代に繊維産業の衰退が進む中で、新たな産業として誕生したのが 「国産ジーンズ」 でした。「旧野崎家住宅」は、国産ジーンズの聖地・児島で注目を集める児島ジーンズストリートの中にあります。旧野﨑家住宅は製塩業と新田開発で財を成した、野﨑武左衛門が、その気宇に合わせて天保から嘉永年間に次々と築いていった、敷地面積約3000坪・建物延床面積1000坪の邸宅で、瀬戸内の代表的大庄屋建築です。長屋門を入ると、濃い緑を背景とした本瓦葺の主屋群が軒を連ねて美しく、6棟の土蔵が威風堂々と立ち並びます。御屋敷の要所、要所で、ひな人形がお出迎えしてくれます。ここは、金田一耕助の「犬神家の一族」や、最近では「ミステリと言う勿れ」のロケ地になっていましたね。表書院の南東に広がり陽のあたる明るい枯山水庭園はこれまで、大事なお客様を迎えました。クロマツやヒノキ、ソテツなどが植えられ、初夏になるとサツキの花が咲き誇ります。奥には築山を設け、犬島石を用いた蓬莱石組が枯滝の表現もかねています。野﨑家の生活や仕事の中心になった主屋は23間(約42メートル)もの長さで九つの座敷を見通す圧巻の眺めです。母屋の庭園は、枯滝や苔、奇石を中心とした長寿や繁栄を願った蓬莱式庭園で、観曙亭、容膝亭、臨池亭という特色ゆたかな3席の茶室があります。御屋敷裏の石積は、きめ細やかな備前積みによって、すき間なく自然石がつみあげられ、高さは12メートル、カーブを描きながら50メートルほどにわたって続きます。野﨑家の屋敷地では日中に50人ぐらいの人が生活や仕事をしていました。電気がない時代ですから、ご飯を炊くときはかまどで薪を燃やして炊きました。大正から昭和にもなれば、電気も一般的なものになってきますが、ここ野﨑家では電気ストーブや万能七輪、トースターなど、今では当たり前ですが、当時としては時代の先端をゆく機械たちが使用されました。広いお風呂や、漬物倉庫や味噌蔵まで何でもあります。土蔵は6棟の蔵がきれいにならんで立っており、米や道具、書類などが収められていました。実はそれぞれ建てられた年代が違っていて、やなまこ壁の模様がちがいます。現在は2棟を改装し、展示館となっています。そうち1棟が、ひな人形展示館となっていて、野崎家の豪華絢爛な雛人形が展示されています。なかでも、今日の一番のお目てである「享保雛(きょうほうびな)」は、冠までを含めると高さが約80cmもあり、ひときわ存在感がありました。明治初期に岡山藩主だった池田家から野﨑家に贈られたもので、下側から顔をのぞくとほほえんだ表情に見えるのが特徴です。もう1棟の展示館は塩業の歴史館です。千両箱がお出迎え要予約ですが、塩作り体験もできます。併設展示の「お雛様同窓会」へ行って見ましょう。会場は野崎家から徒歩すぐの、野崎家迨暇堂。『野﨑家別邸迨暇堂(たいかどう)』は、住宅とは別に迎賓館のような役割で建てられた別邸です。特別な催しを除き一般公開されていない国登録有形文化財にも指定されている貴重な建物です。「おひな同窓会」は、100畳の大広間には、野崎家所有の物ばかりではなく、地元の住民から寄せられたものを中心に約600体の豪華なひな人形が一堂に並べられます。ずらりと並んだおひな様は壮観ですね。おひな様以外にも、普段は一般公開されていない邸宅内を見て回ることがも可能なんです。お昼までもう少し時間があるので、ジーンズストリートを散策しますが、まだ11時前なので、ほとんどのお店が準備中。ストリート入口のメイン店街まで来ました。デニムのデカ看板がお出迎えです。バイカーの好きそうなアイテムのある、コジマジーンズさんや、アイアン・ハートさんがこの界隈にありますが、営業は、もうちょっとしてからかな。児島に来たんだし、お昼は「こうた」一択かな。倉敷市の中庄にもお店が出来たけど、本店はこっちなんで。豚骨醤油と魚粉をベースにしたスープはあっさり。極細麺と肉厚のチャーシューは柔らかめの仕上がりでやっぱり美味いなあ。肉そば大盛ね。帰りの道中の鴻ノ池SAで岡山の路線バスが勢ぞろいのイベント「バスまつり2025 イン こうのいけSA」が開催されるのを事前にキャッチしてたんで、ちょっと寄ってみました。バス会社のグッズ販売や中古部品販売ブースがあったり、客席を抱えている人がいたから、コアなファンは欲しいものを既にゲットしてると思うので、これらは多分売れ残りかな。らくがきバスといった体験型イベントや、どうしても覗いてみたかった、降車ボタン「禁断の押し放題」ちゃんと整理券もバス仕様で、もう楽しい。懐かしいブザー音のものから最新のアナウンスの声のものまで、押し放題。カラクリは、こっちが降車ボタンを押したら、裏で係のおじさんがリセットボタンを押してくれてて、双方でボタンの押しまくり合戦状態でした。結局、時間が合わなかったバス開体ショー。各バスには客席のみならず運転席に乗れます。お目当てのボンネットバスにの運転席にも着座しました。ボンネットバスの手前側の2台には、お世話になりたくないですね。ほんのりデニムカラーの塩ソフトクリーム食べて、無事帰還しました。塩ソフトクリームの抽選の景品でもっついハンカチ頂きました。
2025年03月01日

子供の部活の送迎の空き時間を利用して、牛窓界隈を回って来ました。朝一で試合に送って行ったので、とりあえず朝食から。牛窓の山の上にある「べるま~ど」さんへ標高約167mの高台にある隠れ家カフェ。看板はソバ粉100%の生地で野菜やハム、チーズなどを包んだ甘くないクレープ「ガレット」で、県産・牛窓産を中心に季節の食材を取りいれた季節替わりの数種類が用意されています。周りはパリっと香ばしく、中央部分は具材のうまみがしみてとろっとろ。高台にあるので、カウンターに座ると目の前の大きな窓からの景色に癒されます。天候のいい日は小豆島から屋島までを一望できるそうですよ。高台から降りて来て、海辺へ。ここは何回来てもギョッとするな水没したリゾート施設。元々は塩田跡地で海面より低地のためポンプによる強制排水を行っていたんだけど、施設が廃業した後、排水を止めたため水没し、バンガロー群が取り残されてる。奥にはテニスコートやゴルフの練習場とかも一緒に水没してる。水没する前の姿も知ってるから、余計にギョッとするのよね。瀬戸内市立美術館へやってきました。本ブログにもちょくちょく登場する牛窓美術館。館長さんのチョイスが面白くって、お気に入りの美術館です。今日は「96歳 セツのちぎり絵 原画展」です。90歳から「ちぎり絵」を始めた奈良県在住のちぎり絵作家、木村セツさん(1929年・奈良県桜井市生まれ)の個展です。新聞ちぎり絵は、新聞から切り出した様々な色、文字、写真のパーツを細かく貼り合わせて1枚の絵を描くものです。陰影の出し方の色彩感覚がすごいよね。あと、ギミックがすごいよね。作りこみに対するこだわりと言うか、ここまで細かく作り続けることが出来るって、一番の才能だと思う。また、この文字がいいアクセントなの。近くで見るとタネ明かしになるんだけど、離れてみるといい感じになるのよ。今回の出展作品には、上のような全てコメントが添えられているんだけど、「肉をつくるのに、肉の写真から取るのは絶対タブーや」が一番ウケたわカラー刷りの新聞をストックしておいて、そこからちぎり出して貼っていく。糊はフエキ君が一番いいらしい。原画の製作動画も見たんだけど、製作過程で何度も、何度も貼りなおしている。綿棒を水で濡らして、上からじわじわ拭ってゆっくりはがして、角度を変えたり、新しい物に取り換えたり、納得するまで何度でもやり直してた。納得するまで、何度でも貼り換えするこだわりがすごいのよ。手を抜かないというか・・・。着眼点と色彩感覚とこだわり続ける忍耐力がすごいわ。セツさんは娘さんの勧めで新聞ちぎり絵を始めますが、娘の幸子さんはグラフィックデザイナー。作品をSNSに投稿しているお孫さんのいこさんはイラストレーター・漫画家と、DNAはしっかり引き継がれているんですね。美術館は旧牛窓町役場。牛窓町は日本のエーゲ海と呼ばれています。地中海をイメージした建築です。日本のエーゲ海も見えますよ。一旦、帰宅すると、そこには子供の携帯電話があるじゃん。「どうやって試合の終了時間の連絡取るのよ?」しょうがないから、昼過ぎから試合会場で出待ち状態。結局、18時過ぎに会場の片付けが終わって出てきたわ帰りに「大阪屋」で晩御飯食べて帰ります。最近NHKに出たんよね。そこからすごい人気店になってる。今日の部活の試合は西日本大会だったから、関西から参戦したたチームもたくさん寄ってて駐車場は県外ナンバーもたくさん停まってた。元オリックスの山本選手(現ドジャース)と、オリックスの頓宮選手のユニフォームが飾ってあった。ここは山本選手のお気に入りのお店なんよ。頓宮選手のユニフォームの横にはお客さんが食事してたから、写真はなしね。名物の焼肉定食とホルモンうどん定食を食べて帰りました。二人とも、腹っ減ってて、食べた後、写真撮ってないことに気づきましたわ
2025年02月08日

西大寺の老舗「八方」さんに麵活に行ってきました。時間をずらして、14時ころ伺ったのですが、まだ外に行列が伸びてました。30分ほど待って、店内へ。この日は寒かったのよ。奥さんはチャーシューそば。この時はスープで目立ちませんが、かなりチャーシュー入ってました。私はカツラーメンをオーダー。ご飯も頼んで、セルフカツ丼とカツラーメンの二刀流で頂きます。いつも麺大盛なんですが、初めて替え玉しました。替え玉と麺大盛は同じ値段なんだけど、着丼から全部の麺があの旨いスープに絡んでる方が絶対おいしいわはじめから麺大盛を強くお勧めします。帰り道に、少し寄り道して帰りましょう。岡山市東区の浮田小学校東側の小山にある亀山場跡。この城は、備前国東半を支配していた浦上宗景に従う有力国侍である中山信正の居城でした。後に信正は、宗景の家臣であった宇喜多直家によって謀殺され、直家の居城となりました。直家はこの城を拠点として備前国西半の支配権を達成。直家が岡山城へ移った後は、舎弟の浮田春家の居城となりました。山城の天守閣あとに上ってみたら、上は少し開けていて、宇喜多家の旗印が舞っていました。かなり綺麗に管理されています。本丸跡にはソテツが植えられています。当城で生まれた宇喜多秀家(直家の子)は、関ケ原の戦いに敗れた結果、八丈島に流罪となりました。子孫が赦免されたのは明治維新後でしたが、その時八丈島でソテツの花が咲いた(赦免花)という言い伝えから、植えられた物だそうです。また宇喜多秀家誕生の地という記念碑が建てられていました。二つの岩は、直家とその妻お福なのか。直ぐそばを山陽道が通り、交通路を掌握できる立地で、備中高松城水攻めの際には羽柴秀吉もとう留したとされており、よく時代劇にも登場します。1582年、本能寺の変の後の中国大返しで羽柴秀吉軍は備中松山城からこの城まで移動、しばしの休息後、姫路城を目指したとされています。亀山城は別名「沼城」とよばれ、砂川の中流域に位置する小丘陵上に位置し、丘の裾には湿地が廻って濠となっていた。この辺は、今も岡山市東区沼だもんね。秀家は豊臣五大老の一人であり、早くから秀吉の寵愛を受けていたイメージがあって、直家と秀家の親子で戦国の世に出ていたイメージがあるが、実は直家亡き後秀家は11歳で当主になっており、このポスターみたいな事はないのよ。直家は成りあがるために「暗殺」という手段を多用したので、戦国時代に美濃国の斎藤道三や安芸国の毛利元就のように謀略を用いた戦国武将として知られており、ダークなイメージが付きまとっているんですよね。最近の史実の研究では、暗殺事件の一部は直家ではなかったとか、直家は敵に謀略を用いる武将として恐れられる一方で、自らの家臣はとても大切にした等、イメージ払しょくの動きもあるので、大河になる日も来るかもしれませんね
2025年01月25日

'25 1月の近征ツーリングは、「開運祈願 新春厄除けツー」として、由加神社にお参りに行ってきましたよ。集合は南区西高崎にある「日々のカフェ」に10:00集合出発。15分前に着いたら、先に2台来てた。出発時間まで暖かい飲み物でも飲みますか。キャラメルラテをお願いしました。モーニングタイムなので、パンが1つ付いてきた。パンの種類は、お店のお任せになります。本日はこの3台で回ります。フォルツアはバッテリー上がりで、急遽2種原で参加です。岡山ファーマーズマーケットサウスビレッジへ今日、明日と、ここで県内の有名カレー店集まってブースを出してるカレーフェア開催中なんです。■出店者情報18日・19日両日出店BARUPA(スパイスカレー)indigo blue curry stand(チキンカレー)This Is Curry(スパイスチキンカレー)MARS LAB(ビーフカレー)カリーショップラボラトリー(二郎系スパイスカレー丼)SHAKA SPICE(ハーブ薫る炙りオイスターのケララカリー)岡山郷土料理研究会(岡山カレー)リエゾン(カレーパン)ア・ラ・メゾン(生パスタ)喫茶chimney18日のみ出店Cafe’Tommy(和ハーブカレー)and SALLY 柴田農園(岡山産インド米サリークイーンを使ったカレーライス)OKAYAMA Curry17(チキンカレー)ル・ヴェール(カレーチーズスコーン)19日のみ出店Marugodeli Ojigadakeサティスファクションカリーアンドカフェ(スペシャルカレー2種の合がけ)Maholovaハウるカレー(鶏豚挽き肉のキーマカレー)カレーシスコ(シスコのスパイスカレー)私はThis Is Curryさんのスパイスチキンカレーをチョイス!野菜たっぷりのチキンカレーでした。三人三様で、それぞれ持ち寄って、HOT!HOT!朝食!しっかり温まりましたそれでは、厄落としに行きましょう。由加神社の目印は日本一の備前焼の大鳥居備前焼大鳥居は明治27年奉納。また、その両側の備前焼で造られた子連れ獅子は文政12年奉納です。由加山由加神社本宮は日本三大権現の一つで、また厄除けの総本山として知られてます。その昔、磐座信仰(巨岩をご神体)と唱え近郊の人々の守護神として崇められ、その後七三三年(天平五年)に行基菩薩が十一面観音を祀り、併せて神仏混淆の霊山として崇拝されてきました。色々面白厄除けグッズ発見「厄除け絵馬」絵馬から「厄」の字を抜き出して、この厄落し箱に入れます。これぞ本当の「厄落」こっちは「厄玉」厄玉に邪気を吹きかけて、この厄玉を専用ブースの壁におもいきりぶつけて粉々にします。厄粉砕由加神社では、境内内にはアート系の置物が多数置いてあって、目を楽しませてくれるんですよ。海上安全・航海安全の神様として、大綿津見命様が祀られてました。児島・下津井・鷲羽山は有数の漁地で特にタコが有名です。地元の漁業組合・ホテル旅館・魚店・魚を扱う料理店などが海の神をタコになどらえて、海上での安全、豊漁祈願、魚供養を執り行う為に奉納したそうです。磐座(いわくら)群があります。稲荷宮と天満宮が一緒にありました。天満宮は菅原道真公を祀ってありました。菅原道真公は、901年九州太宰府に配流される途中、倉敷市児島唐琴の浦に数日滞在されたんですね。その名家には美しい姫がおり心を惜しんでいたところ、いよいよ道真は思い出のこの地に帰ることを誓い太宰府へ。道真の死、直後この地に光明がさし瑞雲が現れ、道真の魂魄が帰ったといわれてこの地に祀られたのがはじまりと言われているそうです。天満宮から本殿への入口が「狭き門」になっていて、受験生が潜るようになっていました。江戸時代から明治にかけて特に盛んだった両参り。その昔お伊勢さん・こんぴらさんにお参りするのは人々の夢であり願いでした。諸国から多くの旅人がこんぴらさんに向う途中、備前第一の霊地ゆがさん(由加神社本宮ご本殿)で災難・交通・旅行安全の参詣をし、こんぴらさんへ。次第に両社をお参りする人々が多くなり、ご利益が沢山頂けるという両参りの風習が全国に知れわたりました。さて、少し南下して、玉野市玉の玉比咩神社へやって来ました。ご祭神は豊玉姫命こと竜宮城伝説(うらしまたろうが出てくる昔話)の乙姫様です。昔、玉比咩神社のあたりは入江となっており、その境内にある「立石」と言われる巨岩は珍しく、人々は舟をとめ、しばしばここへ訪れました。この立石から、ある夜、火の玉が三つ飛び出し、一つは臥龍山中腹の臥龍稲荷神社奥宮に、一つは西大寺の観音様に、そして残る一つは牛窓に向かったといわれています。立石は、直接触ってパワーをもらうことが出来ます。以前は海上安全が主でしたが、現在では安産を始め、開運・健康・学業などにご利益があると言われています。さらに南下してフェリー乗り場へ。高松→宇野の直通便が廃止され久しいですが、高松→直島→宇野のフェリーがちょうど到着したところでした。原付ツーでは四国は遠い地になってしまいましたね。昼食は、ラーメン屋さん「背油におぼれし者」へ燕三条煮干しラーメンだそうです。隣のプレイガールパートⅢが気になりますね。特に只今の料金7,700円がもっと気になります燕三条系って、たっぷりの背油や太麺、玉ねぎのトッピングなどが特徴の新潟県のご当地ラーメンだそうですが、スープや麺などは研究を重ねたオリジナルの味で、ここだけでしか食べられない唯一無二のラーメンだそうです。柔らかい肉がすごいの。美味かった次はサイドメニューの肉飯が食いたいな。さて、厄を落として綺麗な体になって、神石から直接パワーを頂いてと来たら、運試ししかありませんがな玉野競輪へ。今日が開催日であることはリサーチ済みっていうか、今日が開催日だから玉野へお参りに来たっていうのが正解かなそもそも競輪自体、何年ぶりだろ?◯とギャンブルは二十歳で辞めたからなー(笑)玉野競輪場は、施設改修を行い、2022年2月にリニューアルオープンしています。このリニューアルした姿が見たかったんです。メインスタンドが新しくなり、選手宿舎兼ホテル「KEIRIN HOTEL 10」が併設されています。選手宿舎兼ホテル「KEIRIN HOTEL 10(ケイリンホテル テン)」は、実際に選手が泊まる部屋に宿泊することができる業界初の競輪場併設ホテルです。また、スタンド棟には、地元瀬戸内の食材を使ったスパイス料理やクラフトビール等を提供し、競輪観戦の新しいスタイルを提案するレストラン「FORQ(フォーク)」が営業していました。外構には、デザイナーの手によるウォールペインティングやツリーサークルを設け、趣向を凝らしていましたよ。本命は第5レースのガールズ競輪が見たかったんですが、第5レースまで見ちゃうと帰り道が寒くなっちゃうので今日は2レースまで見て帰ります。第1レース結果は7-2-1買ってた車券は三連複の1-2-5と2-5-7三連複は、車番において1~3着を順位を問わず予想する賭け方です。上位3着に入る選手の組み合わせを当てるだけ。1,2,5,7が来るのは分かってたんだけど唯一買わなかった7-2-1の組み合わせか~今回はA級のレース(最高峰はA級の上のS級)だから選手層の幅がすげー広い。3枚上の写真の第1レースなんて、黒の②は26歳、緑の⑥は58歳だからね第2レース結果は2-4-3買ってた車券は2車複で1-2,2-3、2-42車複は、1・2着の選手を着順に関係なく予想します。イメージとしては第1レースで買った「3連複の2車版」で、2着以内に入る選手の順番を問わずに選べばよいものです。一番少額を割り振っていた2-4で600円挽回。(かわいい金額)各レース1,000円ずつ買ってみたんだけど第2レースの600円戻りで1,400円の負けまあ、掛け金より自転車を使った肉弾戦を見に来てるのがメインだから、しっかり楽しめました。夏場にナイターレースを夕涼みにスタンドから見に来るのもいいかもね~
2025年01月18日

