PR
Category
Keyword Search
Freepage List
Calendar
Comments
「神のことばによって生きる」
へブル人への手紙、4章12、13節
「神のことばは生きていて、力があり......心のいろいろな考えや
はかりごとを判別することができます」(ヘブル4章12節)。
「イエスは答えて言われた。『人はパンだけで生きるのではなく、
神の口から出る一つ一つのことばによる』」(マタイ4章4節)。
一、私たちに光(真理)を与えてくださる神のことばによっ
て生きる
神が天地万物を創造された時、最初に造られたものは光です(創
世記1章3節)。これは物質の光ですが、私たちにとってまず必要
なのは、真理を知る光です。
「神のことばは......両刃の剣よりも鋭く......刺し通し」、人の心
を照らし、隠れている罪を暴き、私たちが何を考え、何を感じ、何
をしようとしているかという「たましい」の状態も、そのたましい
の奥にある「霊」の状態も「判別することができます」(12節)。
もし私たちが神のことばという光に照らし出されなければ、真の
神がどのような方であるのかということも、また人は何者であり、
どこから来て、どこへ行くのか、さらにそのありのままの罪深い姿
も、そしてその罪から救われるためには、どうすればよいのかとい
うことも何も分からず、暗闇に閉じ込められてしまうことでしょう。
「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です」と
記されているように(詩篇119篇105節)、私たちは、暗闇を照ら
すともしびである神のことばを信仰をもって読むなら、人間にとっ
て最も大切な真理を知ることができるのです。
二、私たちに愛と力(熱)を与えてくださる神のことばによ
って生きる
太陽は光とともに熱を発しています。熱は愛であり、また力です。
「神のことばは......力があり」ます(12節)。エマオという村に行
く途中のふたりの弟子は、イエスと出会い、別れた後、「道々お話
しになっている間も、聖書を説明してくださった間も、私たちの心
はうちに燃えていた(すなわち愛と力に満ちていた)ではないか」
とルカは記しています(ルカ24章32節)。
詩篇の著者は、「あなたに罪を犯さないため、私は、あなたのこ
とばを心にたくわえました」と述べています(119篇11節)。
イエスは、荒野に象徴される悪い環境の中でも、また断食に象徴
される肉体の弱さの中でも、神のことばによって悪魔の誘惑に打ち
勝たれました(マタイ4章4、7、10節)。
私たちは、神のことばを心から信じる時、聖霊に満たされ、神の
愛と力が与えられて、勝利の生活を送ることができるのです。
三、私たちに生命(結実)を与えてくださる神のことばによ
って生きる
「神のことばは生きてい(文語訳は、生命があり)」ます(12節)。
ペテロは、「あなたがたが新しく生まれたのは......朽ちない種から
であり、生ける、いつまでも変わることのない、神のことばによる
のです」と述べています(第一ペテロ1章23節)。
「種」は、良い地に蒔かれるなら、「芽を出して育ち」、「人手
によらず実をならせるもので」す(マルコ4章27、28節)。イエス
は、種蒔きのたとえにおいて、「良い地に落ちた」種は、「芽ばえ、
育って、実を結び、三十倍、六十倍、百倍になった」と教えられま
した(同8節)。すなわち種には、生命の力と発育する力と結実す
る力があります。
パウロは、ミレトでの説教においてエペソの教会の長老たちに、
「みことばは、あなたがたを育成し、すべての聖なるものとされた
人々の中にあって御国を継がせることができるのです」と語りまし
た(使徒20章32節)。
私たちは、神のことばの光に照らされて真理を知り、みことばを
心から信じて聖霊に満たされ、愛と力を受けるなら、それは必ず行
為と生活、奉仕と働きにおいて豊かな実を結び、「教えと戒めと矯
正と義の訓練」を受けて、「すべての良い働きのためにふさわしい
十分に整えられた者となる」ことができるのです(第二テモテ3章
16、17節)。
甲斐慎一郎の著書→ 説教集