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平成3年10月27日、雨天仏滅の過食の典(え「かしょく」の字が違うってか?まー、これでも間違いではないんです(^o^))から16年経ちました。結婚して早くも17年目。 27日当日は、夫菌ちゃまがバイクの集まりでお出かけだったので、2日遅れの平日の夜に外食をしました。嬉しいなったら嬉しいな!平日の夜の外食が、主婦にとってはパラダイス気分!(^o^) ってことで、いつものステーキのお店に行ってまいりました。 夫菌ちゃまったら、260gものステーキを食べたんですよ。私は、かわいらしく140gです。 ほら、美味しそうでしょ?
2007.10.30
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しつこかった不眠症、ここんとこだいぶマシでよぉ寝てます。けど、スッキリとはいきません。寝ても寝ても、眠たいんです。苦手な昼寝もちょっとできました。それでも、眠気の泥沼に引きずり込まれるような睡魔が襲ってきて、1日の半分くらい寝てます。 まー、これまでの睡眠不足をまとめて解消してると考えたらええんやろけど、実は、そうやないと思うんです。 先日のこと。母が一度は了解したのに、後になって弁護士さんに頼む件に異論を唱えて、説得に難儀したんですが、母が気にしてるのは、イチゲンさんで飛び込んだような弁護士事務所、ほんまに信用でけるんやろか、騙されへんやろか?ってなことなんです。弁護士費用はきちんと決められた額で、あとは実費を請求されたんやから、私としたら、何の不安もないんですけどね。 まー、母の心配もわかります。 で、私、弁護士さんとのやりとりで、ちょっとでも、賢そうに見せた方がええと考えました。そら、司法試験に受かった超秀才の弁護士さんとは次元が違うし、足下にも及ばないものの、そこそこ懲役の、いや「教育の行き届いた依頼人」に見せた方が、万一、悪徳やった場合「こりゃ、下手に騙せん」と思ってくれはるやろと。こんなんを浅知恵って言うのかもしれませんが。(^_^;) 事務所に行く時には、服装もメイクも姿勢も、ピシッとお堅くまとめました。まちごぉても、パールやグロスでギラギラ光らせた口紅塗ったらあきまへん。曖昧色も避け、しっかりティッシュオフしてマットに仕上げます。ほお紅も塗らんほうがよろし。顔色がやや悪目の方が、利口そうに見えます。 で、メールのやりとりも気ぃつかいます。ネットで調べて、法律用語に怖じ気づかんようにお勉強。幸い、法廷ものの小説やドラマが好きで聞き慣れてるせいか、もともとあんまり身構えんですみます。とはいえ、所詮はド素人。あまり知ったかぶりしたような文章も、小賢しくて失笑を買いそう。法律に関しては、ちょっとくらいは理解できるけど、あくまでもうぶな素人・・・って印象を持ってもらえたら大成功でしょう。敬語の間違いもないか、念入りに文章をチェックします。尊敬語や謙譲語や丁寧語、難しいですもんね、けっこう。 そういうのに、振ればカラカラ音がしそうな脳みそを酷使したもんで、脳が知恵熱だして、こないに眠たなるんやと、私なりに納得しました。無理は禁物。「素」のまま、あほのままでもよかったんやろか・・・と。 人間、身の丈に合ぉた振る舞いせなあきまへんな。(^o^)けど、今さら、後へは引けません。このまま、賢そうに見える演出、続けます。
2007.10.29
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JR新快速、姫路から大阪方面へ向かう電車内での風景です。 割とすいてました。座席はほぼ埋まってますが、若い人は元気よのぉ、空席があっても立ってる人が多いです。 スタイルのいいお嬢さんが立ってました。立ってる乗客どうしはツメツメじゃなくて、かなり空間にゆとりがあります。お嬢さんの足下に大きな紙袋が置かれてました。そばに立っていた中年女性の紙袋です。かなり大きな袋だったので、持ち手が高い位置にきます。 電車が揺れるたび、その袋の持ち手が揺れて、お嬢さんのお尻あたりに触れるんです。 お嬢さん、険しい顔になって、真後ろの男性をにらみました。痴漢だと勘違いしたようです。お嬢さんも、すぐに紙袋の存在に気づいたようで、あとは、何くわぬ顔して立ってました。 にらまれた無実の青年よ、世を拗ねるんじゃないよ。 乗客どうし、接近してないすいた空間で、んなことあるはずないじゃない。よほど、日頃から、被害にあってるのか神経過敏になってるんでしょうね。 はたで見てる立場から言わせると「お嬢さん、自意識過剰でっせ」。笑いをこらえるのに苦労しました。
2007.10.26
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とにかく、今月のはじめから、しつこい不眠に悩まされてます。お薬の効きが悪いんです。以前もひどい不眠に悩まされたけど、治ってたんです。割とよく眠れるようになって今年の夏の酷暑を無事乗り越えられました。 たっぷり7~8時間は眠らないとすっきりしない私が、2~3時間の睡眠で、昼寝も苦手で出来ず、日に日に憔悴していくのが鏡を見てはっきりわかります。 何よりも、頭が正常に機能しません。 ここ数日だけでも、やらかしましたよ、すかたんなことを。 大阪に出てきて、子供時代から慣れきった場所で、道がわからなくなること数回。元々方向音痴だからってこともありますが、ありえない間違いをしでかします。先日の日記で紹介した「弁護士事務所の行き帰りの迷子」は、単なる「元々の方向音痴」のせいで、不眠とは関係ないのですが。つまりあの程度の迷子なら、私の許容範囲ってことね。(^o^) 一昨日、大阪に向かうため片田舎の駅から姫路に向かってGO!