東京フリー・メソジスト教団付協力牧師 甲斐慎一郎 説教要約

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聖書預言@ Re:説教要約 1266(08/08) 『JDファラグ聖書預言』でネット検索すれ…
2006.12.30
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カテゴリ: カテゴリ未分類
「エベン・エゼル(助けの石)」

                     サムエル記、第一、7章12節

 私たちは、年末を迎え、過ぎ去った一年を振り返る時、様々な苦
しみと困難に会い、何度も何度も危ういところを通りながらも、神
が今日まで私たちを守り、助け、導いてくださったことを改めて知
り、神に深い感謝を神にささげるのではないでしょうか。

 聖書の中にも、様々な危険と苦しみを通りながら、神の助けによ
って守られて来た一人の人の感謝の言葉が記されています。それは、
預言者サムエルの言葉です。

 「そこでサムエルは一つの石を取り、それをミツパとシェンの間
に置き、それにエベン・エゼルという名をつけ、『ここまで主が私
たちを助けてくださった』と言った」(第一サムエル7章12節)。

 この言葉は、神に対するサムエルの感謝の念と感恩の情からあふ
れ出た幸いな言葉であるとともに、彼が神に用いられた秘訣を教え
る言葉でもあります。

 私たちも、一年を守られ、今日という日を迎えることができたこ
とを思い、「ここまで主が私たちを助けてくださった」ことを心か
ら感謝するとともに、このことの深い意味を考えてみましょう。

一、「ここまで……助けてくださった」――継続的な神の助け

 サムエルは、その誕生においては、母ハンナの篤い祈りがあり、
少年時代は、「主にも、人にも愛され」(第一サムエル2章26節)、
またイスラエルの預言者に任じられた時も、「主は彼とともにおら
れ、彼のことばを一つも地に落とされなかった」(同3章19節)と
いう幸いな人です。彼は、ほかの誰よりも痛切にここに至るまでの
継続的な神の助けを知っていたのではないでしょうか。     

 しかしこのことは、サムエルだけでなく、境遇の違いこそあれ、
私たちも同じです。だれも神の間断なき助けなしに、今日まで生き
長らえて神に仕えた人はいないからです。私たちは、ここまで助け
てくださった神に心から感謝をささげているでしょうか。    

二、「主が……助けてくださった」――摂理的な神の助け

 サムエルの生涯は、幼少から晩年に至るまで、実に多難な日々で
した。特に少年時代においては、柔弱な祭司エリと、よこしまな息
子であるホフニとピネハスのもとで育てられたことは、非常に大き
な試みであったことでしょう。しかしこのような中でサムエルは、
老祭司ではなく、少年の自分を選んでイスラエルの預言者としてく
ださる神の不思議な摂理を知って成長していったのです。    

 私たちも、「神がすべてのことを働かせて益としてくださること
を」(ローマ8章28節)知って、困難な環境の中でも、神が助けて
くださることを信じて、信仰に成長していきたいものです。

三、「私たちを……助けてくださった」――全体的な神の助け

 サムエルは、「若い時から今日まで、あなたがた(イスラエル人)
の先に立って歩んだ」人です(第一サムエル12章2節)。サムエ
ルの思いは、いつもイスラエルの民にあり(同12章23節)、その
生涯は神のためにイスラエルの国をつくることに使い尽くされたの
です。

 ですからサムエルが神の助けを受けたことは、イスラエル全体が
神の助けを受けたことであり、イスラエル人はサムエルの成長とと
もに成長していったのです。

 このことは新約時代の教会も同じです。私たちも、ひとりひとり
が神の助けを受けて教会を建設することに力を注ぐならば、私たち
の成長によって、教会全体も神の助けを受けて成長するのです。

 私たちは、「ここまで主が私たちを助けてくださった」と感謝に
あふれて、年末を迎えているでしょうか。





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Last updated  2007.01.05 19:44:29
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