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クリント・イーストウッチ-

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2007.07.06
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カテゴリ: 仏の心

教育とは何ぞや・・・?

  教育とは、限りなく躾に近い、社会生活での主体的人間形成の確立 を実現する事である。

 世界或いは、地球上の人間社会の単体を見回す時、教育というものが、人間社会の形態を大きく左右するものである事が理解出来る。

 社会が成熟しない、ある意味、人間一人一人の人権が認められない社会では、教育などというものは、少数の支配者にとっては却って邪魔なものであり、教育らしき制度という意味では、自らを守るために特定の階級にのみ施された国家権力強化のための国策という意味 である。

日本でも、民衆の文化が栄えた江戸時代でさえ、幕府にとって民衆がより先鋭な文化 思想を身につけることを拒んでいたと言えよう。

なぜなら、教育とは、その時代に於けるあらゆる情報を知識として、それを自らが主体的に判断する力を身に付ける作業であり、市民がそれぞれに身に付けた判断力は、やがて、集団化して思想となり、幾多の異なる集団が存在する事によりうねりとなって、国家の基盤を揺るがせる基になって行くのである。

幾つもの、異なる判断力を持った集団は、お互いを牽制しあって、ある意味均衡の取れた社会を構成することもあるが、時に特定の集団が、軍事的権力を握った場合には、社会的弾圧に繋がって行く。

今の時代は、正に、そのターニングポイントに差し掛かっていると言っても過言ではない。

平和な時代が余りにも長く続いたことにより、人間が学習する機会を失い、明治維新前夜の浮かれた時代に、突然黒船が・・・?という同様の社会状況が訪れようとしている。

何もしないで生きていける時代が、永遠に続くはずも無く、ある意味、この時代を余力ある時代であるとするならば、人間力の貯金を、今こそ大胆に実行しなければ、時代の波に再び遅れをとることになりかねない。

 本来最も深く歴史認識について考え、最も勤勉であった団塊の世代の人々は、今次定年退職を迎える機会に当って、仕事にかまけ、子育てを曖昧にし、社会が激動した時代に、おもっいっきり暴れるだけ暴れて、後は野となれ山となれよろしく敵前逃亡し、今は、のほほんと定年を迎えるのを待っている罪軽からず、罪滅ぼしとして、教育現場で再度徴用の役について頂くというのは如何なものであろうか・・・!!!?

時代が移れば、教育の質も、形も変わって行かなければ、時代に則した人間は育たない事など自明の理である。

戦後30年で既に初期の日本型民主主義教育は終わったとして、次のステップ(グローバルスタンダード)へ向けてスタートを切らねばならなかった。

時の怠慢政府は、昭和初期の学校制度を今日までずるずると引っ張り続けることによって、罪も無い若き命を失い続けて、今後一体どう責任を取っていくつもりなのだ・・・!!!??

最近のおやおや(親親)は何でもかんでも、自分の子を主役にしないと気が済まないらしい。

鏡の前に立って一度じっくり生んだ自分の姿を中身まで眺めて欲しいものである。

子供の個性を親が捻じ曲げることによって起こる悲劇は、今後も止む事が無いであろう(こんな教育制度が続く内は)から、早急に、6、3、3、4制などの制度は廃止して、義務教育が必要ない家庭などは、国庫補助による教育費負担を打ち切り、教育従事者の専門性向上と年齢制限の撤廃を切に望むものである。






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Last updated  2007.07.06 12:00:37
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