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Feb 8, 2005
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人生においての成功はプロセスを大切にして、楽しく有意義であるに越したことはありません。ビジネスにおける成功はプロセス重視の結果軽視では多くのお客さんに迷惑をかけることになります。結果を出して初めて、役割を全うしたことになります。人生は必ずしも目標設定や夢の実現にこだわる必要はないでしょう。かならずしも夢や目標がないからつまらない人生と言うことはないでしょう。しかしいったん、ビジネスに足を踏み入れ多くの顧客や、従業員を巻き込んでしまったらそこでは、明確な目標を設定し、達成に向けてひたすら進まなくてはいけません。人生は考え方で良くも悪くもなります。すべて、どのように受け止めるかです。しかし、ビジネスには目標達成が不可欠です。
Nov 12, 2004
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いまさらながらですが私は目標設定のないところに目標の達成はありえないと言うことをこのブログでもお話してきました。目標達成なくして人生は語れないとも考えていました。しかし、これはずべての人に言えることではなかったようです。もちろん大きな夢や目標はその存在なくしてそれをかなえると言うことはないのでしょう。しかし、大きな目標がなくても偉業を達成してしまった人がたくさんいます。夢をかなえるために行動してきたわけではなくただ、好きで続けていただけで大きな結果を出してしまう人もいます。東京大学に合格するには東大合格と言う目標と受験勉強や受験と言う目標までの行動がワンセットになっていないと達成することはできません。全国大会に出るぞと言う目標をたて日々練習をつみ、試合に勝ち続けなければその土俵には上がれません。目標は達成されないのです。ずっと引っかかるものを感じていました。しかし、目標達成がすなわち、成功や幸せとセットかというと必ずしもそうではありません。目標をできるだけ短時間で達成しようとすると多くの場合、多大な犠牲を伴います。何かをあきらめなければ最短での達成は不可能になります。目標達成には時間が必要だからです。多くの方が、目標設定やその達成が難しく、行動できずに悩んでいるのはその犠牲という代償になんとなく気づいているか目標設定時に既にそれを目の当たりにするからです。本当に当たり前のことかもしれません。家族の幸せを犠牲にしなければビジネスの大きな目標達成はないのかもしれません東大に入るためには大好きな野球をやめて勉強しなくてはいけません。そんなの当たり前じゃないかと私も思います。しかし、人は目標を達成するために生きているのではなく成功したり、幸せになりたい、楽しい人生を送るために生きているわけです。幸せになるために、目標を設定しそれを達成するために頑張るのでしょう。目標はあるに越したことはないがそれを達成することで得られるもの失うもののバランスをしっかり見極め行動に移さなくては、たとえ大きな目標を達成したとしても・・・取り返しのつかない問題を抱えることになるかもしれません。また、大きな目標にとらわれすぎて日々のやるべきことをおろそかにしてしまうことも少なくないでしょう。目標設定のないところに達成はありません。しかし目標達成がすべてではないようです。大きな目標うんぬんのまえに小さな目標や日々の小さな行動の積み重ねが大切に思う今日この頃、自分自身を耕さなければ大きな実りを得ることはないと感じています。
Nov 11, 2004
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目標のある人、それを達成する人、できる人こういった人たちはみな継続している習慣があると聞く。先日、田中真澄先生の講演を聞きにいったときも先生が強く仰っていた。朝早く起きる、1日に90分歩く、後始末、後片付けを徹底する。などなど具体的な良い習慣についてのお話は非常に腑に落ちたし、先生が同じ内容の講演を6000回も続けているという話を聞き感動した。継続は力なりというが継続のないところに力はないのかもしれないまた、人材教育の原田隆史先生も著書の中で、習慣作りの重要性について書かれている。この本も良い習慣から得られる効果について触れられている。日々継続していることがある。継続できる達成感というのはとても自身につながる。あらゆる意味でやる気が出てくる。これは本当だと思う。私は早起きと読書ぐらいしかお伝えできる習慣はないが、早起きを継続しているだけでも遅くまで寝ている生活をしているときより気持ちがまったく違ってくる。気持ちが充実してくる。草花でいえば、花を咲かせることが目標達成とするならば、習慣とは土のようなものだと思う。良い土にしか、きれいな花は咲かない。土とは自分自身なのかもしれない。日々の習慣がなく、怠惰でだらだらとしていたら目標すら思い浮かばないのではないだろうか?自分自身に自信があってこそ浮かぶ目標や夢なのかもしれない。夢がない人は良い習慣がないのかもしれない。毎日、良いと思うものを一つでも多く続けていくことが早々に土を耕し豊かなものにしていく。目標達成が簡単そうで難しいのはここにあるのだろう。「楽」を得るには日々の積み重ねなくしてはありえないのだと、最近つくづく感じている。※この日記も続けなければ・・・参考田中真澄先生「生きる力がわいてくる生活習慣塾」原田隆史先生 「カリスマ体育教師の常勝教育 」
Oct 13, 2004
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変えられるのは自分と未来だけです。日本メンタルヘルス協会の衛藤先生の言葉です。目標を持っていても、それは一人だけでは達成することがむずかしいでしょう。特に、会社という組織の中では、人間関係がとても重要になってきますから。私も以前、会社の組織の一員だった頃があります。そこでは、私は多くの上司に失望していました。なぜ、そのような言動、そのような行動をとって、平気でいられるのか?なぜ、多くの上司が、当たり前のことをできないのか?当時の私にはそんな風にしか受け止められませんでした。当然、文句ばかり言っていました。自分がさも正しく、常識的で、賢くて、頭の回転が速くクライアントへの対応も申し分ないといわんばかりに上司の欠点をあげつらい、批判し、同僚に同意を求めていました。だれであれ、自分のことを批判する人間を信用する馬鹿がいましょうか?おそらく、そのときの僕の上司は僕のことをよく思っておらず、そして、全く期待もしていなかったでしょう。当時は正しいことを言っていれば、それはきっと誰かが聞いてくれていて、そして自分に跳ね返ってくる。もしくは、僕の意見で上司はかわるはずだ。そんな風に考えていました。今考えれば、自分は何をやりたかったのでしょう。そのプロジェクトを自分の描く理想の形にしたかったはずなのに上司との信頼関係ができないということはその理想から遠くへ、遠くへ離れていっていたのです。他人は変えられない、変えられるのは自分だけ。自分と違う上司がいても変えられるわけがない。自分が変わって初めて上司がこちらを向いてくれるそんなことに、会社を辞めてから気づきました。「他人と、過去は変えられない、変えられるのは自分と未来だけだ」そんな僕の気持ちを裏付けるかのような言葉でした。どんな目標を持っていても、それは一人では達成できません。多くの人の協力が必要です。いや、一人でも達成できるかもしれませんが多くの場合、協力者が多ければそれだけ達成の速度は上がります。もし誰も協力してくれなかったら・・・それは、協力してくれない人がいけないのではなく協力されない自分を変えるしかないのです。そう思えば、迷い悩むことは何もないはずです。「あの人の下に付いたらどうしよう」「あの部署になったらあの人がいる」「今のままでは上司につぶされる」周囲を批判をしても、何も変わりません。僕たちの周りに起こっていることはすべて、自分が原因なのです。自分が変われば、未来も周囲も変わるかもしれません。たちどまったり、環境に不満を感じたときこそ自分を振り返ることが大切なのです。
Sep 1, 2004
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オリンピックが閉会式を迎えました。今回のオリンピックは、仕事の関係で(オリンピックを見ていると朝起きられない・・)殆どライブでは見ることができませんでしたが、昨日の室伏選手の金メダルで、史上最多に並んだんですね。小さい頃、メダルの数の表示をみて「日本人ってメダルは少ないなあ。それも銅メダルがおおいし・・・」なんて、思っていたのがうそのようです。中でも個人的には陸上が4位というのはすばらしいと思いました。今日の日経にオリンピックが及ぼす心理的影響について触れている記事がありました。オリンピックを見ていると「自分もできる」そう思ったかどうかはわかりませんが自己啓発系のビジネスが売れ出したりお家芸的な柔道が軒並み金をとると技術者が元気を出したり。アーチェリーで41歳でメダルをとると中高年が、これまた元気になる。こうして、経済的な波及効果が大きくなるようです。もしかしたら、自分にもできるのじゃないか?自分は本当にがんばっているのだろうか?そう振り返ったときいままで、誰に言われても前を向けなかった人が深夜、オリンピックで力みながらテレビをみていたら日本の選手が1位でゴールした。そんな選手をみていて、そしてインタビューを聞いていたらなんとなく、自分もいけそうな気がしてくるのでしょう。つい、この前、オリンピックを見る奴はウンコだというメルマガに共感すると書きましたが、一方的な見方はもう一方を見落としますね。結果として今回のメダルラッシュは誰もが批判を忘れ自分たちも行動しなくてはという気持ちを起こしてくれた・・そんな風に思います。オリンピックを見て、そして、自分だけのオリンピックが見つかれば自分だけの金メダルに向けて努力するだけですからね。目標達成への第一歩を踏み出した人が増えたのかもしれません。
Aug 30, 2004
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以前にも、「本気」というテーマで書いたがちょっと違った観点から見た、本気という言葉について触れてみる。友人との会話の中で「お盆休みは家族サービス?」という問いを投げかけられた。僕はもともと「家族サービス」という言葉にはいささか抵抗がある。家族とサービスという言葉がどうも結びつかないからである。と、まあそれはどうでもよいのだが友人に答えた。「そうだよ、そういうことになるね」友人「へえ、お父さん大変だね」そこで、「ん?」と思い僕は「ぜんぜん大変じゃないよ。どうして?」友人「え、子供の面倒見るのって大変じゃない」僕「そうか、そういう意味では大変だね。 だけど、そういう意味だと楽なことなんてないんじゃないの 大変だけど、楽しいじゃない」友人「えらいねえ・・・」こんな会話のあと、僕はこう思った。仕事でも、子育てでも、家族サービスでも大変でないことなんてあるのだろうか?何でも本気でかかれば、楽なことなんてあるのだろうか?せめて、家ではのんびりしたいって言うひといるがせっかく仕事が休みで家族との時間がとれるのにそんなときに、本読んでテレビ見て昼寝していていいのだろうか?子供たちは一緒に遊びたいと思っているに違いない。奥さんだってたまには一緒に出かけたいのではないだろうか?せっかく仕事を休んでまで、とった貴重な時間なのに家かえってのんびりしてたら、家族に愛想つかれて、当然ではないだろうか?もし、家でのんびりするぐらいなら仕事を休まないほうが精神衛生上すっと楽かもしれない。家族だって、本気で付き合わなければ本気で付き合ってくれない。仕事だって本気でやらなければお客さんになってくれない。ぼくはずっと家族と仕事の時間の配分で悩んでいた。答えが出たわけではないけど、こんな風に考えればすこしは楽になった。僕が愛読している3万人(だったと思う)の読者メルマガを書いているプチリタイアプロデューサーの石井貴士さんが言っていた「オリンピックを見ている暇があるなら自分を磨けオリンピックをみているやつはウンコだ」と。すごいことを、何万人もの読者にむかって言うものだと思った。みんなオリンピック見てるだろうに(笑)だが、とても共感したのは私だけだろうか?自分が本気かどうか問いかければ何をすべきか見えてくることは間違いない。皆さんは今本気ですか?
Aug 13, 2004
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お客さんのニーズを聞くことは大事だがお客さんのニーズを鵜呑みにし、言われたようにしかできない人は、報酬を得る資格がない。お客さんのニーズを聞き、理解しそして、こちら側のプロとしてアイデアを盛り込み加工し、お客さんのニーズを超えたものを提供して初めて、プロとして報酬を得る資格があると思う。しかし、お客さんのニーズを超えるということは表向きはお客さんのニーズと反対になってしまうことがある。お客さんがそこで、反発するか感動してくれるかが、苦労するところだ。以下は私が強くそう感じた出来事だ。私の尊敬するある医師の話。その先生はとても真摯に患者の治療に取り組んでいる。だから、いつも待合室は一杯。私も、いくつも病院を変えた結果めぐり合いそして、治してもらった一人だ。しかし、そんな先生が窮地に立った。ある患者がこの先生を訴えた。自分に対する治療がかえって症状を悪化させたというのだ。その先生は、薬に頼った安易な対症療法(病気の根絶ではなくその症状を抑えることを目的とした治療)では、その病気は治らないということで薬に頼らない治療をすすめている。だから、患者は個人差こそあるがある期間はその症状と戦わなければいけない。そのつらい間、ただ、先生と病気が治ると信じてがんばる。そんな治療を、一生懸命続けられている。安易に患者に薬をだして、症状を抑え、治らなかったら、他にいってくくださいといわんばかりの治療ともいえないことをしている医者はたくさんいるように思う。しかし、この先生は患者の表面的なニーズ「症状を抑えてほしい」というニーズを超えた「完治」を目標にしている。訴えた患者は、そんな治療法に耐えられなかった。耐え抜き、治った患者は「先生のおかげです」と感謝をしているが耐えられなかった患者は「先生のせいで・・」となってしまう。いつも、自身に満ちているかのように見える先生もさすがに落ち込み元気をなくしていた。しかし、多くの患者さんの励ましはすさまじいものだった。その先生が「医者というのは、患者のためにいるわけで、医者としての地位や名誉などどうでもいいことです。大切なのは、医者が患者から見捨てられないようにすることです。」というある高名な先生のこの言葉で元気になったとおっしゃっていた。私はほっとした。先生は信念を持って治療し、患者さんはそんな先生を信頼してつらい時期を乗り越えている。どんな仕事でも、表出しているニーズを安易にかなえるのではなくもっと深いところにあるニーズをかえられる人間になりたい。信念があるからこそ、多くの人の信頼を得られるのだと痛感させられた出来事だった。
Aug 5, 2004
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もし、あなたが落ち込んでいたらそれは、あなたの周りに前向きな人がいなくなっているはずだ。会社という組織を抜け、独立してビジネスを展開している人にお会いして、お話をしてつくづく思ったことは、前向きな人のなんと多いことか。そんな方々にお会いするだけでモチベーションがあがってくるのは私だけではないはずだ。組織という決められた枠の中で仕事をしているとさまざまなしがらみからか、どうしても批判的な人間が増える。また、顧客も大組織だったりすると組織のなかで、自由を持てない、批判的な人と仕事をすることも多かったためかもしれない。大規模建築設計の打ち合わせの席で「こんな風にできたらいいですよねえ・・・・」「でも、きっと無理ですね・・・・」こんな会話はよくあるあたえりまえのことだった。お互い、同じジレンマを抱えていたのかもしれない。会社の批判をする人、何かをあきらめる人、自分を抑えて、日々を過ごす人。組織の中にいればやむをえないことも十分理解している。それが組織だ。しかし、こうした中にいると確実に前に進むエネルギーを奪われる。どうして、自分はこんなにもネガティブなんだ。そう思ったら、今までの枠にとらわれないであったことのない人、しばらくあっていない人にあってみると、とても元気になりまた、自分の目標も再確認できるかもしれない。いや、できる。自分のよくない状態を他人や周囲のせいにしてはいけない行動すれば、必ず変化は起こる。
Jul 21, 2004
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好きなことをして食べていけたら最高だろう。誰もが考える理想だ。しかし、好きなことだけしていれば食えるほど世間は甘くない。皆さんの中にもそう考えている方は少なくないはずだ。僕は建築が大好きで、建築をやっていれば食えると思っていた。しかし、実際問題、建築が好きなだけでは誰も、大枚はたいて手に入れる住まいやビルの設計を依頼したりはしないだろう。ただの建築オタクにはだれもお金は払ってくれない。「うーん、このデザインは・・・」なんていうことだけやっていては絶対に食えないし、それでは完全なオタクだ。このことは、有名になった建築家の方々が一番知っていることだと思う。では、好きなことして食っていくにはどうすればいいのか。まず一つはその、大好きなことをやった結果がどれぐらい人様の役にたつのか?世の中のためなるのか?が一番の問題だ。たとえば、何かを作るのが好きな場合はその作品が他人を感動させられるか?本を書いたら、その本が役に立つのか?感動して、元気になるのか?ただ、ひたすら、未完成なものをつくっていて誰にも見せたくない、完成したけど、なんか自信がないんだよなあ・・ちょっと、他人に批判されるとへこんでしまう。なんていっていては誰も相手にしてくれないお金なんて払ってくれないから飢え死にしてしまうだろう。二つ目はその好きなことをやった結果のすばらしさをできるだけ多くの人に伝えることだ。だれも、通らない路地で、すばらしい作品を並べていても、誰も買ってくれない。そのすばらしさをどう伝えるかを考えなければなにも伝わらない。誰も、あなたのすばらしさを知ることなく生きていく。「伝わらなければ、そこに存在しないのと同じだ。」どこかの本に書いてあった。そのとおりだと思う。自分の作る「何か」を必要としている人を探さなければいけない。(きっといるはずだ。)そして必要としている人に会わなければいけない。ただ、待っていても誰もやってこない。人と話をするのがいやでも方法はいくらでもある。いずれにしても、自分がやっていることを理解してもらわなければその人たちは、自分にお金をはらってくれないのだ。「こんなことをできるのは世界で私しかいない!」と胸を張って、言い続けられなければ好きなことをして食っていけない。一流の建築家は、有名だ。有名であることは伝えた結果だ。芸術家でも、タレントでも伝えられる力があるから有名になれる。だから食っていける。伝えていけば、結果として有名になってしまうのだ。好きなことをして食っていくには好きなことが人の役に立ち、それを大勢の人に伝えることが大好きにならなければいけない。どっちをあきらめてもだめだ。例外はないとつくづく想う。
Jul 13, 2004
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人は危機感を強く感じるとそこから逃げるために行動する。反対に危機感がないと動かない。もし、今、なにかに悩んでいたりあらゆる点で成績が伸びなかったり現状に不満を持っているのに、だらだらと日々を送っているとしたら、それは、危機感がないのかもしれない。はっきりと、現状に問題があると悩んでいるという意識があっても、ひょっとすると、このままでも良いと思っているのかもしれない。いや、そう思っていると思って間違いない。今のままで、本当に困っていないのだ。真に危機的状況に陥れば、それを回避せずにはいられないのが人間だ。魅力的な夢や目標よりも、どうしようもない危険な状態が人を動かすのかもしれない。もちろん、意志の力で夢を追いかけることができる人もいるがごく一部である。少なくとも自分はその一部には入っていないと思ったほうが賢明だろう。本当に今のままでいいのだろうか?
