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2月にはいると軒並み私立校の受検が始まります。受験生にとっては、今からが大変な時期ですね。そして、この時期が一年の中でも最も寒さの厳しい時期とも重なるものですから、複雑な心境と寒さの不思議なコンビネーションで独特の雰囲気をかもし出す季節です。高校3年のM君は、今日も一つ受検を済ませ、今週後半から来週の頭にかけてあと3大学を受検するとのこと。幸い体調もよく、快調なスタートだったようですが、本人の望む大学は今週末に受検を控えています。ここまで来たら、知識よりも体調や生活リズムを整えることに重点を置いて、自分の全力を出せるコンディション作りをするようにアドバイスしました。せっかく積み重ねてきた努力が、風邪や体調不良で試験どころではないことにだけはならないよう、むしろ、無理をしてはいけない時期であることを伝えておきました。その代わり、本番の試験では、取れる一点にはとことんこだわって、見直しする事は当然のこと、見直す時間を節約するような自分に対するチェックポイントを残しながらやれる限りの努力をするように伝え、ついでながら、昔、「ロッキーのテーマ」をスポーツの試合の前に聞いてから臨むのがはやったことを話すと、「それやってみよう!」って言ってました。何だか昔を思いだしてしまいますが、いつの時代もこの時期は高校生にとっては複雑な心境の時期のようです。もう少し高校生でいたいなどと思った時期です。当の受験生にとっては、本当に大変な時期ですが、自分の力を出し尽くせるよう頑張って欲しいものです。自分を振り返っても、そんな昔の様な気がしないのですが、卒業後の年数を考えると結構昔の出来事だったことに年月の重みを感じてしまいました。
January 31, 2005
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人それぞれ好きな事は違って当り前ですが、好きだと思える事は、没頭できるし、何と言っても楽しいです。今までの人生を振り返って見ても、好きな事をやっている時は楽しくもあり充実もしていました。 苦しい事を進んで求めて自分を鍛えようとした時期もありました。でも、その頃を思いだすと、息苦しいくらい辛かったけれど、ある意味では、「苦しみ、もがいていただけ」の時期だったのかもしれないと後から振り返ると、そんな気もします。では、「苦しい事をする経験」が無意味かとなると、決してそうは思いませんが、少し角度を変えて考えると、「苦しまずに、楽しむ工夫をしていれば、ひょっとしたらそこから別の楽しみも生まれたかもしれないのに、その「求める心」すら失っていたのではないか・・・と思うことがあります。また、同じ「苦しい」と感じる感じ方にも状況によってかなりニュアンスが変わってきます。例えば、言葉どおりの「辛く苦しい」状況は、別の言葉に置き換えると「ストレスに満ちた状況」であるのに対して、目標に向かっているプロセスの中で、求める方向と現状のギャップを埋めようともがき苦しみながらその「壁」を乗り越えようとするときの「苦しみ」は明らかに異なります。前者は「苦痛」であるのに対して、後者は、「乗り越えるべき課題」であって、その後ろには充実感、達成感、成長といった『成果』が伴います。「産みの苦しみ」に近いものですね。「苦痛」を乗り越えても、一時的にストレスが軽くなるだけで、それによって明るいものに出逢うことは望めません。 それは、苦痛を乗り越えたのではなく、苦痛から逃げたにすぎず、何の解決にもなっていないからだと思うのです。そう考えていくと、そもそも、苦しいと感じることに向かうこと自体を思いきってやめてしまい、「明るい事」「楽しい事」「やってみたいこと」「憧れること」に向かって歩き始めた方が遥かに自分にとっても自分を取り巻く環境にとってもプラスになるのではないか・・という結論に至るのです。その時のキーワードは、「希望をもって、好きな事にその活路を見出す決心や覚悟」を持つことこそ大切で、決して「苦しさから逃げる」という発想をしないことだと思います。幸か不幸か「未来を見抜く力」などありませんから、試行錯誤を繰り返しながら、行動しては作戦を練り直して進むしかありません。でも、それが楽しいんですよね。 好きなことであれば。本当は、今好きだと思っていること以外にも、もっと好きな事が生まれるかもしれないことに大きな期待をもっています。coffeeでも入れて一服しながら、しばしの「作戦タイム」を取って見ましょう。
January 30, 2005
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世の中という大きな器でものを見ると、経済問題や社会問題は政府批判の代表格として常時国会などで論議され続けています。ところが、「家庭」ということで、同じ問題を考えると、批判の対象は正に自分自身に向けられざるを得ません。豊かな生活を目指しているのは全ての家庭で共通した認識であるにもかかわらず、実際に豊かな生活を謳歌できているかといえば、むしろ、苦しみながら頑張っている状況であるのが多くの家庭の実情だと思います。世の中を批判したところで、収入が増えるわけでもなく、ひとえに、自らの工夫や努力によってしか家庭のレベルでの問題は解決しません。そう考えると、少なくとも望むべき状況を目指すためには、今のままでは駄目なわけで、「変える」行動を起こしていかなければなりません。なかなか難しい事ですが、日々少しでも変化をしていけるよう、自分なりの「何でもノート」と題したノートに思いつく事を書き記して、それを叩き台にしながら変えて行く努力を試みています。特に、習慣化したものほど変えて行くのに苦労しますが、あえて変化をつけていかなければと思い、形に表す努力をしているところです。皆さんにとってそんな小さな努力はどんなことでしょうか。
January 29, 2005
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子供の頃初めて飛行機に乗った日の事をふと思いだしました。当時福岡空港から壱岐に向かうフレンドシップと呼ばれる60人乗りくらいのかわいらしいプロペラ機にのって家族旅行で壱岐に行った時の事です。僅か30分足らずの短い搭乗時間でしたが、初めて雲の上から日差しに輝く雲海を見た時の感動は今でも鮮明に覚えています。雲海を観た事の有る方は恐らく同様の感動をその最初の経験で感じたのではないかと思います。雲の織り成す山や谷、大きな波が打ち寄せるように吹き上がる雲や太陽の光を反射してきらきらと輝く海面のような雲のじゅうたんの上を悠然と飛んでいる自分の存在の小ささを大自然の雄大さの勢いの中で感じたものです。そして、子供ながらに、日常の出来事がその雲海の雄大さからすれば何でもない事のように感じ、ずっとこのまま雲海の上からその壮大な大パノラマを眺め続けていたいと切望していました。その後、海外出張などで飛行機に乗るたびに、雲海を見た時の心地よさはずっと変わらずこころに刻まれ続けてきました。日常生活の中で、雑事に飲み込まれてこころが窮屈になることがありますが、そんなときに、「青空」「雲海」「大宇宙」といった雄大な自然を思うと、目の前の現実も、そんな雄大な自然と比べれば、ほんの一瞬のほんの些細な出来事に過ぎないことを痛感し、「まぁ、何とかなるか!!」と楽観主義者になれるのです。こころが縮こまった気分の時は、そんな雄大な雲海の上をゆったりと飛行している自分を思い浮かべると不思議とす~と楽になります。みなさんにとってそんな魔法の「映像」はありますか?