姫路で、大阪方面行きの新快速に乗り換えます。その乗り換えで失敗して、片田舎方面に戻ってしまいました。駅降りてすぐ向かいホームの電車が大阪方面行き新快速に連絡されてることが多いので、確認せず乗ってしまったんです。その電車の場合、いったん階段を昇降して向こうのホームに行かないと大阪方面行きには乗れなかったんです。とほほ、凄い時間の無駄遣いをしました。こんな失敗は、片田舎に住むようになって16年で初めてです。 大阪のように人の多い場所での歩行も大変。まっすぐ歩けずふらふらしてるので、人とぶつかります。謝ってばかりしながら歩きます。掏摸と間違われたらいややなーと思いました。 同じく、一昨日、実家近所の銀行からお金を引き出した時、通帳だけ取ってお金を取らずにさっさと銀行を出てしまいました。気づいて戻ったら、私が使ったATMは使用禁止状態になっていて、行員さんに言うと、ニッコリして「はいお預かりしてますよ」と。あーー、よかった。真後ろに悪い人がいて、ネコババされてたらそれまでです。弁護士さんに振り込むお金を引き出したんで、むちゃくちゃ大金でもないんですが、失うと痛い金額です。 その銀行から、直接、弁護士さんに振り込めばいいようなもんですが、ネットバンクの新生銀行からだと、振込手数料が無料です。だから、銀行からお金を出して郵便局から他行入金で新生銀行にお金を移動させるつもりだったんです。他行入金はタダです。郵便局にやって来てから、手元にお金がないことに気づいて慌てて銀行に戻ったってわけネ。 それから、昨日、母の病院に行って帰る時、自転車置き場で鍵をあけようとしても開きません。もともと、差し込む角度がちょっと難しくて手間取ることのある鍵なもんで、しばらく悪戦苦闘。 はっと気づいたら、よそ様の自転車でした。私の自転車は全然違う場所にありました。色が似てたので、ふらふら~と別の自転車の所に行ってしまったようです。よそ様の自転車でうまいこと鍵があいたらえらいことです。けど、同じタイプの鍵でうまく開いたりして、そのまま気づかず乗って帰ったら、私は窃盗犯になるところでした。よかったー。きっと、今の状態の私、乗り心地の違いに気づかないはず。あ、そうか、私のは電動自転車だから、乗ればすぐに違いに気づきますね。へへへへ。 弁護士さんに依頼する件、もう正式に契約したというのに、母がごねだして、たいがい説得に苦労しました。今の私に必要なのは、心療内科のお医者さんじゃなくて弁護士さんなんだと、切々と訴えてようやく了解とりました。 そもそも、誰のせいで不眠症になってるんや!?と、母に憎々しげな視線を向けた私です。「お母ちゃん、アンタのせいやないか!いろんな手続きに奔走してるんはワタシ。本人確認でうるさいこと言われて、ちゃっちゃと字ぃ書けん(委任状書けん)お母ちゃんのせいで疲れきってノイローゼ状態。それで、不眠症が再発したんよ!」と。元々体力のない私、ほんま、ちょっとした面倒事で、すっかり憔悴します。おまけに大阪はいつまでも暑いし・・・。ゼイゼイ このままでは、このように、心がどんどん殺伐としてきそうです。 通常の委任契約と、任意後見契約を同時に締結し、公正証書を作って登記。その準備、ふらふらながらも、着々と進行してます。実家管轄の区役所で母に必要な書類、取ってきました。費用の振込も完了。 登記完了はいつになるかわかりませんが、進行してるという満足感だけで、ちょっと不眠がましです。夕べはかろうじて5時間眠れました。私には足りない睡眠時間ながら、最近にしてはたっぷり眠った方です。 やつれた顔が回復したら、ちゃんとお化粧もしてみよーーーっと。51歳乙女のささやかな希望です。
2007.10.25
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昨日、10月21日、無事に51才の誕生日を迎えました。当日、夫菌ちゃまは、私が起きる前に出かけて、帰りが遅くなったので、お祝いディナーは1日遅れの今夜です。 いつもはプレゼントも貰うんだけど、今年は、「物」よりありがたい贈り物をもらった気分です。 今月に入って、毎週大阪入りしてて、凄く疲れがたまってきてました。先週金曜日に片田舎の自宅に戻ってきて、やれやれ、今度は再来週だ、しばらくはこっちでノンビリできるとホッとしてたんです。だから、食材の買い物もたっぷりしました。 ところが、入院中の大阪実家の母が、わがまま言い出して、また、23日から、大阪入りしないといけなくなりました。疲れたよぉぉ、もう勘弁してほしいよぉぉ!身体的な疲れにプラスして、気持ちも凄く疲れました。夫菌ちゃまと土曜日にスシローに行った時も、途中で寄った大型電機店で、私は車の中で待ってるからって夫菌ちゃまだけ行ってもらいました。大阪で歩きすぎ、足の裏が痛くて歩きたくないし、気分は滅入ってるし・・・。 1週間はゆっくり片田舎滞在できるからって、安心して買った1リットルの低温殺菌牛乳のことが、私を落ち込ませてたんです。短期間しか片田舎自宅にいてられないとわかってる時は、牛乳は買わずにスキムミルクで我慢します。以前、生協の「お客様の声」に「低温殺菌牛乳の500mlパックも入荷してください」って要望しましたが、後日の返答では、今の時点では難しいとのことでした。半分量なら、片田舎滞在期間が短くても飲みきれるから助かるのですが。 夫菌ちゃまは、乳糖不耐性の傾向があって、牛乳をそのまま飲んだり、牛乳分の多いプリンとか食べただけでも、お腹がゆるくなるようです。 だから、火曜日からまた大阪に出てしまうと、牛乳は私一人では飲みきれません。ホットケーキを大量に焼いて冷凍しておくって手がありますが、くたびれきってて、その気力がありません。 