Jul 9, 2004
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自己責任という言葉は販社である企業が責任逃れのために使う言葉を指すような意味合い等で伝えられがちかもしれない。しかし、自己責任の意味は責任を相手に押し付けるための言葉ではなく、誰もが常に自分の言葉として意識しておかなければならない。少々厳しいと思われるかもしれないが、自分の人生を自分でコントロールするためには常に自分の行動は自分の責任で周囲の状態もすべて自分の行動の結果であるという認識がなければ、一度きりの人生なのに給料が安いのは会社のせい倒産して仕事を失ったのは会社のせい貧乏なのは景気のせい精神的にまいっているのは上司のせい仕事がはかどらないのは部下のせいこれでは、絶対に自分の人生をコントロールできないのではないだろうか?完全にコントロールされる人生となってしまう。給料が安いのも、仕事を失うのも貧乏なのも、上司とうまくいかないのもすべて自分の行動の結果であると考えれば自分以外の事柄や人、景気や国、他人、会社、上司、部下、同僚、友人その他諸々に責任転嫁することはかえって自分を袋小路に追い込んでいく。自分の状況を自分ではコントロールできないと思い込むのと同じことをしているのである。すべては自己責任と考えれば、出口のない袋小路に追い込まれることなく次への一歩を踏み出せるのではないだろうか?繰り返しになるが自分のたった一回の人生を他人に委ねることになってしまうより、自分の人生は自分で決めたほうがいいのではないだろうか?動かせるのも、変えられるのも自分しかないのだから。
Jul 6, 2004
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目標がない、行動力がない、目標はあるが何一つ進まない。もし、こんな状態になったのであれば、とにかく今まであったことのない人と話をすることだ。(もちろん誰でもいいというわけではなく、話を聞いてみたいという人だ)今まで知っている人と接していると今まで行動できない人今まで目標がもてない人は今までと同じことを繰り返す。しかし、今まで出会ったことのない人と話をするだけで、違う世界が見えてくる可能性がある。それまで、自分が井の中の蛙だったことに気づくかもしれない。自分の考えが間違えていることに気づくかもしれない。自分の考えに自信がつくかもしれない。いづれにしても、大きく目標に近づく機会に出会える。これも、行動なので、難しいかもしれないが何も考えず、とにかくこの人に会って話を聞きたいそんな、気持ちがあるならやってみる価値は大いにある。
Jun 30, 2004
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今朝、愛機レッツノートのWINDOWSが起動しなくなりました。原因不明、突然です。電源を入れてもいつもの文字は見ることができない。ヘルプデスクに電話して、いろいろ試みましたがだめでした。泣く泣く再インストール・・・データは消えてしまいました。バックアップはとっているものもありましたが、予期せぬことに失ったものも多くこれから、あまたのソフトをインストールする時間を考えると頭が痛い。皆様、今すぐいつクラッシュしてもいいように準備をしておきましょう・・・(泣)
Jun 18, 2004
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確実に進化しているなあと感じる人いて、その反面、日々変わらない日常を過ごしている人も多い。前者はあきらめない人で、後者は何かに妥協している人なぜあきらめたのか?と聞くと「いや、○○だから・・・」「だって、○○なんだから、しょうがいないよ。」「できることはやっているよ」こんな答えが返ってくる。あきらめる人は、すべて、その理由が自分ではなく自分ではどうすることもできないことだと判断してしまうからあきらめる。7歳の息子にいつも言っている。「あきらめて、辞めてしまったら、なりたいと思っても絶対にならないんだよ」というと、子供なので単純なのか、その意味が良くわかっているらしい。息子はサッカーをやっていて、日本代表になりたいそうだ。足も速くなければ、動きが機敏なわけでもない。そこそこ強いチームらしいが、そんなにすばらしい指導を受けているとも思えない。小学校2年生なのに、フェイントで相手を交わしていくツワモノもいる。今の時点では、息子はあまり上手いほうではない。でも、息子は楽しそうに日本代表になりたいと思っている。足が遅いから、日本代表になれないのではなくいい指導者が見つからないから代表になれないのではなく動きが機敏じゃないと日本代表になれないのではない。それをなんとなく理解してくれているような気がする。日本代表になれる人間とは日本代表になれないなんて考えないでひたすらサッカーを楽しんで続けていける人間なのだということを。目標を成し遂げるひとは、自分があきらめない限り絶対にできると思っている人だけ。今もっている不満は、誰のせいでもない自分の行動の結果でしかないのだから。
Jun 11, 2004
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とあるセミナーでのこと。講師の経営コンサルタントが「安易な行動はリスクが大きい、よく準備して慎重に行動しなければいけません」と、言った。そこで、手が挙がりひとりの参加者が「先生の著書では「いいと思ったらとにかく行動すべし」と書いてあるが一体どっちなんですか?」その先生は明確な回答をもっていなかったのかしどろもどろ。問題が問題なのでそのコンサルタントを攻める気にもならないが、皆さんはどちらだと思いますか?たしかに、安易な行動はとてもリスクが大きい危険だし、あれやこれやリスクに考えをめぐらせても答えはでない。かといって、「とにかくやる」ってのも無謀では。正直こんなところでしょう。しかし、絶対にいえることは動かなければ何も変わらないということです。試験を受けなきゃ学校には入れない。試験は必ず来る。今やるべきことは受けるか?受けないかを決め、ちゃんと本気で準備をして、試験を受けること。やりたいことがあればいつやるか決めて、その日がきたら準備ができていようがいまいが、やると決めればいいのです。試験に日を自分で決めるだけです。やるかどうかではなく、やると決めればいいのです。準備はその決めた期間で十分でしょう。明日やるのであれば、それも良し、半年後にするのであれば、必ず半年後に行動に移せばいいのです。「いま何をしたいのですか?」そして「あなた(自分)は、いつそれをやるのですか?」と自分に聞いてみることからはじまるのでしょう。個人的には「とにかく行動」のほうが人生、楽しいような気がしますが・・・・・
Jun 10, 2004
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「今のあなたの目標は」と質問すると、殆どの方が、自分が・・・・・という、自分主体の願望を語るのではないだろうか?「何年後に家を買いたい」「資格を取りたい」「億万長者になりたい」全部自分が中心となる。ある意味当たり前だけど、実は、もっとも大切なことは周囲の人の協力を得ることだ。周囲の人の幸せを考えることだ。人は一人では生きていけない。多くの人を救い、自らも助けられてそんなことを繰り返していくしかない。金メダリストの「応援してくださった皆さんのおかげです。」あれは、決して社交辞令などではないはずだ。心からあふれてくる言葉だと思う。もし、前進できない人はひょっとしたら、自分しか見えていないのではないだろうか。自分だけがよければいい人間にはどんな力があっても真の意味で目標達成はできないあなたの目標は一人では達成できない。人は一人では何もできない生き物だから。
Jun 5, 2004
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何をやっても、どうもうまくいかないと人はどんどん臆病になる。前に進んでも壁にぶち当たると引き返してしまう。壁があるような気がすると前にいけなくなる。結果、最初からスタートするのをやめてしまうそして、スタートしたかったことも忘れて「普通」と呼ばれる日々の繰り返す。えてして、こうした人たちは行動したり、発言している人の分析や批判が得意になる。傍観者になってしまう。自分自身の経験を振り返ってみて思うのだがなかなかやりたいことが見つからない自分がどうしていいかわからない人はこんな人が多いのではないかと思う。こうなってしまうのはなぜか?それは、ただ、「本気」になれないからではないだろうか?本気になれることを探しているという人がいる。本気になれるものがない、見つからないという人がいるかもしれない。でも、目の前にあることに本気で取り組めなければまだ出会えていない何かに本気にはなれないと思う。とりあえず、今、本気を出してみることからはじめる必要があるのではないだろうか?本気の先には絶対に違う世界がある。そんな気がする。
Jun 4, 2004
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木を見て森を見ずということばがあります。物事の小さいところばかりに囚われて肝心の全体像が見えなくなってしまうことです。1000円安い商品を買うために時間と交通費をつかって買いに行く家を買うのに住宅ローンのことで頭がいっぱいになる日々の仕事を意欲的にこなすが何一つ目標が達成されない近くにいては、見えないことも、すこし、時間や距離を置けば自分が考えている森の姿が見えてくるはずです。考え方や視点をかえれば見えなかった世界が見えてきます。木も、森も見なければ大切な何かに気づくことはないのではないでしょうか?