January 28, 2005
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遊女asomeさんのブログの最新の日記に「幸福とは」というタイトルで、幸福について興味深い記事がありましたので、私なりに日頃から幸福について考える際にどうしても乗り越えられない『壁』があったものですから、コメント欄に書きこませていただきました。書き込みながら、自問自答をしてみたものの、その壁にたいするすっきりした形が見えて来ないのです。そこで、TBをさせていただき、私の入れたコメントについて、何か感じるものがあったら是非その感じるところを皆さんにもお尋ねしたいと思いました。以下が、私の書き込み全文です。どんなことでも結構ですので、何か感じるものがあったらお聞かせください。すっきりしない感覚は私だけでしょうか?+++++++++++++++++++++++++ (以下、私の入れたコメント) 幸福と経済的側面の関係で難しいところがひとつあって、生きて行くのに支障のない経済力を土台に持つ人の感じるものと、生きて行く事自体が経済的破綻状態のために困難を極めている人の感じるものとの違いをどう見るかという点です。例えば、病院に支払うお金を食費に回さなければ家族が生きていけないという事態に直面している家庭の存在を考えた時、お金さえあれば・・と感じたとします。幸福にはなれなくても、不幸を避ける事ができるという感覚でのお金に対する欲求がそこにはあるように思います。逆に、お金なんかいくらあっても精神的に満たされないことによって不幸を感じている人もいるでしょう。そう考えた時、「幸福」という感覚と「不幸でない」という感覚の微妙なニュアンスの違いが出てきます。一方で、お金がなくて病院に連れて行けない思いをしている家庭にも「幸福」と感じることは沢山存在しているはずです。このあたりが、「幸福」を考えていく時に難しい点だなと、いつも壁にぶち当たってしまいます。難しい『ジレンマ』の様な問題ですが、どうなんでしょうね。
January 27, 2005
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日曜日に行われた英検を受けた生徒から携帯にメールが入りました。『英検受けてきました。結構自信あるかも! リスニングもしっかりと聞き取れました! 大丈夫だと思います。』このメールを読んで、思わず微笑んでしまいました。携帯メールの短い文面から、やるだけやった事の爽やかさと努力したことへの確かな手応えを感じていることがよく伝わってきました。努力をする生徒がその結果を素直な手応えと共に伝えてきてくれることは、一緒に伴走して走っていると勝手に思っている私にとっては、この上もなくうれしくもあり、そうした前向きの挑戦をする意欲を持ってくれていることに対して、ある種の敬意すら感じます。前向きに頑張る姿は、やっている本人が一番手応えを感じているのは勿論の事、周りにも共感を与え、やる気の牽引役を担ってくれます。手応えと自信を感じてくれる生徒が一人でも増えていくように私も頑張らねば!生徒に刺激されファイトがでてきました。
January 26, 2005
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スマトラ沖地震による津波被害、新潟の中越地震、台風による水害など、災害の現地では報道の頻度に関わらず、むしろ日が経つにつれ被災の現実問題が姿を現しているようです。津波被害の沿岸地域も、ニュースで膨大な瓦礫の山を見るにつけ、復興という言葉がまだ現実的でないことが感じられます。 新潟や全国の台風被害の地域も同様のはずです。時と共に世間の関心も薄れてくるものですが、被災された方々の本当の苦難は、まだまだ今からということが容易に想像できます。同時に、ボタンティアの方々の心温かい支援活動に感動させられます。太古の昔から繰り返されてきた人間と自然のこうした闘いは、自然の中で人間が暮らしていく限り、避けては通れない現実でもあります。家族を失い、家を失い、財産まで失った状態から立ち直る事は、想像を絶する苦難とストレスを人間に与え、その事だけでも耐え難い苦しみを感じている方々を、現実の生活というさらなる苦悩が襲い掛かります。どうか一日も早く、元の生活に近づくことができますよう心からお祈りいたします。
January 25, 2005
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バイオリンの音色もいいですね数日前にNHKのTV番組で寺井尚子さんというジャズ・バイオリニストの方の演奏を観る機会がありました。ご存知の方も多いかと思います。で、私はといえば、今まで知らなかったのですが、その明るくリズミカルな表情やステップを踏みながらの軽やかな演奏ととてもまろやかなバイオリンの旋律に、いっきに魅了されてしまいました。クラシックのバイオリンとは、一味違う独特なリズム感とその音色の乾いたような木の温もりを感じるような柔らかさが素晴らしい。ウェブで検索すると、寺井尚子さんのHPが見つかり、クリックすれば作品の視聴ができるようになっていました。 早速クリックして全部聴いて見ました。私は、『パリの空の下』というシャンソンをジャズにアレンジした曲がお気に入りです。 もともとシャンソンの歌声も好きで、アコーデオンの音色も捨て難いものの、バイオリンでの演奏を聴いてちょっとした感動を覚えました。『あの頃の日曜日』もほのぼのと昔を思いだしているような軽やかなタッチで良い感じです。よかったら、皆さんも聴いてみてはいかが?今日は、私が自分の感じたことを勝手に書きましたが、是非、他の方が聴くとどういう風に感じるのかお聞きしてみたいので、ご感想をお教えください。寺井直子さんのHPは、http://www.toshiba-emi.co.jp/terai/disco/index_j.htmです。 是非、視聴してみてください。きっと、素敵な音楽に心が癒されます。
January 24, 2005
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◆人の痛みを感じる感性も必要◆沢山の読者に誠意ある返答をすることで着実に素晴らしいサイトを築いておられた方が突然サイトの運営を取り止める決意をされました。助けを求める読者に誠実な対応をし、それこそご自分の睡眠時間を裂いても丁寧に対応されていた方です。最近の掲示板を振り返るとその原因が見えてくるような気がしました。無用の言いがかりによって、誠意あるサイト運営者の心を蝕むような書き込みをする方の存在が見えてきます。つい最近の私の日記で、ブログの素晴らしさを痛感し、それに対する素晴らしいコメントにより更なる確信を持ったのもつかの間、とても心の痛む思いがしています。モラルやルールというものでなくても、もっと原始的なレベルの人間性を誰もが持つ必要がありますね。善良で誠意のある方ほど、そうした悪夢の様な攻撃には人一倍心を痛めるものです。幸い私のサイトでは、今の所、素晴らしい方々にしかお目にかかっておりませんが、いつ何時そんな事態になるとも限りません。この話の奥が深い点は、単にサイト運営者の被害にとどまらない点だと思うのです。相当数のアクセスをお持ちでしたので、当然の如く、相当数の善良な誠意ある読者の方々をお持ちであったはずです。(相当数というよりはむしろ、ほぼ100%に近いといったほうが的確だと思います)そうした読者の方々も、そばにあるべきものが急になくなってしまうことの寂しさを痛感されるはずです。