10代の恋は遠距離だったので、
夜通し冷凍庫の中を走ってきたような
雪とつららで凍てついた列車が上野駅に入ってくるシーンは
ぼくには特別なものだった。
それに乗って行って会ったのは仙台駅だった。
東一番町のクラシック喫茶のブラームスの弦楽六重奏が耳について
帰りの夜行寝台では涙で一睡もできなかった。
遠いからバイト代は飛行機代になった。
小屋一つだった仙台空港を知っている。
去年の大震災はそういう意味でも心に刺さった。
ダグラス、フレンドシップなど
ジェット機以前の機材を知っている。
夜間飛行の詩情もまた
青春の後ろ姿だ。
帰ってくるときの飛行機は、
生駒山を越えると大阪平野に入り、
見渡す限りの街の灯の上を
少しづつ高度を下げ、
やがて大河淀川を越える頃から着陸サインが出て、
人が住む街で囲まれた伊丹空港(大阪国際空港)に
ファイナルアプローチするのだった。
あの着陸態勢の時の電子音好きだな。