東京フリー・メソジスト教団付協力牧師 甲斐慎一郎 説教要約

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2006.11.17
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カテゴリ: カテゴリ未分類
「敬虔の鍛練(2) 神に傾倒すること」

                     コロサイ人への手紙、2~3章

 敬虔の鍛練の第二番目は、神に傾倒することについて学んでみま
しょう。

 「傾倒する」とは、「心を寄せて慕う」という意味です。ですか
ら敬虔の第二番目の意味は、神を愛するあまり、ほかのものには目
も暮れず、ただ神のみに心を向けることです。それは具体的には、
次のような3つのことを教えています。

一、世と分離すること(2章20~23節、3章5~9節)

 この箇所には、「死んで」とか「離れて」、また「殺してしまい
なさい」とか「捨ててしまいなさい」という言葉が出てきます。神
に傾倒するために必要な第一のことは、神に敵対している世から分
離することです(ヤコブ4章4節)。それは、具体的には次のよう
な3つのことです。

 1.汚れたものに近づかないこと(第二コリント6章17節)。
 聖書は、「人は火をふところにかき込んで、その着物が焼けない
だろうか。また人が、熱い火を踏んで、その足が焼けないだろうか」
と教えています(箴言6章27、28節)。

 2.誘惑を拒否すること(マタイ4章10節)。
 しかしこちらほうから汚れたところに近づかなくても、誘惑は向
こうのほうからやって来ます。その時、私たちは毅然たる態度で、
その誘惑を拒否しなければなりません。

 3.心の中の罪を捨てること(3章8節)。
 さらにもう一つの危険があります。それは、心の中の罪です。こ
れは、きよめられなければなりませんが、そのためには、私たちが
キリストとともに十字架につけられて、自我に死ぬことが必要です
(2章20節、ガラテヤ2章20節)。

二、神を渇望すること(3章1~4節)

 ここには、「上にあるものを求めなさい」とか「天にあるものを
思いなさい」と記されています。神に傾倒するために必要な第二の
ことは、文字通り神を慕い求めることです。

 1.私たちは、自らを夢中にさせてくれるものを持っているでし
ょうか。何をしても、面白くなくて、夢中になるものが一つもない
人は不幸です。なぜなら、その人は、ほんとうの生きる喜びを知ら
ないからです。

 2.しかし私たちを夢中にさせてくれるものは、ほんとうに価値
のあるものでしょうか。それとも一時的で、無価値な、または罪深
いものでしょうか。その区別は、私たちがそれに夢中になればなる
ほど、良い人になっていくか、それとも悪い人になっていくかによ
って分かるのです。

 3.私たちに、ほんとうの満足と生きる喜びを与え、私たちをす
べてのうるわしい品性と徳とを身に着けた者にする方は、神のみで
す。私たちは、世と分離すればするほどこの神を慕い求めるように
なるのです。

三、全人格が純化されること(3章10~17節)

 しかし世と分離し、ただ神のみを慕い求めるなら、世の仕事や日
常の雑事は、やめなければならないのでしょうか。決してそうでは
ありません。「きよい人々には、すべてのものがきよいのです」と
あるように(テトス1章15節)、世と分離し、神を慕い求める人は、
思いと言葉と行動のすべてが神に統一されて純化されるので、「食
べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現す」ように
なります(第一コリント10章31節)。

 いにしえの聖徒ブラザー・ローレンスは、「もし神の愛のためで
あるなら、一本のわらさえも喜んで地面から拾い上げたでしょう」、
「台所の騒がしい中にも私は、聖餐式に座している時と同じような
静けさの中に神を所有しています」と言いましたが、これこそ全人
格が純化された状態です。 

 私たちは、心から神を慕い求めているでしょうか。





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Last updated  2006.11.17 08:44:42
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