土井中照の日々これ好物(子規・漱石と食べものとモノ)

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2024.11.22
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カテゴリ: 8コママンガ漱石





漱石は、鏡子と筆子、また次に生まれてくる2人目の子どもを鏡子の実家に託すことにして、熊本の家を引き上げることにしました。




国会図書館には『明治三十三年熊本洪水実記』という熊本県が発行した本が残されています。この記述から、いかに悲惨な状況であったかが、わかると思います。


総説

明治三十三年七月上旬よりして降りしきりたる霖雨には県下至る所多少の損害を蒙るらざるはなかりしに同十六日にの白川の大洪水の如きは今なお生存し居る当地の古老も未だかつて実観したることなき程の大出水にして市の半部以上は両川(白川、坪井川)の氾濫によりて各町村は濁流浸溢驟に急湍を形造り白川に架せる橋渠は明午、安巳、、長六の三大橋を始め悉く皆流出して市の半部なる新屋敷、迎町および対岸なる本庄元山の両村とは、交差通全く杜絶して一水の外消息を通ずるに由なく人家の流失、人畜の溺死など惨絶、痛絶、真に言語に絶する有様なりき、寛政八年の大洪水なるいわゆる辰の年の大水はその惨状口碑、旧記に伝ふる所にありて今日なおその凄惨の模様を想像するべからざるにあらざるも、それ以後、百数十年の間、殊に今日生存し居る者の目撃し記憶し居る処にしては今同の洪水の如きは寔に未曾有にしてその光景はほとんど吾人が平素意識し居る洪水なるもの以上に出で、熊本人士の胸中には、今回凄惨の光景を目撃したるによりて、確かに洪水なる観念に一大変動を来したりとい謂わざるべからず。

…………

 暴雨三回における雨量

第一回 七月四日より八日まで

 雨量三百六十ミリ一(曲尺一尺一寸八分八厘にして一坪面に六石五斗九升の水量に当たる)

 降雨時間 九十四時四十分間

 一日最大雨量 百三十四ミリ二   六日

 一時間最大雨量 二十七ミリ    五日午後八時及九時の間

第二回 七月十日より十二日まで

 雨量二百四十五ミリ三(曲尺八寸九厘にして一坪面に四石四斗八升九合の水量に当たる)

 降雨時間 四十七時間

 一日最大雨量 百四十六ミリ    十日

 一時間最大雨量 四十ミリ三    十日午後八時及九時の間

第一回 七月十五日より十六日まで

 雨量二百七ミリ六(曲尺六寸八分五厘にして一坪面に三石七斗九升五合の水量に当たる)

 降雨時間 四十時十五分間

 一日最大雨量 百二十ミリ五    十六日

 一時間最大雨量 三十七ミリ五   十六日午後二時及三時の間(熊本測量所調査)


漱石が熊本駅に降り立ってからすでに4年3か月の月日が経っていました。天も、漱石が熊本を離れることを悲しんでいたようですが、少しやり過ぎだったようですね。




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最終更新日  2024.11.22 09:39:11
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