読者=ブログのサイト運営者である事を思うと、誰もが経験あると思いますが、例えば、◆家族の団欒を奪いたくないからと、子供達の寝静まった深夜にだけブログをすることにしている主婦の方◆週末はブログに封印して全面的に家族とともに過ごすように決めている方◆子供の成長に伴い色んな悩みを解決して行く際に大きな力となって心を支えてくれるブログ仲間の存在◆心の病に悩みながらも、他にも沢山の同じ想いをしている方々が病気とうまくつきあっている姿を垣間見る事で自分も頑張ろうと前向きになることができるようになった方◆自分の目標に向かって頑張っている方が、他にも同じ方向に向かって頑張っている方の存在に励まされ、更なる成長に向かって努力している方◆アフィリエイトに励みつつ、日々研究を重ねて進歩して行こうとしている方◆同じ趣味の方々と交流を重ねて人生を豊かにしている方■結局、いろんな方が色んな人生を歩みながら、ブログという今までになかったコミュニケーションの手段を使って新しい出逢いを通して心を通い合わせることができるのです。そして、それぞれのサイト運営者は、自分の生活の中の貴重な時間を何とか搾り出して日々の日記をUPし、コメントにもこころをこめて対応しているはずなのです。読者=サイト運営者である以上、そうして誠意ある善意を持った人々によって自分自身が支えられていることの有難さに『感謝し』、素晴らしい『感動』を一緒に味合うことで、『感動の共有』をして行きたいものです。『人の痛みを感じることのできる感性』を誰もが持ち、むしろ、誰の役に立つかは分からなくても、誰かの役に立ってくれたらうれしいという思いで、感動を広げる意識を持つべきだと思うのです。素晴らしい読者に恵まれていることに感謝しつつ、『お互いに相手を大切にするこころをもって、感動を伝え合うことのできる素晴らしい関係を目指しましょう。』と訴えたい気持ちにさせられました。その素敵なサイト運営者の方が、今朝も私のサイトにアクセスしていただいたことがアクセス記録にあり、御礼にうかがった矢先のことでしたので、自他ともに「怒らない人」と認める私がかなり憤りを感じて書かずには入れない気持ちになりました。皆さんの周囲にもそんなことがありましたら、是非コメントを頂きたいと存じます。
January 23, 2005
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太陽も自転しながら公転しているって知ってました? 目からうろこが落ちる思いは私だけ? 私は知りませんでした。しかも、それを知ったのは、子供向けのサイトを見てなのです!!それによると、地球が24時間かけて自転し、365日かけて太陽を公転しているのと同様に、太陽もまた、25日間かけて自転し、秒速220Kmで銀河系の中を公転しているというのです。 地球を含めた9つの惑星が時速に直すと時速約80万Kmで銀河系を公転する太陽の周りをさらに公転しながら銀河系を旅しているということになります。でも、太陽の公転速度が分かるのに公転周期が書かれていないのが気になります。それに、どこを中心に公転しているのでしょうかね。銀河系の渦の中心に対して公転しているという風に理解したら良いのでしょうか。きっとそれこそ天文学的数字で、我々が聞いてもぴんと来ないような時間なのでしょうね。こういう天文学的で壮大な大自然の営みを想うと、我々人間が日々、喜怒哀楽を繰り返しながら生きている時間のなんと短いことか!!宇宙の営みのなかでは、雨粒が地面に落ちた瞬間よりまだ短い瞬間くらいでしかないのが人の一生なのです。そう考えると、人として生きてこの世に存在していることすらほとんど奇跡的にすら感じられます。となれば、「多少思い切った行動をしたところで、いちいち一喜一憂することもないか」と気分も大きくなります。オプティミズム(楽天主義)が生まれる背景は、こういう大自然の営みの壮大さを想うことで理解できるような気がします。気楽に行きましょうよ。大した事ないですよ。 たかが人間の一生の中の出来事くらいなら!!今日は、そんな「大らかな気持ち」を自然に感じてしまう大宇宙のお話でした。学研サイエンスキッズというサイトの中の記事参照http://kids.gakken.co.jp/kagaku/110ban/text/pict/1076.html
January 22, 2005
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楽天日記を始めて以来、自分の中で大きく変化した事は、それまでメルマガ中心に読んでいたのが、今ではそれが激減して、圧倒的にブログ中心になっている事。どうしてだろうかと自問自答をしてみると、メルマガが一方通行なのに対して、ブログは双方向以上のまさにWEB(くもの巣)のような複数の方向性と同時性があって「生き生きしている」ということに尽きます。さらに、読む側が自由に選択してアクセスする結果、感性を共有する事のできる人が自然と集まって来てそれぞれのコミュニティーが形成される点も良いですね。ただ、メルマガを否定しているわけではなく、メルマガから得られる情報の質の高さにも感動的なものがあります。結局、パソコンという扉をあけると、色んな情報を手に入れる事もできれば、感性を共有することで、自分も出会った人も前向きに関わる事でお互いの人生を生き生きと輝かせながら、しかも成長していける・・・素晴らしいですね。これから、こうしたコミュニケーションの手段がさらに発展していく事に大いに期待したいものです。
January 21, 2005
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「朝令暮改」を辞書で引くと、朝に出した命令を夕方にはもう改めること。方針などが絶えず変わって定まらないこと。とあります。批判的な意味で使われる言葉ですね。ところが、現代の様な変化の激しい時代には、必ずしもこの言葉が当てはまらない事も多いように思います。指導者の器が大きいことが先に有りきの場合は、一つの方針が全てに当てはまり、全てがうまく行くということもあるかもしれませんが、実際の世の中を考えると、先の見えない状況に試行錯誤を繰り返しながら、「行動」と「検証」「対策」を繰り返すことで生き抜かなければならないのが現実ですね。そんな状況では、むしろ変化することが先に来ないと検証すらできないという事になります。だから、見方によっては、形から変えていくことで変化をしていくことが必要なのかもしれません。身近な事で例をあげると、ファッションを変えると、気分も行動も変わるということは、特に女性の場合は実感として経験があると思います。別の観点から見ると、『変化するように形を変える』ことが状況を変えていく一つの方法なのかもしれません。マンネリ化した生活を変えたい・・不満が満ち溢れて気分がすっきりしない・・・自分の性格が自分で気に入らない・・・など、いろんな変えて行きたいことが誰にでもあるはずです。それを打開する一つの方法として、『形』を思いきって大きく変えて見ることで、変化が生まれる可能性が高まると思います。もちろん、壁から逃避する方向ではなく、立ち向かって行く意味で。独身者であれば、転職も『形を変える』ひとつの方法かもしれません。 ただ、家庭を持っている人はより深い選択肢の中から慎重に、熟慮する必要はありますが。その上で、覚悟して『形』を変えて行くことで、おのずと前向きの変化が伴うと思います。『変化を求めて形に表す』ことは、やって見る価値がありそうです。
January 20, 2005
