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【書道研究会の頃】の連載を始めてみて、忘れかけていた事が次々と思い出されて、ちょっと寄り道をしてみたくなった。
よくよく考えてみると、私が島根の田舎から何で無理やり都会に出て行きたくなったのかの答えが薄ぼんやりと見えてきたのである。
中学2年の10月に1ヶ月の入院生活を余儀なくされ、その事が私からその間の学校生活の記憶を奪う事となった。 授業でしか勉強と言うものをしなかった私は学習障害者となってしまい、未だにその一ヶ月間の学習内容が途切れたままである。
それまでは、高校受験も、その上の地元の大学の入学試験さえ、このまま流れに乗っていけば楽勝だと思っていた。
ところがである、入院生活を終え、教室に戻って見ると、今まで聞いたことも見たこともない事を先生が喋っているのである。
中学2年を終えるまで、私の苦悩は続いたのであるが、3年になると一から仕切り直し的な授業になる中学のシステムは私をして大きな勘違いをさせてしまうことになる。
なぜなら、無事高校に進学し、いざ高校の授業を受けた時、そんな事習ってないよと言えるものが次々出てくるのである。
高校は中学で一通り習った事を基に授業が成り立っているので、最も重要なものに近い部分が欠落して、ぽっかりと大きな穴の空いた私のオツムは、当たり前の事として質問してくる教師の言っていることさえ理解出来ずパニックに陥るのであった。
そんな高校生活を送る内、生来の屁理屈言いの私の心はどんどんエスカレートして行った。
元々目立つのが嫌い(苦手)な私は、普段はごくごく大人しい目立たない生徒を演じていた。
努力という言葉が大嫌いな私は、部活もそこそこに帰宅部に徹していた。
だから帰宅部でありながら勉強もろくすっぽするわけでもなく、ただひたすらテレビっ子に徹していたのである。
心のよりどころと言えば、社会が安保闘争や大学改革の問題で学生紛争、労働争議など騒然とする中、この田舎町では、そんなことのかけらさえ感じられず、高校生の中でもそんな事が話題に上る事が無かったため、多少そんなことについて知っている事が優越感を抱かせているという事にあった。
こんな、陸の孤島にいたら人間が駄目になってしまうとでも思っていたに相違ないと、今にして思えば可笑しくなって来るのである。
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