Jun 2, 2004
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人は皆、思い込んでいることが必ずあります。「物事は結果が全てプロセスは関係ない」「友人は多いほど、人格者だ」「幸せになるにはお金が必要」「やはり良い大学を出ていればよかった」 「有名にならなければ人生なんて意味はない」「良い大学に入らなければ不幸になる」「仕事ができない奴は最低だ」「結婚しなければ不幸な人生だ」こんな思い込みをもっていませんか?思い込みは自分への要求が大きくなりすぎて最初から、心のどこかであきらめてしまう。できない理由を語り始めてしまいます思い込みは目標達成を阻害する最たるものだという認識を持たなくてはいけません。思い込みが私たちの行動を妨げるからです。
May 25, 2004
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ご訪問いただいている皆様にお詫びです。実は、ここ一ヶ月、プロバイダーの不具合でインターネットが使えない状態です。やむ終えず、必要最低限の事務処理だけアナログ回線や公衆の無線LANで対応しています。非常に事務処理が滞っているため日記の方に手が回っていません。これを期に光ファイバーを導入することにしました。あと10日ほどで開通すると思います。そうしましたら、また復活しますので宜しくお願いします。
May 11, 2004
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行動と決断はセットです。自分で「よーし、絶対やってやる」と決めなければ多分、行動には移らないでしょう?自分自身、「決断」なんて大して意識していなくても「明日は何時に起きよう」「明日は○○の映画を見に行こう」「呑みに行こう!」これら全部、自分で決めたから行動しているわけです。結局は自分で決められなかったら何もできないのが人間です。たまーに誰かが決めてくれたり誰かに諭されて、「あなたはこうした方がいい」って言われたってどこかで、そういっている人を疑っていたらその話を聞いて、それがいかに裏づけのあるすばらしいことであってもだめなものはだめです。どんなにすばらしい話を聞いてもどんなに儲かる仕組みをしっても自分が「やるぞ!」と決めないことには行動なんて、こんな難しいことはないのです。こんなとき、決められない理由を誰かのせいにしたり、ものや環境のせいにしたりしてはいけません。それは、自分で決めることが怖いだけです。失敗の原因がすべて自分になってしまうから。でも、やってみなくては何も変わりません。だから、とにかくやるって決めてしまいましょう。これが目標を達成するために一番、必要なことです。
Apr 23, 2004
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行動できない人思ったような結果を出せない人に決定的にかけているのは使命感ではないでしょうか?「自分がやらなければ誰がやる」「この仕事は自分にしかできない」「世の中で自分がこの分野で最も精通している」「自分のやっていることは人の役に立つ」このように考えることができれば何の躊躇もなく最初の一歩を踏み出すことができます。言い方をかえると自分に与えられているはずの役割を意識することができなければ使命感もなく、自分の行動そのものに何かしらの疑問を持ち前に進むことができなくなります。営業で言えば、自分の提供する商品や、サービスに自信がもてなければどんなにすばらしい、ノウハウやセールストークを用いたとしてもお客さんなにも伝わらないのです。「こんな事を伝えられるなんて自分はなんてついているんだなんとしても伝えなければ」と思えることから全てが始まります。
Apr 22, 2004
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病気は夢や願望達成の最大の敵です。健康を失えば、大きな行動の妨げになります。家族にも、とても大きな負担を強いることになります。大切なお客さんを失うかもしれませんいままで付き合ってくれた方々にも今後なにも提供できなくなってしまうかもしれません。人はなぜ病気になるのでしょう?私はストレスだと思います。脳のシステムを学んだ時に確信してしまいました。(あくまで私の持論です)ストレスにもいろいろあります。心のストレスと、体のストレスです。心にストレスがかからない人は周囲の人にストレスをかけるそうです。ちょっとまわりにいる人を思い出してみてください。協調性があり理性的な人ほど本能をおさえ、心にストレスを抱えているそうです。「俺はストレスがたまりやすい」と人に愚痴ってしまう人は周囲の人にはあまり、いい気持ちがしません。こういう人はあまり、ストレスが溜まらないのかもしれません。心にストレスを抱えている人はそんなことにすら気付かないで一生懸命の人に多いのかもしれません。また暴飲暴食、太りすぎ、寝不足、過労は体のストレスです。こうして考えると心にストレスをもっている人は体にストレスをかけて、心のストレスを発散し凌いでいる人が多いような気がします。まさに悪循環です。また、誰かに動かされている時人は大きなストレスを感じるのではないでしょうか?仕事に追われて時間のコントロールをうしなったり明らかに合わない人との付き合い収入を会社に依存していることからくる不安感こんな状態を続けていくと人はストレスに体を蝕まれていくのではないのでしょうか?病気になってしまうのかもしれません。こんな状態を回避するためにありたい自分をさがし本来だれにでもある、夢や願望に気付きそれに向かって進んでいくことが最高に気分のいいストレスの発散となり最大の病気予防になるのではないでしょうか?
Apr 15, 2004
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何かしらの目標に向かうとき必ず障害となる出来事があるのではないかと不安になることは誰にでも、あることです。しかし、「困ったことは起きない」のです。すべては、自分の決めた枠に収まらないために困ったこととして受け取ってしまっているだけなのです。受け取り方の問題なのです。私が困っていても、友人はそんな私を見て「なんで、そんな事を気にしているんだ?」と言います。友人が悩んでいるのを見て「どうして迷っているんだ、悩むことはないだろう」こんなやり取りを経験したことはないでしょうか?私にとっても困ったことは人にはたいした問題ではない私が勝手にそう思っているだけで「いや、きっとこのことでもう一度考えろってことなんだ、ついてるな!」で済むはずなんです。起きてしまったことですら、受け取り方で、プラスにできるのにこれから起こるかもしれないと悩んでいるのはもっと無意味なことですね。困ったことは起きないのですから
Apr 14, 2004
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子供に、自分が子供の頃こんなことが得意だった、小さいうちからこんなことができたなんて事をはなしていてはっと気付きました。こんな事を言ったって伝わるはずない。自分ができたのなんてただの運が良かっただけかもしれない。いま、できてない子供にこんな話をしてはいけないそう思いました。我々は上手くいったことは人に伝えようとします。しかし、上手く行った事を話しても人には伝わりません。人に伝えたければ、失敗した話をしましょう。失敗を恐れず挑戦し、失敗したってことを伝えましょう。人はそんな人を信頼したくなるのではないでしょうか?人はそんな話を聞いて「やってみようかな・・・」と思うのではないでしょうか?