あけまして、おめでとうございます。今年1っ発目は、'25 1月の近征ツーリングは、令和7年1月5日に、「岡山の天空の鳥居へ初詣ツー」に行ってきました。今日は玉野市方面をぐるっと回ります。集合は11:00に、玉野市のラーメン屋さんの八十八屋集合。待ち人おらずなので、本日ソロツー決定。ここ、ラーメン屋さんなんだけど、持ち帰りの「豚まん」も売っていて、そっちが有名かな。岡山駅の改札前の物販スペースで売ってたりする。豚まんのテイクアウトは朝9:00からやっています。頼めば、持ち帰りを温めてくれて、その場で食べれたりするんよ。八十八屋から少し南にある天王池。その袂に、映える竹林があるって聞いたから、行って見ます。駐車場は手作り感満載駐車場から竹林までは、案内看板がめちゃ丁寧に設置してあって、どうやっても迷いそうにない。竹林の入口でトトロ、ゴジラなのか?・・・が、お出迎え。持ち主が高齢で作業が大変になった竹林を地元の「玉野市天王池竹林の会」の皆さんが、見て感動してもらえるように整備し、一般公開しているそうです。それでは、竹林の小径へ行って見ましょう。竹林の小径は管理が行き届いた、見事な出来栄えでした。確かに映える奥へ進んでいくと、不思議ちゃんスポットに変わっていきます。「どこでもドア」があったり、バンクシーがあったり、子供受けしそうですね。天王池に上がてきました。天王池は玉野市の農業用ため池。海と山に囲まれ、大きな川のない玉野市の農地にとっては大切な水がめです。竣工は昭和54年ため池は堤防の中の粘土層で、水を遮水して水をためるのが一般的ですが、ここ天王池は、表面の水利アスファルトで遮水する工法を岡山県で初めて採用しています。また、ため池の中に神社が二つもあるのも特徴的です。ぐるっと全部見みました。駐車場へ戻る途中に天王池からの水路トンネル出口で錦鯉を飼ってました。駐車場を後にして、お昼ご飯にしましょう。王子が岳では、パラグライダーがたくさん飛んでました。今日のお昼は、児島唐琴の「石春うどん」さんにしましょう。案の定、店舗横の駐車場は、いっぱいだったので県道わきの駐車場へうどんなんで、客の回転は速いです。20分ほどの待ち時間で、店内へ。ここの天ぷらは、揚げたてが出て来るのがウリです。今回は全部載せのスペシャルをチョイス。本日のメインイベントの天空の鳥居へアタックします。玉野市の観音寺さんへ。本堂の奥の山の山頂に天空の鳥居が見えます。距離的には近いですが・・・。結構高低差はあります。この程度の山道であれば、いいんですが・・・。なんかね、どんどんハードルが上がっていくのよ「自己責任」って文字がどんどん重たくなってくるのよついに「命を大切」にって言ってきたで道中はこんな感じで手書きの→が書いてあるから迷うことはないんだけど、大体半分くらい上がってきた。SNSで上がった人の投稿見ても、20~30分で登頂できたって書き込みがあったから安心してたんだけど・・・。後半戦は凄かったわこの鎖場が長いのよ。3つの鎖を伝って上がるんだけど、足場が滑るんだわ。鎖場が済んだら、こんどはデカい岩をよじ登るんだけど、仮設で足置き用に脚立が置いてあるんだけど、この脚立が安定してなくて、そこがある意味一番怖かったわ。亀岩の首元に、あるこの脚立ね。この亀岩をよじ登って、亀岩から周りの岩を伝っていくんだけど、巨石なんで岩の上も高さがあって怖いんよ。なんとか鳥居着。宇野港を見下ろす眺めは最高でも、下見ると結構な高さが落ち込んでいて、崖なのよ下ってくるのは、鎖場より亀岩から降りるのが怖かった。巨石の下が斜面だから、飛び降りるのも怖いしね。これ見ていく人は、手袋を持っていくのがいいよ。鎖場も巨石も指でしがみつくからね。無事、下山して17時過ぎには帰宅しました。冬季は10時ー17時の暖かい時間開催で行きますね。
2025年01月05日

あけましておめでとうございます。今年も、ゲリラ参加したい方は、集合場所で会いましょう。<メンバー各位へのルールの再確認>・幹事が遠征に行く場合、本ブログに開催予定を 掲載します。・開催は土日のため、天気予報を見ながら 水曜日~金曜日に、予定をUPします。・同行したい方は、本ブログを確認して 当日の集合場所で会いましょう。・参加に関して報告は不要です。・参加表明してないので、朝起きてのドタキャン、 ゲリラ参加OKです。 もちろんツアーの途中離脱もOKです。・当日の朝、ツアー催行の可否について、 本ブログでUPします。・幹事が急遽ドタキャンする場合もあります。 その場合も本ブログで、ドタキャンの旨UPします。・基本的にツアー同行については、個人責任で 同行してください。 はぐれた場合等は原則探しませんから、 自力でどうにかしてください。・友人を連行しての参加も自由ですが、 ルールを認識した上で参加くださいね。 以 上
2025年01月01日
’24ツーの催行につきましては、ゲリラ参加等、ありがとうございました。開催の振り返りは以下の通りです。今年はクッそ忙しかったから、あんまし出かけられなんだね。R4:尾道向島ツーR5:高砂パワースポットツーR7:浦富ジオパーク巡りツー<ソロ>R8:備中鍾乳穴ツーR9:タコ食いツー<ソロ>R9:呉屋台ツー(宿泊)<ソロ>R9:出雲巨大迷路ツーR11:森の芸術祭ツー<ソロ>R11:書写山円教寺ツー<あいのり企画>’25ツーの第1QT(1月~3月)は寒いので近場開催で初詣、瀬戸内牡蠣めぐり、備中松山山田方谷さんめぐりあたりかな?来年はキャンプツーや、世界初のDMVに乗りに行くツーにいきまっせ。★同行希望者は、ブログに随時UPしますので週末前にご確認ください。
2024年12月27日

昨年の秋にオイル交換して約4,000km走ったので、オイル交換適齢期です。っていうか、1年間に4,000kmしか走っとらんのやね。今年もクッソ忙しかったね。チャチャっと交換しましょう。オイル用のドレンボルト緩めて廃油掃き出し中。思いのほか汚れてない。まだ茶色今までは、カストロールのパワー1の100%化学合成種の「レーシング」シリーズを使っていたけど、今回からAZの同種のものに変更します。カストロールの「レーシング」って廃盤になったみたいで、「アルティメット」に継承されたみたい。中身が少し変わったんだろうけど、併せて値上げされたんで、思い切ってリーズナブルなAZに変更です。今回はオイルフィルターも併せて交換です。オイルフィルター部のオイルも、しっかり抜いてあげましょう。今回からオイルフィルターはK&Hを使用します。K&Hは高性能+フィルターヘッドにレンチボスがついてるから、わざわざオイルフィルターレンチを使わなくても、普通のレンチで取り外しができるのが便利なんよね。F8のオイルフィルターの場所って、アンダーカウルがあったりして、オイルフィルターレンチが、かけにくかったんよ。送料対策で、まとめて2個かったんで、しばらくは大丈夫やね。カストロールが2.1L程残ってた。思いのほか残ってたな。ドレンボルトも綺麗にそうじして、ガスケットも新調。キュキュッと、締めてオイルゲージで適量までAZ足していったら、+0.5Lで丁度いいくらい。次の交換の目安は33,000kmね。AZは3.5L残ってるし、次回はフィルターは交換せんし、オイル缶は買わんでええね。
2024年12月15日

F8のロービーム球が球切れしたんで交換しましょう。FB見たら、同じようにロービームの球切れを、丁度、6年前の12月に交換してました。同じようにハロゲン球での交換じゃあ、つまらないので今回はロービームをLED化したいと思います。アマゾンで「無加工、ポン付け」の言葉に踊らされてポチッたLED球。そもそも、こんなデカいユニット、どうやってライトハウジング内に入れて固定するんじゃ試行錯誤で、丸2日かかりました結局、LEDユニットをバラして、ソケット部を先にハウジング内に固定してそれに本体をねじ込むっていうのが正解でした。ソケット部の固定も、直接目視が出来ない箇所なんで、手の触感が頼りの作業でしたわ配線を結線して、コードをうまいことハウジング内に収めて蓋も無加工で戻りました。ユニット後部のファン部もすっぽり収まってます。一時は、「ハロゲン球を買いに行こうか」とまで思ってましたけど、なんとか「無加工、ポン付け」できましたわ。点灯テストも無事終了。LEDは電極があるんで、必ず前もって点灯テストしてから蓋をしてくださいね。配線逆にしてたら点きませんからね無事、エラー表示も、エラーメッセージも消ましたオイル交換目標の29,000Kmが来たんで、オイルを交換しなけばいかんですね。
2024年12月07日

今回は姫路市にある書寫山の圓教寺に紅葉狩りに行ってきました。10:00 集合場所の瀬戸PA着いつもと同じメンバーですが、今回は忍者400の企画なんで私はお客様参加です。見慣れない白いCBR650Rは新メンバーです。尖がってるのが、カッチョエエね。今回はメンバーの都合で、ゆっくり集合、早期解散の予定です。まずは昼食から。本日の昼食会場へ到着。ボリューミーな餃子が、おいしくて有名な「英洋軒」さんなんと営業は夜のみ!更に追い打ちをかけるように、通り雨は強くなってきます道路の反対側見たらステーキ屋を発見。即行入ります。ステーキもリーズナブルな価格で、お肉以外のご飯、野菜炒め、スープ、漬物は食べ放題と大飯食らいな私には逆にラッキーな展開でしたそれでは、本日のメインイベント書寫山の圓教寺へ参拝しましょう。圓教寺がある書寫山は、標高371m。山麓駅から山上駅まで書写ロープウェイを利用します。約4分の空中散歩です。ロープウエイからは姫路の街並みが一望できます。ロープウェイ山上駅から摩尼殿までは、西国三十三観音像を配置した参道を歩いて約1キロ、15~20分の道のりです。志納所前から摩尼殿の下まで、マイクロバスが往復500円で運行されていました。せっかくなんで、歩きましたよ。書寫山圓教寺は、966(康保3)年、性空上人(しょうくうしょうにん)によって開かれた、天台宗の修行道場の寺です。西国三十三霊場の第二十七番札所で、西の比叡山ともいわれています。摩尼殿(まにでん)は、山間に迫り出すように建ち、迫力あるお堂。清水寺の本堂と同様、崖や池などの上に建物を長い柱と貫で固定し、床下を支える建築方法である「舞台造り」が特徴です。この堂ができる前、天人が桜樹を礼拝するのを見て、性空上人が根の付いた生の木の幹に観音像を刻んだことから、岩山の中腹の舞台造りとなったそうです。摩尼は、仏教の教えの中心にある宝石(サンスクリット語:マニ)を意味しています。摩尼殿は4回再建されましたが、毎回建物は、桜が立っていた場所に建てられているそうです。中にある本尊六臂如意輪観世音菩薩は、毎年1月18日の鬼追いの日に開扉されます。摩尼殿の裏を抜けて、奥にある「三つの堂」へ向かいましょう。途中、樹齢700年という「巨大スギ」が大空に向かってそびえていました。巨大スギの脇を通り抜けて坂を上ると、映画やドラマのロケ地としても有名な「三つの堂」があります。映画『ラストサムライ』では、この三つの堂周辺で、多くのカットが撮影されました。トム・クルーズと渡辺謙が挨拶を交わすシーンは、3つの堂の一つ、常行堂で撮影されました。大講堂は、圓教寺の本堂にあたるお堂で、本尊の釈迦三尊像が安置されています。僧侶の学問と修行の場で、現在の建物は室町時代中期に再建されたものです。食堂(じきどう)は、後白河法皇の勅願により創建しました。現在の建物は室町時代のもので、僧侶の学問・生活の場でした。食堂の1階では、写経体験をしてました。2階には、仏像など圓教寺の宝物が並べられています。現在の常行堂の建物は、室町時代のもの。本尊は阿弥陀如来で、僧侶が常行三昧(ひたすら阿弥陀の御名を唱えながら本尊の周りを回る修行)をするための道場でした。その常行堂前、この三つの堂の庭の中心で、姫路市立美術館と共催の「圓教寺×隈研吾 生き延びるためのデザインワーク:これからの用の美」が開催中で、隈研吾氏による新作パビリオンが展示されていました。地元の鍛冶師・明珍宗敬氏が作り出す和釘。機械に頼らない鍛造技術で1本ずつ生み出される明珍氏の和釘は姫路城の修理にも使われており、「くぎくも」は、この和釘をまるで宙に浮かんでいるように表現し、その美しさを最大限に引き出しています・・・?この3つの堂を奥に進んだ所に、奥の院があるのですが、本日解散時間が少し早めなので、帰路につきます。再び、杉林を抜けて摩尼殿まで戻ってきました。摩尼殿下の茶屋でお土産買って、ロープウエイで下山して、そのまま帰岡直行しました。お昼ご飯を調子こいて食べ過ぎたせいか、高速が眠かった。ロンツーの時は、グッと我慢して、食べ過ぎ注意ですね。メンバーの制限時間もあるし、何よりF8がハイビームしか点かないので、瀬戸PAをノンストップでそのまま帰還させてもらいました。気を利かせて、瀬戸PAに寄ればよかったね。俺に引っ張られて、みんなも流れ解散になってしもうたな。今日のお土産は、摩尼殿下の茶屋で買った江戸屋さんの「柿はちねん」。茶屋では個売りもしていて、手作り感が半端なかったのでこれにしました。姫路の友人に聞いたら、この江戸屋さんわらび餅でかなり有名な和菓子屋さんらしく、期待大です。手作り感半端なく、甘く施した干し柿の中に、甘すぎないミルク餡が練りこまれていて、大変上品な味でした。
2024年11月23日

くっそ忙しかった仕事も一段落。ホント、久々にゆっくりお休みがもらえたので、現在開催中の「森の芸術祭 晴れの国 岡山」に行ってきました。家族はとっとと仕事に行きましたが、私は朝ゆっくり起きて、ゆっくりコーヒー飲んで、F8引っ張り出して・・・。本日から同行する、仙台の友人の手作りキーホルダー「武運長久」(ぶうんちょうきゅう)と刻印されています。意味は、戦いや戦場での幸運がいつまでも続くこと。または、出征した兵士の無事がいつまでも続くこと。実は前売りフリーパスを2,500円で購入してたんだけど、あまりにクッソ忙しくって、お休みの日に県北まで出かける気力がなっかた気づいたら、もう明後日が閉会日じゃん高速道路で賀陽ICまで上がって、そこから下道で新見市の井倉洞へここが、本日の一つ目の「森芸」の会場なんですが、すでに長蛇の列で、約50分待ちでした。これでもまだ少ない方で、午後になると、もっと待ちになるそうです。フードコートとかで料理が出来たらピーピー鳴る「呼び鈴」を配ってくれたから、順番待ちの間に、腹ごしらえをしときましょう。お目当ての「焼肉プレート」が売り切れだったので、千屋牛の牛丼にしました。本当に、これA5ランクの黒毛和牛肉なの・・・。お昼食べて、コーヒー飲んでゆっくりしてたら、「呼び鈴」がなりました。どうやら、ここのテーマは洞窟探検隊の様です。各自、ヘルメットをかぶり、JBLの大き目のモバイルスピーカーと手持ち式のライトが装着してあるリュックサックを背負い、鍾乳洞に入ります。リュックの中身はセンサーの受信機かな?真っ暗な洞窟をライトを頼りに進みますが、各セクション、セクションで、洞窟の中をライトと音楽で、いざなってくれる感じです。わざとライトが消えたりしますが、故障でありません。数歩進むと復活します。スピーカーから出る音楽は、ちょっとオドロオドロしい感じ。最後の最後の山場のプロジェクトマッピングが先日の台風の大雨で水没して、ダメになっていたのが超残念でしたね。何とか無事脱出。ガイドブックによると、担当作家のアンリ・サラは時間の経過によって変容する作品世界を構築する。その作品はイメージ、建築、そして音の相関関係を通じて表現される。それらの要素は、私たちの経験を折り曲げ、逆転させ、問いを投げかけるために用いられる。サラの作品が追究するのは言語や文法、音楽における断絶であり、創造的な混乱を生み出すことで歴史の新たな解釈を創出し、古いフィクションやナラティブの代替として、より暗示的かつ曖昧さを帯びた対話によって置き換える試みである。とあります。なるほど・・・。今回は混んでたこともあって、1班7人組の団体行動だったので、ゆっくり「創造的な混乱」を感じることができなかったのが残念だったなあ。ここ、土日は予約しか受け付けていないのも納得ですね。駐車場に戻ってみると、年季の入ったビーマーが隣にいました。ここの駐車場、めちゃ広いんで、わざわざ隣に置いてくれたんでしょうね。写真頂きましたよさてバイクで20分ほど、一山超えて、隣の会場へ移動です。ガイドブックの作品紹介では、「深淵に宿る彼岸の夢(Dreams of the Beyond in the Abyss)」は、岡山県にある満奇洞という鍾乳洞を舞台に展開される体験型のアート作品だそうです。鍾乳洞という異世界へ入る過程で現実の境界を超え、その中で展開されるインスタレーションを通して、鑑賞者の深層にあるさまざまな感情体験を想起するものです。与謝野鉄幹・晶子夫妻は満奇洞を訪れた際に、「冥府の路を辿るやうな奇怪な光景」と評しました。このように神秘的な美しさを讃える鍾乳洞に足を踏み入れることは、畏敬を感じつつ自然が生み出した悠久の時の流れと対話する行為でもあります。鍾乳洞に入ると鑑賞者は青い光に包まれた空間へと導かれます。満奇洞の内部に拡がる鍾乳石が、青い光の中で幻想的に照らされることで、浄化につながるような感覚を得られるでしょう。青い光の空間は出入口に位置するため、鍾乳洞の狭く曲がりくねった道を通った後の最後の体験にもなります。心の中の迷宮を進むような感覚の後に体験する青い光は、内面的な再生のプロセスを強調します。鍾乳洞の奥で鑑賞者は、彼岸花が織りなす赤い空間に飲み込まれます。満奇洞の最奥に位置する神秘的な空間の静寂は、彼岸の象徴としての赤い花々と共鳴し、鑑賞者に多様な感覚を呼び起こします。魅惑と不安、生と死、緊張と解放、儚さと普遍、諦観と希望、終わりと始まりなど、彼岸の夢といえる体験がそこにあるでしょう。深淵をめぐった鑑賞者が地上へと帰るとき、そこで見た夢や感情がどのように現実に影響を与えるのか?黄泉めぐりにつながる一連の体験は、鑑賞者に対して多様な感覚と内面的な反応を引き起こします。それが単なる視覚的な美しさにとどまらず、存在や死生観に触れる体験となり、訪れる人々にとって忘れがたいものになることを私たちは願っています。蜷川実花 with EiM(エイム)圧巻。確かに忘れがたいものになりました。ちょっと圧倒されすぎちゃって、自分の存在や死生観に触れる内面奥底への旅にまで落ちこまなかったな。次の会場は満奇洞のすぐ隣の、ふれあいセンターが会場。岡山県津山市生まれの写真作家 杉浦慶侘の「新見山」ガイドブックによると高校卒業後教師を目指し進学するも、そこでかつて中平卓馬や森山大道が在籍していた『provoke』の写真表現に出会い、自身でも作品の制作を始め現在に至る。自ら育った土地である岡山での撮影にこだわり「人間と自然の関係性」をテーマに活動を続ける。現在は新見市の人工林の山を中心に撮影し、人間によって造られた奇妙な自然のあり方に関心を寄せ制作に取り組んでいる。この写真って、凄い不思議近くへ行って見るまで、ただの黒い板なんだけどものすごく近くへ行ったり、カメラ越しに覗いたらそこには生き生きとした木々の写真が写ってる本日、4件目は、再度高速道路を使って、県北西端の奈義町までやって来ました。奈義町現代美術館。現在16時、今日はここまでか…。奈義町現代美術館は、世界的な建築家である磯崎新氏が設計した、作品と建物が半永久的に一体化した公共建築として世界で初めての体感型美術館。借景には那岐山を望め、日毎、季節ごとにその表情の変化を据えることができます。ここの現代美術館は、面白くて何度か来たことがあります。最近ご無沙汰だったので、ここの常設展示も併せて見たくって森芸のフリーパス買ってたんです。坂本龍一+高谷史郎「TIME-déluge」ここの作品群は、なかなか文字で説明できないですね。見て、体験して、感じて、が、全てですかね。結局、閉館時間ギリギリまで、館内を楽しんでいざ帰還です。ここ美作界隈に来たら必ず寄るスポットがここ、「柴田のたい焼き」なんです。以前は、ここからさらに国道53号を北に上がった、黒尾峠のドライブイン駐車場に店があったんですが、ドライブインが閉めたため、ここへ移転して来たんです。ここのたい焼きって、あんこたっぷりなのに、甘くないのよ。なんだか知らないうちにパクパク食べて気づいたら、なくなってる感じ。たい焼き6つ買って840円でした。ここですぐ2つ食べて、4つはお土産。写真がないのは、すぐ食べたから無事帰還。なんだかんだで220Kmも走ったのね。県北遠いわ。「森芸」ですが、全部で21の作品が出展されていますが、どーしても見たかった作品は今日、全て見て回ることができましたそれよりも、朝から付いてる左の三角マークの警告灯ってなんだろうって思ってたら、右の小窓にもエラーメッセージ「LANP」が出てた。ロービームが玉切れしてますわ。ごめんなさいしょうがないのでハイビームで帰ってきました。
2024年11月22日

