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最近では、大学生の姿もすっかり変わってしまい、子供のお遊びよろしく、自分の周りの小さな世界で大したお勉強もせずにグータラな生活を送っている。
もちろん、何時の時代にも、ちゃんと真面目にお勉強をしている人はいるものなのだが・・・。
1960年代から1970年代にかけての大学は、或る意味大学の過渡期とも言うべき時代であった。
つまり、1960年あたりから大学生になった人々は戦中、戦後に生まれた人々で、しかも最近特に話題になっている団塊の世代の人々が殆どである。
団塊の世代とは、1947年~1949年頃に生まれた人々、或いは1956年頃迄に生まれた人々を言う場合もあるそうだが、1955年生まれの私の実体験上では1950年頃迄に生まれた人々を指すのが適当だと思う。
なぜなら、既に我々の世代では、子供の数が減り始めており、肝心な戦後の名残が消え失せかけていたのだから・・・???
所謂、戦後世代は戦争の爪跡の残る、非常に貧しい時代を子供ながらに経験し、戦争のもたらす悲惨さを否応無く受け入れずにはいられなかったのである。
何もかにもが焼き尽くされ、ゼロどころか、全てに於いてマイナスからの出発を強いられ、我慢と辛抱の連続で成人した人々にとって、昭和30年代からの高度経済成長によって芽生え始めた社会構造の矛盾が、特にインテリゲンチャにとっては許し難いものに思えたのだと思う。
その頃から、徐々に貧富の差は拡大され、富むものと貧しい者の境界線のようなものが生まれ、結局は、再び戦前の身分階級社会に後戻りする社会の流れを予感したこの世代の人々は、必死になって闘争せざるを得ない状況に追いやられたのである。
前回述べたように、この頃の人々が特にロシア文学やマルクス・エンゲルス、マルクス・レーニン主義に傾注して言ったのも、ロシア革命前夜と戦後日本の復興時代とが重って見えたからかも知れない。
ロシア革命の最も重要な命題は農奴制の廃止である。
戦前の日本がそうであったように、戦前の日本は一部の財閥と地方の有力な富農(地主)達によって国民の大部分が牛耳られて(支配されて)いた時代であった。
日本は、大戦によって一応は開放されたかに見えたのだが、合衆国の占領政策によって、日本の共産化が妨げられ、レッドパージ(共産党弾圧)までが繰り広げられて、結局は見せかけの財閥解体、農地解放が行われる事で、国民(ロシア風に言えば、頑迷な農民)の目を見事に欺いたのである。
しかしながら、これらの事は、貧しい階級の人々が教育を受けられる時代が来た事によって、それらの階級からも日本の進むべき方向に疑問を感ずる階層の人々が生まれ、もともとは富裕階級に属して、それらの事に疑問を感じていた人々と結びついて全国的な闘争へと発展して行ったのである。
結局、今の学生と昔の学生の何が違うのかと言えば、使命感と言って良いものなのかも知れない。
昔の学生も良くグータラと批判されていた、しかしながら、唯漠然とグータラ生活を送っていたのではなく、彼らにとっては一種の反抗であり、その裏では猛烈な自分形成の葛藤を繰り返し、勉強も生半可なものでは無かったのである。
今の学生にインテリゲンチャというものを感じられますか、日本の事を聞かれてもろくすっぽ自分の国について語れない学生が世界に通じると思いますか・・・?
何もかにも親がかりで、親がいなけりゃ何も出来ず、己の失敗、粗相は全て親に押し付けて、昔の学生は、脛は齧ったけれど如何に早く親から独立するかばかり を考えて生きていたような気がするけれど、私の独りよがりだろうか・・・???
つづく
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