Apr 7, 2004
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1日の行動の中で自分が考えて行動している時間がどの程度の比率か考えて見ます。自発的に動いているのか、何かに動かされているのか、ちょっと立ち止まって考えて見ましょう。短期、長期に関わらずその大小に関わらず、「自分で決めた」目標、目的がなければ明日が変わることはありません。自分以外の誰かに求められたり決められたりしたことを目標にしている場合は「動かされている」ことになります。こんな時人は「何の変化もない毎日」を感じるのではないでしょうか?自分以外の誰かが決めたこと常識であったり、世間体であったり上司だったり。いろいろですが、これらに動かされていれば毎日、やることが沢山あって充実しているかもしれません。しかし「変化」はもたらされることはありません。現状を満足なものに変えていくことはできません。現状を変えることができるのはただ1つ、自分で決めた目標を持ち小さくてもいいから行動を起こすことです。たったそれだけではないでしょうか?
Mar 31, 2004
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ものづくりは常に自問自答の繰り返です。時間があればあるだけ、いろんなことが気になります。「もっと他に答えはないのか?」「もっといい形は」「本当にこの方法しかないのか?」きりがありません。しかし、本気で納得できるものを作るということはそういうことではないのでしょうか?時間は無限ではなく、お金も湧いてくるわけではない。でも自分で納得できないものができてしまう事ほど、嫌なものはないと思います。「ねえ、なんで、こんな形をしているの?」「なぜ、こんな色なの?」「どうして、ここにこれがなきゃいけないの」と聞かれて、即答できないことがあってはいけないのです。相手を説得できなるかどうかではなく自分が自信を持って答えられるかどうかです。もし即答できない部分があれば、それは妥協したに他ならないのです。クライアントに依頼されて、「もの」を作っている者にとってこれは致命的だと思います。人の一生も同じではないでしょうか?「あなたは、どうしてそうしたの?」と誰かに聞かれた時に答えられるようにするには常に自分に問いかけていく必要があるようです。
Mar 26, 2004
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建築家は自分の名を売るために仕事をしているわけではありません。たしかに、建築家を名乗る方の中には自分のデザインをクライアントに押し付けたり欠陥住宅を設計したりする人がいるかもしれません。しかし、それはほんの一部の人の話です。どの業界でも存在する、自分本位の人々です。ただ、建築の場合、かかるコストやクライアントの生きていく上での環境に関わりますからその責任の重さは計り知れないと思います。そして、本気で建築に取り組むとこんなことを考えます。第一に、クライアントのあらゆる利益につながる環境を創ること これは前回ご説明しました。 住空間であれば クライアントの生活が心身ともに豊かになり 家族があれば、コミュニケーションがとりやすく 友人、知人を呼んで楽しめる場であったり ビジネスであれば効率が上がり 店舗なら売上げを上げる効果を持っていたり。 建築はそこにいる人が気持ちよく活動できることが 最大のテーマです。第二に、第一を満たした上で、周辺環境との調和 建築は自然に対して、ある意味では非常に暴力的です。 あんな大きなものができてしまうのですから 自然破壊も甚だしいわけです。 せめて、景観をこわすことなく、自然と調和したり 周囲の町並みを崩さないことについてもコミットしておく 必要があるのです。 第三に、時代の先端を行く技術とデザインを提供する 建築は工業生産品の塊です。 常に新しい素材の情報収集やコストに 気を配ることにより 最小のコストで最大の効果を生み出すことが できるのです。 いつまでも、ワンパターン、古い材料ばかり使って いたり同じことを繰り返していて 創意工夫がなければ、 クライアントの希望を叶えることは できないはずです。 また形・・・デザインについても同様です。新素材 や日夜の技術研究により過去に実現できなかった デザインが、明日にはできるということが 多々あります。 日々、アンテナをはって自分の中に取り込み、 その情報を消化しながら 自分のアイデアとしてアウトプットしなければ 決してクライアントにとっての利益には つながらないでしょう。 この3つは建築に限らずどんな仕事にもいえると思いませんか?何事も本気で取り組めばこんな事を追求しなくてはいられなくなるはずですよね。1.自分がやっていることは人の役に立っていますか? または伝えたいことが伝わっていますか?2.周りにいる人々との関係を考えていますか? 誰かが苦しんでいませんか?3.常に変われる柔軟性がありますか、 常に情報を収集するために時間を割いていますか? 今一度、自分の目標について全てを満たしているかどうかをチェックしてみる必要がありそうです。もし満たされていなければ、それが行動を妨げている原因なのではないでしょうか?
Mar 23, 2004
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~建築はクライアントにとって利益をもたらすもの~建築という我々の仕事の結果がクライアントの利益や環境づくりに貢献する。(もちろん芸術もそういった側面はありますが、全てが貢献することを目的として作られたり書かれたりしていわけではないでしょう。)これはあらゆるビジネスのシーンに当まりませんか?。我々の夢や目標は自己の欲求を満たすものかもしれません。1億円稼ぐとか、売上げ何千万とか、世界旅行に行くだとか・・・・しかし、いくらイメージを漠然と思い描いても実現することはありません。このような欲求はすべて、どのような場合でも「人の役に立つ」という行動、プロセスがあって、そしてその対価として利益を得ることにより実現しませんか?お店を経営しているのであれば自社の商品が多くのお客さんの生活を豊にすることによりその対価としてお金をはらってくれます。お金が集まります。会社員の方は、勤めている会社の商品やサービスがやはり顧客の豊かさに貢献するから売れる、そして会社から満足のいく報酬を得るわけです。建築はクライアントの望むイメージ、すなわち現在よりも豊な状況を創ることが使命なのです。そして、それは無から有を生み出す仕事です。多くの創造性と、多くの問題を解決していかずしてイメージの実現はありません。建築は大変な数の要素から出来上がっていますそれらをイメージどおりに作り上げていくには思いつきで動いていくと、すぐに整合がとれなくなり振り出しに戻ってしまいます。1階はできたけど、柱が足りなくて2階は作れなかったなんてことになります。最初から2階を作ることがわかっていれば1階の柱の数を調整したり、太くしたりすれば言いだけです。実際はこんな馬鹿なことをする人はいませんがあくまでたとえ話です。建築の現場ではこういったことが起こってはクライアントにとても大きな損失を与えることになります。是が非でも、こんな事態を防がなければいけません。そのためには、詳細に渡る設計図、見積もり、検討するための模型やイメージ図が必要なのです。
Mar 9, 2004
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建築家は画家や陶芸家のような芸術家と同様一見、自分のこだわりの範疇で設計しているように見えます。かなり奇抜なデザインの建物も存在しますし、住空間として相応しいかどうかという、とても個々の色眼鏡で評価されやすいという側面も抱えています。※住空間として相応しいかどうかという評価は専門家以外の方が 評価した場合、非常に客観性を欠くことが多いのです。 みな自分自身の願望や経験にも基づく主観的な評価をしてしまいます 客観的に判断するための材料を持っていないためです。 もちろん客観的、常識的、一般的にという前置きを付け加えて述べるなら 専門家と呼ばれる人の意見も参考程度採用できますが、 住空間として相応しいかどうかを判断できるのはそこに住む人以外 にはないと言っても間違いではないでしょう。 そのために、建築家は話を聞いていない、とか建築家はデザインを追及しているから、言うことを聞いてくれないという表面的な認識をもたれている方も少なくないでしょう。実際にそういった建築家と名乗る方がいて、被害を被った方が存在するのも事実ですので、このような評価はやむをえないかもしれませんが。もちろん、建築家に芸術家としての側面を否定できるわけではありません。しかし唯一芸術品とは確実に一線を画す要素があります。それは、建築はクライアントの利益を与えなくてはいけない。利益を追求しなくてはいけないという側面を持ちます。なんの役割も持たない、ただの箱では多額の投資を必要とする建築の場合、その使命を果たすことはできません。多額の投資が必要だからこそ、大きなリターンを期待できる力をもったものでなくてはいけないのです。単に芸術性を追い求めていてはこの利益を提供することはできません。日本○○会賞とか芸術○賞といった、栄誉ある賞をとっても投資をしたクライアントにとっては何の役にも立たないのです。住まいであれば、クライアントの生活を左右する大きな役割を担います。間取りが原因で離婚したり、家庭内暴力が起きた可能性さえ噂されるような事実も否定できません。※間取りやインテリアが心理的な影響を及ぼすことは かなり知られていると思います。また、商業施設であれば建物という器は施設内での売上げに貢献する義務があります。クライアントの利益抜きでは考えられないのです。(この場合の利益とは経済的利益の他に安らぎだったり、地域の活性化であったり、社会的な認知度を上げる等々を指します)建築はクライアントの利益を最も重要視しなくてはいけないのです。~つづく
Mar 1, 2004