仕事上でミニトラブルが続発してるので、ちょっと浄化するために神社巡りに行ってきた。まずは、近所の足王神社。大国主之命、手名椎之命(てなづち)、足名椎之命(あしなづち)の三神をおまつりしており、「足の神様」として信仰され、鳥居のそばに焼物の脛から下の足形がおかれていて、これをさわって手で患部をなでると病が治るとされています。昔、サッカーやら自転車やらの競技をやってるときに足首の怪我が慢性化してた時に、摩りに来ましたね。でも、今日お願いに来たのは、鎌殿鎌殿には、「病の根を切る。」という願いを込めて、多くの鎌や刃物が奉納されています。悪い流れを切ってくだされ。境内の紅葉は、まだまだみたいです。お腹が空いたので、気になっていた、赤磐市下仁保にできた古民家蕎麦屋さんの「そば切り來輪」さんへ寄ってみました。蕎麦搔セットを頼んだんだけど、これが大当たり蕎麦大盛も大当たりいい店見つけましたわ。岡山市の京橋から、移転して来たみたいですね。そんでもって、本日のメインイベント。赤磐市の山間部、是里の血洗の瀧までやって来ました。吉井川の支流、滝山川の深部にある瀧。もう、入口から只ならぬ雰囲気があふれ出ています。瀧の名は、神話にまつわる伝説から名付けられています。ヤマタノオロチを退治したスサノオノミコトが、この滝で血にそまった剣を洗い、滝水で身を清めたと伝えられています。この、新しくなった祠は、クラファンで資金応援を受けて復活したんです。この復活した祠も見に来たかったんです。この瀧を下る水は神霊の宿るものとして、みそぎや、よう拝が行われてきました。木々の木漏れ日の中、流れ落ちる滝は、神秘的な景観です。ここは何度来ても、心が引き締まるパワースポットです。神霊に浄化してもらいました。是里からの帰り道にある「宗形神社」。この神社、前々から気になっていたんですよね。ここは平安中期に作られた延喜式神名帳にも掲載される程の格式ある古社で、御祭神はアマテラスオオミカミがスサノオの持っている十握剣をかみ砕き吹き出した息から生まれたとされる「宗像三女神」。また、古事記に登場する仁徳天皇と黒日売(くろひめ)伝説の地でもあるんですよ。鳥居をくぐると鬱蒼とした森の中に参道が続きます。この鳥居は、笠木の両端が持ち上がったデザインで明神鳥居といいます。県内で3番目に古い鳥居という事で岡山県の重要文化財に指定されています。本殿、拝殿も歴史があるたたずまいで素晴らしかったのですが、境内に上がったところで携帯の電池が切れました。これは、しっかりアレコレ断ち切られてる証拠ですすかね
2024年11月17日

子供が部活の合宿で不在なので、奥さんの父母の様子を見に帰省しました。四国に上陸したので、まずはうどんやね。丸亀の綿谷さん。箱が大きいので、多少並んでいても回転が早いのよ。ここは肉ぶっかけが、おススメ。牛と豚のあいがけになっているスペシャルを注文。麺も出汁も旨かった。この日は、奥さんの父母の様子を見て終了。四国三郎の郷でキャンプの予定でしたが、あまりの大雨でテントを張る気にもならず、車中泊としました。マット敷いたらそれなりに快適空間でした。車がデリカで良かったよ。さて、2日目。四国の徳島県にある剣山。この山に「ソロモンの秘宝」が隠されているという伝説があります。ソロモンの秘宝とは、古代イスラエルの十戒石板、マナの壺、アロンの杖を納めた契約の箱(アーク)を指します。インディ・ジョーンズの映画の題材にもなった、「それを手にするものは世界の王となり、世界平和の礎を築く」とされている、アレです。この聖なる箱は、古代イスラエル王国の神殿が破壊されて以来、行方不明になっていますが、それがいつしか、東方へ逃れた失われたイスラエル10支族が持ちだし、どこかに隠したのではないかといわれるようになり、その候補地として挙げられているのが、剣山なのです。今回の旅の第2の目的は、このトレジャーハントなのです。実際、剣山で長年にわたり、ソロモンの秘宝を捜しつづけた、高根正教という研究者がいました。『聖書』と言霊学の研究から、剣山にソロモンの秘宝が運ばれ、隠されたことを確信した彼らは、当局の厳しい監視の目が光る戦前という時代のなか、剣山で発掘作業を行いました。このとき解読の鍵となったのが鶴岩と亀岩で、ふたつの岩の麓には、今も発掘跡とされる石が並べられています。彼らによると、童謡「かごめかごめ」の歌詞にヒントが隠されており、「かごめ→籠の目→ダビデ王の紋章」「夜明けの晩→夜が明ける→よはね→ヨハネ」となり、また、「剣山=鶴亀山」であり、これがまさに隠し場所を示す暗号になっているといういうのです。「かごめ かごめ かごのなかの鳥は いついつ出やる 夜明けの晩に鶴と亀が滑った 後ろの正面だあれ 」《カゴメ(籠目)紋はイスラエルのマークで、ダビデの六芒星である。籠の中の鳥はアーク。アークは何時出てくるのか?暗い夜明けに地震か何かで、 鶴石と亀石が滑り落ち、鍾乳洞からアークが正面に出てくる》息子の高根三教がその後を継ぎ、研究していましたが、近年逝去されて、お二人ともつるぎ町一宇の地蔵寺で永代供養をされているとのこと。二人の研究資料が、地蔵寺の粟飯原住職に預けられたのを契機に、資料館を建設されたということでした。運よく住職にお会いできて、秘宝観覧の丁寧な説明を聞くことが出来ました。住職に登山マップに案内ルートを描いてもらって、鶴岩、亀岩を目指して剣山の登山口まで来ましたが、やっぱり、あいにくの大雨と大風で大荒れの天候です。残念ながら、今回の宝探し登頂は、「中止」としました。剣山は逃げませんから、次回に順延ですね。それまでにアークが見つからないことを祈りましょう。さて、スサノウノミコトの傍若無人な振る舞いを嘆いた天照大神が天岩戸に隠れたために、世の中は暗闇に包まれ、様々な禍が起こりました。八百万の神は、集まって相談し、なんとか天岩戸から天照大神を引っ張り出したので、世の中は明るさを取り戻しました。これが天岩戸神話ですが、最もメジャーなのは宮崎県高千穂の大岩戸神社です。でも、天照大神が隠れたという天岩戸、なんと全国に十数か所あるのです。ここ天磐戸神社もその一つ。天磐戸神社の祭神は、天手力雄命(たぢからおのみこと)となっています。天手力雄命は、天岩戸の扉を開いた神様です。社殿横の山道を登って行くと、謎の石像が次々と現れます。正面の大きな神楽石の下も石窟になっています。その前に、天鈿女命と猿田彦命の石像がありました。この猿田彦命の鼻、天狗ではなく西洋人。古代イスラエル人ではないかと、目されています。この石造の着ている服装が、イスラエル系の装束だと言われているのです。ここは、日本の神話と古代イスラエルが、交わるポイントなのです。そもそも、ここ剣山の周りには、日本のメジャーな神社と同名の神社が数多くあり、同じような神話の云いつたえも、たくさん残されています。こちらの神話が本線で、他の地域が逸話。アークに目を向かせないための方策だとする説もありますね。神楽石の上部は平らになっており、広さ約45平方もあります。天鈿女命が舞ったところでしょうか?江戸時代より年に一度、神楽歌と舞が奉納されていたそうです。神楽石の前を登って行くと、天磐戸の巨石があります。岩の裂け目の幅は約1m、奥行きは約9mもあるそうです。そもそも四国霊場八十八箇所も、空海の作ったアーク(剣山)への結界説や、民衆をアーク(剣山)へ近づけさせない方策だとか説は色々あります。確かに四国霊場巡りは、剣山周辺を通りませんからね。さて、十家(といえ)集落のモノレール駅まで戻ってきました。TV番組ナニコレ珍百景等でも取り上げられた十家集落。数年前に調べた時は、1名の方が集落に残っていると言われていましたが、現在はどうなのかな?十家集落に行くためにはモノラックと称するモノレールに約40分揺られるか、徒歩で約60分の山道を行くしかなかった。郵便物の配達も徒歩で往復2時間をかけて配達しているそうです。集落は、古くからタバコや養蚕などで生計を立て、1950年には、40世帯202人が住んでいました。高度経済成長とともに、仕事などを求めて平野部や県外に流出。過疎対策として山間地では道路整備が進んだが、十家集落は急斜面で地形が悪く多額の事業費がかかるため、考え出されたのがモノレールだったそうです。農産物や生活物資の運搬を目的に、旧一宇村が整備したのは1986年。90年にはまだ19世帯42人が住んでおり、農林産物の集荷や出荷などに貢献しました。買い物などに訪れるため、人も多く利用したそうですよ。さて、子供が合宿から帰るまでには、帰宅しておきたいので、帰路につきます。帰り道に道中にあった、伊射奈美神社へ古事記・日本書紀(以下、記紀)の中で、イザナギ・イザナミ(以下、二神)は、日本の国土やアマテラス・ツクヨミ・スサノオをはじめとした多くの神々を生みます。国・神を生んだあと、イザナミは死んで黄泉国へ行き黄泉津大神(よもつおおかみ)となります。このように記紀の中でイザナミは、国生み・神生み・人の生死の起源という重要な仕事を行う女神として描かれています。イザナミと対になるイザナギを社名とする式内社は、淡路伊佐奈伎神社をはじめとして7社ありますが、イザナミを社名とする式内社は阿波国美馬郡の1社のみなんです。あえて女神のイザナミを社名とする伊射奈美神社は、特殊な意味をもつものかもしれませんね。今回は、若干不完全燃焼のソロモンクロニクルへの旅でしたが、剣山周辺には、まだまだ日本神話とシンクロする寺院もたくさんありますから、第2弾、第3弾にご期待ください(笑)
2024年10月20日

さて、呉屋台ツーから1夜あけて、今日は引き続き「出雲巨大迷路ツー」に向かいますよ。チェックアウトは、6時25分。お世話になりました。呉の屋台は、まだ回ってないお店もあるし、また来たいね。バイクはホテルすぐ裏の市営の無料駐輪場を案内されました。夜はシャッターが下りていて、施錠してくれていました。ここが開くのが6時半なんで、それに合わせたチェックアウトでした。夜間、長時間離れるので、念の為ディスクロックは掛けときました。広島市経由で山陽道→中国道と渡って、三次から松江道へ。途中、集合場所の手前の道の駅て、小休憩。無料区間だから、IC降りた所に道の駅が併設されています。集合場所の雲南吉田ICに併設の、道の駅たたらば壱番地に、9時着。9時半の集合時間まで蕎麦を食べて待ってる計画だったんだけど、残念ながら営業は10時半から。しょうがないから、朝ごはんは「焼きさば弁当」にしました。これはこれで、美味しゅうございましたさて、集合時間。今回はこの3台で回ります。道の駅の名前でも分かる様に、ここは「たたら製鉄の郷」「たたら」とは、古(いにしえ)より日本に伝わる伝統的な製鉄法のことです。宮崎駿監督の映画『もののけ姫』には、たたら場が物語のカギを握る重要な場所として描かれていますが、このモデルとなったのが「菅谷たたら山内」であるといわれています。たたら製鉄とは、砂鉄と木炭を燃焼させて鉄をつくりだす日本古来の製鉄法で、日本刀の素材となる玉鋼(たまはがね)などはこの製鉄法でしか作ることはできません。この地域は原料となる良質な砂鉄を含む花崗岩が広く分布し、また、燃料となる木炭を生産した森林も広大であったため、鉄の一大産地となり、最盛期(江戸後期~明治初頭:18世紀末~19世紀)には国内の鉄生産量の9割近くを占めたといわれています。当時この地域(雲南市吉田町)で大規模なたたら経営を行っていた田部(たなべ)家が拠点としたまちであり、実際にたたら製鉄を行っていた施設である高殿(たかどの)が日本で唯一現存し、公開されています。木炭はたたら操業で使う大炭(おおずみ)と、大鍛冶用の小炭(こずみ)に分けられます。たたら操業では大量の木炭が必要になるため、鉄師(たたら経営者)たちはそれを賄うために広大な山林を所有していたそうです。たたら製鉄の原料となる砂鉄(山砂鉄)は、花崗岩に由来する真砂砂鉄で、山を切り崩して砂鉄混じりの土砂を水路へ流し込み、砂鉄を精選する砂鉄選鉱場で砂鉄と土砂の比重の違いを利用して砂鉄を集める、鉄穴(かんな)流しと呼ばれる手法で採取されていました。中国山地は、古くからたたら製鉄が盛んだったのは地質が花崗岩質で良質の砂鉄が取れたことと、深い山々に囲まれており豊富な木材があったことがその要因だったんですね。ここでは、各施設で説明をしてくれるのですが、何処の施設でも(この後訪れた吉田の鉄の歴史博物館でも)解説の方が親切で、説明が面白く、的確でした。たたら製鉄の技術責任者は村下(むらげ)と呼ばれました。村下は操業中の砂鉄の投入量や送風量などをすべて取り仕切り、長年の経験により培われたその技(わざ)は代々受け継がれてきました。この技は門外不出、一子相伝だったそうです。四方を山で囲まれた山間部に位置する雲南市吉田町は、この地方の有力鉄師であった田部家が製鉄業の拠点を構えたところです。田部家は江戸時代には松江藩の鉄師を取りまとめる鉄師頭取役を長年にわたって務め、全国有数のたたら経営者となりました。しかし、明治になると西洋の製鉄法や安価な鉄が日本に流入したため、たたら製鉄は徐々に衰退していき、大正12年(1923)に田部家の製鉄業は幕を閉じたそうです。現在の吉田町の中心部では、田部家のたたら製鉄業の発展とともに栄えた往時の面影を偲ぶことができます。石畳に覆われた本町通り沿いには、田部家の白壁土蔵群をはじめ、手代の住居などが建ち並ぶほか、通りから奥の住宅街へと続く小路にも風情があり、まち歩きを楽しむことができますよ。たたらの郷では解説が面白く、思った以上の時間を取ったので再び道の駅に戻って昼食です。蕎麦屋さんがいっぱいだったので、順番待ちを利用して甘いものを先に頂きます。雲南地域は養鶏が盛んで、養鶏場直営店のソフトクリームで卵が良いからか、クリームが凄くまろやかでした。さて、道の駅たたらば壱番地に併設の蕎麦屋さん「むらげ」朝寄ったときはこの店名何?って思ってましたけどたたらばの技師長さんの役職だったんですね。ここでは、地元産そば粉100%使った、つなぎを使わない⼗割そばが⾷べられます。店外から見えることろにある⽯⾅を使ってゆっくりと⾃家製粉してあるので、そば本来の⾹りと旨みが味わえましたよ。私は割子5枚頂いたんですが、先輩は7枚頂いてました。さて、高速無料区間で少しジャンプして、巨大迷路「ドラゴンメイズ」へ手作り感満載の、昭和の香りがする施設です。調べてみたら、雲南のアイデアおじさんが、耕作放棄地を活用して巨大迷路を作って経営しているみたい。コースはレベルに応じて4コースあって、1番難易度の高い、「スーパーコース」にチャレンジこれが、結構楽しかったのよ。1時間弱でミッションコンプリートして脱出したんだど。意気揚々と出てきたら、他の2人はとっくに出てきていて、ジュース呑んでくつろいでたここからは、松江でお茶して、帰ろうって話だったんだけど、松江の手前で通り雨に当たって、玉造SAで小休憩。玉造で給油して、蒜山で小休憩を挟む程度の弾丸行程で岡山へ帰ってきました。2日間で600キロか。泊ツーだったから、距離としてはそこまでではなかったですね。今日のお土産は、たたらの郷で解説員さんにもらった「たたらせんべい」、怪しい悪魔の実「キワーノフルーツ」、今日のビールのあての「蒜山大根の漬物」、呉で友人への凸撃用に買っていた「きび団子」でした。
2024年09月28日

