ストップ !! 「第二迷信」

ストップ !! 「第二迷信」

2009年11月06日
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カテゴリ: 迷信のこと
 「その1」の続き。

そもそも「差別」とは、
「ちがい」に格差をつけて扱うこと。

 男女のちがいは「 区別 」である。
  (女子更衣室に入り込むニイチャンは犯罪になる)
 視力のあるなしも「 区別 」である。
  (視力障害者に「印刷物を読め」、というのは無理である)


 「障害を持っている人は社会的に邪魔である」
      ↑
 「障害者は、一人前に社会生活を送れない」
      ↑
 「障害者は、他の人に比べて、体機能的にハンディがある」
    という流れ。

 縄文時代の遺跡から、小児まひを患ったまま成人した人の骨が発見されているから、
当時の自給社会では、ハンディを持った子どもを育てていけるだけの生活的「ゆとり」が
あったことがわかる。

 これが「他人を蹴落として這い上がる社会」のなかで、蹴落とすためには、

  「黒人は白人に比べて、劣っている」とか

    「差」を付ける口実が必要になってくる。

 差別の克服に立ち上がる人は、
「違い」の中身が、「差別」でなく「区別」であることをアピールし、
  【単に、「文明の利器」によって武力をつけた白人が偉いのか?】
  【体格や筋力の勝るだけで男が偉いのか?】
根本 につっこむ。

 もちろん、実際に、先人の文化を受け継げば、白人も黒人も同じように活躍できる。
 機械を使えば、大型トラックみたいなでっかいものを自在に操る女性もいる。

 障害を克服するために、バリアフリーやら盲導犬やらのバックアップ手段はある。
 (ホーキング博士が、電動車いすとPCなしに、研究は続けられない)

いっぽうで「根拠に基づかない・偏見」はいつまでたっても存在する。
「KKK」などという団体の、白人至上主義は、
「神様から選ばれた白人は偉いんだ」という理屈だから、いくら、
立派な黒人がいても、アホな白人のほうが偉いわけで、どうしようもない。

「こういう奴はどうしようもないアホだ」
と、世間の常識になることしか、偏見の解消はありえない。
  (テロなどの犯罪は、刑事犯罪として取り締まる)

「部落差別」をいう団体に欠けているのは、
「我々は差別をうけている 特別な住民である 」という定義しか持たないこと。
 「アブノーマル」の根拠が「アブノーマルだから」では、どうしようもない。

バリアフリーや盲導犬育成や、
「身体的ハンディを社会的障害にさせない努力」をしない障害者団体はありえない。
ノーマライゼーションは常識。

同じレベルで「差別」をいうのは大まちがい。
(ゴマカシとも言う)
                   (その3に続く  はず)





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最終更新日  2009年11月07日 20時58分56秒
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