~弾丸ツーリングREPORT~

~弾丸ツーリングREPORT~

2023年11月19日
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カテゴリ: TEAMツーリング
'23 11月の遠征ツーリングは、
「伊予の小京都ツー」に行ってきました。



9:00 鴻池SA着。
今回は、フォルツア250先輩と2台で回ります。



豊浜SA、石鎚山SAで休憩しながら、
伊予の小京都「大洲」を目指します。



強風がすごくて、休憩多めで来たんで、
予定より1時間遅れて到着。



臥龍山荘から回ります。




三千坪の山荘で、大洲藩3代藩主加藤泰恒が
「蓬莢山(ほうらいさん)が龍の臥す姿に似ている」ことから
「臥龍」と命名したといわれています。




逸品揃いであり、山々と肱川・如法寺河原の自然をとりいれた
借景庭園は、自然と人工の典雅な調和をみせ、
四季折々に違った顔を見せてくれます。



庭園内や臥龍山荘から臨む趣深い景色には、まさに忘れかけた
「茶の心」や「日本の心」が今なお息づいています。



文禄年間、この地は藤堂高虎の重臣、渡辺勘兵衛が
広大な屋敷を構えていたところで、「勘兵衛屋敷」の
名で呼ばれていました。



その後、この地をこよなく愛した泰恒公は、
吉野の桜・龍田の楓を移植し、
庭園に一層の風情を加えたため、
歴代藩主もここに遊賞しましたが、
やがて手を入れられることもなく荒廃していきました。




現在の臥龍山荘は、1897年に木蝋の輸出で成功を収めた
大洲出身の貿易商河内寅次郎が購入。



相談役に京都の茶室建築家八木甚兵衛、建築担当は
大洲藩作事方の家計を継ぐ大工棟梁中野虎雄らで
プロジェクトチーム結成し、構想10年、施工4年の際月と
延べ9000人の人手を要して建設し、




平成28年7月25日には臥龍院、不老庵、文庫の3棟が
国の重要文化財に指定、



さらに令和3年には庭園を含む一帯が国の名勝に指定され、
その価値や魅力が高まっていますよ。

























不老庵は、臥龍淵を眼下に見る崖の上に懸り造りに建てられた
数寄屋造りで、庵そのものを船に見立てて作られており、
天井は竹網代一枚張りを船底の形のような形にしてあります。












対岸の冨士山右端から月が昇り、天井に反射して部屋を明るくする
巧妙な趣向が施されています。




2間の曲がり竹を落とし掛けにし、
違い棚をつけない簡潔な仕上がりです。



入口縁続きに大徳寺庵孤篷庵に見るような
素朴な意匠の茶室があり、外に出て裏に廻ると
生きた槇の木を使った「捨て柱」が見られます。
これは建築当時、懸り造りの基準に使われたもので
建てられています。













知止庵は、臥龍院と同時期に浴室として建てられた建物。
昭和24年に内部を改造して茶室とされました。



「知止」の扁額は大洲藩第10代藩主加藤泰済の筆です。
陽明学者中江藤樹の説いた教えから「知止」という
庵名が生まれました。



臥龍院(がりゅういん)は、母屋は周囲に調和した均整の美を
取り入れ、屋根は茅葺、農村風寄棟の平屋建てとして
全国各地より吟味した銘木を使用し、隅々にまで計算し尽くされた
設計です。



材料の精選、着想の秀抜、加えて名工の卓越した技術が
相まって里には稀な名建築となっています。



臥龍山荘の門をくぐれば特徴的な石積みがすぐ右手に目に入り、
「乱れ積み」「末広積み」「流れ積み」と変化を持たせた
石積みの中に生きた「チシャの木」が繁茂し、
自然と人工の共存を感じさせてくれます。