たまたま金曜日に夏休みが取れたので、ずっと行きたかった「呉屋台梯子ツー」に行って来ました。全然予定してなかったので、準備からスタート。昨日のうちに少しは準備しておけばよかったな「あれがない、これがない」で、グッズを探すのに時間がかかっちゃって、結局出発したのが11:00。呉には友人もいるので、念のため途中吉備SAで凸撃用のお土産を買ってスタートです。西向きで行ってみたいお店は多々ありますが、いかんせん出発が遅すぎ。ランチタイムにギリ間に合いうのは、福山市沼隈の「万ぷく食堂さん」かお昼の営業は14時半まで、なんとか13時半着。平日の13時半なのに、駐車場は満車。バイクだからなんとか隅っこに駐輪できたけど、店外で待ってる人が一人いる食券買ってたら、席空いたので、すぐに入店できました。今晩は呉の屋台を巡るので、中華そばとか、唐揚げとかは避けといて、魚系にするかな。ってことで、店長おすすめの「まんぷく魚定食」をオーダー。券売機の上のチラシを見て注文したんだけど、「魚定食」には店長からのプレゼントがありって書いてあった。なんとプレゼントはお店の名物の「肉煮込み」の小鉢だった。お店の入口にポップが立ててあったメニューね。閉店前なのに、後から後からお客さんがやって来てオーダーが通っていくんだけど、なかなか出てこない。ソワソワしていたら、出てきたよ魚定食が・・・。凄いボリューム刺身の量が半端ない。煮つけも甘辛で旨大満足でした。ありがとうございました。即行魚好きな奥さんにラインしましたリピ決定やね今日は時間の制約もないし、海岸線をのんびり流しながら呉を目指すかね。海と浜と、入江ごとに姿を現す造船ドックと、瀬戸内海の多島美と、時折追いつく船と、夕日と、海に浮かんだ工場や発電所と、様々な橋を独り占め。安芸灘は穏やかやね。三津口港の防波堤として設置されている2艘の「武智丸」は、太平洋戦争末期の昭和19(1944)年、鋼材不足を補うため、兵庫県高砂市の造船所で建造されたコンクリートの船です。終戦時まで軍事物資の輸送にあたりましたが、終戦後の昭和24(1949)年、地元漁業者の要望により防波堤として設置されて以来、海の守り神として親しまれています。安浦の武智丸は、コンクリート船の原形を留めている全国的にも貴重なもので、数少ない戦争の語り部になっているんですよ。三原市内と仁方の渋滞には手を焼きましたが、なんとか18:00過ぎにホテルにチェックイン。思いのほかR185の西進に時間がかかっちゃって、安芸灘とび島海道の大崎下島の友人のところへの凸撃は、また次回です。ホテルはJR呉駅すぐ横の「ビジネスホテルクレ」。何にするでも、何処へ行くのも便利の良いところ。これで税込み5,500円ならOKでしょ!!シャワー浴びて、着替えて屋台へ。日も暮れて丁度いい時間になった。ホテルから徒歩10分弱くらいの蔵元通り。念のため、追っかけツーリング参加者がいるかもしれないから、屋台街のスタート時点の花見橋西詰で集合をかけましたが、待ち人おらず。さすがに、昨日の今日で泊ツーにアタックする輩はおらんよね。さて、呉の屋台街。呉市には古く大正時代から続く屋台文化が令和の時代まで継承され全国でも珍しい屋台通りが今でも営業しています。古きよき文化の継承でもあり、呉の観光資源のひとつになっている蔵本通りの屋台は、現在10店舗程の屋台が営業しています。ここは全国の屋台でも珍しい、市の負担で電気と上下水道が整備されている屋台街で、並びの堺川沿いの公園にはトイレも整備されています。堺川を渡れば、呉の繁華街の中通りですので、中通りで飲んだあとの〆を屋台で迎えるお客さんも多いみたですね。実は屋台街のすぐ先は呉市役所。市役所のおひざ元に屋台街があるんですね。一通り屋台街を見て回って、再び花見橋西詰まで戻ってきました。再度凸撃隊がいないか確認しましたが、誰もおらんみたいですね。お腹もすいたし、まずは焼き物から。花見橋側から1件目の焼き鳥「まんまる」さんへ屋台なのに炭火焼だそうです。今日も暑かったから、お通しだけでビールがぐいぐい無くなります。欲張りセットをオーダー。ビールもどんどんお代わり。炭火焼きなんで、ふっくら・こんがり・熱々です。美味しかった2件目は「だるま」さんで、おでんにしますか。丁度、さっきまでいたお客さんが引けて、空いたところでした。屋台の照明が明るく、外の暗さに対して料理が引き立つな。おでんの出汁が濃い目で、これが旨いのよ。酒を誘います。大将も、出汁をかなり細かく足してた。美味しかったさて、3件目。〆にしますか。青い暖簾が目を引く「富士さん」へ呉の屋台に来た理由は、ここの「ホルモン焼きそば」が食べたくて来たんですから。ホルモン焼きそばを待つ間に、「がんす」のおでんをいただきます。「がんす」は、魚のすり身にパン粉をつけて揚げた練り物で、”海のハムカツ”です。「ホルモン焼きそば」来ました。すごいボリュームホルモンの量も半端ない。ストレート麺に独自の少し辛めのタレが絡んで旨いの。またビールが進むのよ。美味しかったもう、これ以上食べられないし、呑めない。超絶満腹お腹抱えてホテルに帰りました帰ったら、1台しかないランドリーが丁度空いていたので、すかさず洗濯して、明日の準備をして就寝です。突貫スケジュールで来てよかった。大満足の呉の屋台の夜でした
2024年09月27日

'24 9月の遠征ツーリングは、無性にタコが食べたくなったので、「タコ食いツー」に淡路島に行ってきたよ天候が読めないのと、仕事が超忙しくって、中々ツー企画が出来なかったから、今日のツー企画も前日にアップしたんよね。ホント残暑厳しい日が続くので、朝駆け移動します。前の日から準備してたので、6時前には出発しました。集合場所の山陽道上線の権現湖PA着。7:30の集合に対して40分前に到着。珍しく遅刻なく到着こんな日に限って、同行者なし。ソロツー決定です。まあ、企画表明が昨日で、催行が今日だからね。まずは、神戸まで来て、舞子六神社へ。海がすぐそこ。明石海峡大橋のすぐ袂です。かわいい神石をくるんだお守りが珍しい。こじんまりした、綺麗な境内。狛犬がお出迎え。抜けるような青空と、境内の蒼々した松の緑が美しい。ここへは疾風巡拝にやって来ました。ちょっと早かったんだけど、神主さんにお願いしたらご刻印キットを出してくれました。印字方向を間違っちゃいましたけど、全体が六角形だから、全然違和感なし三つ目のご刻印ゲットミッション1クリアです大阪から御刻印を求めて、Z900のライダーさんが来られてましたよ。明石海峡大橋を渡って、淡路島上陸。道の駅「あわじ」へやって来ました。何度見ても、明石海峡大橋のアンカレイジはデカいね。この中でつり橋を吊っているメインケーブルを固定して、つり橋自体を引っ張っている。このコンクリートのでっかい箱は、見えている地上部分だけじゃなくて、地下の良質な地盤まで続いていて、そこで定着されている。あれは、何だ?海上工事でケーソンや浮標灯の係留をする重りとして使われた鋼製シンカー。普通はコンクリートで作られるが、明石海峡大橋で必要となる重量のものをコンクリートで作ろうとすると大きくなりすぎるので、鋼製が採用されてる。昔は無塗装しゃなかったっけマンホールにルキアのポケ蓋が設置された。それでは道の駅で朝ごはんを頂きましょう。道の駅内のテナント店の「えびす丸」さん今回はメニューに迷うことなく、「淡路の生しらす丼」一択です。前回は解禁日前だっから、食べられなかったんです。ミッション2クリアです小腹も満たされたので、タコ食いにいきますか。観光して、昼過ぎにタコにしてもよかったんですが、タコが無くなってしまったんじゃ、元も子もないんでミッション順にクリアしていきます。道の駅の駐車場に珍しい車両軍が。この250のCBRって30年ほど前の車両じゃん。このCBR軍団は家族ツーリングみたいでした。750スーパーエアロがお父さんで、黒の250が奥さん?青白の250は息子さんかな?このタコの姿焼きが食べたくて、今日はここへ来たんです。コロナとタコの不漁で一時期中止になっていたんですが、今期は復活してるって聞いていたんで、満を持してのアタックです。先に会計して、焼きがスタートします。材料のタコ、むっちゃあるやん。売り切れの心配は、なかったかな粉をまぶして、鉄板上に広げて、ジュ、ジュ、ジュ、ジュ、ジュー鉄板をパかっと開けたら、ハイ出来上がり。マヨネーズも一緒に買っておくのがおススメです。「2Fのカフェで食べてもいいよ」って言われたので、冷房の効いた部屋へ上がってきました。「衛生上、後からは切れないですよ。」って、お店の人に言われたんだけど、写真の「映え」を気にして、カットしてもらわなかったんよ。絶対に切ってもらった方がいいです。食べにくくてしょうがない。さて、次のミッションは洲本温泉と洲本城です。青い海を眺めながら海岸線を流していきます。途中、パラセーリングを楽しんでいるのを初めて見ました。洲本まで南下。洲本城に来ました。物々しい石垣を抜けてきたら、かわいらしい天守閣がお出迎え。天守閣の中には入れない様になっていたけど、天守閣横のベンチからの眺めは、洲本市内が一望出来て最高だったヨ。ミッション3クリアですさて、洲本温泉へやって来ました。日帰り温泉をやってるの施設が限られていて、ホテルニュー淡路系のスパガーデンに行ってみたら、コロナを機に辞めてしまってた。淡路観光ホテルさんまで戻って、ダメ元で聞いてみたら「やってますよ」っていう快い返事が。入浴の価格も1000円とリーズナブルだったし、バイクの駐輪には、屋根付きの倉庫を貸してくれた。しかも、貸し切り!!浴室はもちろんオーシャンビュー。勿論オーシャンビューな露天風呂も貸し切り。サービスも接客も最高でした。ミッション4クリアです淡路観光ホテルさんありがとうございました。さて、予定していたミッションはコンプリート。おまけで用意していたネタは、「ニジゲンノモリ」か、「おっ玉葱(たまねぎ)」。戻るのも嫌なんで、「おっ玉葱(たまねぎ)」に行きますか。南淡路水仙ラインを南下します。前回お世話になった?謎のパラダイスは、おやっさんが亡くなってしまって閉館したみたいですね。淡路島のツーリングロードは、西側の沈む夕日がきれいな「淡路サンセットライン」が有名なんだけど、個人的には島南東部の「南あわじ水仙ライン」も捨てがたいんですよね。こっちの方が波が強くて、テトラで消波された波しぶきがかかりそうで、かからないスリルのある道なんです日差しと波しぶきでキラキラしていて、一部コンクリート舗装で整備は行き届いてないけど、淡路らしい道なんですよね。「うずの丘」にやってきました。ここはとにかく淡路島特産の「玉葱」ずくし。なんでも玉葱。玉葱のUFOキャッチャーまである。時間内なら アームを縱橫に動かし放題!500円で5回PLAY!ゲットしたたまねぎと、最低でもたまねぎ1袋がもらえます巨大な”たまねぎ”のオブジェ『おっ玉葱(たまねぎ)』その大きさは、高さ2.5メートル、直径2.8メートル、重さ約200キロ!!大鳴門橋と鳴門海峡をバック撮れる、人気撮影スポットなんで、長蛇の列が出来てます。たまねぎカツラも貸し出し中。ああ、被りたかったけど、凄い列だったからヤメヤメ。残念。大鳴門橋の向こうは、徳島県鳴門市。うずの丘から高速の淡路南ICはすぐなのよ。淡路南ICから高速乗って淡路SAで休憩して、後は弾丸で帰ります。ナビは阪神高速を指してたけど、渋滞してイライラするのは分かり切っているので、少々遠回りでも、そのまま高速で帰還します。西方面の空がゴロゴロ、ピカピカし始めたので、ノンストップで帰還しました。晩御飯食べそびれちゃったな。500㎞も走ったの結構走ったな~。今日のお土産は、いちじく大福と、玉葱プレッツエルと玉葱スープ。大福は明日のお月見で食べちゃおうっと。
2024年09月16日

台風による天候不順と、くそ忙しいのとで、全くF8乗れないので、早起きして朝駆けして来た。早起きして倉敷の水島までやって来た。1Fの駐車場にミニのMK2が止まってる、このお店は・・・。水島の喫茶店、「西洋乞食」さん平日は7:30から開いてます。日曜日、祝日はお休みです。店内は、古き良き喫茶店。ママさんが一人で切り盛りしています。とりあえず、モーニングを頂きます。追加でクリームソーダを注文。この1日10食限定のクリームソーダを食べに来たのよ。高速飛ばして水島までバラの花びらに模したアイスがすごい入ってるの。食っても食ってもソーダにたどり着かないせっかく水島まで来たんだから、鷲羽山スカイラインを流してから帰ろう。鷲羽山スカイラインの終点は、瀬戸大橋にぶつかります。瀬戸大橋の下で、ちょいと(^。^)y-.。o○児島で、おやつタイムと思ったら、先の大雨で道路が通行止めだって。大丈夫抜け道はたくさん知ってますよ。児島郵便局前のナナフクさん。タコ漁師のタコ専門店で、タコ飯やタコ唐、タコ焼きをテイクアウトできるお店です。冷たいものも豊富にあります。小腹が空いたので、明太子タコ焼きとアイスカフェオレを頂きます。アイスオーレにはアイスが三つも入ってた。今日、昼から仕事行こうかと思ってたけど、やめだそのまま海岸線を流して造船の町、玉野市までやって来た。玉野駅近くの老舗のラーメン屋さんの萬福軒さんへ萬福軒さんの電話番号は、さ~、くいにこい♪鯛の張り紙が目印です。ここのおススメは「鯛の塩ラーメン」お店にいる全員が、コレ頼んでた超さっぱりなんだけど、コクがある。中に小さく切ったレモンが入っていて、それもいいアクセントになってる今日のお土産は萬福軒の隣のスーパーで買った、本日の特価品のブドウにしました。玉野って高松行きのフェリーがなくなって一時、元気がなくなってたんだけど、最近新しいお店が次々出来て、活気づいてきてるんよね。
2024年09月14日

暑い日が続くので、8月の近征ツーリングは「涼を求めて備中鍾乳穴ツー」に行ってきました。早起きして、朝の早いうちに移動です。集合場所に来たのはZ400だけ。今日はこの2台でまわります。奥津渓谷手前を、羽出西谷川添いに入って、酷道「下和奥津川西線」を北上します。山乗渓谷到着ここのお目当ては、「不動滝」と「涼水亭の流しそうめん」です。ここって、大河ドラマ「武蔵」のロケ地だったんですね。確かに杉の大木の林がでてきてましたね。右の不動滝へ。左の遊歩道は、蒜山ツアーデスクに頼めばこの上流でリバートレッキングやシャワークライミングのアクティビティができます。この張り出し歩道を上がっていけば、両岸、切り立った渓谷にでます。この崖、90度でせりあがっています。不動滝へ出ました。こちらが山乗り渓谷の茶屋「涼水亭」。コロナにより2019年より休業していましたが、一般社団法人アシタカが事業を継承し2024年7月にリニューアルオープンしました。(2024年の営業は終了しました)流しそうめんのほかにも、地域の漁協で育てられたアマゴの塩焼きや地域集落のお米を使ったおにぎり、地域の野生クロモジを用いたお茶などを味わえます。そうめんのつゆは、真庭市に移住してきた東京で有名ガイドブックにも評価された料理人が監修しています。食べてみたかった「ガリトマト」は、欠品中か。1番レーンをゲット。取れなかったそうめんは下の配下で流し元に戻る仕組み。この麺つゆが、こだわりのつゆなのね。流しそうめん完食して、出る頃には駐車場一杯⁉️備中鍾乳穴を目指します。駐車場から降りていくと、ガスが出ていて、グッと気温が下がります。突如、岩山が裂けてて、洞窟が現れてます。入り口からもう涼しい。洞内は9°だって。探検隊出発🧭備中鍾乳穴(びっちゅうかなちあな)は、平安時代に書かれた「日本三大実録」に記された、文献に残る日本最古の鍾乳洞として知られる鍾乳洞です。全長約800mのうち、現在は約300mが観光洞として公開されています。日本一とも言われる22階層の鍾乳石からなる「五重の塔」や、高さ3m、直径5mの大石筍「洞内富士」などのダイナミックな景観に圧倒されます。観光はここまでなのね。でも奥にまだまだあるな。ここからは来た道を戻る格好になります。無事生還しました。駐車場の横にある売店です。ソフトクリームの種類がめちゃある北房から建部までは奥吉備街道を東進します。奥吉備街道は、岡山市北区建部の県道71号線から分岐して真庭市北房町の国道313号線草店までの山間部を走る延長42キロの広域農道。信号交差点は二カ所のみの走り易い快走路です。岡山県の広域農道の中で、一番距離が長いんじゃないかな?ここでも桃太郎がトラクターに乗ってますね。広域農道を満喫して、建部まで戻ってきました。暑いし、辛いカレーを食べた後、温泉入ってさっぱりして帰る予定だったんですが、時間をかなりずらして来たにも関わらず、スープカレー屋さんは超満員。カレー屋さんでは、待ち受けリストに名前だけ書いて、先に温泉にしました。温泉から出てきたら、バケツをひっくり返したような、土砂降りのゲリラ豪雨襲来温泉で傘を借りて、カレー屋さんまで徒歩で行こうと試みましたが、ちょっと歩いたら全身びしょ濡れ雨雲レーダー見ても、夜までは雨雲が消えそうにないのでもう、あきらめてカッパ着て家に帰りました。カレー屋さんごめんなさい。無事帰宅しています。全部干して、全部拭いて、風呂入って美味いビール飲んでます。ほんと、最後の最後でひどい目にあったな(笑)
2024年08月10日