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データを読み取る「スキミング」によりキャッシュカードが偽造され、多額の現金が引き出される事件の窃盗グループが逮捕されたというニュース。詐欺や窃盗という行為は、絶対に許されない卑劣な行為ですが、年々その発生率も高まっているともいわれ、なんともすっきりしない気持ちです。私は、性善説をむしろ信じたいと思っているのですが、太古の昔から、悪事を働く人は必ず存在し続けていることもまた事実。生活を維持できないから他人から財産を奪うことで生き延びようとする人がいるかと思えば、一方では私財を処分してでも人のために何かをしようとする人もいます。「道徳心」は家庭での親子のしつけの段階でかなりの部分は築かれているはずです。 人間として決してしてはならないことの認識とそれを犯すことの罪悪感も、そうした幼児期のしつけの中で育まれるものだと思います。世の中が悪いと投げやりにならずに、自分の子供へのしつけを通して、子供の頃からの善悪の判断能力をしっかりとつけさせてやることが親としてやって置かねばならない大切な使命だと痛感します。批判はいくらやっても何も変わりません。今からでも、子供達の本来持っている良心を多少の環境の変化によってもゆがめられることのないようなしっかりとした「不動心」「道徳心」を日々の生活の中で子供達に身につけさせる事こそ大切です。そして、わが子にとどまらず、周囲の子供達にもそうした気持ちで「期待する気持ちを持って」働きかけて行きたいと思います。
January 19, 2005
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小学生の生徒にMy favorite subject is ・・・・ (好きな科目は・・・です)の・・・に入れる好きな科目がそれぞれどの科目かを尋ねて見ると、「好きな科目な~い」とか「分からない」と答える子供が多いのには驚かせられます。驚くというよりは、寂しいという方が近いかもしれません。「得意」となると、「好き+自信有り」なので、多少は制限を感じてもいいでしょうが、単に「好き」かどうかだったら、2つや3つはすぐに浮かんできそうな気がするのですが・・本当は、「得意」の意味で尋ねているわけです。有るはずなんです。誰だって心を傾けたくなるものは必ず有るはずなんです。何にも興味が無いよりは、何かに没頭している「オタク」の方が遥かに素晴らしいとも思います。 周りの人は批判的に「オタク」などといいますが、多分当の本人は、「楽しくてしょうがない」はずですから。勿論、自分では分かっていても、周囲の人に自分の思っている事を表明したくないという心理が働くことも理解はできます。でも、できれば、周囲を気にし過ぎず、明るく大らかに自分の思いを伝えられる子供達がもっと増えるようにしていきたいものです。批判を恐れたり、周囲と歩調を合わせておくことで均一化してしまう結果、個性だけでなく、『明朗さ』までが失われるのは良くないことですね。何事も「明るく楽しく一生懸命に」と思ってやっていると、知らず知らずに、興味が出てきたり、楽しくてしょうがなかったりしてくるものです。そして、その「明るさ」ゆえに、人が集まり、同じ楽しみを分け合い、一緒になって何かを作っていこうとする一体感がでてくることができるといいですね。そうなると、「誰か他の人にもこの楽しさを伝えたい」という気持ちも湧き出すことでしょう。そんな気持ちを引き出せるよう、子供達に働きかける努力をしていくつもりです。まずは、こちらが明るく快活にしていくことから始めなければ。
January 18, 2005
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色んなメディアで震災から10年を振り返る特集が組まれて、放送されています。10年という歳月を早いと感じるか長かったと感じるかは人それぞれ、異なる感じ方をされているかと思います。私も震災時の震度5~6のエリアに暮らしていたのですが、幸いな事に連休で妻の里に帰省していて助かりました。その日の夜に私だけ自宅に戻って自分達が寝起きしていた部屋を見た時に偶然助かったことに感謝の思いが吹き上げた事を思いだします。当時は賃貸であり、持ち家ではなかったので引っ越すことで何とかなりましたが、我が家も我が町も失った多くの方は、どんなに心細く不安な日々が続いたことかと考えると、新潟の地震ともオーバーラップしてしまいます。災害によって、助け合い、固い絆が結ばれることもあるでしょうし、人間同士の権利を主張しあって醜い争いごとになることも当然の事としてあるでしょう。異なる環境で、人間関係に苦しんだり孤独感を感じて辛い思いをされている方も多いはずです。 お金の問題も心の問題もそれが簡単に解決しない問題であればあるほど、ストレスとなって心を襲ってくると思います。阪神大震災の教訓から学んだ事で、今回の新潟で役に立って事も多いでしょう。でも、元の生活を取り戻すためには、あまりにも遠い道のりが待っていることも事実です。いつ起こるかも予測できない災害は、いつ自分の元に降り注いでくるかも分かりません。日頃から教訓を無駄にせず、しっかりと備える心をもって自分の事として捉える習慣をつけなければいけないと再認識しています。そして、苦しんでいるかたに、少しでも元気や勇気がわいてくるような優しい心を伝える努力もしていきたいものです。
January 17, 2005
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寒くなってきましたね。いつもの冬なら、「寒いね」で終わってしまいがちですが、新潟の地震や日本全国で猛威を振るった台風の被害に遭われた方々にとっては、ただの「寒さ」では済まない状況である事を思うと胸が痛みます。その一方で、生活の再建のために、現実にもう一度目を向け直し、家族や隣人を励まし、自分自身にも鞭打ちながら「普通の生活」に戻ることを夢見て頑張っている方もおおいことでしょう。「普通で居れる事の有難さ」は普通で無くなって初めて気がつくものですね。天災という大きな力には到底及ばない人間の力ですが、せめて「暖かい心」や「感動」や「感謝の気持ち」を周囲の方達に優しく伝えることのできる人が沢山おられることに感謝しつつ、「普通の生活」を取り戻せるよう小さなことでもできることをして行きたいと思います。
January 16, 2005
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子供達のお年玉結果レッスンを始める時に、ちょっとした「どうでもいい話し」をすると、生徒達がひとつのことに頭を向けるため集中力アップに有効です。ウォーミングアップがてらに、「お年玉沢山もらった?」ときいてみました。小学生の低学年は、ほとんど「お母さんが預かっておくからね」のようですが、小学生の高学年以上になると、2万円から4万円(生徒によっては5万円以上もらった子も!)くらいはもらっているようです。もちろん全額自分が管理する生徒はほんの一握りで、大概の生徒は、お年玉の半分くらいは「お母さん預かり」に落ち着いているようです。小学生は大抵、ゲームやゲームソフトに使って残りは貯金、中学生になると、それぞれのお目当てのもののために貯金をしている子が多いようです。子供達にとっては、毎年楽しみな収入源ですが、親や親戚にとっては、これまた毎年必ず出て行く出費ということで、世の中にお金が回転していくという点では、多少なりとも経済にプラスの影響を与えているのでしょうね。まあ、自分を振り返って見ても「お年玉」は子供時代の正月の風情のひとつだったわけで、あまり、「お金」に目をやることなく、「正月の風情」として次の世代へと受け継いでいくべきものだと感じています。皆さんはお年玉にまつわる楽しいエピソードをお持ちですか?
