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Feb 27, 2003
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勿論韓国の人で、妻が東京に留学し日本語学校に通った時からの友達である。

彼女は日本語学校を卒業してすぐに札幌の某大学を受験し、入学した。妻は横浜の某大学に入学。98年に札幌で妻と出会い、結婚までの2年間札幌に遊びに来る度に、彼女の家で妻はお世話になった。

その関係で私自身も彼女とは認識があった。

勿論、彼女が札幌にいた時は、私は韓国語では話せなかったので、彼女と日本語でしか話していなかった。

でも、今日久し振りに会って、韓国語で話ししたので「ちょっと、痒い」感じがした。彼女はどう思ったか知れないが、私はそう感じた。

違う言語で話すだけで、何か人まで変わってくる感じだ。面白いものだ。

創世記に出てくる「バベルの塔」以来、それまで世界どこに行っても同一の言語だったのに、世界の言葉は現在のように分かれてしまった。

主は仰せになった。「彼らがみな、一つの民、一つの言葉で、このようなことをし始めたのなら、今や彼らがしようと思うことで、とどめられることはない。さあ、降りて行って、そこでの彼らの言葉を混乱させ、彼らが互いに言葉が通じないようにしよう。」

                     創世記11章6,7節



この御言葉どおり現在に至っているわけである。

つまり、この時にもし「神様のところに届くような高い塔」を造ろう等という高ぶった心を持たず、何もしなかったら現在も世界どこへ行っても同じ言語で話されていた事だろう。

と考えると「外国語を苦労しなくてもいい」と思うのが常だが、今日のように面白い事を経験できたのも、「言語が違う」からこそ味わったものである。

そう考えると、今のこの現状を感謝し受け止めることが神様に喜ばれることだろう。





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Last updated  Feb 27, 2003 10:23:14 PM
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