【青春18きっぷで行く京都路】の2日目です。ホテルでゆっくり朝食食べて、遅い出発です。泊付の醍醐味やね。朝イチは三十三間堂からスタートです。本堂は、和様入母屋(いりもや)本瓦葺の総ヒノキ造り。南北118.2mという長大な伽藍はまさに壮観!奥行16.4mの平屋建てながら、かなりの迫力です。本堂を正面外側から見ると、柱の間数は三十五あります。三十三間堂の通し矢は、お堂西縁の南端から120メートルの距離を弓で射通し、その矢数を競ったものです。特に江戸時代に流行した「通し矢」は夕刻に始めて翌日の同刻まで、一昼夜に何本通るかを競うもので、軒下を通すことから「通し矢」と呼ばれるようになりました。通し矢は軒天井に当たらぬよう矢を射抜く必要があるので強弓を強く射なければ軒下を射通すことができないことから弓術家ひいては武家の誉れとして、各藩が自らの威信をかけて武芸者を送り込み、特に尾張、紀州の二大雄藩による功名争いは人気を呼び、京都の名物行事となりました。弓術家達の誉れとされた通し矢。その伝統を今に伝えるのが「大的大会」です。現在は1月15日に一番近い日曜日に「楊枝のお加持」大法要と共に行われています。古の通し矢とは異なり本堂西側の射程60mの特設射場で矢を射る「三十三間堂大的全国大会」として行われます。新成人参加者が振袖袴姿で行射する場面はこの大的大会の光景なんです。お堂の中央に鎮座されている巨像は、国宝の「千手観音坐像」。1000体の千手観音立像に囲まれて中心にいらっしゃることから「中尊」とも呼ばれています。像高335cm、手の数42本の木造千手観音坐像は、鎌倉時代に大仏師湛慶(たんけい)が弟子と共に完成させた大作。この大きな千手観音坐像の裏側には、等身大の観音様がいらっしゃいます。表からは見えませんが、内陣の裏側へ回った時に見ることができます。この千手観音坐像と、背中合わせの等身大の観音様は一心同体!あわせて1体とされているため、三十三間堂の千手観音は合計1001体と数えられています。三十三間堂といえば千体観音。国宝「千手観音立像」が有名です。中尊の左右にそれぞれ500体(前後10列×50体)、計1000体の千手観音様が並ばれた姿は、圧巻です。千手観音立像には手が40本あり、中尊と同じく穏やかな表情で合掌しています。特に注目すべきポイントは、1000体すべてお顔が微妙に違うんです。京阪乗って出町柳まで来ました。鴨今日は、下鴨神社の「みたらし祭り」の日なんですね。その前にちょっとかき氷でブレイク。今日も猛暑です正式名称は賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)。賀茂川と高野川が合流する場所に鎮座します。賀茂川の下流にあり、古くから賀茂御祖神社を表す際は「鴨」の文字が使用されたことから、下鴨神社(しもがもじんじゃ)とも呼ばれます。京都を拓かれた神様として信仰され、平安京遷都以降は国家鎮護の神社として、皇室や朝廷からも篤い崇敬を受けました。現在では国宝の本殿2棟をはじめとした多くの文化財や、太古からの植生を残す「糺の森」など、古代の息吹きを今に伝える京都の古社です。井戸の井筒の上に祀られていることから井上社と呼ばれる社殿前の御手洗池では、賀茂祭で斎王代の禊が行われ土用の丑の日には「足つけ神事」(御手洗祭)が行われます。御手洗池の底から湧き出る水泡をかたどったのが「みたらし団子」だといわれてます。土用の丑の日にこの池の清水に足をつけると疫病や脚気にかからないと信仰されています。御手洗池は、7月の土用になると池の周辺や川の底から清水が湧きでるところから、鴨の七不思議にかぞえられています。受付でお供え料をおさめてロウソクを受け取り、靴とロウソクを手に持ち、御手洗池へと向かいます。御手洗池にかかる輪橋の真下からいよいよ水の中へ。真夏とはいえ、この御手洗池は地下から湧き出る冷水が流れていて、涼を感じることができます。その冷たさに心身共に清められていることを体感できますよ。最終地点の御手洗社(井上社)前の祭壇にロウソクを献灯、そして無病息災を願います。ここに祀られている瀬織津比売命(せおりつひめおみこと)は罪、穢れを祓ってくれる神様ですのでしっかりお祈りをしましたよ。池から上がったところでご神水をいただきます。この水を頂けば無病息災、延命長寿にあやかることができますよ。旅の最後は、お気に入りの東洋亭で、ハンバーグステーキを頂いて帰りましょう。前菜のまるごととトマトサラダは、一つ一つ丁寧に湯剥きしたトマトをよく冷やし、ツナサラダの上にのせ、朝作りのドレッシングをかけた東洋亭の人気メニューです。これ旨んですよ。スパークリングワインで頂きますビーフシチューソースとハンバーグ、シチュー肉を一つ一つ丁寧にアルミホイルで包み、鉄板の上でパンパンに膨れ上がった状態でやって来ました。アルミホイルを開けた瞬間のソースの香りとジューシーなハンバーグがたまらんね。赤ワインで頂きます無事帰岡。途中京都→姫路の新快速の乗った車両の空調が不調で凄く暑かったトラブルはありましたが、姫路で買い足したビールでクールダウンしながら帰ってきました。青春18きっぷでリーズナブルにしっかり楽しめました。
2024年07月28日

長女がカナダへ短期留学中だったんで、鬼のいぬ間に青春18きっぷで京都へ行ってきました朝7時前の電車で岡山を出発。姫路で新快速に乗り換えて約2時間半程で京都入り。京都駅では京都パープルサンガ列車がお出迎え。梅小路公園駅で下車。最初の目的地は「京都鉄道博物館」ここね、ずっと来たかったんよ。念願かなって、やっと来れました。懐かしの0系新幹線がお出迎え。この0系は東海0系。同じ0系でも西日本版(ウエストひかり)は窓の下に1本青いラインが入っていたの知ってた?今日も暑いわ💦場外ブースに食堂車を発見。ちょっと混んでるけど、待ちますか。なつかしの「ブルートレイン」。今や死語やもんね。今日は車じゃあないから、朝から飲むよ場外ブースを散策して、山陽側ではあまりお目にかかれないDD54型1966(昭和41)年から40両が製造された大出力のディーゼル機関車。山陰本線、福知山線での使用を念頭に、非電化亜幹線用の牽引機として開発されたもので、「1000馬力のエンジンを2つより、2000馬力のエンジンを1機搭載する方がメンテナンス等が容易である」という、当時のヨーロッパの考え方を取り入れ、旧西ドイツで開発された大出力エンジンと、それに対応した液体式変速機を搭載しています。顔が西洋ぽいでしょ特殊な装置が災いしてメンテナンスが難しいために故障が多く、製造から間もない1978(昭和53)年までに、早々に全機が引退。現在は33号機が交通科学博物館を経て、京都鉄道博物館で保存されています。懐かしの0系新幹線はコックピットに乗れます。元祖、夢の200㎞/h超特急の、椅子がチャチいの。運転手さん、これで東京博多間を運転してたのこれまた、メーターパネルも寂しい感じ。もっとメカメカしてるのかと思ってたけど、そもそも0系って、1964(昭和39)年10月の東海道新幹線(東京~新大阪間)開通に合わせ誕生した車両なんだもんね。操作系のレバーも3本だけの超絶シンプル構造。自動列車停止装置(じどうれっしゃていしそうち、ATS: Automatic Train Stop)の説明もありました。クソでかい0系新幹線のATS。運転席の後ろに鎮座。懐かしの手書き図面の設計図もあった。これまた、懐かしの青焼き図面だし。さて、いよいよ館内に参りましょうか。館内は古いのから、お世話になったのから、乗れなかったのから、あこがれてたものまで、幅広く展示されています。中には乗車できるものもありますが、基本的には、車両保存を目的として展示されていますので、御触りまでですよ。昭和の駅の再現や、ホームの再現もされています。様々な種類の信号や、踏切の展示や、色々な分岐機や、電車のモーターや、様々な形式の鉄橋の紹介や、懐かしの鉄橋の遺構などが展示されています。特急の名盤や、蒸気機関車の機関車番号を見ながら2Fへ機関車番号は、エスカレータに沿って貼り付けられています。2Fへ上がったら、鉄道を支える駅の改札や、集中管理室、各車両のソファーの進化や、寝台列車の進化、食堂車の変遷など展示してあります。超でかい鉄道模型のジオラマが2つ。1つは子供の操作体験用、もう一つはショウイベント用。楽しみにしていたシュミレーターは、予想どおり完売。まあ、夏休みど真ん中だから、まず駄目だとは思っていたけど・・・。やっぱり残念・・・屋上に上がってきました。京都駅沿線の車両基地に隣接して作られているので、屋上から本物もたっぷり見れますよ。それでは、「扇型」を見に行きますか。その前に、トワイライトエクスプレスとブルトレ寝台列車がお出迎え。やって来ました。「扇型車庫」。ここの凄いところは、「扇型」に格納されているのが、全部SLだってことここまでSLだらけって、ここだけじゃねしかも、色んな種類があって、全部手入れが行き届いてる。こんな超旧式もあるし、現在、メンテ中の機関車もメンテ中を見せてくれる。とにかく車両が綺麗。蒸気機関も配管や車輪周りがとにかく綺麗。公園とかの屋外に永久陳列されている車両は、配管類や駆動部品を分厚く全塗装して、劣化防止してるから塗りたくった感で機械として美しくないんだけど、ここのは綺麗で、芸術品。萌え~車庫の煙突フード。実物初めて見た。何台かは、運転台に座れます。運転台も綺麗。機関士側も綺麗。椅子もひじ掛けも綺麗。こんな感じで、運転台から運転台に梯子できますこれだけの台数に乗れるのも珍しい。とにかく圧巻の扇型車庫でしたね。途中、クーリングを兼ねて、中華ランチをゆっくり食べて徒歩で西本願寺に向かいます。この日は超暑かったのよ。西本願寺は、本名は竜谷山本願寺。だから、敷地の中に竜谷大学の図書館があったり、道の反対側に竜谷大学の付属中、小学校があったりしたのか。竜谷大学は、本願寺阿弥陀堂の北に僧侶の教育機関として設立した学寮を起源としているんだって。西本願寺は、文永7年(1272年)、親鸞の廟堂として京都東山の吉水の地に創建。その後、比叡山延暦寺から迫害を受けるなど場所は転々とし、現在地には天正19年(1591年)、豊臣秀吉の寄進により大阪天満から移転してきました。先に豊臣側についた正当な後継者の三男側の本願寺「なもあみだぶつ、なもあみだぶつ」唐門(国宝) です。境内の南側、北小路通に南面して建っている。境内東側の御影堂門、阿弥陀堂門がそれぞれの堂への入口であるのに対し、唐門は書院(対面所)への正門。前後に計4本の控え柱をもつ四脚門形式で、屋根は檜皮葺き、正背面は唐破風造、側面は入母屋造の「向い唐門」。そもそもこの門が最初に本願寺に現れた年代や事情ははっきりしていないのがミステリー。西本願寺から東本願寺へ向かう仏具店が並ぶ門前町エリアにそびえ立つ、赤レンガが特徴的な本願寺伝道院です。生命保険会社の社屋として明治45年(1912)に建築され、銀行や診療所などを経て、現在は僧侶の教育施設の場になっています。設計は東京帝国大学の教授・伊東忠太によるもので、レンガ造りで、インドのイスラム様式のドーム、イギリスの建物をイメージしたレンガ壁など、さまざまな建築様式を取り入れつつ、千鳥破風を石造りした日本建築の意匠も見られます。東本願寺まで、歩いてきました。慶長7年(1602年)、徳川家康から烏丸七条に寺領が寄進されたことによって建立。豊臣と折り合いの悪かった長男を中心に、徳川側についた大谷派が後に東本願寺となります。「なむあみだぶつ、なむあみだぶつ」この日はあまりに暑かったので、奥さんは西本願寺で別れてバスで先に帰宿。私もそろそろ宿へ帰りますか。京都駅の向こう側までもうひと歩きです。宿へ着くと、着替えを購入してきた奥さんと一緒になりました。今日の宿は、大浴場付だったたので、一っ風呂浴びて、今日の主の目的は、次男の内定祝。コロナ真っ只中で大変な大学生活だったけど、内定おめでとさん。待ち合わせをしてホテル隣の銀座ライオンで乾杯居酒屋梯子して夜は更けていきました・・・・・・・・・・。
2024年07月27日

たまたま、ぽっかり1日予定が空いたので、急遽夏休みを取って、'24 7月の遠征ツーリングで浦富ジオパーク巡りに行ってきた。天気も何とか持ちそうだし、遠征に出てみますか。美作市から奈義町経由で智頭から鳥取道に乗って、道の駅「かわはら」で休憩。黒尾峠の山越えで雨にパラつかれたけど、山陰側に降りてきたら晴れてる。梨ソフトで一息。今日も暑くなりそうだ。浦富海岸の遊覧船乗り場に到着。このジオパークを海側から船で巡るのです。この赤色の航路の「小型船、冒険クルージングうらどめ号」に乗りたかったんだけど、強風のため欠航してる。欠航してるのは、出発時にネットで確認済みだったんだけど、風が強まっていて、「遊覧船、浦富海岸島めぐり」も欠航にかるかもしれないとのこと。受付のお姉さんが、12時の便は就航するけど、13時の便は分からないって言ってるから、昼食は後回しにして、先に遊覧船に乗ることにした。船尾の屋外席も惹かれたけど、この暑さの中、航海中約40分間ずっと外にいるのはしんどいかな。乗り込むとき船員さんが、「一番よく見えるのは一番前の席です。」って言ってたから、一番前の右側に陣取りました。右御回りだから、内側をゲットね。さて、出航。消波用のテトラポットの大きさが瀬戸内海とは、全然違う。デカい!!港から外海に出たとたん・・・。波がすごいの小型船であの穴の中にいるときに、この波がきたらひとたまりもないな遊覧船は負けずに東進していくんだけど、ドンドン波が強くなってくる。船長さんが、出航からマイクで、ずっと遊覧案内してくれるんだけど「今日は遊覧船でなく、何かのアトラクションだと思ってしっかり手すりにつかまって、航行をお楽しみください」って。一番前だから、一番揺れるのよ。もうジャンプ、ジャンプ状態ここで、遊覧を切り上げて帰港することになりました航路の半分しか遊覧できなかったから、半額返金されました。受付のお姉さんの言った通り、遊覧船も次便から欠航になりました。さて、お昼にしますかね。遊覧船乗り場横にある「あじろや」さんへここの港の「網代港」にちなんで「あじろや」さんかな?海鮮丼とイカ丼と悩みに悩んで、海鮮丼にしました。浦富特産のモサエビが食べたかったんよ。モサエビは5月までがシーズンだから、今日はないかもって思ってたんで、モサエビがある方をチョイスしました。美味かった食後、遊覧船乗場併設のお土産物屋さんで、お土産を物色して外へでたら、がらーん。まあ、遊覧船が全便欠航だから誰もおらんなるわね。一番目的の小型船で冒険できてないし、また今度やね。さて、次のお楽しみに向かいますか。さっきの遊覧船乗り場の看板にあった温泉を覚えてる?源泉かけながしの「岩井温泉」ね。この岩井温泉、田舎道に突然登場するのよ。こんな感じの、老舗の温泉宿がこの一角だけ、突然登場するの。オレンジが「明石家」さん、白い方が「岩井屋」さん鳥取県岩井温泉は、1300年の歴史を誇る山陰最古の温泉で、「湯かむり」という頭に手ぬぐいを乗せ、柄杓で湯をかむるという江戸時代から伝わる珍しい風習があります。温泉は、泉源から湧き出たそのままのお湯を浴槽に流しっぱなしで効能もたっぷりです。老舗旅館は2館とも日帰り入浴ありで、2館とも素敵な温泉を持たれていますが、ちょうど14時って両館とも日帰り温泉入浴できないんです。明石家 15:00~20:00岩井屋 12:00~14:00(要予約)大丈夫、ずっと開いてる共同浴場の「ゆかむり温泉」がありますよ。ゆかむり温泉は、昔より人々に親しまれ受け継がれてきた歴史ある共同浴場です。源泉は駐車場の一角にあり、47.6℃で湧いていて、湯船でちょうど適温になります。100%源泉かけ流しです。汗が引くまで、休憩室でゆっくりさせてもらいました。温泉街を散策していて気になったポスターがこちら。どうも地元の高校生が書いたポスターみたい。お昼にイカ丼食べなかったから、どっかでイカ焼き食べてやれって思って海岸沿いを戻って来たんだけど、イカ焼き屋がないな。浦富海岸まで出てみたんだけど、露店のイカ焼き屋さんはなし。ここ浦富海岸は、25年ほど昔、津山に住んでた時に泳ぎに来たこがあるな。懐かしいね。ジオパパークな海岸線を横目に、網代港まで戻ってみたけど、結局、イカ焼き屋は、無し。思い切って賀露港まで戻ってみたけど、大型水産物特売所「かろいち」は16時までで丁度閉まった所だった。残念。隣接する大型農産物直売所「わったいな」でアレを食べよう。わったいなのジェラート屋さんは、地元大山乳業の白バラ牛乳をベースに、地元産の果物でジェラートを加工販売しています。今のシーズンも期間限定で、ここの名産のスイカジェラートを販売しています。これ、前回夏にこれ食いに来た時に、期間が済んでて食べられなかった奴よね。やっと食べられました後は弾丸で帰るだけ。いつものスタンドでガス満タンにして戻ってきました。310㎞か、思い付きで出た割には結構走ったな~やっぱり思い付きで出ると、宿題がたくさん残ちゃうな
2024年07月04日

雨やら家事手伝いやら、消防団やらで、今月F8に全然乗れなかったんで、隙間時間を利用して、ランチ食べにF8を引っ張り出しました。岡山県って広域農道がたくさんあるって知ってた今日はその一つの、吉備高原線を行ってみますか。吉備高原線は岡山市北区吉宗~加賀郡吉備中央町西までの約33キロを結んでします。広域農道なんで山間部を縦断する形となっており、木漏れ日区間が多く、この時期涼しいのですが、コーナーの向こうに、落ち葉の吹き溜まりがあったり、側溝の水が溢れた大きな水たまりがあったりと各種トラップには十分にお気を付けください。途中に休憩所が何か所か整備されていました。広域農道には、各路線毎に通称名がついています。ここ吉備高原線は通称「吉備街道」なんですね。桃太郎がトラクターに乗っています途中にはこんな、どストレートや枝線にはダムがありました。吉備街道を終点までいって、吉備中央町で古民家レストランを発見。古民家下の駐車場に車がたくさん停まっていて、前々から気になっていたんですよね。中も古民家していて、大広間にソファが点在している感じここは、古民家カレー屋「まからも」さんだったんです。本日のカレープレートLLとマンゴーラッシーをオーダースパイシーで美味しゅうございました体がシャキッとしたところで、再び広域農道を快走して帰りました。
2024年06月29日

