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クリント・イーストウッチ-

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2007.09.05
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カテゴリ: 仏の心
言論の自由とは、一体何を指しているのか・・・???

わがブログ記事にも沢山のご批評を頂いているので、ここで一つ自らの考え方を申し述べておこうと存知ます。

そもそも、なぜ"言論の自由"などと言う言葉が叫ばれるのかというと、人間社会に於いて、如何に民主主義社会と言えども、過去から現在に至るまで、権力を握る側と支配される側の間に対立が無かったためしがないという事実が、権力の暴走(言論弾圧、思想統制)を許さない(防止する)という意味で、根付いた言葉であると考えます。

権力を背にした言葉は、しばしば力ない小市民を威圧し、暴力以上の力を発揮して市民を苦しめます。
この場合、権力とは、時の為政者の力のみを言うのではなく、多くの市民に影響力のある力を持ったもの全てを指します。

大体に於いて、権力を持つ側の者は、被支配者の言葉など聞く耳を持ってはいませんし、たとえ社会的に影響力のある言葉だとしても、力任せに揉み消しを計ろうとし、また揉み消します。

自分達にとって都合の悪い事は、何処吹く風の如く、知らん顔を決め込むか、権力者同士の協定でお互いを庇護し合い、決して被支配者と同じ土俵には上がって来ません。

如何に小市民が、叫んでも、口撃しても、戦闘機に弓矢を射るようなもので、彼らに伝わる事すらあるわけが無いのです。

個人情報保護法案なる法律が上程されて、マスコミは必死に抵抗する構えを見せておりますが、これを市民の言論を守るためなどと思ったら大間違いです。



ですから、現代のマスコミは、マスコミの創成期にそうであったように、反支配者側に立って、支配者側の汚職や不正を徹底究明し、記事や風刺で追い込むと言うような攻撃はしません。

今日では、マスコミよりもむしろパーソナルコミニュケーションの方が、大事になっています。

マスコミは、市民をその量的な力によって支配し誘導し、対極の権力に対して脅迫的な力を示し、利益を得るための取引を有利に進めようと画策します。

この時点で、市民は両極の権力の道具にされてしまいます。
こんな茶番劇の中に、言論の自由など存在するはずがありません。

現在の日本社会で、言論の自由を語るなら、市民レベルの、しかも、何れの組織とも利権関係を持たない人々の声が自由に発揚される事こそが、言論の自由と言えるのではないかと考えるのであります。

そのためには、発言が個人(小市民)攻撃(権力側の攻撃は一向に構わないが)の道具になる事なく、しかも何処かの権力組織におもねる事の無い発言でなくてはならないと考えます。

そのような意味で、・虫けらの如き小市民・という事を述べた訳で、如何にも、自分達が権力の側に立っているかのような発言は、小市民の発言の場に於いては、相応しくないと考えるのであります。
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Last updated  2007.09.05 18:21:31
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