January 15, 2005
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日記のリンクをしてくださっている榊龍舞さんの詩にとても元気をくれる素敵な言葉を見つけました。きっとこの言葉で元気を感じてくれる方もいらっしゃると思いますので是非この場で紹介させてください。以下、榊龍舞さんの詩「らしくいこうよ♪」★★★そう、「らしく」いこうよ。あなたなら「あなたらしく」きみなら「きみらしく」私なら「私らしく」何事にも「自分らしさ」を忘れずにむかっていこうよ見えない岐路はたくさんあるから「らしく」いこうよ!! 「らしく」行くよ♪★★★日記のコメント欄に私は、こんなコメントを入れました。この言葉の素晴らしいところは、「あなたの良さを認めているよ」「無理しなくても気楽にやろうよ」「私もそう思うと元気が出るから、きっとあなたもそう思うと元気が出るよ」そんなふうな、相手を想う心の優しさが、「一緒になって元気に、笑顔で行こうね!」と語りかけているようで、とっても素敵な言葉だと思います。この言葉を聞くと「私はひとりぼっちじゃない」という連帯感すら感じさせてくれます。◆◆◆言葉の使い方は本当に難しくもあり、心のこもった言葉によって素晴らしい感動を受けることもできます。たとえば、誰かが悩んだり苦しんだりして困難に直面している時、とても素直な気持ちで元気づけたい気持ちになるものです。そんなときにも、場合によっては「言葉」が独り歩きして「本意とは逆の方向に感じ取られてしまうこともあるかもしれません」場合によっては、慰めの気持ちがかえって圧迫感として感じとられててしまうこともあるでしょう。ところが、「らしくいこうよ♪」と声をかけられたらどうでしょう?「あなたの感じるあなたらしさでいいよ」「それを感じていろんな困難や圧迫感や恐怖から自由になって、自分の素直に感じる自分の本来の姿でいればいいよ」「私も自分らしくやるから、あなたも心を楽にして一緒に自分らしさを大切にして生きて行きましょう!」そんな暖かい心までも言葉という「爽やかな風」に乗せて届けてもらえたらどんなに頼もしくもあり、元気が湧き出すことでしょう。同じ気持ちをもっていても、その気持ちを運ぶ言葉によって、本意が伝わらなかったり、言葉以上の感動を伝えることができます。「心を乗せて運んでくれる爽やかな風」となる言葉を心を込めて伝えられる、そんな感性を持ちたいと思います。榊龍舞さんの「素敵な詩」に感謝。
January 14, 2005
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毎日新聞のウェブサイトに<インド洋津波>楽園覆うゴミの山 被害のピピ島と題して「インド洋大津波から3週間弱、甚大な被害を受けた楽園・ピピ島が、ゴミの山と格闘している。島内ではあちこちで、がれきの山から煙が立ち上り、白かったはずの砂浜は焼却灰と混じって茶褐色に変わり果てた。搬出のため浜辺に積み上げられた廃材などのゴミは、海に流出。美しかった波打ち際を埋め尽くす有り様だ。」 と報じています。公害やタンカーの座礁による原油流出などのように人間が原因を作る場合もありますが、今回のケースのように、天災(自然災害)によって、自然が大きく損なわれるということもあることが、あらためて痛感させられます。そして、そうしたがれきの山を片付けるために焼却をすることで、焼却灰が砂浜をさらに汚してしまうという現実。もちろん、昨年日本を襲った台風による被害も同様の事が言えますね。自然災害の脅威を立て続けに、しかも世界規模で受けていることを振り返って見ても、自然のエネルギーの大きさにくらべると、どんなに人間の文明が発展しても、自然の力には到底かなわない事を痛感します。それでも、人間の素晴らしいところは、体験や教訓を無駄にすることなく、次なる事態に備える対策を講じる努力をするところだと思います。日常の生活に落としこんで考えてみると、いつでも誰にとっても突然訪れる危機は有り得る事です。ただ、残念な事に、日常が日常ですんなりといけている間は何が起こるとも知れないことに対策など立てられないこともまた事実です。せめて、世界や社会が「結果」として経験してしまった事態にどのように対応しているのかを「情報」として「関心」を持って見つめる感性を失うことの無い様、日頃から意識しておきたいものです。これは、自然災害にとどまらず、防犯、家庭内暴力、虐待、交通事故などいろんなことにも当てはまる事だと思います。そうした「疑似体験」こそが、思いもしない我が身に降り注がれる危機を乗り越える際の「防波堤」となるはずです。ニュースを、自分の環境に投影しながら「意識して見る」という気持ちで見るよう心がけたいと思っています。
January 13, 2005
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正月明けの授業をやりながら、子供達の様子を見ていると、例年に無く今年は子供達の「やる気」のエネルギーを感じています。子供達も正月を通して、何がしかの心の整理をつけて、心機一転頑張ろうという心づもりができているのだろうか。そんなことを考えてしまうほど、生徒の生き生きさを感じてこちらまで授業に熱が入ります。小学生だけでなく、中学生はそれ以上にやる気満々で、授業のペースも快調に進めることができました。一月中には教科書の内容を全部やってしまって、2月からは次の学年の予習へと進めて行く事ができそうです。教える側にとって一番あり難い事は、「生徒の前向きな姿勢」を感じられることです。前向きの心は、本人のみならず、周囲にも活力を与え、巡り巡って自分も周りも生き生きと成長していけるとても重要な要素です。快調な滑り出しに一安心です。せっかくのやる気に応えるべく、個々の良い所をもっともっと引き出してあげれるように「付加価値のある授業」をやっていくつもりです。生徒から爽やかな風をもらえたことをとてもうれしく感じました。明日もこの調子で頑張っていくことにしよう!