母の傘寿のお祝いに、弟家族と温泉津温泉に行ってきました。温泉津温泉を盛り上げようと、若い人達が入って来て、前に行った時と比べて、すごく町が明るくなってる。石見銀山の一角にあり、往時は積み出し港として賑わった温泉津。「温泉」を冠する名が温泉地としての歴史を示しています。町並み保存地区に指定された温泉街は全国で唯一です。夕食はレストラン&カフェバー「色 Siki」さんでディナーを予約してました。ワインで乾杯ここのデザートのバスクチーズケーキが絶品でした。早風呂組は、近くの神社ので演武される、石見神楽を見に行きました。遅風呂組は、薬師湯で温泉タイムです。時間があったら、薬師湯さんの隣のカフェでコーヒーでもって思っていたんですが、ゆっくり浸かりすぎましたかね。ちょっと時間切れでした。夜の温泉街をぶらっと散策します。各宿のランプがいい感じで黄昏感を演出しています。洒落たバーが出来てました。ここ以外にも、お洒落なお店が増えていて、町全体の好感度が上がってますね。一人旅なら、バーへ寄っていますが、今晩はみんなで部屋で飲む約束をしてるんで。まあ、明日も帰路4時間の運転が控えてますんで、程々にして就寝です。朝はちょっぴり早起きして、朝風呂に向かいます。今回の宿は、ドミトリー「WATOWA(わとわ)」。ドミトリーの2Fにある4名用の和室2部屋を準備しました。昨日、散策した温泉街を抜けて、薬師湯を超えて、薬師湯は朝は8時からなんですよね。朝6時からやってる湯元温泉へ6時過ぎに来たのに、地元の人で一杯ってどーゆーことさて、朝風呂組が帰宿したところで、朝ごはんへ行きましょう。温泉津の町の入口にある港の食堂「KAN」さん港の町で、「Kくう・Aあそぶ・Nねる」をコンセプトにした港の食堂」兼「ゲストハウス」です。【朝の部】7:30 ~ 9:00【昼の部】11:30 ~ 14:00【夜の部】17:30 ~ 21:00の3部構成で、夜は居酒屋もやってます。名物 温泉津(漁師)めし定食 1800円 を頂きます。家族が頼んだ、釜揚げ・しらす丼定食と半分個しました。 宿に帰るついでに、温泉津の町を散策します。昨日神楽の演武を見た龍御膳神社。背後に大きな岩がある。この岩、見る角度によると龍が吠えてるように見えます。この龍岩のすぐ下にあるのが、龍御前神社の本殿だそうです。宿をチェックアウトして、石見銀山に向かいましょう。銀山のある大森集落は、自動車乗り入れNGなんで、車は周辺駐車場に駐車して、乗り合い電気カートか、自転車での移動になります。集落の一番奥の山の手に間歩(銀山洞窟)があるので、何かしらの移動手段は必要なんです。前回来た時はケチって、普通の自転車にして間歩までの上り道で、すげー苦労したので今回は電動自転車をチョイス。自転車レンタル屋さんに駐車もさせていただきました。電動アシスト自転車を馬鹿にしてました。反省。こんなに楽なの!!80の婆も電動自転車をバリバリに乗りこなしていました。石見銀山で弟家族とはお別れ。今回は山陰に住んでる弟に、各予約をすべてお任せでした。スムーズにいきました。ありがとね。往路は尾道から北上しましたが、復路は米子経由で帰ろうかな。帰り道の道の駅で、地元のものをあれこれ買い込んだんだけど、先日のケンミンショーでやってたバラパンがない。ナビで検索したら、帰り道に作ってる「(有)なんぽうパン」があったから、寄ってみたら、「ここは事務所で売ってないから」、って近所のスーパーを案内してくれて、見事ゲット。車中で美味しくいただきました。まあ、ここまで来たんだから、大社寄って、10年前に古希のお祝いに来た時の願掛けのお礼をして、稲佐の浜で足を冷やして帰りました。あんたたち、ここって国譲り、国引きの神話で知られる浜で、この浜は旧暦10月10日に、全国の八百万の神々をお迎えする浜だってこと知ってんの?無事帰宅。やれやれ長い運転だったわい。米麴で作った地ビールで乾杯だ。前回は玉造、今回は温泉津だったから、次回の卒寿のお祝いは島根のどこにするかね。
2024年05月25日

'24 5月のちょい乗り【番外編】は日本のエーゲ海と言われる牛窓に行ってきました。奥さんのスマートを点検に出したら、A200が代車で出てきたので、この春から仕事の担当になった、牛窓界隈を回ってきました。「超」久しぶりの牛窓オリーブ園。高台にあって、この半島の周りを、ぐるっと見ることができます。牛窓は海沿いの高台にあって、地中海に似た雨の少ない乾燥した気候から、「日本のエーゲ海」と呼ばれています。牛窓って、果樹や野菜の栽培が盛んなんだけど、この農業用水って、この山々の向こう側のさらに向こう側の吉井川から延々とパイプラインで圧送してるんだってその距離って何キロになるんだろ展望台の下はオリーブ関係の売店とお土産屋さんになっています。このお土産屋さんでは、オリーブの苗木を売っていて、自分の結婚式の植樹の儀用に苗木を買いに来て以来だな。27年ぶりかあのオリーブの木は、転勤先にまで持っていって大事に育てていたんだけど、プランターの中で、大きくなりすぎちゃって、枯れちゃったなあ。実家の庭にでも定植してあけたらよかったな。牛窓のロッサさんへランチへ行ったんだけど、予約でいっぱい。前回もダメだったけど、今回のダメか。なかなか縁がないね。ロッサさんから何店か回ったけど、どこも丁度一杯。いつもなら店の外に列が出来てる「かいぞく」が、珍しく並んでないそ。ちょうど、ライダーご一行が出て来て、すんなり入れちゃった。「海賊ランチとえびめし」を頂きました。左の「えびめし」は大盛ね。ランチの後は、ちょっびり散歩。牛窓神社に参拝しましょう。ここって、参道が海水浴場の横から階段で上がっていくんだけど、途中から木々のトンネルをくぐっていくからちょっぴり神々しいんよ。階段を登り切った所に本殿があります。裏に駐車場があるから、階段上らなくても参拝はできますよ。でも、階段の途中にある展望台からみる、絶景は見えないけどね途中、奥さんと運転を変わるために、瀬戸内市立美術館の駐車場に車を入れたんだけど、「大森浩平展」をやってる!ここ瀬戸内市美術館って、館長さんがユニークで、いろんな面白いネタを自分の足で仕入れて来ては、展示してくれるので、気にしてる美術館なんです。この大森先生の鉛筆画も、以前ここ瀬戸内美術館でスポット展示している時に見に来て気になってたんですよね。しかも、初の個展とな。昔々、ちょっと絵描き(デザイナーね)を目指していた私としては、心惹かれますわ。シルバーの色目が鉛筆画には適しているのかな?このスーパードライの缶の絵も、製作動画をよくネットで見るな。このボルトの絵がネットでバスって、大森浩平の鉛筆画を世界に発信した絵。この日、たまたま先生本人が来てて、作品解説してた。少しだけ話が出来た。今回の個展用に書き下ろした「Gショック」時間や日付が個展のスケジュールを表している。自分的に今回の一番は、このスニーカーかな。近寄って見たときの、このレザーのシボ感の表現がすごいのよ。迷惑なくらい、近寄ってかぶり付いて見たわどっちが絵か、わかんなくなってきたケトルの表面に移っているのは、私ね。美術館は、役場の隣に立ってるんだけど、役場も含めて地中海風なんです。今日はA200も含めて、ラッキーDAYだったな
2024年05月19日

先々週アタックした【片上鉄道ロマン街道編その1】の積み残し分のリベンジのチャンスはすぐきました今日も子供の部活の送迎で、備前市まで来てます。今後も、ここがメイン会場になりそうな感じ。ここ湖ではなく、海なんですよ。片上湾は穏やかですね。いつもどおりここで朝食たべて、今日は日生を経由。県内のサイクリングの魅力を発信するプロジェクト「ハレいろ・サイクリング OKAYAMA」の中では、県内の8つの主要ルートと、周辺の37のサブルートが紹介されているんだけどその主要ルートの1つとして紹介されている「片鉄ロマン街道コース」では、ここ日生町の港が見える丘公園からみえる頭島~片鉄ロマン街道~津山市までの76㎞がコースとして設定されています。さて、片鉄ロマン街道の終点の「柵原ふれあい鉱山公園」にやって来ました。かつての片上鉄道の「吉ヶ原駅」は、公園内でそのまま保存されています。鉱石採掘の材料の揚げ降ろしや人員の昇降を担った竪坑櫓のレプリカ(高さを実物の約半分・12mに圧縮)がお出迎え。これで半分のレプリカなの廃線になっているので線路内に降りて歩いたり、レアなアングルでの撮影をすることも可能。写真映えを狙える、知る人ぞ知る穴場フォトスポットです。この日もたくさんのカメラマン達が、スタンドバイミー的な写真を撮ってました吉ヶ原駅から400m西へ行ったところにある黄福柵原駅は、在りし日の片上鉄道の駅舎を再現したベンガラ色の三角屋根で、昭和初期の雰囲気の休憩所兼駅舎です。この黄福柵原駅は、片上鉄道保存会が毎月実施していた、保存車両の試運転のために、吉ヶ原駅から西の廃線部を利用して作られました。駅から駅への試運転なんで、復刻感が増しますね。ただし、現在試運転イベントは休止中です。ちなみに、黄福柵原駅の"黄福"は、たまごかけご飯で知られる美咲町を象徴するたまごの黄身の黄色と、幸せを呼ぶといわれる黄色にちなんだもので、黄色で幸福をという意味の造語です。昔ながらの車両と駅が残っているので映画やドラマのロケ地としてもちょいちょい使われています。最近では映画「マンハント」や「とんび」で使われていましたね。さて、走り始めましょう。吉ヶ原駅から南下します。吉井川にかかる鉄橋跡を確認。ここは川の中に足が残っているだけです。前回の途中辞めした矢田まで走って、戻ってきました。赤磐市吉井町の台湾料理屋さんで腹ごしらえをして再び、吉ヶ原駅を目指します。食後の休憩は、吉井川の河川敷でまったりタイム。漁協さんの注意喚起看板が立ってました。さあ、戻ります。吉ヶ原駅まで戻って来たんですが、あの三角屋根の鉱山資料館が気になります。鉱山資料館は、東洋一の硫化鉄鉱山として栄え平成3年(1991)に閉山となった「柵原鉱山」の歴史や文化が学べる施設になっています。硫化鉄鉱は、硫黄や硫酸の原材料として利用され、江戸時代は鉄砲の火薬、明治時代以降にはマッチの材料や硫酸の生成材として重宝されていましたが、石油精製技術の向上で、安価に生成が可能となり採掘も役目を終えました。1Fの展示室に入ってすぐの場所にあるのは、鉱山町のにぎわいを再現したコーナー。柵原鉱山街の当時の暮らしが紹介されています。昭和30年代へタイムスリップしたみたいですね。部屋の中まで本物そっくりの鉱山社宅や、日用品が並ぶ供給所、自転車店やホルモン焼き店など、昔なつかしい町の雰囲気が体感できます。自転車店や居酒屋など、それぞれの建物に近づくと生活音が流れてくる演出もされていました。それでは坑内へ進みますか。この後の順路が地下なんですが、エレベーターも、階段も凝ってますね。エレベーターの表示も「坑内」と「地上」になっていて徹底してます。エレベーターを降りると、そこはもう地下400mの坑道の中。採掘作業と鉱脈の説明をしてくれています。ゴール地点の「吉ヶ原駅」へ戻ってきました。この駅舎は、国指定の登録有形文化財(建造物)なんですよ。そもそも片上鉄道は、正式には同和(どうわ)鉱業片上鉄道線といい、備前市と久米郡柵原町を結んでいた、路線総延長33.8km、7駅を有する民営鉄道です。1919(大正8)年、当時の片上町の有志が片上軽便鉄道の建設を計画します。それに片上町と柵原鉱山を所有していた藤田組(後の同和鉱業)が協力し、片上鉄道株式会社が創立されたことが、片上鉄道の始まりです。駅構内は実際に入って見学ができます。ホームに設置された木製の駅名標やベンチ、待合室、石造りの改札など、当時の姿のまま保存されています。当時使用された電車もそのまま展示されており、線路もそのまま残っています再び備前市へ戻り、子供をピックアップして帰ります。今日も暑かったんで、帰り道にある醤油屋さんで醤油ソフトクリームを食べて帰りました。
2024年05月18日

子供の部活の試合会場が交通の便の悪いグランドだったので、その送迎の隙間時間を利用してポタって来ました。朝イチ、子供を試合会場で降ろして、まずは無料駐車場がある備前市のサイクルステーションへ。本日のポタ会場は「片鉄ロマン街道」です。「片鉄ロマン街道」は、1991年に廃線した片上鉄道跡を利用して作られた、JR西片上駅付近から和気駅を経由し柵原ふれあい鉱山公園まで続く距離約34kmのサイクリング道です。以前は、柵原鉱山から港に鉱石を運ぶために敷設された片上鉄道がありましたが、それが廃線になり、自転車・歩行者専用の一般県道備前柵原自転車道として整備されました。ほんの一部一般道を走りますが、ほとんど自転車・歩行者専用のサイクリング道は、鉄道跡なので、起伏が緩やかで初心者の方でも思う存分楽しめますよ。サイクルステーションから、ゼロ起点へ出てここから34Km先の柵原ふれあい鉱山公園を目指します。老舗のお菓子屋さんで途中の休憩用に甘いものを買って出発です。本日は5月5日子供の日ですからね。廃線跡ですから、トンネルもあれば、鉄橋もあって、駅もありますよ(笑)途中に大きな井堰がありました。和気町の備前矢田駅までやって来ました。ちょうど全行程34Kmの半分くらいかな。今、お昼過ぎです。これからゴールの柵原ふれあい鉱山公園まで行って、帰ってくるとなると、ちょっとお迎えの時間に間に合わないかな今回は半分制覇として、残りは次回としますか。再び、備前市方面に来た道を戻ります。備前焼の狛犬さんも、ちょっぴり悔しそう。廃線ですが、信号が残ってました。天瀬駅まで戻ってきました。ここ天瀬駅は、地元が駅舎を綺麗に管理してくれてるんです。ここでお昼のお弁当にしましょう。駅中には、マンガ『推しが武道館いってくれたら死ぬ』の作品に登場するキャラクターが和気町出身ということで、キャラクター看板が立ってました。来るときに渡った、鉄橋を横目に和気町の町中をショートカットします。いや、逆に遠回りか無事、サイクルステーションに戻ってきました。本日の走行距離は、約半分の距離17㎞×2(往復)で34㎞でした。休憩込みの4時間弱で34Kmなら、まあまあのペースかねさて、子供を迎えに行きますかね。大会終了までもう少し時間があるみたいなんで、カフェで時間潰しますか。備前市のカフェ「東風」さんで、うまいコーヒーのアフォガードを頂きます。大会が終わったので、会場で子供をピックアップ。今日はお互い暑かったんで、サイクリングロードの横の国道で、再び和気町に戻って温泉で汗を流して無事帰宅しました。次の大会も、同じ会場みたいなんで、次回の送迎時に残り半分を制覇ですね。
2024年05月05日

'24 5月の遠征ツーリングは、 「高砂パワースポット巡り」ツーに行ってきたよ。8:30 山陽道下り線、瀬戸PA着。瀬戸PAは現在改装中。誰もおらんね。今日はソロツーかもね。第二集合場所へ急ぎましょう。9:30 姫路バイパス下り線 別所SA着。そもそも、県北発組との待ち合わせ用にここを第2集合場所にしてたんだけど、下道で先乗りしていた2台と合流。県北組は参加なし。今日はこの3台で回ります。第1のパワースポットは、生石(おうしこ)神社。神代の昔、大穴牟遅(おおあなむち)と少毘古那(すくなひこな)の二神が、天津神の命を受けて出雲国より播磨国に来られた時に、二神が相談し国土を鎮めるに相応しい石造りの宮殿を建てようとしたとさ。一夜のうちに現在の形まで造ったが、工事半ばで阿賀の神(あがのかみ:播磨の土着の神)の反乱が起こり、宮殿造営を止めて現在の神爪地区に多数の神様を集めて反乱を鎮圧している間に夜が明けてしまい、宮殿は横倒しのまま起こすことがでなかったそうな。しかし二神は、宮殿が未完成でも二神の霊はこの石に籠り、永劫に国土を鎮めんと言明されたとな。以来この宮殿は石宝殿(いしのほうでん)、鎮の岩室(しずのいわや)と言われるようになったそうじゃ。第10代崇神天皇の御代に、日本全土に悪疫が流行して人民死滅の危機になっての、ある夜二神が天皇の夢枕に現れ「吾が霊を齋き奉らば天下は泰平なるべし」とのお告げがあったので、此処に生石神社が創建され、以来悪疫も終息して天下泰平となったとさ。石の宝殿は、国の史跡で横6.4m、高さ5.7m、奥行7.2mの巨大な石造物。石の宝殿は、宮城県鹽竈神社(しおがまじんじゃ)の塩竈、宮崎県霧島東神社の飛地境内の天逆鉾(あめのさかほこ、あまのさかほこ)とともに「日本三奇」の一つとされています。水面に浮かんでいるように見えることから「浮石」とも呼ばれています。誰が何の目的でどのように作ったかはわかっていません。宝殿山の山頂へ行ってみましょう。上からみたら、この石の宝殿の巨大さや、突飛さが分かります。本当にここにポンっておいてある感じ。それよりも、この山頂への参道が、巨石に階段を彫り込んであるのがすげーな。また、岩盤の山頂が、だだっ広くて素晴らしい。ここだけ別世界だな。大正天皇が来られていた。行幸の碑が建立されている。この辺りは、古墳の石棺や石橋などの材料となる竜山石の産地で、周囲の山には、削られ垂直に切り立った山肌がみられます。現在も建築や造園用の資材として採石が続けられています。山頂からは、海岸沿いの高砂の工業地帯が一望できます。御神体のパワーを頂きたいなら、脇にある御神体の分岩「霊岩」へ。全身の力を込めて霊岩を押した手で、体の弱いところを撫でると、御利益があるといわれています。さて、第2のパワースポットは、鹿嶋神社へ。鹿嶋神社のシンボルといえば、こちらの大鳥居!!通常鳥居と言えば木や石で作られていることが多いですが、この鳥居はチタンでできています。高さは26mにも及んでおり、日本全国の鳥居の中でも第5位とされています。ちなみに気になる第1位は熊野本宮大社(和歌山県)。2位は大神神社(奈良県)、3位は彌彦神社(新潟県)、4位は最上稲荷(岡山県)と続いているようです。鹿嶋神社は、昔から「かしまさん」と呼ばれ身近な神様として、地域に親しまれているようです。 特別な一つの願い(受験・就職・手術の成功など)を必ずかなえてくれる「一願成就」の神様としても有名です 。この鹿島神社は境内から裏山の高御位山へつながっており、登山の方も多くいました。鹿嶋神社の右手から登り、百間岩を登り鷹の巣山を越えていくコースで、ここ一帯は、播磨アルプスと言われています。あれか…。駐車場から高御位山頂まで約2時間のコース。今日は時間的にちょっと無理だな…。祈祷殿前の巨大な石碑には南面(参道側)に「鹿嶋大神」、北面(祈祷殿側)に「一願成就」の文字が刻まれていました。巨石碑の横の祈祷殿では、車の交通安全祈祷の真っ最中でした。木々に包まれた参道は清々しい空気が流れる。びっしりと並んだ苔むした石灯籠は壮観です。階段を登ると本殿が見えてきます。御祭神は鹿島神こと武甕槌命(タケミカツチノミコト)と、香取神こと経津主命(フツヌシノミコト)。ここは、本殿に摩ると願掛けが成就する「摩りダルマ」様がいらしゃるからダルマを推しているのかな参道の、どのお店でもダルマを売ってた。だるまみくじにチャレンジ中吉が出ました。色々と心に刺さることが書いてあります。その昔、月に一度、神社に農家が餅を奉納していたことに由来して、ここは柏餅が名物なんですね。それで参道の売店では、どこも柏餅を作っているんですね。つぶあん、こしあん、よもぎ、焼きもちなどバリエーションも豊かで、「春まで落ちない縁起の良い葉」カシワの葉で餅を包んでおり、受験などに縁起の良い食べ物とされています。ここの柏餅は、上皇様が皇太子の時に行幸された際に献上されたそうです。出来立ての暖かいのを頂きました。甘くなくて、うまい。さて、高砂の古い街並みにやって来ました。加古川河口の港町である高砂は、海運と加古川水運との結節点として栄えました。高砂港には、北前船も寄港しており、高砂市は日本遺産「荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間~北前船寄港地・船主集落~」の追加認定を受けていました。いまもなお、江戸時代に造られた町割りが残り、兵庫県歴史的景観形成地区に指定されています。レトロな商店街にやって来ました。高砂といえば焼きあなご播磨灘から明石海峡一体にかけて良質な豊漁区に恵まれ、昔から脂ののった、あなごが獲れていました。香ばしい香りと風味豊かで柔らかな歯ごたえ、素朴なのに深みのある味を明治35年から守っている「下村商店」さんへ。お昼前なんで、もう売り切れかな?って思っていましたが、なんとか「焼きアナゴ」残ってましたよ。「焼きアナゴ」をゲットして、更にディープな商店街へ凸入します。DEEPでしょ(笑)ここ「そらまめ」さんでアナゴ料理を頂きますか。なんと!予約完売となそらまめさんの対面の模型屋さんがいい味出してんのショーケースの中は珍品、名品が目白押し私が若きモデラーだったころ、買えなかった品がゴロゴロあるし、今だったら、これら幾らすんの?っていうか、展示品の箱の中にキット入ってんの模型屋に後ろ髪惹かれましたけど、かなりお腹がすいたのと、次の店も完売だったら路頭に迷うので、次のお店に急ぎます。もしかしてと思って、アナゴのお店を数店ピックアップしておいて良かったわ次の店は、昔街並みの高砂堀川湊横にある「かき幸」さん思っていたよりも大きなお店で、なんとか大丈夫みたいです。もちろん、狙いは「名代穴子重膳」ね。創業大正9年の、高砂町の老舗料理店。店内はJAZZが心地良く流れ落ち着いた雰囲気で建物を含め老舗感を醸し出してます。「名代穴子重膳」登場!穴子様しっかり入っております!当たり前ですが、美味しくいただきました。御馳走様でした高砂神社はすぐ目の前です。松どころ高砂でも特に有名なのが、高砂神社の相生の松です。高砂神社は、社伝によれば神功皇后が出兵のとき、大己貴命の神助を得て敵を平らげ、帰途この地に国家鎮護のために大己貴命を祀られたのが始まりで、創建まもなく境内に生え出たのがこの相生の松だと伝えられています。相生の松とは、根が一つで雌雄の幹が左右に分かれた松のことで、ある日、尉と姥の二神 が現れ「神霊をこの木に宿し、世に夫婦の道を示さん」と告げたことから、霊松として人々の信仰を集めるようになりました。御神木いぶき。謡曲「高砂」の登場人物である阿蘇の神主友成が杖にしていた木を地面に突き刺したところから発芽したといわれています。ここはめでたい謡(うたい)として結婚式に欠かせない謡曲「高砂」の舞台で、物語は高砂神社の相生の松によせて、夫婦愛と長寿を愛で、人世を言祝ぐ大変めでたい謡です。物語は九州阿蘇宮の神官らが都へ上る途中、高砂の浦で、松の落葉を掃き清めている老夫婦に出会った。その松は、高砂と対岸の住吉(現在の大阪市)の両方にあり、場所は離れているのに、同じ「相生の松(あいおいのまつ)」と呼ばれていた。なぜ松の名前が同じなのか神官らが尋ねると、老人はこう答えた。「私は対岸の住吉の者、妻はここ高砂の者でございます。松と同様、海を隔てた夫婦ですが、時と場所をへだてても、心が通い合う夫婦の愛は変わりございません。」そう言うと老人は「住吉で待つ」と言い残し、舟で沖に去っていった。実は、老夫婦は松の精であった・・・・・・・・・・。夫婦愛、長寿の理想をあらわした謡曲であり、高砂神社は縁結びのパワースポットと呼ばれているんですね。江戸時代の高砂の実業家、工楽(くらく)松右衛門(まつえもん)(1743~1812年)が着工し、工楽家3代にわたる55年をかけた工事で、1866(慶応2)年に完成させた高砂港向島突堤が、土木遺産に認定されたとのことなんで、県立高砂海浜公園へ高砂港向島突堤は、工楽松右衛門築造の高砂港防波堤の一部が改修等を重ねながら残されており、港湾築造の技術を現代に伝える貴重な土木遺産です。このまま、高砂の銭湯に寄って帰る予定だったんだけど、今日クッソ暑いのと、銭湯の開店時間まで2時間ほどあるのとで、今日は帰りますか。相生の埠頭で、デカいクレーン船を発見かなり遠くからアームが見えていたんだけど、近くにきたら、本当にデカいのよ。これって、第二音戸大橋を運んで来て、ポイっと架設したクレーン船やね。大規模な海洋土木の現場の写真に必ず写ってる、深田サルベージ建設さんの「武蔵」どうやってもカメラのアングルに全部が入りきらんのよ。下道をおさふねのサービスエリアまで戻ってきました。お家まで、あともう少し。ここ、あと2日で建て替えの休業に入るんです。レストランは何回か来たことあるけど、温泉は初めて。約2年のリニューアル工事を経て復活の予定です。無事帰宅。約250㎞のツアーでした。ガソリンは明日入れに行きます。今日のお土産は、「下村商店」さんの焼きアナゴ。その日のうちに再び火入れして、酒の肴で美味しくいただきました。付いていた山椒もよかったけど、個人的には、ワサビで食べるのが美味かったな。最後の切れ端は、小さきく刻んで、ひつまぶしみたいにして食べました。高砂神社で、疾風巡拝もすまして、ご刻印を頂いて帰りましたよ。
2024年05月04日

