仏の心

仏の心

PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Profile

クリント・イーストウッチ-

クリント・イーストウッチ-

Calendar

Favorite Blog

まだ登録されていません

Comments

コメントに書き込みはありません。

Freepage List

2007.10.02
XML
テーマ: 武器開発(2)
カテゴリ: 仏の心
「日本はその昔、歴史にのこる未曾有のことをやってのけた。ほぼ四百年ほど前に日本は、火器に対する探求と開発を途中でやめ、徳川時代という世界の他の主要国がかつて経験したことのない長期にわたる平和な時代を築き上げた。わたしの知る限り、その経緯はテクノロジーの歴史において特異な地位を占めている。人類はいま核兵器をコントロールしようと努力している。日本の示した歴史的実験は、これを励みとして全世界が見習うべき模範たるものである」(ペリン)

ノエル・ぺリンはアメリカ合衆国の大学教授であり、学者であったようだ・・・???
私は、この人の名前を今日初めて認知した。

1970年代後半に彼が書いた、"鉄砲を捨てた日本人"の中に出てくる一節が上に上げた文章である。

私は、常々、豊臣秀吉が行った政策で、唯一認められるものがあるとすれば、それは、刀狩令だと思っている。
確かに、時の天下人=日本の支配者として、市井に武器が大量に存在するというのは、下克上の戦乱の世に於いて、いつなんどき、寝首をかかれるのか分からない恐怖があったのも真実だったろうし、戦乱の世に明け暮れた世の中を平和なものにしたかったのも、偽りの無い事実であったと思う。

戦国の世は、下克上と呼ばれる程に、誰もが支配者になるべく戦さを好んだように思われるが、それまでの日本の歴史中、支配システムが機能していた時代が、概ね平和な世の中であったように、その大部分を占める一般人(殆どが農民)は、戦など誰も望んではいなかったと思われる。

天下統一とは、没落した、或いは、堕落した支配体制の復興と復活を目指したものであり、仮に、天皇を中心とした幕府体制が機能していたならば、誰も天下人になろうなどとは考えなかったであろう。

話が逸れたが、何時も私が思うのは、民主主義というのは、国家の政治システムや体制を言うのでは無く


然しながら、人民を支配する側に立つ人間が、常に人民の幸福や人権を尊重して治世を行えるかと言うと歴史は、その難しさを証明しているのである。

結局、一般市民にとって、戦争程愚かしく、迷惑なものは無いのであって、戦争を企てるのは、何時も支配階級にある者のエゴイズムでしか無い、という事を考えるにつけ、武器の開発、使用が人間の幸福に繋がるとは、絶対にあり得ない事だと断言する。
人気blogランキングへ
http://blog.with2.net/link.php?516602





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2007.10.04 12:33:22
[仏の心] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: