PR
Keyword Search
Calendar
Comments
Freepage List
最近思うのですが、元々、ブログとは何のために始まったのかという事です。
という事は小市民レベルの、所謂、庶民の生の声の集まる場所であったはずなんですよね・・・!!!?
ところがどうでしょう、最近は、こんなものを利用してやたら金儲けの話やら、政府や右翼、左翼の犬よろしくちょっとした知識をひけらかして、事実を隠蔽して、汚い日本を余計に汚してしまうような心無い発言が多いような気がします。
法律がどうとか、条約がどうとか、市民レベルでそれ程意味のあることでしょうか・・・???
この国が、本来市民レベルの盛り上がりから作られた国ではない事ははっきりしています。
軍国政府が勝手に戦争を仕掛け、国民を欺き、敗戦を迎え、敗戦国として、アメリカ合衆国の軍門に下らざるを得なかった事態を誰が招いたのか、市民の力だと言えますか・・・?
時の権力者とは、そういうものをひっくるめて責任を負わねばならない、それが市民を支配する権力者の在り方というものでは有りませんか・・・?
何時の時代も小市民達は、権力の反対側にあっても、権力の握る力(警察力、軍事力など)によって従わざるを得なかったのではありませんか・・・?
私が、信義という言葉を大事にしたいのは、人がどうあれ、権力がどうあれ、他国がどうあれ、自分はどうなんだ、という事が一番大切だと思うのです。
日本という国があって日本人が居るわけではなくて、モンゴロイドを基盤にした混血人種が一番多く住んでいて、その人達が社会を為し、社会同士の争いを続け、何となく建国した国が日本であるという事です。
何となくは、日本が世界を知らなければ、ここは日本です、主権を持った国ですと、他に対して宣言する必要など無いからです。
恐らく、主権とか、国体とか、権力者達にとって都合の良い事を言わなければ、もっと自由に他国の人々と交流も出来ただろうし、日本という国の在り方も変わっていたのだろうと思います。
小市民とは、自分の生活が一杯一杯で、とても、権力を握って小市民を牛耳ろうなどという考えは起こさないものです。
小市民に大事なのは、小市民を食い物にしようとする権力者に対して、自分達の主張をしていく事しかないのでは有りませんか・・・?
小市民の一人として、権力者の側を賛美、肯定しようとする人々は自分の足元をもう一度良く見てみることですよね・・・・!!!!
ゴールの無い道標・・・!!! 2010.09.07
円安と国民の幸福・・・!!! 2010.09.06
退院しました・・・。 2010.09.06