ここのところインカムの電池がフル充電でも、1時間も保たなくなっていて、受電しながら使用したりと、だましだまし使ってきてたんだけど、操作時にガリ音も入ったりと、使用に際してストレスが溜まって来ちゃうんで、思い切ってポチりました。今つけてるセナのインカムだけど、思い返せば前の前のヘルメットからお世話になってるから足掛け10年くらい使ってるのかな?今回はビーコムのビーコムプレイをチョイス。ビーコムのインカムシリーズの廉価版です。ブルートゥースによるペアリングで、携帯での通話や再生音が聞けるだけで、インカム通信はできません。おひとり様仕様ってことね機能が限定的だからか、メッチャ小さくて、メッチャ軽いのよ。チャチャっと装着終了。レポートは次回以降かな。
2024年04月21日

'24 4月のちょいトレは、最近パワースポットとして人気のある倉敷市水島の木華佐久耶比咩神社(コノハナサクヤヒメジンジャ)に行ってきました。木華佐久耶比咩神社は本国総社神名帳に神階従4位下木華佐久耶比め明神と記載され、備前国式外128社の内の一つです。また中世から明治に至るまで福南山明現宮と称され、熊野五流一山の修験道場として栄え、近世においては備前池田藩累代の御祈願所として崇敬されてきました。戦前戦中の崇敬者は、県南全般に及び福南山の神社として広く知れ渡たっていましたが、戦後昭和23年不審火により社殿を焼失し、現在山頂には奥宮として、石祠を残すのみとなりました。奥宮のある山頂の展望台からは、瀬戸内海を一望することができます。ここは境内で最も強いパワースポットとも言われています。徒歩で30分ほどって書いてあったから軽い登山かな。下の鳥居の横には、杖がたくさん置いてありました。杖がいるということは・・・。この軽い登山が、軽くないの・・・。ずっと登っていて、全く平坦なところがない途中で鳥居出現。こんな大きい材料、よくここまで持ってきたなあ。ここで到着じゃあありません。ここから、再び登って行きます。これがパワースポットの入口天然の鳥居不思議な形の木が迎えてくれます。山頂の奥宮に到着。振り返ると、眼下に瀬戸内海と瀬戸大橋が広がります。確かに石祠を残すのみなんですが、歴史とパワーを感じる、凄い不思議な感じ。奥宮をぐるっと回って、さて下山です。今度はずっと下ってるんですが、ガレ場が滑るのよ。無事下山。木華佐久耶比め命は、大山祇命の御子であり、天照大神の御孫、瓊々杵命の御妃となられ、桜の花の如く心身ともに麗しく日本国最古の国母の女神です。木華佐久耶比め命(コノハナノサクヤヒメ)はとても美しく、天照大御神 (アマテラスオオミカミ) の孫である、邇邇芸命 (ニニギノミコト) に求婚されます。邇邇芸命(ニニギノミコト)と結婚した木華佐久耶比め命(コノハナサクヤヒメ)は、一夜で身ごもりますが、邇邇芸命(ニニギノミコト)はそれを自分の子ではないのではないかと疑います。その疑いを晴らすため、木華佐久耶比め命(コノハナサクヤヒ)は、本当に邇邇芸命(ニニギノミコト)の子であれば何があっても、無事に産めると産屋に火を放ち、火の中で火照命/火明命 (ホデリノミコト)・火須勢理命 (ホスセリノミコト)・火遠理命 (ホオリノミコト)という三柱の子を無事出産します。※日本書紀や古事記の中でも、この親子関係には 諸説ありますね。だから、この木華佐久耶比咩神社では「美の増進」や「安産」、「災難除け」や「縁結び」といった御神徳があるんですよ。本殿は出入り自由で、お守りや御朱印が置いてあります。お代は賽銭箱に奉納するようになっています。ちょっとお昼時間で、どこのお店もいっぱいだったんで阪本鶏卵の工場直売所で卵サンドと卵シャーベットでちょっぴり腹ごなし。奥さんのリクエストが「洋食」だったんで、水島と言ったらココ。ピンクのお城が目印の「ニューリンデン」昼に寄ったら、駐車場に入れなかったから、時間ずらしてきたんだけど、まだ駐車場は一杯。やっと駐車場に入って、外で30分ほど待って・・・。オーダーストップが14時なんだけど、なんとか13:55に入店。中は無国籍とレトロ感が同居する、古き良き喫茶店でした。奥さんはレディスランチ(1,100円)私はリンデンCランチ(1,450時)をオーダー。ボリューム満点。お腹いっぱい食後の運動がてら通仙園へここは、瀬戸内海国立公園内でつつじの名所なんです。毎年、自生の約3,000本のコバノミツバツツジが咲き誇ります。遊歩道も完備されていて、瀬戸内海の多島美と水島の工場群という、自然と人工的な景観の両方が楽しめます。工業地帯の景色は、ここ通仙園と、鷲羽山スカイラインの水島展望台がメジャーで、工場夜景ハンターが集まります。ぐるっと児島の下津井まで出て鷲羽山スカイランを北上して、夜景スポットの水島展望台まで戻ってきました。子供も夕方には帰ってくるし、晩御飯の支度もあるから水島ICから高速で帰還します。先日、奥さんが偶然見つけてきた木華佐久耶比咩神社にある奥宮に行ってみたいということで、参拝に付き合ってきました。全然簡単なハイキングじゃないじゃん
2024年04月20日

'24 4月のちょいポタは、近所のうどん店と、和菓子工場に行ってきました。もともと近所にあったうどん屋さんが、移転してリニューアルしました。お腹もすいたんで、ちょっとポタってみますか。城東高校南に移転した、うどん「きんぎょ」さん。麺が美味いと評判です。リニューアルは、セルフ形式になって復活です。醤油うどんをチョイス。確かに麺がつるつるシコシコで美味いわちょっと面白い「七味」と「一味」を発見。「一味」は確かに鬼びっくりだった。一旦帰宅して、近所のスーパーへ買い物へ。せっかく自転車出したんだし、自転車で行くかってことでスーパー通り越して、すぐ近くの和菓子屋さん「大手まんじゅう」さんの工場へ。ここの工場でしか食べられないソフトクリームがあるんです。ここのあんこの味が独特でそれを使ったソフトクリームも独特で美味しいのよ。スーパー寄って、晩御飯の材料買って帰ります。奥さんに、「お互いカゴがないからね」って言ってあったのにいつも通り買ってる・・・。肩からかける折りたたみ式のスポーツバックを持って行ってて良かったよ・・・せっかくなんで、大手まんじゅうさんで、和菓子を1個ずつ買って帰った。ポタって、甘いもの食って、散財してたら、絶対に痩せんわな
2024年04月14日

'24 4月の遠征ツーリングは、「尾道向島ツー」に行ってきました。集合時間の8:30に道口PAにいたのはフォルツア先輩のみでした。今日はこの2台で回ります。福山西IC→松永道路→高須IC→R2と渡ってきました。尾道市街地内の「ゆとりの広場」駐輪場へ駐輪。ここから徒歩で移動です。かなり昭和な商店街ですが、これが結構活気があふれてるんですよ。しまなみ海道のサイクリングの発着点として、グルメの町として、「くう」「あそぶ」「ねる」をテーマに地元企業が頑張って賑わいを創出しています。さて、朝ごはんは、朝ラーにしましょう。それにしても目印が小さいな大胡商店(オオエビスショウテン)さん細い路地の中にあります。土日は7:30からやってます。店内がいっぱいだったら、外にもテーブル席があります。私は尾道ラーメン大盛、先輩は瀬戸内塩ラーメンをチョイス。朝からガッツリ頂きました。御馳走様でした。本通りに戻って、すぐの所。アイスクリームの「からさわ」さんへ。ここ、手作りアイスクリームのお店。尾道は、こんな面白いお店が所狭しと、たくさんあるのよ。そりゃ活気づくってお店でイートインもできます。お店の向かいの海辺にもベンチが置いてあるのでそちらで頂くことにしました。ド定番のアイスモナカ(¥180)をチョイス。パリパリのモナカの皮に広島県世羅産たまごがたっぷり入ったアイスクリームを挟んでいます。注文を聞いてから作るのでパリパリサクサクの触感がたまらない。ちなみに季節によりいろんなアイスが楽しめます。2月~3月 いちごアイス。4月~9月 たまごあいすの一種類のみ。10月~3月 抹茶、ごま、チョコなどがありますよ。バイクを取りに駐輪場へ戻りましょう。ここ「つたふじ」さんは、昔ゼファーに乗ってた時のZEPS.NETのOFF会で、よく来ましたよね。この後バイクを取って来て、前を通ったら、開店20分前にも関わらず、15人くらい並んでた・・・。こっちもよく来た「朱華園」。2019年6月に惜しまれながら閉店した尾道ラーメンの名店「朱華園」ですが、創業者 朱さんの奥様が娘さんと一緒に名店の味を受け継ぎ、「朱華園」から徒歩1分程度の新店舗で、2020年11月16日に中華そば「朱」として、復活していました。さて、本日の目的地の向島へ渡りましょう。渡船で渡ります。大人100円+バイク10円船内で、おじさんが集金に来てくれます。便は時刻表が決まっていません。お客さんが乗ったら出発です。この尾道渡船さんは「日本一短い船旅」というキャッチコピーが有名で、NHKの朝ドラ「てっぱん」のロケに使われた渡船なんですよ。両岸ともにお客さんがいないときは、呼びボタンを押せば、対岸から迎車に来てくれます。ほんの5分ほどで、対岸へ到着。上陸です。ここ向島は、大林宜彦監督の新尾道三部作のロケ地なんです。ちなみに、尾道三部作は、①転校生(1982年)、②時をかける少女(1983年)③さびしんぼう(1985年)新尾道三部作は①ふたり(1991年)②あした(1995年)③あの、夏の日(1999年)です。岩子島に向かって出発です。岩子島に渡って、海沿いの公園へバイクを停めて、西岩岳山頂を目指します。西岩岳山頂の手前にあるのが、ゆるぎ岩。絶妙なバランスでのっかる横長の岩。不安定にみえますが、実はかなり安定しており、人の力で押したところでゆるぐことは全くありません。たぶんね・・・。ゆるぎ岩の上から、視界一面に広がる瀬戸内海の景色が疲れを癒してくれますね。岩子島の北西部、尾道水道の西端にある2つの無人島は現在は三原市に属しており、それぞれ「大鯨島」と「小鯨島」、纏めて「鯨島」とも呼ばれています。ちなみに、岩子島は国内トップの生産量を誇るワケギの産地として有名なんだって。浜省も幼少期にこの島に住んでたんだってさて、海沿いに戻って「厳島神社」へ広島県尾道市の岩子島にある厳島神社は、総本社である宮島の厳島神社の分社です。浜辺に建てられた朱塗りの鳥居と灯籠が特徴で、潮の満ちると海の中に浮かぶ美しい光景を見ることができます。これ西向きだから、夕日がきれいだろうな。浜ノ浦隧道は1958年(昭和33年)に完成した長さ70mの素掘りトンネルです。素掘りトンネルはアーチ側壁部が覆工コンクリートで被覆されていないトンネルのことで、吹付けトンネル・無巻トンネルの総称です。一部吹付け、一部無巻でした。再び向島に戻って、高見山へ向島で一番標高が高く、村上水軍全盛期のころは格好の見張り場として利用されたところです。標高283mの高台にある展望台は絶好のビュースポット。展望台にはベンチがあるので、じっくり景色を眺めるのもオススメ。そういえば、因島大橋って歩いて渡れたな・・・。ウシオチョコラトルは、高見山から急な坂道を下った学校みたいな建物の中にあります。この建物って、失敗したハコモノ行政のなれの果てかな・・・。「立花自然活用村フラワーパーク」の色褪せた看板が目印。ここではカカオ豆の仕入れから加工、包装まですべて自分たちで行っていて、カカオ豆と砂糖のみで作るチョコレートはカカオの産地別に数種類あります。芳醇なカカオの香りが立ち込める店内には、瀬戸内海を望めるカフェスペースもあってカカオミルクなどのドリンクもおすすめです。チョコレートの種類も豊富。通販もありますよ。今日は暑いので、テイクアウトはやめてここで頂いて帰ります。おしゃれなカフェスペース。カカオソーダーフロートとカカオミルクをオーダー。初めての味だ。カカオがスパイシー??ずっと来てみたいって思ってて、やっと来れた。今日があまりに暑くって、チョコ持って帰れないなって残念に思ってたんだけど、ここで食べたらよかったんだね・・・。しまったナ・・・。さて、因島大橋まで戻ってきました。てくてく歩いて渡ってみましょう。もちろん歩行者は無料です。ここは、前に自転車でしまなみ海道を走破したときに、渡り済みです。まあ、徒歩なんで景色はゆっくり見れますけどね。赤い橋は朝イチで訪れた岩子島へ渡る向島大橋。向島大橋は、広島県の「岩子地区農林漁業用揮発油税財源身替農道整備事業」により、広島県尾道市向島(むかいしま)と岩子島との間に架けられた橋です。1968年(昭和43年)7月13日に供用開始されました。当時の農林省が所管する事業としては始めての経験だったため、我が国で初めての渡海農道橋とされています。因島へ渡りました!再び、向島へ戻って島内を1周します。渡船乗り場近くの後藤鉱泉所は、昭和5年に創業したお店です。90年近く営業を続ける老舗で、昔懐かしの瓶入りのサイダーやラムネといったジュースを販売しています。「鉱泉所」とは、日本の炭酸飲料の製造を担ってきた場所になります。後藤鉱泉所は今では数少ない鉱泉所の1つです。手書きの看板が出迎えてくれる入口から店内に入ると、板張りの天井をはじめとして、レトロな雰囲気を醸し出す懐かしの風景が目に入ります。「マツコの知らない世界」で紹介されてましたね。再び渡船で本土へ戻ります。市役所の駐輪場に置いて、再び徒歩で散策します。市役所前に「おのみち映画資料館」が出来てた。今日は時間がないからオミット。次回は覗いてみたいな。晩御飯は、渡し場通りテラス内の「渡し場通り食堂」のアナゴ丼にしましょう。来る前から晩御飯はここにしようと決めてました。アナゴが1匹丸々のってます。さて帰りますが、お土産を物色。どーしても八朔大福が買って帰りたかったのよ。今日は暑かったから、一風呂浴びて帰ろう。尾道って、サイクリストの拠点になっているので、市内に銭湯や温泉旅館がたくさんあります。そんな中で見つけた昔ながらの銭湯「大宮湯」さん。昔ながらの「ゆ」の暖簾をくぐるとそこから、男湯、女湯の入口が分かれています。この扉の間に番台さんが座っているのね。中も超レトロ。昭和2年創業だって。この秤なんて、㌔の横に貫の単位で測れる目盛りが付いてたよ。湯舟はこんな感じ。丁度、一番風呂で誰も居なかったから、写真を撮らせてもらった。私のほかにも数人いたけど、みんな裸で写真撮ってた写真の左上のお城の壁画は女風呂の壁画ね。緑枠のガラスの「つい立」の上は、女風呂とつながってる。ホント昔の銭湯やね。ちなみに、冷蔵庫にあった向島の後藤鉱泉所の炭酸飲料は工場長直売店の半額だった。銭湯のおじさん曰く「ウチは昔から原価で置いてるから・・・。」って言ってたけど・・・。いつものGSで給油して、20:30に無事帰還。約260㎞の旅でした。これくらいの距離が旅先でゆっくりできていいね今日のお土産は、後藤鉱泉所のクラフトコーラと黒白餡の八朔大福と八朔シャーベット。八朔シャーベットは凍らせていただきます。今日ちょっぴりショックなことが・・・。ライダースジャケットのシンプソンのロゴが溶けてる。しかも、溶けた塗料がバックにべっとり移ってるやん今日そんなに暑かったっていうか、普通溶けへんやろ・・・。
2024年04月13日

