僕の人生では、
物心ついた頃は戦争の末期だった。
父の弟が出征前の海軍服で縁側に立っていた。
相手を殺すか殺されるかだけの狂気のために、
洗脳されている国民のひとりにされていた。
人間じゃない部品のようなものだ。
部品にまでならなかった大多数の国民の日々も
狂気の体制と抑圧で正気を失うか
失っているふりをしていたと思う。
父の弟は
南洋で短い人生を終えた。
1945.8.15は
日本国民が解放された日だと
僕は認識している。
それからの半世紀以上の再生の日々は
どんなドラマよりドラマチックだし、
世界に誇れる日々だった。
日本人が世界モデルになれるほどの平和主義に挑戦してこれたのだった。
その原動力は、
あの東日本大震災の犠牲者の100倍以上にものぼる、
あの狂気の戦争で犠牲になった310万人もの人々の後悔と
人生を壊された数千万人の深い苦悩と教訓から来ている。
断末魔の状況で生じた特攻のようなものを美化したり
それは今でいう自爆の狂信なのに、
戦争の免疫のない世代が多数になって、
感染症のような頭の首相が権力者にもなってしまって、
日本人の誇りがいま正念場にさらされている。
式典にいちばんふさわしくない危険思想の者が
式典でまた虚飾のスピーチをする国なのだ。
日本人がいちばん試されているときがきている、
と今、
最高に幸せだった人生の終盤で
僕は強く思う。