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お正月料理を食べられないので準備が要らず、なかなか暇な年末を過ごしております隊長です(笑)恒例のデパ地下お惣菜を先ほど買ってきましたが、中華など日常の延長な感じ。お雑煮は質素な感じなら良いということみたいなので、ぶりの塩焼きと春菊をぺそっと入れたぐらいの物を作りたいと思います今年は特に更新が滞ってばかりで、ご心配をおかけしましたねぃ(*´Д`)来年は皆様にとっても隊長にとっても幸せな年になりますように。良いお年を(´▽`)🌼
2018.12.31
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もう1ヶ月。丁度この日に戻ろうと思っていたわけではないのですが、不思議とそうなりました。ちょこちょこ心因性と思われる不調が出ておりますが、意外と普通に過ごしています。ただ夜に一人になるとダメですね~。お風呂の中やベッドの中で父のことを考えると泣けてきてしまって。。。十分に覚悟はできていたつもりでしたが、もう実家に帰っても、部屋を歩く父、PC机にむかう父、振り返って「○○ちゃん」と私を呼ぶ父にはもう会えないのだという事実に打ちのめされています。病気が判明して余命半年から1年と宣告されましたが、父と母の努力はいくつもの奇跡を生み、3年と7ヶ月。2日前まで口から食事をし、自力で排出して身体の中を綺麗にして逝きました。延命治療は拒否するけど、最後に酸素ぐらいはまぁ・・・と医師に自分で言っていたのに、その酸素すら使いませんでした。麻薬は一番弱いものだけで済み、ほぼ痛みもなく苦しみもなく、まるで何かに守られているかのような、老衰といっていいほどの穏やかな逝き方でした。計画を立てるのが大好きだった父が、その通りに実行したのかなぁ(笑)11月4日に貧血でベッドから起き上がれなくなり、今年4回目の緊急入院。私は6日に帰省し、翌7日に担当医師と父母私で話し合い。「申し訳ありませんが、もうこの病院で出来ることはありません」と言われ、緩和ケア病院への転院を15日にすることが決定。この先生は前の担当医師からの引継ぎで、約1年ほど診て下さっていました。なのでそこまで父に対する思い入れもないかなと思っていたのですが、今の父の症状を緩和出来る2つの処置と父の状態ではそれが出来ない理由も話して下さって。「なぜ出来ないことを話すのかと怒られるかもしれませんが、僕はこの1年、○○さんと一緒に戦ってきたと思っていますので、すべて隠さずにお話ししたいのです。」と。転院の際には、病院間の連絡スタッフさんが「あれだけの枚数を初めて見ました」とこっそり教えてくれるほどの経緯報告書を書いて転院先に渡して下さったようです。前任の先生もとても良くして下さったし、緩和ケア病院のスタッフさん達全員に優しく丁寧に看護して貰えたし、本当に恵まれていたと思います。驚いたのは転院初日にイベントに参加したこと!色んな催しがあることは面談で知っていたのですが、父は参加しないだろうな~と思っていたのです。でも当日、二胡のコンサートがあるとのことで。。。なんとなく父は二胡の音色が好きそうな気がして「行ってみる?」と聞いたら、「行ってみようか」と即答でした。そして何と二胡に合わせて歌いました!!奏者の方々に「歌っても良いですかな!?」といきなり聞いた時は、え?二胡に合わせて・・・?まぁ歌詞のある曲(『故郷』や『上を向いて歩こう』など)だから歌えるか…いや、お父さんのためだけのコンサートじゃないんですけど…💧と色々思いましたが、父につられて他の参加者さん達も歌い始めて、とても楽しい時間になりました。父、ナイス。曲と曲の間にやたらと奏者さんに話しかけて演奏の出だしを邪魔したのは、勘弁してくれ…と思いましたが。病室に戻っても「大きな声で歌ったのは久し振りだ。まさか歌えるなんてなぁ。」とご機嫌。この出来事と、最後に大好きだった海を病室の窓から見せてあげられたこと。(私が緩和ケア病院と面談をし、部屋を選びました)14日間だけの滞在になってしまったけど、そのふたつだけでかなりの親孝行をした気分になりました(笑)父と最後に挨拶を交わしたのは大宮に戻る18日。こちらは今生の別れと思って手を握ってハグをしているのに、いつも通りに「来てくれてありがとう。じゃあな」と。176cmで細身の父は常に背中に鉄板が入ったような戦国武将みたいな背筋真っ直ぐな座り方なのですが、その時もベッドの縁にそうやって座り、私がドアを閉め切るその時までしっかり見送ってくれました。そしてその後、どんどん弱っていったそうです。やはり娘にはカッコいい姿を見せておきたかったのかなぁ。父にしてあげられなかったことの後悔・・・は驚くほどありません。しかし、父と私だけの会話が出来なかったことが、いま、残念でなりません。強く怒りをぶつけられても言い返せない母のため、いつもいつも私が父を窘めていました。それはもう小言のように。父に死後のことなど聞きにくいことを聞くのも私の役目。それは小さい頃から母にそう育てられたことが大きいです。母がもっと自分で意見を言える人だったなら、もっと「娘らしく」父と話せていたのに。私が私のことを父と話せたのは一度だけ。でもその時に父がくれた言葉が、いまの後悔のなさに繋がっています。今年の入院で、病室で2人きりになった時。「遠くに離れていて・・・しょっちゅう会いに来られなくてごめんね・・・」と謝る私に「遠くに居ようと、どこに居ようと、『娘がいてくれる』、それだけで嬉しいんだよ」と。父にこの景色を見せてあげられて、「○○ちゃんが見せてくれた」と言って貰えて、本当に嬉しいです。
2018.12.28
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