'24 3月のちょい乗りは、3月16日(土)に、井原市の田中美術館に行ってきました。朝食は、浅口市の「ぶしの花道」で、朝定食で大飯食らっちゃおうって思ってたんだけど、なんと、準備中もしかして、モーニングやめちゃったのかここを今日のツーリングの集合場所にしてたんで、少し同行者を待ってみたけど、誰来ないな。本日ソロツー決定。今日のツアー催行アナウンスが昨日の午後だったからね。さすがに昨日の今日じゃ参加できんわな笠岡まで来て、フェリー乗り場前の「山ちゃん」へ。ここは早朝から開いてるはずだか・・・。まさかの準備中この流れ、前もあったな・・・。しかもマスターの体調不良で営業スケジュールも変わっとる。今日の休みもマスターの体調不良が原因か・・・。モーニング難民になってしもうた・・・。笠岡駅前まで出て、「坂本」へここの開店は9:30のはず・・・。開店時間前だけど、ヘルメット脱いでたら、暖簾が出た。バイクの音が聞こえたのかな?ラッキーここ「坂本」は、創業昭和33年から続く笠岡ラーメンの有名人気ラーメン屋さんです。暖簾が出た途端、みんなが続々やって来た。急げ店内には常連さんが、もうすでに座ってました。開店時間前でも準備が出来たら開けてるのかな?ここは日曜定休日で、月~土の営業時間は9:30~13:30頃スープか、麺が無くなったら、おしまいって事ね。メニューは潔くって、大盛700円と普通盛600円のみ。しかも大盛は10:00までだって。もちろん大盛をオーダー。醤油ラーメンはスープの色が濃いかと思いきや、味は鳥の旨味たっぷりのいつ食べても飽きないあっさり懐かしい味です。なんと坂本のスープは、カシワ・醤油・水だけでつくられているんですよ。僕のあとから入って来た福山のライダー2人組。この後ろのRCカラーの赤銀のマシンってなんだ?すごいコンパクトなんだけどホンダのV型となるとVTR1000なのか?井原市まで北上して、田中美術館へ。ここは、前回11月に紅葉を見に来たね。前回紅葉時は、鏡獅子の本物が帰ってきてなかったからね。前回紅葉時には、2月に帰ってるのが分かってたから、美術館はパスしたんです。平櫛田中(1872~1979)は岡山県井原市に生まれた、近代日本を代表する彫刻家です。本名を倬太郎(たくたろう)と言い、田中家から平櫛家に養子に入ったのち、田中(でんちゅう)と号しました。107歳でその生涯を閉じるまで、明治・大正・昭和の三代に渡って活躍しました。 岡倉天心と西山禾山に思想的な影響を受け、伝統的な木彫技術と西洋の彫塑を学んだ田中の作品は、観る者を引き込む緊張感と、人間味あふれる豊かな創造性を持っています。 六代目尾上菊五郎をモデルに約20年の歳月をかけて完成した《鏡獅子》(東京国立近代美術館蔵、国立劇場展観)は、平櫛田中の代表作として知られています。この鏡獅子が、東京国立劇場のリニューアルのために、一時的にここ田中美術館に里帰りしているのです。本物を間近で見ることができる絶好のチャンスなんです。じっくり鏡獅子を鑑賞できました。美術館の外には岡倉天心先生が釣り竿もって立ってます。田中は天心先生を本当に尊敬していたんですね。美術館に隣接する田中庵。紅葉の時には、ここへ櫂の木を見に来ましたね。公園の中に、代表作や田中の名言がちりばめられています。今日は、車検のために、F8をデーラーに持ち込まなきゃいけないので、あんまり時間が無いのよね。だから寄り道は、どーしても行ってみたかった神辺の古民家カフェ「アンジン」さんへ江戸時代の庄屋屋敷をリノベして、昨年の10月にオープンしたカフェ。築200年以上の歴史的建物で、一息入れるには最高の場所です。お庭の管理も行き届いています。珈琲もたくさんあるし、ランチメニューにも惹かれたんだけど、朝ラー大盛食べてあんまりお腹空いてないのよね・・・。濃い目の珈琲と固いプリンをチョイス。このプリンが食べたくて、ここのお店寄ったんだけどね。お庭を見ながらの、まったりタイムがええね。せっかく天気もいいので、下道で帰りました。帰りにディーラー寄って、車検に出して帰りました。なにもかも値上がりしてるけど、車検も値上がりしてた。いままで8万弱だったのが、9万超えてた!!やっぱりオイルは自分で交換します・・・。明日は消防操法大会の区予選だ
2024年03月16日

'24 3月のちょい乗りは、3月10日(日)に、お好み焼き三笠に、カキオコを食べに行ってきました。お店は、岡山ブルーライン虫明インター出口右すぐです。お店の上の高架は、ブルーランです。インター出て高架下を目指せばすぐです。注文は、テーブルに着いて、テーブル横の注文札を親父さんが焼いてる鉄板の横に持っていきます。牡蠣丼(\1,000)が来ました。牡蠣丼と牡蠣汁とサラダに漬物が付いてます。牡蠣がこれでもか!!ってくらい載ってます。牡蠣丼食っても食っても牡蠣が減らない・・・。一体何個入ってんねん。程なく牡蠣玉(\1,000)が来ました。こいつも牡蠣がこれでもかっ!てくらい載ってます。表面のカリッと焦げてる部分は全部牡蠣です。一体何個入ってんねん。鰹節と青のり、マヨ、追いソースは各卓にあるのでセルフサービスです。ああ、お腹いっぱい。このカードを持っていけば、精算してくれます。ここの親父さんは、牡蠣漁師なんです。直営店?なんで、この量が載ってくるんですね。今日の昼食で、今年1年分の牡蠣たべましたわせっかく出てきたんで、ちょっと寄り道して帰りましょう。邑久長島大橋を渡って長島へこの島には、2つの国立ハンセン病療養所があります。1907年7月に、日本を5つの区に分割し、それぞれの区に療養所を設置することになりました。第三区域:京都府、大阪府、兵庫県、奈良県、三重県、岐阜県、 滋賀県、福井県、石川県、富山県、鳥取県、和歌山県第四区域:島根県、岡山県、広島県、山口県、徳島県、香川県、 愛媛県、高知県この第四区域の療養所に該当するのが長島愛生園です。もう一つの邑久光明園は、第三区の療養所として大阪に建設されていましたが、1934年(昭和9年)9月の「室戸台風」により壊滅してしまい、大阪ではなく、ここ長島に再構築されたものです。日本で初めての国立ハンセン病療養所、長島愛生園。1930年に作られたこの建物は、園の運営に関する業務を1996年まで行い、現在は長島愛生園歴史館として開館しています。見学は無料です。私が見学していた時は、係の人は不在でした。時間もたっぷりあったので、資料館の映像室のDVDをすべて見たんですけど、これが一番勉強になりました。これを見て館内を見て回るのが一番わかりやすいです。ハンセン病は、らい菌という抗酸菌がおこす慢性の感染症です。おもに皮膚、末梢神経を侵しますが、眼、鼻・のど・口などの粘膜、一部の内臓にも病変が生じます。1873年に菌を発見した医師ハンセンにちなんで、ハンセン病という病名が用いられています。昔は有効な治療法がなく、国の政策として療養所への隔離が行われていました。現在ハンセン病は薬によって完全に治癒する病気となっています。現在入所している方は、ハンセン病による後遺症を患っている方です。資料館ではハンセン病の歴史や、社会的弱者に対する偏見や差別、患者の生活の様子や、法律を変えるための運動や事件などが、わかりやすく解説されています。多くの入所者が上陸した収容桟橋の跡。入所時、家族などの付添い者もこの桟橋までしか入ることができず、入所者にとっては社会や家族との別れの場所でした。入所するとまずこの収容所に収容され、各種の検査や入所手続きが行われます。現金などの禁止物品の取り上げ、消毒風呂への入浴、持ち物の消毒なども行われました。持ち物はすべて消毒されており、家族に持たされた時計なども消毒され、錆びて使えなくなったそうです。入所者は、まずここで、消毒が完了するまで、約1週間もすごしていたそうです。 昭和6年(1931年)「癩予防法」が制定されました。各地に療養所が建設され、療養所への全てのハンセン病患者の強制収容が進められていきました。全国各地でハンセン病患者をゼロにすることを目的とした「無らい県運動」が官民一体となって活発に行われるようになりました。昭和28年(1953年)、「癩予防法」は「らい予防法」に改正されました。この頃には有効な治療薬が普及しているにも関わらず、強制隔離を続け、退所規定が設けられませんでした。一度療養所に入所したら一生そこから出ることができなかったのです。この法律の存在が世間のハンセン病に対する偏見や差別をより一層助長したといわれ、患者はもとよりその家族も結婚や就職をこばまれるなど、偏見や差別は一向になくなりませんでした。また、ハンセン病であることを隠して療養所の外で暮らしていた方々も、差別を恐れ、また、適切な医療を受けられないなど大変な苦労をしました。ハンセン病患者の隔離政策が終わったのは、「らい予防法」が廃止がされた平成8年(1996年)です。 平成10年(1998年)入所者などによって、らい予防法違憲国家賠償請求訴訟が提起されました。「らい予防法」は日本国憲法に違反するものであるとして国家賠償を求める裁判を起こし、平成13年(2001年)に原告の訴えを認める判決が熊本地裁から出されました。国は控訴断念を決めるとともに、患者、元患者に謝罪しました。こちらは監房。開園と同時に設置され、秩序を乱した者や逃走した者が収監されていました。総合案内所の中にある、ハンドリップの珈琲、地元の野菜を中心に丁寧に作った週替わりの定食が人気のカフェ「さざなみハウス」。自家製ケーキやその他ドリンク、モーニングもしていますよ。オーシャンビューの窓際席がすべて埋まっていたのがちょっぴり残念。島の道路沿いのあちこちに立っているスピーカー。ハンセン病の後遺症により目が悪い入所者が多いので、島道のいたるところにスピーカーがあって、放送が流れるようになっていました。海の先にぽっかり浮かぶ手影島は、潮がひくと、道が現れて渡ることが出来るんです。島の長島神社の鳥居のシルエットと相まって、何だか神秘的な眺めです。今日は潮加減がちょっと無理っぽいですね。島には野生の鹿がたくさんいるんです。しっかりお見送りしてもらいましたよ
2024年03月10日

昨日は、楽しいお酒を沢山飲んじゃったんで、ちょいトレッキングで、強制的に酒抜きします。そう言えば、コークオンでもらった無料ジュースチケットが1本あったなあ。使用期限も近いし使っちゃおう。ウチから程近い「龍之口山」へ登山口まで歩いて来ました。参道が登山道になっています。参道の前半戦は岩がゴロゴロした、ガレ場がメインです。登山道中盤からガレ場が山道に変わって来ました。山頂手前の交差点へ到着。龍之口山は、登山口が、あっちこっちにあってここの交差点で交わる様になっています。ここからが、本格的な参道になります。あの鳥居をくぐると、苦行の石段ゾーンが始まります。石段ゾーン開始これ、実は凄い登ってんのよ。キツイ蹴上がりの石段が続きます。山頂の八幡宮到着いつもは正月休み中に参拝に上るんだけど、今年の正月はちょっとバタついてたからね結構、登ってきてるんですよ。この参道って、この界隈でスポーツやってる子供たちは正月明けの練習初めの日に走って上がらせられるんです。自分もそうだったし、うちの子達もそうでした。ここは、学業の神様で知られていて、市内の受験生たちがお参りに来るんですよ。ウチの受験生にも、学業成就のお守りを買って帰ります自分の時も、上の子の時も、真ん中の子の時も、奥さんの資格試験の時もお願いに来ました。神様、今回もお願いしますね
2024年02月12日

正月以降F8に、なかなか乗るチャンスがなくって、どーしても初乗りしたくて、強風の中F8で超ドデカハンバーグを食べてきた。この3連休乗る気満々だったから、金曜日早く帰ってきてバッテリーチャージャーで充電しといたんだわ。インジケータはフル充電表示になってるBMWは電気系が特殊だから、BMW専用コマンドの付いたオプティメイト4。実は前のXBの時もオプティメイト4を使ってたんだけど、こいつはノーマル仕様だったから、BMWには使えなかったんだわ。っていうことで、実は充電器2個持ってんのよホントBMWのCANバスシステムは、いらん金がかかるわ。エンジン1発始動で快調ですそもそも昨日バッテリーチャージャーつける前にセル回してみても、1発でかかったんだけどね。ちょっぴり反応が悪かったんで、念には念をいれてのチャージャーセットだったんよ。今日は、午前中はデリカの点検回収があって、「さて昼から乗るか」って所で、通り雨に「ざざっ」とやられちゃったので、遠出せずチョイ乗りになっちゃいました。近所のレストラン「ツモロ」さんすごい外観でしょ。これ真冬でこれだから、夏はもっとすごいのよ。さて、ここへ来たらハンバーグステーキ1択(¥1,100円)です。この大きさで、この厚みなんで、先に電話で予約しておけば焼きの準備をしてくれてるんです。今日も、ほとんど待たずに、出てきましたよ残念ながら、いつもの「ビーフ100%」が売り切れちゃってたんで、「合挽」になっちゃたんだけど、肉汁具合はこっちの方が美味しいかな中まで熱々で、肉々しくて、大満足でした明日は休日出勤の予定だったんだけど、出掛けたついでに、仕事済ませちゃおうっと。
2024年02月10日

ちょっと空いた時間で、ちょっこっとポタリングをしてきました。奥さんの自転車は本日がシェイクダウンテストだな。その前に、腹ごしらえ。西大寺方面で、バイパス傍のぶっかけ蕎麦「山や一休庵」さん間口はそんなに広くないんですが、中に入ってみてビックリ。中は結構広いんだな。リーズナブルな蕎麦や丼物を提供してくれるのは事前リサーチ済みで、こっちの方面に来るときはいつも気になっていたんです。お昼時は、いつも駐車場がいっぱいなんだよね。具材全部載せの「雷電そば」と、蕎麦とヒレカツ丼のセットをオーダー。どっちも美味しかったよん食事が済んで、外に出るときには、建物の外まで行列が出来てた。昼の満車が納得やな。さて、ポタリング開始。東区役所横の百花プラザからスタートです。東区役所から約1Kmほど離れた所にある「西大寺観音院」ここは天下の奇祭「はだか祭り」西大寺会陽の開催寺になります。会陽は例年2月の第3土曜日に行われます。会陽(裸祭り)は、天下の奇祭として広く知られていますが、その歴史は遠く奈良時代に始まります。東大寺良弁(ろうべん)僧正の高弟、実忠(じっちゅう)上人が創始した修正会、即ち新年の大祈祷を開山の安隆上人が伝え、毎年旧正月元日より14日の間厳修されていました。永正7年(1510年)忠阿(ちゅうあ)上人の時、修正会の結願の日参詣の信者に守護札を出したところ、これを戴く者は福が得られると希望者が続出し、やむなく参詣者の頭上に投与したので奪い合いとなり、身体の自由を得るために裸となり、無垢の信仰心は水垢離となり、遂に修正会と不離一体の今日の会陽の形が成り立ったと伝えられています。現在でも、19日前の事始から宝木取り、宝木削りを経て、修正会(しゅしょうえ)を行います。修正会は14日間厳修され、会陽当日の午後10時、いよいよ結願となります。浄暗のもと、万余の裸群が犇めく中、山主により宝木が投下され、我こそは福男にと、境内いっぱいに争奪戦が展開されます。有料観覧席からは、本堂における宝木をめぐる裸たちの戦いを、裸たちの目線で見ることができます。たまたま、今日は節分祭をやってました。会陽から約2週前の節分は会陽に向けて神事が始まる頃で、これから、会陽に向けて盛り上げていく、前夜祭的な位置づけになっています。今回は西大寺は生んだアニソン界の重鎮?デュオ「アンジェラ」の2人と、岡山が生んだWBA世界フライ級チャンプ、ユーリ阿久井選手、スペシャルゲストで来た、宇喜多秀家と豪姫と一緒に1年の開運招福、厄災消除、無病息災を祈って、年男、年女、厄年の応募者が登壇して豆をまきます。これを3セットしたんだけど、全然取れなかった。これがね、みんな必死なのよ。目の前を子供がちょろちょろしてて危険結局奥さんが豆袋を1つゲットしただけだったわ崔宝亀8年(777年)、安隆上人(あんりゅうしょうにん)が大和の長谷寺で修行三昧されていたとき”備前金岡庄の観音堂を修築せよ”と夢にお告げがあり、上人は直ちに西国に下向し藤原皆足姫の擁護のもとに海路を船で急ぎ金岡の庄に向かう途中、児島の槌戸ノ浦にさしかかった時、犀角を持った仙人(龍神)が現れて『この角を持って観音大師影向の聖地に御堂を移し給え』と霊告されました。 こうして安隆上人は犀角をこの聖地に堂宇を建立し、法地開山されたのがこの現在のお寺であり、この時の寺号を「犀角を頂く寺 犀戴寺(さいだいじ)」と号しました。しかし、承久の乱(1221年)で後鳥羽上皇が執権北条義時への倒幕の祈願を込めたの時の御宸筆により「西大寺」と改められたそうです。だから、西大寺のマスコットは崔なんですね。西大寺の古い街並みをポタって、奥さんの案内で老舗の和菓子屋さんで調布と、きんつばを購入。そもそも、俺は地元なんで、勝手知ったる場所なんだけど、この店、うちの嫁さんよく知ってたな…途中、裏通りで模型屋さんを発見。駐車場も完備してたしまたゆっくり来なきゃいかんな。知ってるようで知らない西大寺を満喫してきました。古い街並みなんで、車で入るのが億劫な道がたくさんあるんだけど、チャリなら新しい発見があるね。
2024年02月04日

NEWマシンが来た。ポチッとして約1週間で来ました。ダホンの箱に入ってきた。折りたたみ状態で、きっちり梱包してくれてます。箱から出して、コキコキ組み立てて完成。折りたたみを戻すだけだからね。それにしても、この色渋いな。おれのジオスのプルミーノより使ってるパーツ良くないか??ダホンのBoardwalk D7でした。もうすぐ奥さんの誕生日なんで、ちょっと奮発して誕生日プレゼントです。たまに貸してね。
2024年01月22日
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