

70数年の古家に
今年もお盆のスケジュールで住職が来てくれた。
亡父はこういうときにはまず家に居なかった。
その点では
僕は居る。
そういえば、
義父の場合だと、
簡便に願います、と言っていた。
つまり、
先輩の近親の男たちは
信心深いとはとても言えないタイプで、
僕も信心深いとはとても言えないタイプだ。
日本人としてもあまり平均的ではないと思うけれど、
日本人のよさの中には
宗教的に寛容、ということがある、と
僕は思っている。
妻はキリスト教の洗礼を受けているし
毎週教会に礼拝にゆく。
それに同調できないところは
生涯、内心の負い目になっているのだけど、
そういう妻は仏教の形式にもきちんと対応してくれている。
住職の寺は500年以上前から寺であり、
継承されてきているものは
継承してゆくということだろう。
仏教も神道もそれなりに受け入れる日本人が好きだ。
それにキリスト教が加わっても、
決して狭量に排他的でないというところがいい。
国際的にみて
日本人が特に優れていると思うことのひとつだ。
寛容は大事な徳なのだ。
徳などというと、
徳を説く人は寛容なんかじゃないこtが多いから、
徳など説くつもりじゃない。
これはなかなか通じにくい。
特に外国の人には通じにくい。