
珈琲店で見た雑誌にあった。
akiraにもいろいろだな、と
一蹴されておしまい、
なんだけど、
読むとこなんにもない雑誌だった。
僕男だけど、
男性誌って読むとこない。
かといって、
女性誌、も
読むとこない。
なぜだろう。
雑誌好きなのに。
男性誌が読むとこないと思うのは、
少し嫉妬心なのかなとふと思った。
嫉妬心はほとんどないはずなのに、
謙虚に言えばそういうことなんだろうか。
いやちがう。
謙虚ももなにもぜんぜん興味ないし、
ちょっとばかみたい~とさえ感じてしまう。
それは女性誌にも同じだ。
ということは、
極左も極右も無縁な遠い存在と感じるのと
似てるのかもしれない。
よく右とか左とかいう言い方があって、
右寄りは怖がられるし、
左寄りは言わば蔑視されるという
感受性が世の中にはあると思う。
ほんとは右と左は対称関係じゃないのに、
対称のようにも見られている感じがする。
僕はリベラル軸のほうが考えやすいのだけど、
少なくとももうひとつの軸で立体的に見るべきだし、
ほんとうは無数の軸が複合しているものだ。
今の日本が悪いほうに向かっているのは、
いわゆる右寄りに振れてるからだけど、
どっちに触れ過ぎてもその行く末は忌まわしき全体主義であって、
リベラル軸でいえば地獄の方向だ。
日頃の通奏低音の憂いの響きにまた感電してしまったけれど、
akiraにもいろいろだな、に戻れば、
かの雑誌の男性じゃなくてよかった。
もし僕が彼だったりしたなら、
今の家族友人知人たちと縁ができないでいただろうから、
僕は彼だとか男性誌の顔ぶれでなくてよかったのだ。
やった!
腑に落ちた、ジャストミートな結論が出た!