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クリント・イーストウッチ-

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2009.01.08
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カテゴリ: 仏の心
先日、ある得意先で世間話をしている中で、この事が話題になった。

日本人と言うのは、物づくりなどの、即物的な技術の受入、応用力は

あるが、こと、社会システムなどの目に見えないものに対する適応力

に乏しい帰来があると言う事で盛り上がった。


元来、人を裁く、白黒をはっきり付ける文化を持たない国民にとって、

晴天の霹靂の如く、降って沸いてきたような制度を、助走運転無しで

いきなり運用するなど、考えもしなかった事である。


日本の政治家が、どんどん腐って行き、既に、ウジが湧く程に腐りき

ってしまったのも、日本国民の日和見、我関せずの姿が、そうさせて





殆どの国民が、血縁という鎖で繋がれている日本では、人を裁く人の

不利益に繋がる行為に加担すると言う事は、明日は我が身に繋がっ

て行くのであるから、誰も、積極的に判断し、行動する事をしない習

慣ができてしまったのである。


所謂、村八分の感覚が未だに日本社会に深く根付いておりどんな小

さな共同体に於いても、"いじめ"が無くならないのも、そんな所に原

因がある。



個人主義の国々では、そもそも、異民族国家が当り前で、我が身を

守ろうとすれば、攻撃も防御も同じように必要で有り、個人を尊敬す

る精神もこの辺から来るものである。



而して、日本は、と言うと、未だ、開発途上、未開拓の地であるかの



ずっているのだから、即刻、陪審員制度のようなものを取り入れたっ

て、機能するはずがないのである。


そもそも、ウジが湧いた、腐ったリンゴ達の考え付いた制度など、

深謀遠慮によって裏打ちされたものではないためすんなり機能

するとは、思い難いのである。






きてきた日本人にとって、正真正銘の司法の在り方を自らの目で認

識し、裁判とは、本来、如何なるものかを知る意味では、絶好の機会

である。


しかも、推定無罪のような、映画の世界に自ら嵌ってみて、ヒーロー

になったつもりで経験するのも、悪くは無いと思うのである。

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Last updated  2009.01.08 15:46:45
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