January 12, 2005
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子供達も幼稚園や学校が始まり、ようやく生活のサイクルが日常に戻った感が出てきました。子供達にとっても久し振りに友達と遊んだり、いつもの生活リズムに修正されて、かえって生き生きしているようです。大人の方もさすがに正月気分はとっくに消えていつもの生活に戻っていますね。日常はあわただしくもあり、日常こそ本来の姿なのかもしれません。でも不思議なもので、日常に身を置くことで逆に夢や希望への憧れや期待感が沸き起こってくるものです。やはり、だだの日常ではうまくないですね。日常の中で、将来こうありたいと思うことに少しずつでも近づく気持ちを持ち続ける必要がありそうです。スポーツでも、上達を意識して続けるからこそ結果が成長を示してくれます。また、結果の見えないスランプの時期でさえ、向上心を失うことなく努力を続けることで次の急速な進歩という「夜明け」がくることを誰もが経験的に知っていますね。結局、日常が一番いいのだけれど、その日常の中に「将来のための布石を打ちながら」進むことが大切なんですね。そのことが、「成長し続ける」ことであり、明日という別の日を向かえるために今日やっておくことなんだと思います。
January 11, 2005
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『選択の自由』人生色んなことがあり、色んな人に出会いながら結局、「状況」と「人」とに出逢いを重ねながら生きていると言っても良いかもしれません。楽しくうれしい状況ばかりなら最高ですが、なかなかそううまく行かないのもまた人生というもの。時には、自分の思いとは違うものの、状況をみて妥協する必要もあるでしょう。そんな時に、自分の心の中に「私は・・・・と思うけれど、仕方なく、・・・さんの言うとおりにしている」というような状況があったとします。こうして受け入れた状況がすんなりと行っている場合は、なんでもないことですが、何かの加減で苦しみや辛さなどのマイナス要因がでてくると、どうしても、「・・・さんの勢でこうなった」と思いがちですね。「嫌々やらされる」とか「・・・さんの勢で」という思いの根本には、「私はしたくなかったのに・・・」という思いが自分の中に存在するからです。けれども、結果として「嫌々ながら受け入れた」のも「・・さんがいったことを受け入れた」のも全て『自分が受け入れた』ことなんですね。全てのことは、それがたとえ「自分の意に反していることであっても」受け入れるという選択をしたのは全て自分のした「判断」の結果なのです。全てのことは、「自分の判断した結果受け入れたこと」だとしたら、では、今、目の前にある状況はすべて自分の責任として受け入れなければならないのかという疑問が出てきます。結論からいえば、「YES」。全て目の前の状況は少なくとも自分で受け入れたことは自分の責任として受け入れなければならないと思います。ただし、ここからが大切なことなのですが、「その状況を変える自由もまた自分の手中にある」ということです。選んでしまったことは全て自分の責任で受け入れなければならないけれども、現状を見て別の選択をする自由もまた自分自身にあるのです。この点が重要だと思うのです。目の前の現実に押しつぶされて一番損をするのは自分自身ですね。 ということは、現実に押しつぶされないように努力することもまた自分自身を正しく生かしていくためには必要なことなのです。ですから、「今の状況が辛い、苦しい」と言う場合に、第一に必要なことは「現実から逃げずにその場所に根を張る思いで頑張ること」です。 その壁を乗り越えることなく横道にそれるのは自分を成長させること無く「単なる逃避」でしかありません。しかし、第二に必要なことは、その努力をして(壁に直面して逃げずに行動した結果)、なおかつその状況が自分を成長させる状況ではないと判断したら、ここで「選択の自由」を行使しないといけません。そのままその状況に甘んじていたら、自分自身をマイナスの方向に進めてしまいかねないからです。そこで、今日の結論ですが、天災は別ですが、ほとんど全て目の前にある状況は、それが例え『嫌々受け入れたこと』であってもそのことを嫌々であっても受け入れたのは自分自身である点を最初に認識しなければならないこと。そのうえで、現実から逃げずに、先ずはその現実という『壁』を乗り越える最大限の努力をする「行動」を起こすことです。うまくその壁を乗り越えることができたら、それこそ「自らの成長」というご褒美を手にすることになるのですから。そして、その「行動」を伴った努力をしてなおかつマイナス要因によって自分らしく生きることを阻害する現状であると判断したら、一刻も早くそこから抜け出すとともに、しっかりとした新しい世界への道を作る努力へと切り替える選択をするべきだと思います。それが、自分自身にあたえられた『選択の自由』だと思うのです。ご自分の身の回りを考えて見て思い当たる事はありますか?そんな場合に、今日の話が、自分らしい生き方を模索するヒントにでもなれば幸いです。
January 10, 2005
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ハワイアンを聞きましたハワイのラジオ放送をインターネットで聞いていたら、ウクレレの響きと共にハワイアンの歌声が流れてきました。日本は真冬で寒々としているのに、なんと穏やかでゆったりとした歌声だろうか・・・聴きながら心はハワイの暖かで鮮やかな景色へと飛んでいました。私は、「青空」「エメラルドグリーンの海」「ゆったりとした暖かな空気」「鮮やかで澄み渡る砂浜の景色」「波打ち際で繰り返される穏やかな波の打ち寄せる音」・・・そんな南国の景色を想像しながらしばらく「爽やかな風」を浴びている快感に浸っていました。元来のんびり屋の私にとって、このムードに浸れることは最高の贅沢です。南国の爽やかな風をずーと浴びていたい・・・そんなゆったりとした時間を過ごすことができました。なんだかとっても徳をしたような気分です。よし、早くまた実際にその風を浴びにいけるよう頑張ろう!!そんな決意をする午後でした。あぁ、まさにDreamy afternoon café. 思わずcoffeeを入れてしばらくハワイに身を置く気分を楽しむことができました。心は遥か南国へ・・・・・・
January 9, 2005
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学校が始まるのは11日からですから、今年は例年よりも冬休みが長い分お母さん達も何かと大変だと思います。勿論、子供達にとって休みは長ければ長いほど良いに決まっていますが。色んな子供達を見ていると、能力の差というものは、さほど感じませんが、感受性あるいは感性については、かなりはっきりと差があるように思います。感情的になることと感受性は少し観点が異なりますが、例えば、一番分かりやすいのは「季節感」「わび」「さび」のような、言葉ではなかなか言い表すことのできない部分が「感じ取れるこころ」のようなものでしょうか。一般的に感受性や感性というと、生まれつきの才能のように言われますが、私は、それを否定はしないものの、かなりの部分は、訓練によって習得し得るものではないかと思っています。特に本を読みなれている子供(本が好きな子供)は、状況や雰囲気に対する感じ方が鋭い子が比較的多いように感じます。あるいは、楽器を小さい頃から練習してきた子供なども俗にいう「音感」ということではなく、継続した訓練の結果、状況に対応する「対応力」が高まっていることも影響しているのか、感じやすいこころの土台が積み上げられているのではないかと思います。何かに一生懸命取り組むことを継続的に続けると、その対象になるもの以外に対しても敏感に反応をする回路の様なものができるのでしょう。よく、何かをやり始める時に、それが「将来役に立つかどうか」で判断しますが、こうして考えて見ると、少なくとも、継続してやることができさえすれば、直接の目的以外の派生的効果としての「感性」が鍛えられるのではないかと思います。だとすれば、やる前から即効性のある効果のみを期待するのではなく、積み上げる過程で派生的に得ることのできる「とても大切なもの」に対する寛容性も必要ですね。私は、たまたま英語を教えていますが、どんな分野でもあるいはお金をかけなくても、継続して続けることを大人がリードして子供達にやらせてあげることは、結果としてその子達の感性をも高めることに繋がると思います。自宅でお子さん、特に幼児期のお子さんに対して、いろんな試みをされているお母さん達も多いかと思いますが、「正しい情報とやり方を導入する努力」さえお母さん達がやるかぎりは継続する根気を持ち続けることで、かなりの派生的効果、(特に感性のレベルにおいて)があるのではないでしょうか。皆さんはどう思われますか。