仕方ない、飲むだけ飲んで余ったら、どうせ腐るから(低温殺菌牛乳は日持ちしない)捨てて行こうと観念しました。そのことを掲示板に書いたことは、掲示板をご覧いただいてる皆さんには周知のことかと・・・。 食べ物を粗末にすることは、自分の中で一番許せないこと。これまで「自分で買ったもの」は、責任もって使い切り、腐らせて捨てた経験ゼロです。その輝かしい経歴(?)に黒星がついてしまいます。 ただし、勝手に夫菌ちゃまが買ってきた食材で、私が留守にする前、使いきってねと頼んでおいたのに、戻ってきた時には腐ってしまってた・・・ってことはあります。でも、それは、自分の責任ではないので、あきらめがつきます。頂き物の予定外の食品で冷凍できないものも難儀します。自分の責任ではないけど、やはり、使い切れずに捨てる羽目になるのは、凄く抵抗があります。 実家老母のわがままのために、「自分で買った牛乳」を捨てる羽目になる。母の病状が悪いから駆けつけねばならないとかなら、やむを得ません。でも、そうじゃなくて、単なる年寄りのわがままなんです。くやしいーーーっ。 昨日の誕生日の朝、冷蔵庫の牛乳を飲もうとパックを持ち上げて、ん?軽い。まだたっぷり残ってたはずなのに・・・。 そうです、掲示板に愚痴ってた私の書き込みを見て、夫菌ちゃまが、たくさん飲んでくれてたんです。昨日、帰宅した夫菌ちゃまに確認したら、やはり飲んでくれてたって。 これなら、使い切れます!嬉しいわん。いっぺんに気が晴れました。 私は、マイペースが乱されることに対する耐性がないんですよ。いつも、先を見越して完璧に調整してるから、急に乱されると、脳みその足りない私は、混乱しちゃうんです。子育て経験のある人なら、こういうことは絶対ないでしょうねー。ほんと、私は、未熟者です。 とにかく、ありがとね、夫菌ちゃま。お腹、ゆるくならなかった?大丈夫だった? 今年の誕生日プレゼント、モノをねだるのはやめることにしました。こういうサービスの方がよっぽど嬉しいプレゼントです。 また、元気に明日から大阪入りしまーーす。
2007.10.22
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まずは、先日、難波の新歌舞伎座隣のビルにある「法律相談室」に足を運びました。先週、大阪に滞在してた時です。そのときの年輩の弁護士さん、即答は難しい、調べておくから、4~5日経ってから、自分の事務所に来るようにと名刺を手渡されました。おそるおそる尋ねます。あのぉ、その時の相談料はおいくらくらいでしょうか?あまり現金を持ち歩かないもんで・・・と言うと、1万円あれば大丈夫とのこと。 メールで、私の都合のいい日を書いて、いつ伺えばいいかと問い合わせたところ、すぐに返事をいただきました。そのメールに「18日の午後1時半から1時間ほど時間を取りました。場所はアメリカ領事館の真裏です。弁護士仲間にも相談してみたが、今のところ有効な方法はみつかっておりません・・・。」とありました。さらに、「相談料はけっこうです」と書かれてます。おかしいなー、弁護士さんの貴重な時間を頂戴するのに、何でタダなんやろ?と首ひねりひねり。グキッ。 相談の内容はというと・・・。しょーもないことで、いちいち母の委任状を請求されることに困り果ててるということです。いとも簡単に「委任状書いてもらってきてください」と言う郵便局や区役所。あの母に文字を書かせるのに、どんなに毎回難儀してることか、人の苦労も知らず、口を開けば「委任状・委任状」。そりゃ、印鑑証明のこととか定期預金解約などお金がからむことなら、委任状を求められても辛抱できます。だけど、母のかわりに郵便物を取りに行くとかその程度のことで委任状!って言われたら、もう、それだけで、心臓ぱくぱく。 母、まぶたが下がってくる病気で、無理にまぶたもちあげても、焦点があわず、所定の場所に住所氏名書くん、そら、時間はかかる、母はいやがって切れる、私もイライラして切れる。委任状のたびに、私、ストレスで体調くずします。完全に委任状ノイローゼ。 10月に入ってから、ひどい不眠症で毎日ふらふら。原因わかってます。10月末で母の健康保険証の期限が切れて、11月からのが郵送されてきます。母が入院してる病院に、新しい保険証を見せないといけません。けど、留守宅の実家に届く郵便物(配達記録郵便)があずかり期間過ぎて区役所に戻ってしまう可能性が高いんです。区役所に尋ねました。いつ頃発送しますか?さー、3週目になるか4週目になるか。はっきりせんかい!区役所にもらいに行く時、委任状が必要なこと、事前に調べてわかってました。そのこと考えただけで、蕁麻疹は広がるわ、動悸はうつわ、何よりも眠れないのがこたえます。 認知症や精神障害があれば、私が「成年後見人」になって、委任状なしにすべてを代行できます。しかし、不幸なことに、いや、幸いなことに、母は、身体は不自由で目ぇも見えにくいけど、頭は、異様にしっかりしてます。口は達者やわ、記憶力は抜群やわ。81の母に50の私、完全に負けてます。 認知症がない限り、どんなに身体が不自由でも、成年後見人はつけられないことは、私も前々から調べてよぉくわかってました。けど、委任状を省略できる方法、なんぞあるもんなら・・・と相談に行ったってわけです。頭はしっかりしてて判断能力に問題はなくても、失明とか手が麻痺しててペンがもてないとか、そういう人の代理人は、いったい、どうやって委任状を書いてもらってるのかも不思議でなりませんでした。同じように困ってる人、多いはずなのに、どうして、認知症しか認めてもらえないのか不満で不満で。 で、今日、行ってまいりました。 アメリカ領事館をネットで調べると詳しい地図がついていて、淀屋橋から徒歩5分と書かれてます。星条旗が目印とも書かれてます。何や近いやん。タクシー乗らんかて大丈夫やわ。 