大津での一仕事
滋賀県の北部で新聞の一ページ広告を受け持ってしまった。
入社して一年もたたない新人に新聞の1ページの広告を完成させることがどんなに難しいことか大津営業所の皆もわかっているはずだ。
どうせ完成できずに帰ってくるに決まっている、そう思っているに違いない。
そう思うとがぜんファイトがわいてくるというのが僕の性格だ。
木之本の読売新聞支局長にスポンサーを紹介してもらうため頼んではみたのだがなかなか名前は浮かんでこなかったらしい。
仕方がないので宿泊していたビジネスホテルの近くから、かたっぱしにあたってみることにした。
まず隣の不動産屋に飛び込んだ。
「読売新聞の滋賀県版の広告を担当しています読売連合広告社の中林と申します」「まあ入りなさい、そうか、それはいつ出るんだい?」「広告が集まり次第なのでまだきまっておりません」「実はな、今宅地造成が終わったところで売り出しをかけようと思っているんだ、 1 ページ取れるかい?」「いつですか?」「2月の中旬の土曜日か日曜日がいいんだが」「多分大丈夫だと思います、ご希望通り土曜日か日曜日に掲載させていただきます」「で、いくらだい?」「一段が7万です、1ページで105万円、ちょうど100万にさせていただきます!」「もっと安くならんのか?」「そうですね、日にち指定ですのでぎりぎり90までなら、それ以上は無理です」
こうして滋賀県北部の特集ページはあっけなく終わった。
一段5万円以上上げれば良かったのだ。
本当は特集なのだからいろいろな広告主をちりばめたほうがそれらしいのだがこのクライアントを逃し細かく集めていく自信は全くなかった。
人生はラッキーとアンラッキーの繰り返しだ、チャンスは確実にものにしておかないという気持ちでいっぱいだ、これで営業所に帰ったら文句を付けられるに決まってる、そんなこと構ったことか。
与えられた1週間を観光して帰ったことを覚えている。
本当はこんなことをしたいために広告会社に入ったのではない、もともと創作に興味があり制作現場を経験したかった。
海保大出身者というやつは常に同期の動向を気にしている、だれが出世コースを歩いているのか常に気にしている。
どんなに面白くない官庁でも国家公務員のステータスは大きい、民間会社に就職して初めて自分のみじめさを感じた、英語が話せ防火訓練で総合指揮官までやった僕がなんでこんなことをしていなければならないのだ?そんな後悔の気持ちは壁にぶち当たると常に頭を持ち上げた。
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