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「神の悩みと人の悩み」
甲斐慎一郎
イザヤ書、63章8~10節
「彼らのすべての悩みのとき、主も悩まれて」(9節、口語訳、
文語訳)。
この言葉の前半には、イスラエルの民の悩み、すなわち人の悩み
について、後半には、主も悩まれたこと、すなわち神の悩みについ
て記されています。
一、人の悩みについて
「悩み」とは、患難や罪による心の苦しみのことですが、私たち
は、罪とは何か、患難はどのように考えたならばよいのかというこ
ととともに、「悩み」に関しても正しい知識が必要です。なぜなら
一口に「悩み」と言っても、様々な悩みがあるからです。
1.あってはならない悩み--神に背いて、罪から来る、または
罪に至る悩み
わがままや自己中心、軽蔑や高慢、憎悪や嫉妬、敵意や争い、貪
欲や耽溺、汚れや好色などの、神に背いて、罪から来る悩み、また
はこれらの罪に至る悩みは、あってはならない注意すべきものです。
2.委ねなければならない悩み--人知や人力が及ばないので、
神に委ねる悩み
人類の堕落以後、罪の傷痕として残っているあらゆる欠陥や弱点、
また有限な人間として避けられない無知や無力などの人の知恵や力
の及ばないものに対する悩みは、全知全能の神が摂理の御手をもっ
て「すべてのことを働かせて益としてくださる」(ローマ8章28節)
ことを信じて、委ねるべきものです。
3.なくてはならない悩み--神に近づき、罪から救われるため
に必要な悩み
ヤコブは、罪ある人たちと二心の人たちに、「あなたがたは、苦
しみなさい(文語訳は、悩みなさい)。悲しみなさい。泣きなさい。
あなたがたの笑いを悲しみに、喜びを憂いに変えなさい」と勧めて
います(4章9節)。
私たちは、自分のいやな性質やかたくなな性格、また最もいけな
い所や恥ずべき悪癖、そして汚れた思いや罪深い心のために真剣に
悩んだことがあるでしょうか。私たちは、パウロのように「ああわ
れ悩める人なるかな、この死の体より我を救わん者は誰ぞ」(ロー
マ7章24節、文語訳)と叫んだことがあるでしょうか。
二、神の悩みについて
どこまでも正しく聖く、また全知全能の神は、人間のような「あ
ってはならない悩み」や「委ねなければならない悩み」や「なくて
はならない悩み」などは、全くないことは言うまでもありません。
神の悩みはすべて、神ご自身に関するものではなく、私たちに関す
るものです。このことを分かりやすく述べるなら、次のようになり
ます。
1.神は、私たちが「あってはならない悩み」を持っていること
を悩まれる方です。
2.神は、私たちが「委ねなければならない悩み」を委ねていな
いことを悩まれる方です。
3.神は、私たちが「なくてはならない悩み」を持っていないこ
とを悩まれる方です。
それゆえに「その愛とあわれみによって主は彼らを贖い、昔から
ずっと、彼らを背負い、抱いて来られ」ました(9節)。これは、
「自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われ」た(第一
ペテロ2章24節)キリストの十字架による救いにほかなりません。
三、三種類の悩みの関係について
私たちは、「なくてはならない悩み」が深くなればなるほど、ま
すます神に近づくとともに、キリストの十字架の救いの必要性が分
かり、救いの経験が明確になります。
救いの経験が明確になればなるほど、罪から来る、または罪に至
る「あってはならない悩み」がなくなってくるとともに、「委ねな
ければならない悩み」も神に委ねることができるようになり、悩み
が軽くなっていきます。
しかし、この「なくてはならない悩み」がないなら、その罪のた
めにますます「あってはならない悩み」が深くなるとともに、「委
ねなければならない悩み」も委ねることができず、ますます深く悩
むようになるでしょう。
私たちは、どのようなことに悩み、またその悩みを解決している
でしょうか。
甲斐慎一郎の著書 → 説教集