まー、遅れたら大変なので、かなり早めに出発しました。早めに出たのは大正解でした。5分で行けるところ、炎天下に30分さまよいました。地図と全然ちゃうやん。 首にネームプレートかけた近くに勤めてそうなサラリーマン風の人3人に尋ねました。ここまっすぐ行けばすぐです・・・。わからん、また尋ねる。あ、あっちですわ・・・。それでもわからん・・・。途方にくれました。 ガードマンが何人も立ってるビルの前で、真ん中に立ってた男前に「アメリカ領事館はどちらですか?」って尋ねました。尋ねるのは4人目です。そしたら「ここです」。え、ここがそうだったんですか?恥ずかしいーーー。さっきから、なんべんも通過してるビルでした。えらい物々しい警備してるビルやなーとは思ってました。 星条旗ってどこにかかってるんよ?きょろきょろ見回したら、ちびこい旗がうーーんと高い位置にあがってました。真上向かないと視野に入りません。こんなん、わからんやん。イタリア料理店みたいに、目立つアメリカ国旗を想像してたから、あないなちびこい旗、ちっとも目印になりませんやん。んま、何が、星条旗が目印!でっか。嘘こくでねー。プンプン その真裏にある弁護士事務所のビルはすぐにわかりました。ビル全体がローファームです。どの階も弁護士事務所。すごいなー、ここに、あの世にも難しい司法試験を突破した頭脳が集まってるのか・・・としみじみ。 まだ、約束の時間まで1時間弱あります。方向音痴を自覚してる私、はじめての場所に行く時には、1時間半は余裕をもたせます。もしくは、前日までに、下見に行きます。昨日、行ってみようかと迷ったんですが、アメリカ領事館ホームページの地図を信用して下見までは必要なかろうと判断したんです。 喫茶店で時間をつぶし、1時20分に事務所をノックしました。こういう場所に行くのは初めてなので、ちょっと緊張。事前に何度も練習した通りの台詞を、受付のお姉さんに言いました。「1時半からT先生にお時間をとっていただいてる○○です」と。私、大人らしいきちんとした挨拶とか会話、苦手。口べただから、しっかり台詞を練習してから臨みます。あ、うまく言えた。ニンマリ。 ほとんど待たされることなく別室に案内されました。見覚えのある弁護士さんとあと2人が部屋に入ってきました。また、しっかり事前に練習しておいた台詞を言いました。丁寧にお辞儀をしながら「先週は難波の相談室でお世話になりました」と。礼儀正しい婦人に見せたい一心です。そういうこと、さらりと言える器ではないので、たったこれだけの台詞でも、あほな私には重荷。(^_^;) あと2人の初対面さんは、お一人は落語家みたいな外見の若い弁護士さんと、女性秘書でした。まー、女性の理知的で美しいこと。こういうのをキャリアウーマンって言うんだなーと感心しました。落語家みたいな弁護士さんにも名刺を頂戴しました。落語家弁護士さんが、主にお話してくださいました。 結果。黄門様の印籠ほどの効果はないかもしれない、先方がその制度そのものを知らない場合は通用しないおそれはある。しかし、郵便局や役所なら、たぶん、通用すると。母の病室に、公証人が出向いて、母の口から長女にすべての法的手続きを委任すると言わせて公正証書を作るんだそうです。任意後見契約を結び、登記すればいいそうな。 で、問題の費用です。全く予想がつきません。弁護士費用と実費(公証人の足代とか、手続きにかかる費用)あわせて、だいたい「ン万円」です。 私、ビックリしました。「そ・そんなに・・・お安いんですか?」「桁、違ってませんか?」と。もう1桁多いのを覚悟してただけに、それだけの費用で、不眠症が治るもんなら!と、その場で契約しました。すべて、お任せしますと。万能のものでなくてもいいんです。何もしないでいるより、やるだけやったら、それで、気がすむんです。自分で動いてみて納得できたら、それだけで、委任状ノイローゼが治るかもしれない。そして、今日の相談料は、やはり無料でした。 委任状ノイローゼの医者代、たいしたことありません。けど、症状がおさまったら一刻も早く飲むのをやめるように!とか、危険だから出したくないとか言われる薬を使って、蕁麻疹や頭痛をおさえてきてたんです。そんな副作用のこわい身体に害のある薬、できるだけ飲みたくないので、医療費の問題じゃないんです。弁護士費用が少々高くついても、自分の健康を守る方が大事だと考えてました。 もう、いっぺんに気が晴れて、帰りの足取りの軽いこと軽いこと。 ところがです。また道に迷いました。帰りは淀屋橋ではなく梅田まで歩いて、JR環状線で天王寺に出て母の病院に報告に行くつもりだったんです。 梅田はあっち!ってのはよくわかってました。歩道橋があって向こう側に渡ります。階段が折れ曲がってたせいで、どっちが梅田方面かわからなくなったんです。どの階段降りたら、向こう側に渡ったことになるのかがわからないんです。どこ見ても同じような大きなビルばかり。 適当に歩いて行ったのですが、だんだん不安になってきました。暑い暑い昼下がり。 また、サラリーマン風の人に尋ねました。大阪駅、梅田駅はこっちでいいんでしょうか?と。私にしては上出来!合ってました。90度違う方向に歩いてしまってることを覚悟してただけにニンマリ。 無事、母にも報告し、よかったな・・・と言ってもらいました。母も私の健康の方が大事だから、お金がかかってもええって言うてくれてます。 これから、具体的な指示があるのを待ちます。母の病室が物々しい雰囲気になるのは、いつになるのかなぁ?何だか好奇心旺盛な私は、わくわくします。 ろぼろのドキドキ体験、これにて報告を終わらせていただきます。長らくのご拝読、ありがとうございました。
2007.10.18
