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「ゼベダイの子ヤコブ」
甲斐慎一郎
マルコの福音書、1章16~20節
ゼベダイの子ヤコブは、最初にイエスの弟子になった弟のヨハネ
に導かれて主の弟子になった人です。十二使徒の中にヤコブという
名の人がふたりいます。ひとりはゼベダイの子ヤコブ、もうひとり
はアルパヨの子ヤコブです。前者は大ヤコブ、後者は小ヤコブと呼
ばれています。ヤコブの生涯は「四福音書」と「使徒の働き」に記
されています。
一 人間をとる漁師として召され、何もかも捨ててイエスに
従ったヤコブ(19、20節)
四福音書は、ヤコブがイエスの弟子になってから人間をとる漁師
として召されるまでの経緯について何も記していません。しかし弟
のヨハネとともにイエスのお供をし、イエスの行われたことと語ら
れたことを見聞きしているうちに、イエスが真のメシヤであること
を確信し、この方に自分の生涯をささげて行こうと心にかたく決め
ていたのでしょう。イエスは、「わたしについて来なさい」とヤコ
ブをお呼びになりました。すると彼は、「父ゼベダイを雇い人たち
といっしょに舟に残して、イエスについて行った」のです(20節)。
二 十二使徒のひとりに選ばれ、三人の側近のひとりに選ば
れたヤコブ(3章17節、5章37節)
イエスは、大ぜいの弟子の中から「ご自身のお望みになる者たち」
十二人を選んで(3章13節)、彼らに使徒という名をつけられまし
た。この十二使徒の中に二組の兄弟、すなわちペテロとアンデレ、
そしてヤコブとヨハネの四人が含まれています。しかもこの四人の
うちアンデレを除いた三人は、イエスのそば近く仕える側近にも選
ばれました。
主は、この三人をエルサレム教会の柱として初代教会を建て上げ
る指導者とするために訓練されました。この三人の側近だけがヤイ
ロの娘がよみがえった家に、またイエスの変貌された山に、そして
ゲッセマネの園に連れて行かれたのです(5章37節、9章2節、14
章33節)。
三 主を受け入れなかったサマリヤ人を焼き滅ぼそうとした
ヤコブ(ルカ9章51~56節)
イエスが十二使徒を選ばれた時、ヤコブとヨハネの「ふたりには
ボアネルゲ、すなわち、雷の子という名をつけられ」ました(17節)。
ふたりは、サマリヤ人がイエスを受け入れなかったのを見ると、義
憤に駆られ、雷の子の本性を現し、熱心のあまりとはいえ、「彼ら
を焼き滅ぼしましょうか」とイエスに進言したのです(ルカ9章54
節)。彼らは、自分の思い通りにならないと、すぐに怒りを爆発さ
せてしまう気性の激しい人でした。ペテロとヨハネが初めから指導
者としてふさわしい人物ではなかったようにヤコブとて同じでした。
四 栄光の座でイエスの右と左にすわることを求めたヤコブ
(マタイ20章20~28節)
ヤコブは、側近のひとりであるペテロがイエスから天の御国のか
ぎを受けたことを知ると(マタイ16章18、19節)、嫉妬にかられ
たのでしょうか。母サロメと弟ヨハネとともに栄光の座でイエスの
右と左にすわることを求めたのです(同20章20、21節)。彼らが、
このようなことを求めること自体が、それにふさわしくないことを
表しています。ヤコブは、奉仕においては有能でしたが、人間とし
ても信仰の指導者としてもまだまだ未熟でした。
五 ヘロデ王によって殺され、最初の殉教者になったヤコブ
(使徒12章1、2節)
ヤコブは、四福音書においてはペテロやヨハネの陰に隠れ、三人
の側近の中で最も目立たない存在でした。しかし彼の生涯の晩年、
いや最期は決してそうではありません。アンテオケを中心とする異
邦人への伝道の働きが広がっていった後、ヤコブはヘロデ王によっ
て殺され、十二使徒の中で最初の殉教者になったのです(使徒12
章1、2節)。
なぜヤコブが最初に殺されたのでしょうか。それは、五旬節の日
に聖霊によって雷の子としての怒りの火が燃える愛の火に変えられ、
だれよりも熱心に伝道し、影響力が最も大きい卓越した人物になっ
ていたからでしょう。こうしてヤコブは、イエスの飲む杯を飲み、
イエスの受けるべきバプテスマを受けて(マルコ10章39節)、天
の御国に凱旋したのです。
拙著「使徒ヨハネの生涯」22「ゼベダイの子ヤコブ」より転載