January 8, 2005
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昨日久し振りにビデオを借りてきて家族で見ました。家族で見るので、楽しくて子供にも分かるのがいいということで、ディズニー映画の「メリー・ポピンズ」(ジュリー・アンドリュース主演のミュージカル)を選びました。もう40年も前の映画とは思えないほど新鮮な気持ちで楽しく見ることができました。あらすじは、1910年のロンドン。仕事中毒の両親を持つジェーンとマイケルのもとに、二人が夢に描いた理想の家政婦メリー・ポピンズが風に乗ってやって来ます。彼女は得意の魔法で家事をこなし、煙突掃除人のバートと共に子供たちを奇想天外なファンタジーの世界へと誘い、不思議の世界で夢のような楽しい体験を子供達と共にします。彼女の魔法は、子供たちだけでなく仕事に魂を売った大人たちの心をも開いてゆくことになります。「チム・チム・チェリー」、「鳥に餌を」を始めとする名曲にのって笑いあり涙ありの物語が展開する、ファンタジー・ミュージカルです。下のサイトで簡単な解説と映画のカットの一部が見れます。http://homepage1.nifty.com/faust/CONTENTS/CINEMA/PICTURES/MaryPoppins.html大人も子供も、現実の世界のあわただしさの中に忘れかけている「夢」を通して『明るく生きる楽しさ』を思いださせてくれる映画だと思います。映画の中で、仕事一筋の父親が些細な事から仕事を首になって初めて気づく「明るく生きる」ことの意義、家族の大切さを音楽と楽しい踊りによって表現しています。年末の日記のコップの水の話にも関連しますが、今、目の前の現実にあっぷあっぷしながら苦しい思いをしている方が多いかと思います。というより、そう感じながら生きていることが人生の一部なのかもしれません。映画の中では、そんなとき、一つの呪文supercalifragilisticexpialidocious (スーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャス) を唱えると、とたんに明るく元気になり、全てがうまく行くというシーンがあります。 この呪文に当たる言葉は人それぞれ違うでしょうが、要は、自分を励ますヒントなりキーワードなりを一つ持つことで、苦しい時、辛い時に元気が出て明るくなれるということですね。さらには、家族の運命を背負った父親が明るくなることで、家中が明るくなってくるということも大きなヒントを与えてくれます。それが、父親であれ、母親であれ、家族を明るくするためには、先ず親が明るい言動と行動をすることが家族全体を明るく元気にしてくれるということ。我が家も先ず父親である私が、明るく楽しく、元気で生き生きすることで、もっと素晴らしい家庭にしていかねば・・と思っています。皆さんのお宅では、どうですか?
January 7, 2005
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正月を通して心と体の十分な休息と充電を済ませ、新しい方向への動機付けのため色んなサイトを訪問して見ました。そして思うことは、『先ず自分を磨くことから始めよう』ということです。世の中が不況、天災、犯罪といったマイナスのエネルギーを帯びている今こそ、もう一度自分自身を見直し、先ず自分の心を磨き、明るく、前向きで、優しく、大らかで周りに関心を寄せることのできる自分となるよう「自分を磨き直そう』と強く思っています。「そのうち世の中が変わるだろう」ではなく、先ず自分自身をもう一度磨き直し、鍛え直し、自分の姿勢を変えて行こう。自分の姿勢が変われば、世の中に何かを伝えたくなるはずです。心から伝えたいという姿勢で自分の変化の過程で掴んだことを伝えようとすれば、きっとそれに対して感性を共有できると思ってくださる方も現われることでしょう。先ず自分を磨き、何かを掴む努力をして見よう。きっと自分自身がプラスの変化をするはずです。そして、それを周囲に伝える努力をして見よう。そうすれば、何か前向きの心の発信源となって、小さなことかもしれないけれど、誰かの心に何がしかの前向きの変化を与えることができるかもしれません。幸い私は、『何かの縁で集まってくれている生徒』と『何かの縁で感性を共有することのできているブログ仲間』を持つことができています。そんな小さなところからでも、前向きに成長し続けるための「ヒント」くらいは発信することができるはずです。先ずは自分を磨きます。今日は始動2日目を向かえました。
January 6, 2005
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スマトラ沖地震による津波の惨状が毎日のように報道され、日本人にも多数の犠牲者が出ている状況を思うと、平和な正月を過ごすことのできたことを感謝しています。ところで、アメリカのニュースなどでもこの地震が原因の津波被害について毎日のように報道されています。Tsunamiという単語は、以前から英和辞典などにも「津波」を意味する英語として記載されていましたが、皆さんご存知でしたか。 当然ながら日本語の津波がそのまま英語化した代用例です。昨日のVOA(Voice of America)のヘッドラインにも何度となくTsunamiの文字が登場していました。もちろん、「津波」の意味です。このように日本語が英語の単語化してしまったものの例では、Karaoke(カラオケ)、Judo(柔道)、Karate(空手)などが代表格ですね。でも、発音となると、Karaokeは、「キャリオキ」、Karateは、「クラリ」のように聞こえます。ちなみに、Tsunami(津波)は、ほぼ日本語とおなじ「ツナーミ」という感じの発音です。何故分かるかといえば、別にネイティブと話す特別な機会がなくても、インターネットに接続してブログをやっている方は誰もが世界中のラジオやテレビの放送がネット上で聞いたり見たりできるからです。テープやCDをお金をかけて買うこともひとつの方法ですが、私は、絶対にインターネットのラジオを聞く事をお勧めします。(子供にはまだ内容もスピードも難しいでしょうが、あるていど基本をやって、どんどん英語のシャワーを浴びたいと思っていらっしゃる方には最適だと思います。)子供番組については、まだ詳しく調べていませんが、きっと沢山の子供向け番組が有るはずです。どこが良いかといえば、1)現地の放送なので、ナチュラルスピード+自然なリズムと自然なイントネーションで話される点。2)内容がライブもしくはその日のニュースや話題なので、内容の推測もでき、「飽きることなく聞ける」点が最大のメリットかもしれません。 特にトーク番組は、人と人の言葉のやり取りですから、本当に臨場感があって面白いです。3)当然のことながら「タダ」でお金がかからない点。 (厳密には、インターネットにかかる費用の一部はふくまれるでしょうが、仮にこうした番組を聞かなくてもかかるものである事を思えば実質的にはタダ同然ですね)私の英語のスキルアップ計画のトレーニングにもこのインターネットの英語放送を聞きまくることを含み入れています。当然のことながら、インターネットにつないでいるわけですから、英語に限らず、フランスのラジオにつなげば当然現地のフランス語放送ですし、スペインのラジオにつなげばスペイン語放送が聞けることはいうまでもありません。考えようによっては、数ヶ月の留学をして、日本人ばかり集まって日本語しか話さないような留学をしている場合などと比べれば、日本に居ながら、遥かに身につく確実な方法だと思います。私の今年の抱負は、「行動すること」なので、早速行動を起こしてやり始めています。(実際には、かなり以前からこれは続けているのです)「間」を取りすぎたCDの英語は眠くなって私には続きません。ラジオの新鮮な話題がどんどん流れてくる方が全部聞き取れなくてもよほど楽しくやれます。今年ご自分のスキルアップを目指しておられる方がいらっしゃいましたら、是非やって見てはいかがでしょうか。相当の効果が有るはずです。なお、パソコンを買ったら初めからついているWindows Media Playerやネット上で無料でダウンロードできるreal playerのラジオチューナーをクリックすれば、すぐに物凄い数の放送局から自分のすきな局を選んで聞き始めることができます。英語に興味の有る方は、一度試して見る価値はあると思いますよ。何か「最初の一歩」を踏み出して見てはいかがでしょうか。
January 5, 2005
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今日からスタートします。正月の間、しっかりと心と体の休養をとることができました。お陰で、気力も充実し、やる気満々です。今日は、目先の1週間の予定を組むことから始め、それに必要なお膳立てを整えることからやります。その後、3か月を週単位で管理する作戦ボードを作ります。夕方から、その実行の「最初の一歩」を踏み出します。夜にもう一度日記をアップすることにいたします。◆始動◆ 追加版予定通り3ヶ月(1月、2月、3月)を週単位で修正しながら進んでいくための作戦ボードを完成しました。ついでに、今日の予定もこなし、「最初の一歩」を踏み出すことができました。この3ヶ月の大きな柱は、以下の2本柱に集中します。1)本業の新規生徒募集に全力を注ぐこと(20%UP目標) (新たな出逢いに期待)2)英語のスキルアップ 3/27のTOEIC目標 (生徒よりも先に沢山努力する)3ヶ月といっても週で数えると僅か12週です。昨日まではのんびりと正月を楽しんだので、かえって気力が充実していて気持ちが良いです。目標をもち、プランを作り、一歩踏み出すことまで初日にできたので、あとは、修正しながら走り続けるだけです。勿論、この走り続けることこそが最も難しい部分ですが、あえてここで書き記すことによって、元気よくすでに走っています。今年は、自分自身の「行動」をキーワードにして頑張ります。明日は2日目です。
January 4, 2005
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今年の正月は、3日まではゆっくりと過ごし、4日から気力を満たして新しい年のスタートを切ることにします。 ゆえに、日記の方も今日までは、ワードに書き記しておいて4日にアップする予定です。久し振りに、自分の日記を書き進まずに、ネットサーフィンを楽しみました。正月も休み無く日記をアップしているサイトも多く、感動に満ちたサイトもあり、結構楽しくふらふらと気楽きままにネット上を彷徨って見ました。今更ながら思います。 インターネットの普及によって、確実に世の中が変わってきている事を。まず、「情報」。 あらゆる情報が、いとも簡単に自分の手元まで持ってくることができます。あとは、その情報の活用の仕方をしっかりと考えて「活用」することで、目の前の進路をいろんな角度に修正したり、また新たな道を発見したりできるのです。人生は、修正できるからこそ素晴らしいし、修正することでいくらでもやり直せるということを素直に受け入れ、「行動」によって現実的に修正していけるのです。ただこの時に大切な事は、自分なりの「価値観」というフィルターにかけて、単なる「素材」でしかない情報をいかにして「味付け」するか・・・そして、どう料理するかを考えていくことで、より楽しく活用することができるはずですね。次に、ひとつひとつの情報の裏側に「人」が存在することの認識。これは、昨年ブログを始めた事で、人生の中でブログを始めなければ決して出逢うことも無かったに違いない多くの心温かき方々に巡り逢えたことではっきりと実感できました。これは、最高の宝物だと思います。それ故、自分自身を「こころ」で支えてもらっていると実感できる分、それをできる限り「こころ」でお返ししていきたいといつも思っています。苦しんでいる時はできるだけ沢山の明るさを手に持ちながら、心を穏やかにできる方法を一緒に考えていきたい。うれしいニュースには一緒になって心から喜びたい。悲しみを忘れるには、「時間」という薬が一番かもしれませんが、その時間を前向きに明るい方向に向かって過ごす時間に変えてもらえるよう、共に伴走することくらいはできるかもしれません。そして、素晴らしい考え方や感じ方、生きかたを実践しておられる方から学ばせていただくこともまた大きな喜びです。命の有る限り成長し続ける自分でいたいし、誰かにプラスの影響を与えることでその人の成長にも寄与できればこれほど素晴らしいことはありません。これからも変化をしながら成長し続けて行きたいものです。
January 3, 2005
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正月2日は子供と一緒に海岸沿いの公園に散歩に出かけました。浜辺の砂浜では凧揚げを楽しむ子供達の姿、爽やかで青く澄んだ空にいくつもの凧が風を受けながら元気に舞い上がっています。カモメや鳩に混じって小さなスズメ達も海辺の突堤で日向ぼっこ。年末に嘔吐に苦しんだ次男もロングスライドに大喜びで、何度も滑っては駆け上り、また勢いよく滑り降りてきます。 平和な正月です。今年は例年に無くゆったりとした正月を過ごすことができました。思いっきりゆっくりとして、新たなスタートに向けての気力を充実しているところです。何もせずにぼーとすることで、逆にやりたくてしょうがないという気持ちになってスタートをきるつもりです。
January 2, 2005
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私のブログ、Dreamy afternoon cafeに足をお運び頂いた皆様、昨年は本当にありがとうございました。皆様のお陰で、素晴らしい年だと実感しつつ年の暮れを過ごし、そして先程、カウントダウンの後、新しい年を迎えることができました。さて、今年はどんな素晴らしい年になるか。というより、どうやっていい年にするか。それを毎日考えながら、とにかく一歩一歩前に向かって歩いていきたいと思います。新年の清らかな気持ちをさらに清らかにするため、今から西宮神社に行ってきます。 今年も「まず動く」ことから始めてみます。このブログには、フランス、イギリス、アメリカ、ベトナム、韓国、いろんな国に在住の方も寄っていただいています。 多少時差の関係で、新年のタイミングもずれますが、どうぞ、今年もよろしくお願いします。自分自身の前向きな心と、それを支えてくださる心と、そして、少しばかりの幸運で今年もいい年にしていくつもりです。皆様も健康な心と体で新しい年をスタートしましょうね。
January 1, 2005
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