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近隣の保健所の若手職員(職種関係なし)のサークルがあって、23歳当時ろぼろは、先輩に誘われて忘年会に参加しました。ほんとは行きたくなかったけど、むげに断れない雰囲気だったので仕方なく。ちまたでは、久保田早紀さんの「異邦人」が流行りまくってた頃です。 そこで、隣の保健所にいるA氏に見初められました。3歳年上です。私の豪快な食べっぷりに惚れ込んだそうです。残すと勿体ない一心で、誰も食べなくなった鍋を最後までつついてました。具が残ってるのに、もう皆さん満腹で食べられないようでした。私は、いくらでも食べられる痩せの大食い。(^o^) 勤務保健所は違うけど、通勤電車が一緒になるので、たびたび会います。2~3度はしぶしぶお茶しました。ところが、だんだんしつこくなってきたんです。電車時間をずらしても、いつの間にか同じ電車に・・・。自宅にも再々やってきて、アイスクリーム買ってきたからって立ち寄るんです。溶けてしまうものだから、受け取らざるをえません。漫画を貸してほしいというので「ブラックジャック」全巻を貸し出したことがあります。 あのぉ、私、Aさんとおつきあいしてるつもりはないんですが・・・と言っても、聞く耳を持ちません。そう、今で言うストーカーになってたんです。あのころはそんな言葉はありませんでした。電車で隣り合わせに座った時には、身体を密着させてきます。あのころは、セクハラってな言葉もありませんでした。いやだなー・・・。(^_^;) 私、自慢じゃないけど、男性とおつきあいしたことないんです。面倒なんです、交際なんて、そんな時間の余裕、私のそれまでの人生で全くありませんでした。脳みそが足りない分、努力と時間で補って勉強や仕事についていかねばなりません。じゃまくさいことはしたくないんです。だから、もちろん独身主義。(うっかり35歳で夫菌ちゃまと結婚したのは人生の大番狂わせです。) 何度も言いました。「私、頭が悪いんです。本来保健婦って、かなりの秀才じゃないとなれないのに、無理してなったんです。だから、母親教室(妊婦教室)や三歳児健診で大勢の前で講義しないといけない前の日は、必死に練習しないとダメで、時間がないんです。普通の新人保健婦はそんなことしなくても、楽に仕事してるんでしょうが・・・。だから、つきまとわないで下さい!私には、余計なことしてるヒマはないんです!」と。 でも、しつこいしつこい。帰りも駅で待ち伏せます。自宅には押しかける・・・。もう、だんだん、面倒になってきて、「放置」することにしました。勝手にやってろ!ってなもんです。煩わしいことは、スルーするに限る・・・と。 無視し続けて6年経ちました。30をとっくに過ぎたA氏は、上司の紹介で6歳年下の女性と結婚することになりました。あーー、よかった。これで平穏な日が来る・・・。 1年間は平穏でした。転勤して2カ所目の保健所で、結構、楽しく仕事してました。 ところが、また始まったんです。職場に再々電話してくる、自宅にもしてくる、駅で待ち伏せる。結婚したんじゃないんですか?お子さんはまだですか?と聞きました。 奥様は妊娠中だそうです。おめでとうございます。いよいよお父さんになるんですね・・と社交辞令の挨拶だけはしました。 自宅の電話番号はかえました。母もあきれてました。どないなってるんやろ? まー、無視するに限る・・・と、またもや、じゃまくさいから放置してました。保健婦歴7年になっても、まだまだ、人並みについていくには、時間が足りなくて難儀してましたからね。毎日、仕事で必死でした。当然、家事全般、母に任せて、私は上げ膳据え膳。とにかく、学校時代は勉強だけ、仕事時代は仕事だけで精一杯で、お米をといだこともありません。それくらい、余計なことにかかわってるヒマはないんです。 ある雨の日、6月の蒸し暑い日でした。母との夕飯を終えて自室に入ると、そこにA氏がずぶぬれで立ってたんです。食事の部屋から自室に移動する間に玄関があるので、靴があると目にとまります。だから、A氏は雨の滴のしたたる靴を両手に持って、ヌボーと立ってたんです。 絹を裂くような悲鳴をあげました。母は「またゴキブリかぁ?」と。 私は110番通報しようとしました。立派な家宅侵入です。当時、ストーカーを取り締まる法律はなかったけど、家宅侵入なら、立派な犯罪ですからね。 けど、母は私を制止しました。ここで通報したらA氏はその場で逮捕され、きっと公務員の職を失うことになる。前科がついて失業者になります。身重の奥様がいて、収入の道が途絶えたら、そのことで逆恨みされて何をされるかわからないから・・と。さすが、長く人間してる母だけあって、冷静に考えたようです。 後日、A氏の奥様を紹介して仲人もつとめた上司(近くの保健所に勤務されてた偉いさん)と、A氏の父親に謝りに来させることで決着をつけました。A氏のお父様は小柄なしょぼくれた老人で、30を過ぎた息子のしでかしたハレンチ事件のことで、薄くなった頭を下げにきたのです。さすがに哀れに見えました。上司の偉いさんは、何か態度が尊大です。けど「今後こういうことのないように、きちんとA氏を監視するよう、そして精神科受診させること」を約束させ念書をとりました。A氏は明らかに異常な目でした。心の病気に間違いないと、一応、その方面では専門家(精神保健相談員資格もあります)なので確信してました。 それから数年後、風の頼りで、A氏のお父様が亡くなったこと、またその翌年、謝りに来たくせに尊大だった上司も亡くなったことを知りました。しまった、二人とも故人だと、念書がきかなくなる!と思ったんですが、さすがに、もう再発しませんでした。 今から思えば、やはり110番通報したかったです。サスペンス好きの私、警察の捜査を目の前で見たいって好奇心が。(^o^) でも、最近、母の入院で無人になった実家に空き巣が入って、通報したので、指紋採取とかも目の前で見学できたし、まー、それでヨシとしましょう。(^o^)セコムさんを導入するのにもいい機会になりました。 まー、ともかく、足かけ7年間のストーカー、どうも、お疲れ様でした。23歳から30歳までの懐かしい思い出です。結構、面白いネタになったと思ってますよ。(^o^)