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「理想的な住まいを手に入れるということ」住まいが欲しいという動機は人それぞれと思われがちですが比較的似たり寄ったりです。そして、その動機には2種類あります。一つ目の種類に分類されるのは○今の家が狭いから○廻りが皆家を買っている。○いい物件がたまたま目の前にあった。○ローンが組めるから○今安いから○税制優遇が受けられるから○こんな安くていい物件はないと思ったから二つ目は○庭でガーデニングをやりたい○自分の書斎が欲しい○子供と遊べる広いリビングが欲しい。○車が趣味なので屋根付きの車庫が欲しい2つ目のほうはかなり具体例になっていますが皆さんの動機についてお伺いするとこの辺になるのではないでしょうか?さて、ちょっと視点を変えてみましょう。今現在、住宅を所有されている方もしくは「これから買いたいなあ」とお考えの方あなたが家を手に入れた時あなたが家を買いたい理由は一つ目の動機になりますか?それとも二つ目の動機ですか理想的な住まいを手に入れるにはどちらの動機が必要だとおもいますか?文脈から読み取れてしまうかもしれませんが一つ目の動機では後々、住宅ローンを負担に感じたり自己破産が住宅購入のせいになってしまったりしてしまうという予想が立つのは特に説明の必要がないと思います。家を買うということが目的でそこでの生活について得に考えていないためです。よく、自己破産の危険があるからとか住宅ローンを払えないかもしれないから家を買うときは慎重にね!てな、トークを聞くことがあります。これって、私はちょっと違うと思います。慎重に家を買うためには動機が自分と家族の生活が・・・・、ということばが主語にならなければいけないと思いませんか?家を買うときに慎重にならなければいけない理由はお金の事もそれは大事ですが。本当にその家を手に入れることにより「自分と自分の家族の生活が劇的にかわる、変えたい」ということではないでしょうか?ビフォーアフターという番組で涙を見るのはそこでの生活が夢を見られるものに変わった感動からではないでしょうか?この住まうという観点での希望も描くことなく大金をはらって大きな借金を抱えてしまうからそればかり負担になるしそればかりが最悪の根源のような感覚になるのです。お金は大事です。でももっと大切なのはこれから大枚をはたいて手に入れるものが本当に求めているものなのかというとことです。住まいを考えるには先ずそこでの生活からです。
Feb 23, 2004
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繰り返しになりますが夢を叶えるプロセスと建築が完成するプロセスは良く似ています。なぜ似ているのかについて詳しく書いていきたいと思います。夢のお話は人それぞれで、そのプロセスをお話しするにはとても難しいですね。そこでやはり何かに例えて考えてみるとよく分かると思います。私は建築の設計に7年間、携わっていました。だから建築がどんなプロセスで完成していくかどんな主旨で創られるかをこの目で見てきました。そこでこの、「夢」にたとえるとぴったりはまることに気付いたのです。では、夢を建築になぞらえて考えてみましょう。建築・・・とりわけ建築の中でも身近な住まいが出来上がるプロセスからお話したいと思います。皆さん、特にご家族をお持ちの方からまたは、これから結婚を考えられている方は住まいについていろいろな想いをもっていますよね。その住まいができる理想的なプロセスについて建築家という専門家としてお話します。1.住まいが欲しい!その動機を明確にします。2.敷地の持つ特性、環境との調和などを考えます。3.そして、イメージを絵にしていきます。まずはここまでが最も重要な第一のプロセスになります。月曜に続きます。
Feb 20, 2004
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経験に勝るモノはないと言われます。どんなに机上で考えても実際に行動に移し経験したこととシュミレートしたものでは自分への影響力は比べ物にならないでしょう。「こんなもんか・・・」に対し「すごい!!」といった違いでしょう。何かを行動に移さなくてはいけない時経験があればどうってことは無いのですが経験するという行為自体が、自分を変える行為になってしまうので恐怖を伴います。未知の恐怖に打ち勝つことが簡単にできる人ほど行動力があるといえるのでしょう。ヒトは恐怖は大なり小なり避けて通りたいものです。私もジェットコースターには乗りたくないですしバンジージャンプもやりたくない。もちろん会社を辞めるときも同じです。何かをやめることもとても大きな恐怖を伴います。新しいことを考えそれを行う時も。しかし、あたりまえですがその恐怖を超えなければ経験という大きな収穫は得られません。そこには、やはり勇気が必要です。勇気は正義を守るだけではなく経験するために必要不可欠なものなのです。そして、勇気というのはご存知の通り誰にでもあるのです。経験の数は勇気の数です。何も考えていないと勇気は楽して出るものではないです。振り絞る必要があります。でもしっかりとその先が見えれば勇気は湧いてくるはずです。皆さんには勇気が湧いてきますか?それとも振り絞っていますか?
Feb 16, 2004
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人と人との縁のことです。人脈という言葉より、暖かいので私はこう呼びます。人は一人では生きていけません。特にビジネスでお金を稼ごう何かを売ろうとしたときは必ずお客になる人との縁があることになります。お客さんにお金を払ってもらうにはお客さんの役に立たなければいけません。お客さんに喜んでもらわなくてはいけません。人の縁を否定して、お客さんとの縁は築けません。短期間でお客さんの役に立つ行動をとることができるということは、普段から人と人との縁を大切にしなければいきなり、ビジネスでお客さんとの縁を作ろうと思ってもそれは当然の如く、不可能なわけです。自分を売る、商品を売る、サービスを売る何かを売って対価を得ることが大きな目標を達成するために必要なことであればまずは身近な人との縁を大切に真剣に守り、縁を築いていく必要があります。身近な人に甘えてしまったり本気で接してない人には短時間で縁を築くことなどできないのです。社会貢献したいのなら身近な人を幸せを真剣に考えましょう。それからでなければできないし、それからでも遅くはないでしょう。
Feb 13, 2004
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目標を達成する人は健康にも人一倍気を使います。恐らく、誰でも、過去に健康を損ない目標達成の妨げになったことがあるのではないでしょうか?遠足の前日に熱を出してしまった子供の頃にはじまり試合を目前に病気になってしまったりテスト勉強で徹夜を続け試験当日発熱、欠席してまった経験。ありませんか?年を重ねるごとに体の融通が利かなくなっていくように感じます。昔できた、徹夜のような少々の無理がどんどんできなくなってきています。目標を達成するためには健康であり続けるという目標も同時に持たなければいけません。これは無期限です。無期限だけど、目標を達成したいのであればやるしかありません。与えられた時間は24時間ではありません。最初から少ないと思えば決して健康を守る睡眠がとれないわけありません。時間がないからレトルトで済ませなくてもいいはずです。私自身書きながら反省しています。健康であり続けることが目標達成するために最も必要なことなのに。気をつけなくては・・・
Feb 12, 2004
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いままで、特に目標設定していなかったひと目標はあったけど、達成できたためしがない人はもう一度最初の設定から考えて見ましょう。そして最初に決める目標はできるだけ達成するために時間が掛かる大きなものしましょう。物事は小さい部分の集まりですがけっして無秩序に集まっているわけではないのです。明日の目標の積み重ねが将来をかたちづくっているということは決してないのです。大きな目標に向かっていくために日々の積み重ねがあるのです。以前ビジョンに触れましたが大きな目標とはこの人生のビジョンです。どんな人生にしたいかということです。大事なことはここで設定する目標とはその夢に向かって確実にプロセスを踏んでいく自分との約束です。この約束がしっかりとできていればすこしサボったり、横道をそれてもすぐに軌道修正できます。まずは考えられる限り時間が掛かる大きな大きな目標を設定してみましょう。ただし、そのときに必ずチェックしてください。その目標は人の役に立ちますか?
Feb 10, 2004
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人間、ありのままで生きることが一番楽なのに、なかなかできません。少なくとも以前の私はそうでした。できないことをできるといったりちょっと背伸びしてみせたりありのままの自分でないことにあまり気付いていないで自分を飾ってしまっていることがありました。そういうときはとても疲れていきます。もちろん行動力も鈍ります。生半可、自分の理想としているものがあるためそこに近づこうとがんばってしまうのです。がんばればがんばるほど自分を飾り現実と離れていってしまいモチベーションが下がっていくのです。以前は自分をある程度飾ったりやったことがないことをできるように振舞ったりすることでモチベーションが上がると思っていました。それが当然というふしもありました。賛否両論あるかもしれませんが私はありのまま、飾らない方がずっと楽に楽しく生きられると思います。実は、自分の人生を楽しんでいる人ほどありのままの自分で人とのかかわりを持っています。ぜんぜん飾ってない。目標をはっきりできない人目標はあってもなかなか達成できない人はまず、ありのままの自分で人と関わっているかどうかをふりかえってみるといいのではないでしょうか?
