
静かな境地に惹かれる瞬間がある。
誰にとっても生涯最悪の事態だった巨大地震巨大津波原発事故の三重苦で、
現実というものを見てしまった。
政権交代への期待の崩壊も、
困難を避けて増税に逃げた与野党党首も
そういえばただの現実だっただけだった。
金曜日に活動している人々との会見も
予想通りひどいものだった。
ああいうシーンは昔から似たようなものをよく見た気がする。
権力側の者は
会う前から相手を厄介な人々として蔑視しているから、
通り一遍のことだけ述べて
あとは権力の部屋に戻ればいいだけのことなんだ。
クリエイティブな話し合いは
並の才覚では出来ないものだし、
野田さんのような人は怯えて踏み込めないと思う。
現実というものの支配者である官僚機構や原子力ムラが押し切った今年は
現実を見た失意だけが僕には残った。
夏の疲れはいずれは取れるだろうけれど、
現実を見た疲れはそうもいきそうにない。
でもいつも思うのだけど、
期待レベルを下げればいいだけのことでもあるのだ。
どこまで下げたらいいかは
それぞれ個人の見識にかかっている。