2007.10.16
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保健所勤務を始めてまだ1週間も経たない頃、ほやほや新人保健婦だった当時22歳のろぼろは、えらい災難に見舞われました。 課の事務パートのおばさまで、60歳代の超古株。保健所のヌシみたいなお方がいました。結核患者の登録管理の事務をされていたので、保健婦はいつもお世話になっているのです。 そのおばさまが、みんなにお菓子を配って下さいました。お礼を言って受け取り、後で食べようと机の横に置いてたんです。数時間後、気づいた時には見あたりません。あれれ、どこにやったかな?机の中にしまったんだっけ?と、ちょっと気にはなったけど、忙しさで忘れてました。 いきなり、そのおばさまが恐ろしい形相で私の前に立ち、頭から湯気を立てんばかりに怒ってるんです。いったい何事だろう?と、私はきょとんとしたまんま。 自分のあげたお菓子を私が捨てた!と言うんです。捨てた覚えはありません。食べ物を粗末にするなんて、私には考えられないことです。思い当たることがありました。私の机の上にだれかが資料をドサッと置いた時に、お菓子が転がって真下にあったゴミ箱に落ちてしまったんでしょう。おばさまは、私の机の真下のゴミ箱にお菓子が入ってるのを見て、烈火のごとく怒りだしたというワケです。 捨ててません。たまたま落ちたんだと思います。不注意ですみませんでした・・・と、いくら謝っても、ますます顔を真っ赤にして私を罵倒し続けました。 私は、彼女の顔をみながら、年とるとこんなに醜くなるのか、シワだらけできちゃないなー、怒ってる時の顔って、正視に耐えないな~、40年後、こんな年寄りにならないよに私は気をつけなくては・・・なんて、人ごとのように、ぼんやり考えてました。 これしきのことでここまで怒れるなんて、凄いなー。私なら、ほんとに捨てられてたとしても、彼女の口には合わなかったのね・・・と思うだけで、何とも思わないだろうに、ほんと、怒りっぽい人も世の中にはいるんだなーと、ひたすら感心しました。 怒るだけ怒って、捨てぜりふを残してようやく開放されました。えらい災難だ、これから、仕事がやりにくくなるわ、患者カードの管理をしてるおばさまに、意地悪されるんだろうなーと暗澹たる気持ちになりました。 ところが、それから1週間も経たないうちに、家庭の事情で、急に、そのおばさまは、何十年も勤めた保健所を辞めることになったんです。そして、新しく来た事務の方とは、大の仲良しになりました。仕事でも、とても協力してもらえました。 こんな降ってわいたような幸運って、あるんだなー。真面目に生きてきてよかった・・・と心から思いました。チャンチャン(^o^)
2007.10.15
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医療機関を監督する立場の保健所でバックに厚生省がついてるとはいえ、地元医師会を怒らせてはなにかと仕事がしにくくなります。だから、順番制で健診に来て下さる先生方には、色々と気をつかいます。けど、そういう気遣いは、本来、ヒラ保健婦の関知するところではなく、婦長や保健予防課長や所長が根回しすればいいことですよね。 赤ちゃん健診に来てくれている小児科の先生、高齢で、失礼なんですが、最新育児情報をご存じない。「まだ、足をつっぱらないんです」というお母さんに「歩行器に乗せなさい」とおっしゃるんで、現場では困ってました。後の指導場面で歩行器はあまり長く乗せてはいけないと言っても、悲しいかな、保健婦ふぜいよりお医者様の方が信用されます。 風邪やお腹下しなどの病気に関しては、小児科のお医者様は頼りになりますが、精神運動発達の点で、きちんと診れる小児科医は、昭和50年代当時、地元で1人いればいいほうでした。 ある日、家庭訪問から帰ってきて、ホッとお茶をすすりながらカルテの記録をしていると、婦長に呼ばれました。「あんた、あの先生にこの紙見せて、言うてきて」と。歩行器の危険性とか発達によくないとかが説明された資料のコピーです。 一瞬、何のことかわかりませんでした。何で私が言うんですか?当日の健診スタッフについていたのならともかく、私は、その日の健診は担当してません。スタッフだったとしても、一番新米で最年少の私が何でそんなことを! あんたやったら、○○先生にニコッと笑って言うたら角がたたんやろから・・・ですって。 昨日の日記に書かせてもらったように、地元のお医者様にウケのいいことが、知られてしまってたんです。何でバレたんやろ?私は医師あしらいがうまくいってること、自分からは誰にも言ってません。 必死に抵抗しました。ホステスとして雇われてるんとちゃいます。媚び売るなんてイヤです。私は、無愛想な真顔でいつも先生方に接してるんですから・・・と。マクドナルドならスマイルは0円のサービスだけど、私、マクドの店員さんとちゃいますやん!赤ちゃんあやすためなら、心から満面の笑顔になれますが・・・。 いくら抵抗しても、引きずるようにして連れて行かれました。健診スタッフだった先輩たちは遠巻きに見てるだけで、誰も助けてくれません。まだ抵抗しました。いやですったら!対外的な交渉は婦長さんの仕事ですぅぅぅ!私、口べただから、うまいこと言えません!自信ありません!と。けど、私の悲痛な叫びは、見事に無視されました。上司の命令に部下は従わねばなりません。 