Feb 4, 2004
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目標を立てるとき「これをやるぞ」と決断します。目標がないと達成できません。あたりまえですが目標を達成するためには決断が必要なのです。決断するということは、何かを断ち切って前に進むということです。「これもあれもあるけど、これに決めた!」です。すなわち、何かを捨てなければいけません。我々が持てるものは無尽蔵ではありません。よくばって、あれもこれもでは重くて歩けなくなるかどこに何をおいたのか、わからなくなり前に進めなくなってしまいます。しかし、何かを捨てるのはとても大変です。人間は選択肢があるとどうしても決断を先延ばしにしてしまいます。わたしもそうです。でも何かを捨て、絞り込んでいくことにより行動力が加速していく経験をみなさんも持っているのではないでしょうか?捨てることができたとき清々した気分をあじわったことはありませんか?いま、目標探しで時間が経過してしまているなかなか考える時間が取れない人はまず、必要のない「もの」を捨て「時間」をかけるのをやめてみる時間を作る、空間を作るために捨ててみることを考えてみる。要するに小さな決断ですがきっと大きな決断への第一歩になるのではないでしょうか?
Feb 3, 2004
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設計をする、設計図を描くということは、もう1つとても大きな効果があります。それは、描いた設計図があれば途中で起こりうる中断のリスクを予測できるからです。設計図を持たずに闇雲に作り出してしまうと思わぬアクシデントや不具合に見舞われ完成へのとても大きな妨げになります。目標達成、すなわち完成予想のビジョンができたらビジョンだけもって進みだすとちょっとした障害に行く手を阻まれてしまいます。しっかり設計できていれば実行に移す前に予測でき最小限の被害や障害に抑えることができるのです。人生設計においてこんな人生を送りたいではどうすればその人生が送れる自分になれるのかそのためには10年後にこうなっていたいそして10年後そうなるためには5年後はここまで行かなきゃ行けない5年後の自分があるためには2年後はこれだけのことをしていなくてはいけないこうして、大きな塊をほぐしながら設計図を作っていく過程があるからこそ、2年後その場所に行く前に大きな障壁が、問題が、あることに気付きそれを回避することができるのです。建築においての設計図は作るためだけに存在するのではありません。予算という大きなファクターを探るために存在します。予算がない、足りなくなるという、大きな障害を回避することなく建築は完成を見ることはないのです。どのような場合においても設計図は完成のためのプロセスでもあり将来のリスク(予測不能な事態)を回避するために欠かせないプロセスでもあるのです。
Feb 2, 2004
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人生設計一度は聞いたことがある言葉だと思います。人生を設計する。良く聞くところではファイナンシャルプランナーがライフプランといって人生のマネープランを把握してよりよい人生を送りましょうっていっています。私もファイナンシャルプランナーだからそんなことを言っていました。しかしファイナンシャルプランナーの提案するライフプランはクライアントに「何年後にどうしたいですか」ときいてそれを時間というラインに乗せて小さな目標を積み重ねその都度掛かってくるお金も積み上げ将来いくら必要になるから今から準備しなくては・・・・といったことをアドバイスするんです。私は建築を無から考える仕事をしていました。建築設計といえば設計の代名詞的な行為ですよね。ちょっと考えてみたんです。人生の設計と建築の設計との違いを。で、設計という言葉の意味を考えたのです。設計というのは何かを作るためにあります。人生設計なら人生建築設計なら建築電気製品の設計なら電気製品常に完成形といいますか、最終形態をつくるために設計という行為があるわけです。私は建築を設計していましたから最初に考えるのは与えられた敷地に「どんな建築」を作るかです。最初に書くのはその景色にたたずむ建築の完成予想スケッチです。えらくラフなものですが「そこにこんな形があうな、こんな形を作ればきっと景観が良くなる」とかいろんなことを考えながら模型を作ってみたりリアルな完成予想図、いわばイメージが作られるわけです。ところがライフプランと呼ばれる人生設計は何年後に何をして、何年後には何をやめてとか細かい部分を集めて大きな形をつくろうとするんです。これは設計でもなんでもないことに気付きました。設計とは最終的にどうありたいか、どうしたいかという明確なビジョンがなければいけないんです。そのビジョンがなければ細かい部品がばらばらなものになってしまいます。床はフローリングなのに、壁はなぜか和風の京壁最終的に出来上がったものがどんなものかイメージできていないととんでもないへんてこりんな建物になってしまいます。人生設計も同じではないでしょうか。「どんな人生を送りたいか」ここを漠然としていてもいいから決めてそこに行くには何年後までになにをやるかその何年後のためには毎日何をやらなければいけないかこれが目標を持って人生をおくる。文字通り人生設計ではないのでしょうか?達成したい目標を立てるには習慣も大事ですが、どうして、どんな自分に最終的にはなりたいのかを考えればその習慣の必要性に納得ができ最初のステップとして行動に移せるのではないでしょうか。どんなに短くてもいいです。こんな人生を送りたいというイメージをまず言葉にしてみる必要があるようです。
Jan 30, 2004
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感謝ちょっと落ち込んでいる時に感謝できるということはとてもうれしいことです。元気になりますよね。映画やコンサートで感動した時それを作った人に感謝します、物が売れたときお客さんに感謝します、病気が治ったとき神様に感謝してしまいます。感謝された側の人間もそれがエネルギーになりまた新たな創造力が湧いてきますよね。仕事では特にそうです。一生懸命、お客さんのために動き喜んでもらって、契約してもらえればお客さんに感謝できます。相談にのって、思わぬ効果があったらとても喜ばれて感謝されます。感謝されるとその人に有り難うといいたくなって感謝しますよね。感謝「する」ことを目標にしましょう。けっして、感謝されるために何かをする感謝されることを目標としてはだめです。結局は人にしてもらうことを待つことになるからです。これは結果ですからコントロールできません。コントロールできない時言い訳できてしまいます。反対にコントロールしてはいけないと思います。でも自分が感謝できるように行動することはできます。これは言い訳できません。自分のために時間をとってくれるようお願いするという行動をとれば、受け入れてくれたら感謝できますよね。聞いてくださいってお願いするという行動をとって、自分の話を聞いてくれたら感謝できます。教えてくださいとお願いする行動をとり自分に役立ついいことを教えてくれたり親身になってくれたら感謝できます。いい歌を作ってたくさん一人でも聞いてくれて喜んでくれれば感謝できます。感謝できる場をつくったり感謝できることをすればいいのです。目標を立てるときどんなことをすれば自分は感動できて感謝できるのかを考える。こんな目標ならきっとやる気が湧いてくるはずです。
Jan 29, 2004
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魂は細部にやどる目標は大きく持つ結局どっちも必要なんです。実行の段階では細かいことを必死にこなしていくしかありませんそのの組み合わせです。でも、ビジョンは大きくないと細かいことをやっていく意味が分からない。結果として続かない。現状維持。何も生まれない。それに慣れてくると何も生んでいない自分にそれなりに満足し理由付けするようになる。そんな自分の理由付けをするために人の批判をする。批判は次への行動には伝わりません。多くの場合批判は言いっぱなし。だから、やはりまずは大きな大きな目標の設計図を描いていくしかないのでしょう。
Jan 28, 2004
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中学生から大学にかけてサークルや部活動に何らかの形で参加した経験をお持ちの方が多いのではないでしょうか?または、子供の頃の習い事なんかでもいいです。塾などの。こういったことをしていると必ずその成果を試すための発表会だったり、試合があるわけです。多くの場合、毎日、毎回同じようなメニューをこなしインプットしていくのですがその実力を試す機会が近づくとメニューはその目的を達成すべく変化しますよね。そこでは必ず結果が出て、もっとここを直そうとか次回はもっとたくさん練習しようとか来年は絶対受かるとか、次はもう一段難しいものに挑戦しようといった、次へのステップが見えてきます。我々はこうした活動の中で自然と目標に向かって歩いたことがあります。しかし、大人になりそれが他人の設定したものではなく自分の設定した目標だったりするとなんだか、先に延ばしてしまったり今をぼんやりと過ごしてしまいます。昔を思い出して、自分で試合の日程を決めてそこに向けてトレーニング(準備)してみると言う感覚で目標設定そして、達成に向けてやってみるというのも1つの方法です。
Jan 26, 2004