次に石垣の中に埋め込まれた石臼に目をとられます。
流れ積みの中に船に見立てた石があります。













「おはなはん通り」は昭和41年のNHK朝のテレビドラマ
「おはなはん」のロケが行われたことから由来しています。



ここには、江戸時代の町割と家並等が忠実に残されており、
当時の庶民の生活の一端を知ることができます。



北側の蔵並びは商屋のもので、南側は武家屋敷でした。



また、この通りは、商屋と武家屋敷の境界にあたるためと、
城より臥龍の地にある藩主の別邸へのお成道とし
使用されていたため他の通りよりも広くなっていると言われており、
他にも商屋の火事が武家屋敷に飛び火しないように
配慮していたとも考えられています。








赤レンガ館方面へ



大正時代から残る赤レンガ倉庫「旧程野製糸繭倉庫跡」



「臥龍醸造 GARYU BREWING」(ガリュウブリューイング)
さんは、2021年9月23日にオープンしたビアバー&カフェ。
です。



「クラフトビール×町おこし×障がい者福祉」でをキーワードに
障がい者の皆さんへの『新たな就労機会の提供』に、
クラフトビール造りを結びつけたのが、臥龍醸造の始まりだそうです。



店内は、1階が販売スペース、
2階は、おしゃれなイートインスペースとなっていました。



2Fのイートインスペースでは軽食とビールが頂けるんですが、
行っても飲めないので、上がりませんでしたけどね大笑い



伝統的なイギリスのペールエールのスタイルながら、
クラフトビールを飲みなれない方にも飲みやすいように
モルトの加減とホップの香りと苦みをバランスよく
仕上げているそうですよ。



今後も大洲産のキウイや栗、イチゴなどをふんだんに使用した、
オリジナルクラフトビールを楽しみにしてますね。



「ぽこぺん、ぽこぺん、だぁれが突っついたか」
昔、誰もが遊んだ缶けりやかくれんぼ。
あの懐かしさが漂う横丁を再現しています。



そこは、まぼろし商店街1丁目。
ホーロー看板や軒を連ねるお店、個性的な店主により、
昭和30年代のレトロ空間が広がっています。 



地元商店によるなつかしグッズ、骨董品、昔遊びのおもちゃ、
中華そば、コロッケ、からあげなど、
子供から大人まで楽しめる野外イベントです。



けん玉やゴム銃、ベイゴマなどで遊べる昔遊びの
体験コーナーもあり、時には、音楽ライブなどもあるそうです。
昭和にタイムスリップしたような体験を味わうことができます



大洲レトロタウン「ポコペン横丁」の奥には、
旧沖本倉庫と呼ばれた漆喰の蔵があります。
そこは、まぼろし商店街2丁目。
おくすり臥龍堂、まぼろし商店街2丁目交番、床屋、
雑貨屋などが並ぶ横丁です。
雑貨屋の奥には昭和30年代のお茶の間があり、
実際に上がることも出来ます。



おおず赤煉瓦館は、明治34年(1901年)12月に
大洲商業銀行の本店として建築されました。
建物は主にイギリス積みの煉瓦建築で、屋根には和瓦を葺き、
鬼瓦に商の字を入れた和洋折衷の様式が特徴です。
当時は、木蝋や製糸の製造、そして舟運による流通の拠点として
大洲が隆盛を極めた時代でした。