どうなっても知りませんよ。先生、怒らせても、私のせいにしないで下さいね・・・と念押しして、大きく深呼吸して、談笑してる医師の前に。 女優になりきろうと思いました。哀れなスケープゴートです。 台本もないけど、即興でぶっつけ本番です。「先生、お疲れ様でした。いつもありがとうございます。あのぉ、今、保健所では、こういう方針(紙を見せて)でお母様方にお話しているので、どうか、ご協力お願いできませんか?」と。 先生が間違ってると恥をかかせないためのぎりぎりの線です。 成功でした。先生、全然気を悪くしたふうでなく、笑顔で「おーそうか、わかったわかった」と言って下さいました。 緊張でへなへなと崩れ落ちましたよ。 ニッコリサービスまではしませんでした。意地でもしません。そんなことをしたら、後で先輩たちに何を言われるかわかったもんじゃありません。シタデに出るのは卑屈やなーって印象で攻撃の対象にはなりませんが、媚びを売ったりしたら、悪口のかっこうの餌食にされます。コワイコワイ女社会。それまで、先輩たちにかわいがられてきたのに、一転していじめの対象になるかもしれませんものね。 はやくも就職して1年未満で、もう辞めてやるーーーー!って家で号泣しました。よくぞ12年も勤めたもんです。 辞めた原因は、10年以上の中堅保健婦になって「本来の仕事」以外の「対外的(医師会、児童相談所、保育所、教育機関)会議」の司会をさせられるようになったからです。私、一番そういうの苦手。学級委員すらやったことなくて、重要会議の議事進行なんて、とてもじゃないけど、頭のまわらない私の手に負えるものじゃないです。いとも簡単に「あんたがやり!」って言われるんです。いくらでも、そういうの得意な機転のきく人がいるじゃない。やらされるたびに脱毛症になりました。それぞれの機関の一番えらいさんが出席して、みんなにまんべんなく発言の機会をあたえ、不愉快にさせずに会議を終えねばなりません。せいいっぱいやっても、どっかから不満が出ます。うちの発言時間がちょっと短かったって・・・。 本来の「住民サービス」の仕事で忙しいのなら、いくらでも頑張れるけど、こういことですり減らされるのはもうゴメンだ。辞めよう!心身の限界だ!保健婦以外の仕事を探そうと決意してた頃、いきなり、夫菌ちゃまとの縁組みが決まり、寿退社いや退所の形をとれました。夫菌ちゃま、ありがとね。あの地獄から救い出してくれた王子様です、いや、王子様でした。(過去形)だって、メタボな王子様ってヘンだもん。コレコレ
2007.10.14
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今だから言える本音。今は保健婦ではなく保健師と名称が変わったので、婦長も師長と言うようになりました。けど、私が現役時代はまだ「婦」だったので、「婦」で書かせてもらいます。 ずばり、私は頭が悪いんです。知能レベル、標準以下であることは間違いありません。知能指数は計ったことないですが、きっと100に満たないだろうと思います。だから、子供の頃から、人一倍時間をかけて物事を理解し、成績にうるさい親のため、血のにじむような努力で学業成績を上位に保ってきました。無理に無理をしていつも余裕がありませんでした。子供時代から頭痛肩こりがあったのはそのせいだと思います。脳みそがオーバーヒート状態だったんでしょう。 自分が頭脳明晰でないことは百も承知だったので、ほんとに頭が良く生まれついた人のことは、羨ましく思い、素直に心からその利発ぶりを尊敬してました。周りにいるどの人も、私よりは賢いに違いないんだからと、いつも老若男女全ての人に頭を下げて生きてきました。自己主張なんて、ほとんどした経験がないです。身の程を知ることはアホなりの保身でした。相手に不備があっても絶対クレーマーにはなれないタイプです。 当時は難関であった保健婦学校に進学し国家試験をパスしたことは、奇跡かもしれません。けど、無理をしているので、有能な保健婦になれないことは自分自身がよくわかってました。「お勉強はできるけど役立たず人間」の典型です。 それでも、保健所に就職したからには頑張らねばなりません。仕事に必要な知識を身につけるのは、やはり、人より苦労でした。でも、私の根強い劣等感、プライドの低さ(無さ)は、思わぬ所で有利に働きました。 医師も看護婦や保健婦も、それぞれの分野に於いてプロフェッショナルで対等である・・・というのは、理想です。欧米では、実際対等な関係で協力しあってるようです。 私の考えは間違ってるかもしれませんが、やはり、お医者様になれるような人は、もともと知能レベルがかなり高くて、無理して勉強してやっとって程度では、絶対無理だと思います。お金の力で医大に入れても国家試験にパスできないだろうし、パスしても厳しい研修医の段階で脱落するでしょう。その点、看護婦保健婦は、私でもなれたんです。 だから、お医者様に隷属することに、私は何のためらいもありませんでした。保健所というバックがあっても、地元のお医者様と対等に物を言うなんて、とんでもない!プライドを持って仕事をしている同僚には申し訳ないのですが、私はそうでした。 この腰の低さ、お医者様を見る尊敬の眼差し、うわべだけのお世辞じゃなく、本心からなので、自然とにじみ出てたんでしょうね。プライドのかけらもない私は、何のストレスも感じず、シタデに出られました。たいした脳みそしか詰まってないこんな頭、いくら下げても減るもんじゃなし、平気です。 その結果、担当する患者さんの療養援助のためにする「医師連絡」という仕事は、いともたやすくできました。 ある日、先輩保健婦に「あの先生は気むずかしいでぇ」と脅かされドキドキしながら病院に向かい先生に面談。え? 優しい先生やん!丁寧に教えてくれはった・・・どこが気むずかしいん?