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【金毘羅山】
これも「金毘羅山」と彫られた石塔ですが、側面に「明治六」と彫られています。これが置かれているのは八幡神社に上がっていく参道の脇です。他に「巳待塔」と彫られた石碑と、「湯殿山」と彫られた石碑が建てられています。
そしてこの八幡神社も、方位102度±3度方向を向けて建てられています。不思議なことなので、ネットで検索したら、秋田県角館町小倉山金毘羅山中腹に切支丹墓地があるようです。ネット上には、ラテン十字が彫られた板碑型の墓石が写っている写真がありました。しかし、この金毘羅山を意識してこの石碑が建てられたとは考えにくいです。会津に、秋田県との関連伝承が残っているようには見えません。
しかし、長崎の浦上には「金毘羅山」という山があるようです。蒲生氏郷は、備前名護屋に駐在したときに、長崎や五島列島を訪ねていると言われています。(瀬川 欣一『蒲生家盛衰録 上・中・下』石岡教文堂、1982、滋賀)だとすると、この浦上の金毘羅山をこの石碑は意味しているのかもしれません。少なくともこの村には、いつ頃昨日したかは判りませんが、帰農した武士集団の家があります。