青春18きっぷで京都へ行ってきました![]()

朝7時前の電車で岡山を出発。
姫路で新快速に乗り換えて約2時間半程で京都入り。
京都駅では京都パープルサンガ列車がお出迎え。
梅小路公園駅で下車。
最初の目的地は「京都鉄道博物館」![]()

ここね、ずっと来たかったんよ。
念願かなって、やっと来れました。
懐かしの0系新幹線がお出迎え。
この0系は東海0系。同じ0系でも西日本版(ウエストひかり)は
窓の下に1本青いラインが入っていたの知ってた?
今日も暑いわ💦
場外ブースに食堂車を発見。
ちょっと混んでるけど、待ちますか。
なつかしの「ブルートレイン」。
今や死語やもんね。
今日は車じゃあないから、朝から飲むよ
場外ブースを散策して、
山陽側ではあまりお目にかかれないDD54型
1966(昭和41)年から40両が製造された大出力の
ディーゼル機関車。山陰本線、福知山線での使用を念頭に、
非電化亜幹線用の牽引機として開発されたもので、
「1000馬力のエンジンを2つより、2000馬力のエンジンを
1機搭載する方がメンテナンス等が容易である」という、
当時のヨーロッパの考え方を取り入れ、旧西ドイツで開発された
大出力エンジンと、それに対応した液体式変速機を搭載しています。
顔が西洋ぽいでしょ
特殊な装置が災いしてメンテナンスが難しいために故障が多く、
製造から間もない1978(昭和53)年までに、早々に全機が引退。
現在は33号機が交通科学博物館を経て、京都鉄道博物館で
保存されています。
懐かしの0系新幹線はコックピットに乗れます。
元祖、夢の200㎞/h超特急の、椅子がチャチいの。
運転手さん、これで東京博多間を運転してたの
これまた、メーターパネルも寂しい感じ。
もっとメカメカしてるのかと思ってたけど、そもそも
0系って、1964(昭和39)年10月の東海道新幹線
(東京~新大阪間)開通に合わせ誕生した車両なんだもんね。
操作系のレバーも3本だけの超絶シンプル構造。
自動列車停止装置(じどうれっしゃていしそうち、
ATS: Automatic Train Stop
)の説明もありました。
クソでかい0系新幹線のATS。運転席の後ろに鎮座。
懐かしの手書き図面の設計図もあった。
これまた、懐かしの青焼き図面だし。
さて、いよいよ館内に参りましょうか。
館内は古いのから、
お世話になったのから、
乗れなかったのから、
あこがれてたものまで、
幅広く展示されています。
中には乗車できるものもありますが、
基本的には、車両保存を目的として展示されていますので、
御触りまでですよ。
昭和の駅の再現や、
ホームの再現もされています。
様々な種類の信号や、踏切の展示や、
色々な分岐機や、
電車のモーターや、
様々な形式の鉄橋の紹介や、
懐かしの鉄橋の遺構などが展示されています。
特急の名盤や、蒸気機関車の機関車番号を見ながら2Fへ
機関車番号は、エスカレータに沿って貼り付けられています。
2Fへ上がったら、鉄道を支える駅の改札や、
集中管理室、
各車両のソファーの進化や、寝台列車の進化、
食堂車の変遷など展示してあります。
超でかい鉄道模型のジオラマが2つ。
1つは子供の操作体験用、もう一つはショウイベント用。
楽しみにしていたシュミレーターは、予想どおり完売。
まあ、夏休みど真ん中だから、
まず駄目だとは思っていたけど・・・。
やっぱり残念・・・
屋上に上がってきました。
京都駅沿線の車両基地に隣接して作られているので、
屋上から本物もたっぷり見れますよ。
それでは、「扇型」を見に行きますか。
その前に、トワイライトエクスプレスと
ブルトレ寝台列車がお出迎え。
やって来ました。「扇型車庫」。
ここの凄いところは、「扇型」に格納されているのが、
全部SLだってこと
ここまでSLだらけって、ここだけじゃね![]()

しかも、色んな種類があって、全部手入れが行き届いてる。
こんな超旧式もあるし、
現在、メンテ中の機関車も
メンテ中を見せてくれる。
とにかく車両が綺麗。
蒸気機関も配管や車輪周りがとにかく綺麗。
公園とかの屋外に永久陳列されている車両は、
配管類や駆動部品を分厚く全塗装して、劣化防止してるから
塗りたくった感で機械として美しくないんだけど、
ここのは綺麗で、芸術品。
萌え~
車庫の煙突フード。実物初めて見た。
何台かは、運転台に座れます。
運転台も綺麗。
機関士側も綺麗。
椅子もひじ掛けも綺麗。
こんな感じで、運転台から運転台に梯子できます
これだけの台数に乗れるのも珍しい。
とにかく圧巻の扇型車庫でしたね。
途中、クーリングを兼ねて、中華ランチをゆっくり食べて
徒歩で西本願寺に向かいます。
この日は超暑かったのよ。
西本願寺は、本名は竜谷山本願寺。
だから、敷地の中に竜谷大学の図書館があったり、
道の反対側に竜谷大学の付属中、小学校があったりしたのか。
竜谷大学は、本願寺阿弥陀堂の北に僧侶の教育機関として
設立した学寮を起源としているんだって。
西本願寺は、文永7年(1272年)、親鸞の廟堂として
京都東山の吉水の地に創建。
その後、比叡山延暦寺から迫害を受けるなど場所は転々とし、
現在地には天正19年(1591年)、豊臣秀吉の寄進により
大阪天満から移転してきました。
先に豊臣側についた正当な後継者の三男側の本願寺
「なもあみだぶつ、なもあみだぶつ」
唐門(国宝) です。
境内の南側、北小路通に南面して建っている。
境内東側の御影堂門、阿弥陀堂門がそれぞれの堂への
入口であるのに対し、唐門は書院(対面所)への正門。
前後に計4本の控え柱をもつ四脚門形式で、屋根は檜皮葺き、
正背面は唐破風造、側面は入母屋造の「向い唐門」。
そもそもこの門が最初に本願寺に現れた年代や事情は
はっきりしていないのがミステリー。
西本願寺から東本願寺へ向かう
仏具店が並ぶ門前町エリアにそびえ立つ、
赤レンガが特徴的な本願寺伝道院です。
生命保険会社の社屋として明治45年(1912)に建築され、
銀行や診療所などを経て、現在は僧侶の教育施設の場に
なっています。
設計は東京帝国大学の教授・伊東忠太によるもので、
レンガ造りで、インドのイスラム様式のドーム、
イギリスの建物をイメージしたレンガ壁など、
さまざまな建築様式を取り入れつつ、
千鳥破風を石造りした日本建築の意匠も見られます。
東本願寺まで、歩いてきました。
慶長7年(1602年)、徳川家康から烏丸七条に
寺領が寄進されたことによって建立。
豊臣と折り合いの悪かった長男を中心に、
徳川側についた大谷派が後に東本願寺となります。
「なむあみだぶつ、なむあみだぶつ」
この日はあまりに暑かったので、
奥さんは西本願寺で別れてバスで先に帰宿。
私もそろそろ宿へ帰りますか。
京都駅の向こう側までもうひと歩きです。
宿へ着くと、着替えを購入してきた奥さんと一緒になりました。
今日の宿は、大浴場付だったたので、一っ風呂浴びて、
今日の主の目的は、次男の内定祝。
コロナ真っ只中で大変な大学生活だったけど、
内定おめでとさん。
待ち合わせをしてホテル隣の銀座ライオンで乾杯
居酒屋梯子して夜は更けていきました・・・・・・・・・・。