おかしいなー。たまたま先輩が会った時、先生の機嫌が悪かったんやわ、とその時は思いました。 けど、何度も何度もそういうことがありました。そりゃー、どのお医者様も親切丁寧に対応して下さいます。文書で連絡しても、すぐ返事をいただけます。患者さんのX線フィルムをお借りしたいと申し出たら、前もって袋に入れてちゃんと用意しておいてくれます。他の保健婦は、いつも医師連絡文書の返事がもらえない、連絡に行っても会ってくれないとブツクサ言うのが不思議でした。 だんだんわかってきました。 私はプライドがなくて、ひたすらシタデに出るから、お医者様のプライドをくすぐるんだ!中高年の開業医さん、家庭では、古女房がえらそうに物を言うし、年頃の娘は自己主張ばっかりして生意気で勝手なことばっかり・・・なんて、ちょうどそんなお年頃です。先生先生と持ち上げられるのが当たり前になってるプライドの高いお医者様、大事に扱われないことが少しでもあれば、不愉快でたまらないのでしょう。 先輩保健婦たちは、自分の職能に誇りを持って、同じ医療分野で働く同士として対応するから、医師を不愉快にさせてたんでしょう。 新米時代の私は、小心者なので、先生の前では緊張します。そして、おとなしそう、気弱そうな地味系の容姿(キャピキャピ系と正反対)も有利でした。中高年男性は、ギャル系を嫌う傾向にあります。若くて当時は可愛い娘(わはは、言うたもん勝ち!)が、古風なまでの従順な態度でお教えを請いに来たのを、むげに扱うはずがありません。自分の前で緊張気味なのも、医師のプライドを満足させたんでしょう。女医さん相手でも同じです。ひたすら尊敬の眼差しでお教えを請う態度で接すれば、優しく対応していただけます。 それから、大病院の場合、事務長対策もバッチリしました。連絡票を書いてくれるのは医師ですが、封筒に入れて発送するのは事務の人です。病院に行くたびに、事務長さんには、深々とお辞儀して「お忙しい中、いつも協力していただいて、感謝してます。」とお礼を言います。 親切な事務長さんが転勤でかわってしまった時、ガッカリしました。けど、案ずるより産むが易し。後任の事務長さんには、前任者以上に親切にしていただけました。どうやら、前任者が保健所の保健婦さんには親切にするよう申し送ってくれたようです。もう、感謝感謝でした。 医師連絡がスムーズにいくと時間の節約になり、その分、担当患者さんへの援助活動に時間をかけられます。しかし、私のような態度は、長い目で見たら、看護職の地位向上の足を引っ張ることになります。 医師連絡成功率100%の私に、ついでに、私の患者のも聞いてきて・・と、どんどん頼まれるようになり、お人好しの私は、気軽に引き受けてました。けど、そんな風に、人を利用するような先輩ほど、私が急に結婚が決まって、年度途中で退職することになった時「迷惑なことをする」とあちこちで悪口を言い回ってたようです。ヤレヤレ 事件が勃発しました。結婚退職してだいぶ後になってから聞いたことです。2度目の転勤で、私の担当地域の後任者は、保健婦学生時代の保健所実習で指導して下さった大先輩。私なんかと違って、もっともっと地域住民のためにバリバリ仕事されるだろうと安心して引き継ぎました。ところが、彼女が担当地域の開業医さんを怒らせて大騒動になったんです。保健所長が頭を下げて謝りに行ったそうです。保健婦を替えろ!と、カンカンになったお医者様、前任の私がお気に入りだったようです。大ベテランで保健婦としてのプライドを高く持った大先輩、きっと、対等にエラソウに物を言ったんでしょうね。私が先生を甘やかしてたことが悪かったのかしら? でも、私、おべっかをヒトコトでも言ったわけじゃなし(世間話は苦手なので事務的な会話だけ)、ましてや、女の武器・お色気を使ったわけでなく、元々の卑屈な性格でシタデに出たことが役に立っただけなんだから、誰に恥じることもありません。まさか、いい年をした先輩、敬語が使えなかったのかしら?そんなはずはないから、言葉づかいではなく、やっぱり、態度がエラソウだったんでしょう。 昔も今もプライドの無さにかけては、私以上の人っているの?って思うくらい卑屈です。だって、頭のいい人ならタカピーも似合うけど、そうじゃないのにプライドが高いと、アンバランスでヘンじゃないですか。バランスを重んじる天秤座生まれ。(^o^) ところが、何年か前、夫菌ちゃまと夫婦喧嘩した時、夫菌ちゃまに「ろぼろはプライドが高すぎる!」と言われたんです。耳を疑いました。こ・この私がプライドが高い?じゃ、ごく普通のプライドをもった女性なら「プライドのお化け」でお祓いをしてもらわないと、夫菌ちゃまとはお話もできませんね。(^o^) お給料を貰ってる仕事だったから、プライドはゼロに徹してたけど、もしかして、主婦になって、ちょっと油断して、ほんのちょっと自己主張をしてしまったのかもしれません。あのころ、私がひたすらシタデに出て対応した開業医の先生がたと同年代になってる夫菌ちゃま、やはり、この年代の知能レベルの高いおじさまは、女性には、古風な従順さを求めるんだろうか?なんて思ってる次第です。 まー、下手にプライドなんかない方が生きやすいってことは確かです。(^o^)エラソウにされても腹立たないし、接客態度が悪い店員さんに対しても、別に何とも思わないし、いちいち腹を立ててる人は、疲れるだろうなーなんて思ってます。 保健婦時代、何度も言われた台詞「○さんて、腹を立てるってことがないの?」と不思議そうに・・・。「困ったなー」と思うことはいっぱいありますよ・・・と答えてました。(^o^) ※ 過去の「保健婦時代の思い出シリーズ」はこちら。
2007.10.13
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