東京フリー・メソジスト教団付協力牧師 甲斐慎一郎 説教要約

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2014.01.31
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カテゴリ: カテゴリ未分類

「摂理と運命」                    2014年2月7日

インターネットのテレビ局CGNTV(Christian Global Network
Television)の番組「みことばに聞く」に当教会の牧師が出演しま
した。2012年7月10日放映「 聖書に基づく確かな信仰

「摂理と運命」

                                      甲斐慎一郎
                   創世記、22章6~14節

 「初めに情報ありき」を信じるなら、創造主である神が備えられ
た「摂理」の道を歩むことができますが、「初めに物理法則ありき」
を信じるなら、創造主なる神が存在しないのですから、私たちの身
に起きるすべてのことは「運命」としてあきらめるしかありません。

 そこで「摂理」と「運命」について学んでみたいと思います。

一、運命について

 私たちは、「摂理」と「運命」との違いを知っているでしょうか。
国語の辞書には、次のように定義されています(三省堂、新明解国
語辞典)。

 「摂理」--キリスト教で、最終的に人を善に導く神の意志。
 「運命」--そうなることに決まっている、物事の成り行きや人
間の身の上。超越的な力によって決定されており、人間の力では、
いかんともすることができないこと。

 「運命」の類似語に「宿命」というのがあります。

「宿命」--人それぞれの身の上に、生まれつき定まっていて、
変更が許されないと考えられている、幸・不幸などの巡り合わせ。

  「運命」とその類義語である「宿命」については、これでよいの
ですが、「摂理」については、その語源から考えてみましょう。

二、摂理について

 「 古代民族の諸宗教は、自然や世界の過程の中に、ただ盲目的な
『運命』しか見なかったのに対して、キリスト教は、そこに自由な
聖なる意志に基づく神の『摂理』を信じました。それは古代宗教史
に全く新しいものをもたらしたのです。

   摂理とは、創造者なる神が、彼とは異なる被造物の経過と歴史
を自らの意志によって、時の中で保持し、統治する知恵と全能とい
つくしみです。摂理という言葉の語源は、創世記22章8、14節に
さかのぼるといわれます。その箇所でアブラハムは、イサクをいけ
にえとしてささげよとの命令を受けて山に登りますが、その子に手
をかけることを禁じられた時,いけにえの雄羊があらかじめ備えら
れていました。アブラハムは、その子イサクがいけにえのないこと
について質問した時、『神ご自身が全焼のいけにえを備えてくださ
るのだ』(創世記22章8節)と答えました。このことばがラテン
語訳の聖書で〈Deus providet〉と訳されて、摂理の意味をもつよう
になりました。すなわち、人間の必要と危急と困惑とに当面して神
がささげるべき雄羊を欲し、選ぶ予見と予備と配慮、これが摂理の
意義です。

   『摂理』には、『予見・予知』と『配慮・世話』との両方の意味
があります。人間が、ただあとから悟り得ることが、あらかじめ神
によって決定され、配慮されているのです。神が世界のために、人
間のために、教会のために、その知恵と聖なる意志によって、これ
ら被造物の存在と持続のために必要なすべてのものをあらかじめ見、
かつ知り、あらかじめ備え、配慮してくださいます。そのようにし
て被造物に対する神の意図が成就し,神の栄光が輝き出るためです」
(『キリスト教大辞典』教分館、649頁、1963年)。

  一言で言えば、「 摂理とは、窮地に陥り、困難に直面している人
間に対して、神がその無限の知恵と愛によって、その必要なすべて
のものをあらかじめ知って備え、また配慮してくださること
」です。

  「 神の支配する世界では、神の摂理が行われ、すべてが神の計画
に基づいて合理的に構成されている。たとえ善良な人間が悲惨な生
涯を終えるようなことがあったとしても、それは神の試練による救
いであるかもしれない。たとえまた愛する者を死で失ったとしても、
神の準備した天国で再びめぐり会うことも可能であろう。神の支配
する世界では一つの不合理もあり得ないのである。

だが、神を失った世界では、醜く悲惨で不合理な人生が、そのま
まの素顔をあらわにする。しかもその不幸な生涯を終えた人間は、
死とともに永遠の闇の世界に消えて行く。このように人生は非合理
に満ちたものであるがゆえに、それは『運命』なのである。運命と
は、人為を越えた非合理の別名である。それは合理性を本質とする
『摂理』の反対物にほかならない。したがって神を失った時、人生
はそのまま運命となる」(ある宗教学者)。

次回は2014年2月14日「三つの現実」です。

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甲斐慎一郎の著書→ 説教集

東京フリーメソジスト昭島キリスト教会






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Last updated  2017.02.19 16:08:24
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