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目標には日付を入れて、どうして、その目標を果たす必要があるのかその目標を果たすことで自分に得るものは何か?その目標を達成できない時に自分にはどんなことがおきるのか・・・といった感じでできるだけ突き詰めて考えていくと目標に向かう動機がはっきりします。そうすれば、より行動するときにおしりが軽くなります。漠然と1億円儲けるとしても具体的に何をするか分からなければなかなか、稼げるものではありません。目標が設定できない人や具体的に思い浮かばない人は「不満」を具体的にしてみるといいかもしれません。現在の自分に対する不満は?なぜ不満なのか?どうしたら不満は消えるのか?不満を持ち続けることで自分が失うことは?不満を消すことで得られることは?要するにありたくない自分をなくせばそれ自身も、目標になります。結局、今を一生懸命生きることを考えると目標を達成するか、不満をつぶしていくしか道がないのです。やりたいことに向かわず嫌なことを放置していることがいけないとは思いつつやってしまうことです。なぜなんでしょうね。どちらもとても嫌なことのはずなのに。そのままだと、どちらも麻痺して忘れてしまうのでしょう。一生懸命生きているということはやりたいと思ったことをやり遂げやりたくないことや不満をつぶしてくそんなことを常に思い出して前に進むということですね。
Jan 23, 2004
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投資、資産運用といえば株や投資信託といった金融商品や不動産や金と言ったところが浮かぶのではないでしょうか?しかし、これら資産運用にはかなり大きな元手が必要です。資産が大きければ大きいほど少ないリスクで大きなリターンが得られます。専門家の方によっては「1000万円の資金のない人はリスクのある投資はしてはいけない」という人もいます。今現在、保有している資産、財産はこれまでのあなたの行動の結果でありこれからも同じ行動をとり続ければ現在、しっかりと資産を持っている人は殖えるでしょうし現在もっていない人はやはり資産を殖やすことはできないでしょう。この結果としてもたらされた資産があって初めて、資産を殖やす、よくお金に働いてもらうという言い方がありますが、資産に働いてもらえるようになるわけです。現在、持っている有形、無形の資産はあなたにとって十分ですか?満足のいくものですか?いずれにしろ、今までとは違う行動をとらない限り未来における結果は想像の域を出ません。資産も殖えていることはありません。金融商品や不動産に資産運用を委ねることを否定するつもりはありません。しかし現在のあなたが変わるためには自分の行動を変えなくてはいけないのです。行動を変えるためには自分に「時間」や「お金」をある程度投資していかなくては変わることはありません。今のあなたを変えるのは時間をかけて情報収集したり対価を支払わなければ得られないところにあることが大きいのですまずは自分に投資して、今までの行動を変えるということも検討してみる価値はあるのではないでしょうか?
Jan 22, 2004
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自分を売るというテーマで以前日記に書きましたが今日は自分を売りこむ簡単だけど多くの人が勘違いしていることがあります。それはありのままである、正直であることです。ありのままって当たり前のように聞こえてなかなか意識しないと難しいものです。私も含めて、どうしても本当の自分よりよく見せようとしてしまいませんか?できないことを「できる」ということはいけません。あまりやる人はいないと思いますがかといって、はっきりと「できない」というのは難しいですね。当たり前のことですが、「できない」と伝えることは自分から離れていってしまうのではないか、という恐怖があるからです。自分を売り込むときできないと言えないと、相手に卑屈になってしまいます。弱みを自分で作ってしまいます。自分を売り込むには自分が会話の主導権をとらなくては。相手が中心で話を進めていったら自分を売り込む前に相手がせっかく裂いてくれた時間を無駄にしてしまいます。自分を売り込むには「できない」をはっきり言うことです。「私はこれだけのことしかできない」「私はその件は引き受けません」「私のできることはこれだけです」・・・「だけど私はこのことなら自信がありますよ。」人は正直者を信用します。あなたもそうですよね。余計な取り繕いは必要ないのです。正直者は会話の主導権を持つことができます。自分を売るにはまず、正直であることをありのままを表現することが大事だと思います。営業戦術ってことで着たくない服を買ったり、ヘアースタイルに気をつける。やるんだったら徹底的にこだわらないと中途半端では嘘っぽくなってしまいます。あきらかに、自分をつくろっていることになりますよね。こんなことをしていては自分を売ることはできません。仮の自分なのですから・・・当たり前にやっていると思っても意識できないことが大切です。
Jan 20, 2004
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目標を決めてくださいというと殆どの方は結果としての目標を思い描きます。売上げを上げたい有名になりたいお金持ちになりたい家を買いたいといった感じです。さて、目標ですから上記のような目標でも全く問題はないのですがここで、ひとがんばり、もう一度自分に聞いてみます。売上げをあげて、あなたは何を得るのですかそれを得ることにより、あなたにとって何がどう変わるのですか?売上げを上げないとあなたには何が起こりますか?売上げを上げないことであなたは何を失いますか?この目標はいつまでに達成しますか?とりあえずはこの程度は自分に質問してみる必要があると思います。家を買いたいという目標を持った方にこのような質問をすると*家を買ったあと、あなたは何を得ますか? 広い家があると・・・・・うーん・・・ 広い方がいいかなあと・・・ 自分の城っていいじゃないですか?*自分の城があると何がいいのですか? ・・・・・・・・やっぱりいいじゃないですか?*何がいいのでしょう ・・・・・・・・・尋問のようになってしまいますがこうした答えになる場合、目標が最終地点としてみていることが前提だと思います。家は欲しいけど、手に入れたら・・・・・です。しかし、目標とは死ではないのですからかならず、それを達成したあとも続くわけです。ですから、結果としての目標設定はつねに達成後のためにあると考える必要があるわけです。建築はよくそのものの完成が目標にされます。それはとても費用が掛かるからでしょう。達成感もひとしおです。しかし、建築の使命は、言わずもがな出来上がった後なのです。そこに住まう人、利用する人、遊ぶ人、寝る人、休む人そういった人々が心地よい時間をすごすことができる空間を提供するのが使命です。それができなければ、その寿命をまっとうすることなく壊されるでしょう。家をたてたら、その後の生活がどのようになるかを考える。売上げを上げるという目標を立てたらその後、どうするのか?事業の拡大か?サービスの低価格化か?新規事業への投資か?人材への投資か?この辺を考えるともっと目標が大きくなるかもしれませんしその意味も深く知ることができ、動機付けになりますよね。お金持ちになったら、そのあとどうしたいのですか?何のためにお金持ちになるのですか?達成することにより得た結果があなたに何をもたらすのか必ず考えなければ、設定した目標に具体性を見出すことができずに決して達成されることなく終わってしまうのではないでしょうか?
Jan 19, 2004
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設計図が出来上がったらいざ工事(行動)に取り掛かりましょう。設計図を見ながらどこから創っていくかここでもまたまた、創るための時間管理やコスト管理を含めた計画書なるものが必要です。先に作らなければいけない部分最後に残しておかなければいけない部分最後まで組み立ててはいけないのにさきにつくっちゃったらまた壊さなくてはいけませんね。目標も無理のない順序を考え、行動に移した方がより継続しやすいはずです。闇雲に取り掛かるのもいいかもしれませんがちょっと時間をかけてみるのも意外といいアイデアが湧いてくるかもしれません。いずれにしても、明日の行動は今日と違うものになるように少しずつ取り掛かればいいのです。とにかく、今日と違う明日に
Jan 16, 2004
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死ぬまでを設計してもいいです10年間の設計でもいいです。1年でもいいです。ためしに自分の人生を「設計」してみましょう。ものづくりはそのものの輪郭を考えることからはじまり徐々に細部をつめていくことになります。建物であれば、原寸大の完成を予想する図面が必要です。扉はどんなデザインにする?窓の枠はどうする?床の材料は?照明のデザインは?コンセントの位置は?映画の場合はワンシーン、1秒の集まりが数時間の映画を作ります。そうした小さな部分の集まりが大きな作品を作る。小さい部分は大きい部分があって初めて考えることができるわけです。しかし、その小さな部分にどれだけこだわったかで全体の完成度は大きく変わってきます。魂は細部に宿るです。人生を構成するのは10年であり1年、1日、1秒という時間の積み重ねです。日々の行動が5年後、10年後をつくります。どんな人生も今から何をしていくかが全てです。何年後かの自分をイメージしなければ当然、今を設計することができないすなわち、設計図を持たずに建物をつくることになります。これでは建物はできません。まずは人生の設計、できあがり(達成)をイメージしてみましょう。
Jan 14, 2004
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