地元料理を出してくれる「油屋さん」
赤レンガ館の前にあるんですが、ちょうどお店についた時が
オーダーストップだった。

ランチ難民になって、町中ウロウロしてるときに・・・。



2021年9月20日にオープンした
「カフェいよ路/Wheel」さんを発見スマイル



2Fは喫茶で、それ以外は旧車展示館

しかも喫茶は営業中



愛媛ナンバーのライダーさんも、続々登場びっくり



まず、先に腹ごしらえですわ。
日替わり定食のハンバーグが旨かった。



昼食たべて、ドリンクタイムでまったりした後、旧車の見学。
2Fは2輪が展示。



スズキのロータリーエンジン搭載車。
福山の展示場にもあったよね。
しかもコイツは、キックスタート



マッハⅢがたくさんあったぞ。



我々世代には憧れのドカティのマイクヘイルウッドレプリカ。
昔タミヤのプラモデルで、よく作ったよたな。



お隣は、6気筒モンスターのCBX1000。
これも子供の頃の憧れやね。

コイツもタミヤのプラモデルでお世話になったなあウィンク



アマゾネスもある
これってVWのエンジン積んでたやつかな



古~い、原付自転車や、



昔の家の電化製品やら、思い出の品の数々。



ちょっと俺たちの世代よりさらに前かな・・・。



さて、1Fへ
1Fは四輪旧車の展示です。



まあ、外せないスカG。程度極上。



それ以外も、旧車続々。



しかも、俺の好きな車が続々。



サバンナのステーションワゴン
RE12でリアにAPバッジが付いてた。



もしかして、コロナマークⅡGSS なのか?



たまんなーい大笑い



トライクや、サイドカーも豊富。



R32も渋いね



小さくて可愛いいシリーズや、



オート三輪も各世代大集合。



オーナーがコツコツ小遣いで買い集めてきたコレクションが
すごいよねびっくり



肱川の河畔に望む大洲城は、元弘元年(1331年)
鎌倉時代末期に守護として国入りした伊予宇都宮氏の
宇都宮豊房によって築城されたといわれ、その後、
藤堂高虎等によって大規模に修築がなされ、
伊予大洲藩の政治と経済の中心地として城下町は
繁栄していきました。








明治維新後は、城内のほとんどの建築物が破却されたものの、
地元住民の活動によって本丸の天守・櫓は一部保存されましたが、
明治21年(1888年)老朽化により、惜しくも天守は解体されました。



その後、大洲城を愛する地元住民の城郭への保護活動と、
市民による寄付等によって平成16年(2004年)に復元されました。



四層四階の複連結式天守の復元にあたっては、
明治時代の古写真や「天守雛形」と呼ばれる
江戸期の木組み模型など、豊富な資料を基に
当時の姿を正確に復元されました。



このように復元に必要な多くの資料が残っていることは
大変稀なことで、大洲城の天守の復元は、
まさに地元住民の想いと、史料研究の集大成と言えます。



現在、江戸時代から残る台所櫓・南隅櫓など4棟の櫓は
国の重要文化財、城跡一帯が県指定史跡に指定されています。



戦後復元された木造天守としての四層四階は日本初で、
19.15mの高さは日本一となります。



また、本来なら建築基準法では認められない規模であったため、
当時、愛媛県に建設計画をなかなか認めてもらえませんでしたが、
2年近い折衝を経て、保存建築物として建築基準法の適用除外となり、
往年の複合連結式による天守群の復元にいたりました。



使用された木材はすべて国産材で、天守の内部に足を踏み入れれば、
城郭建築特有の迫力ある木組が訪れる人を驚かせます。













大洲城では、JR四国の観光列車「伊予灘ものがたり」が
鉄橋をゆっくり渡るとき、大洲城本丸からのぼり旗を振って、
歓迎しています。



参加無料で、観覧が終わって丁度城を出たときに
アナウンスの放送があったので、一緒にのぼり旗を
振ってみましたよ



向こうの鉄橋上に見える、2色の電車が、
JR四国の観光列車「伊予灘ものがたり」








来た道を帰ります。
途中、さぬき豊中SAで休憩。

あれ、食券じゃなくて、セルフうどん屋になっています。



晩御飯は、讃岐うどんにしました。



いつものスタンドでガス満タンにして帰着。
505㎞の、弾丸ツーリングだったなあ。

帰りの瀬戸大橋が、事前の道路標識で風速15mの表示
だったんだけど、これがすごいの

車体を斜めにして進まないと風に押されて
海に落ちそうだった。

後で知ったんだけど、風速15mって2輪車通行止めの
ラインなんだって。
通行止めになる前でよかったよ。



お土産は、臥龍醸造のクラフトビール
これ1本800円なの。

お店のお姉さんが綺麗だったんで
ついつい買ってしまった。



いま、HOTな話題の
じゃこ天ね。



あと、ポエムね。
スタンダートと秋栗バージョン。

やっぱり500㎞超えたら泊ツーやな。





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最終更新日  2023年12月01日 23時33分35秒


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