東京フリー・メソジスト教団付協力牧師 甲斐慎一郎 説教要約

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聖書預言@ Re:説教要約 1266(08/08) 『JDファラグ聖書預言』でネット検索すれ…
2017.01.28
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カテゴリ: カテゴリ未分類
「隣人をあなた自身のように愛せよ」   2017年1月30日

インターネットのテレビ局CGNTV(Christian Global Network 
Television)の番組「みことばに聞く」に当教会の牧師が出演しま
した。2012年8月3日放映「 キリスト教の信仰
説教要約 935   創造論は進化論よりも奇なり
説教要約 950   創造論か進化論か(2) 

「隣人をあなた自身のように愛せよ」
               甲斐慎一郎
                マタイの福音書22章39節

 「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」(39節)。

 自分を愛する人は、自分の利益になることのみ考え、何事も自分
の利益のために行います。このことを自分の利益のためではなく、
隣人の益のためにすることが自分を愛するように隣人を愛するとい
うことです。ただし、これは自分の利益になることのみをしていた
のでは不可能であり、隣人の益のために自分を犠牲にすることが必要
です。

一、生命の惜しみない利他性

 自然界の動植物は、他の動植物の利益のために自分の生命を捨て
ています。
 「 『樹木は、この溢れんばかりの過剰を使うことも享受すること
もなく自然に還す』 ……もし植物が利己的に振る舞い、自分の生存
に必要最低限の光合成しか行わなかったら、われら地球の生命にこ
うした多様性は生まれ得なかった。…… 『動物はこの溢れる養分を、
自由で嬉々とした自らの運動に使用する』 (フリードリッヒ・フォ
ン・シラー)。

 一次生産者としての植物が太陽のエネルギーを過剰なまでに固定
し、惜しみなく虫や鳥に与え、水と土を豊かにしてくれたからこそ
今の私たちがある。…… 生命は利己的ではなく、本質的に利他的な
のだ。その利他性を絶えず他の生命に手渡すことで、私たちは地球
の上に共存している 」(生物学者の福岡伸一氏の「生命の惜しみな
い利他性」より)。

二、食物連鎖(食物網)について

 陸上の生物には、草の葉をバッタが食べる→バッタをカマキリが
食べる→カマキリを小鳥が食べる→小鳥をタカが食べる……といっ
た生物間のつながりがあります。海では、植物プランクトン→動物
プランクトン→イワシ→イカ→アシカ→シャチ……などのつながり
があります。これを一繋がりの鎖として取り出した時、食物連鎖と
呼びます。

三、食物連鎖の構成について

 食物連鎖は 生産者 消費者 そして 分解者 という三つで構成されま
す。
1.生産者 ―― 植物は、太陽のエネルギーと水と二酸化炭素を利
用して光合成を行い、デンプンや糖を作ります。さらに窒素や各種
ミネラルを組み合わせて、タンパク質や脂肪などを作り出すのです。
2.消費者 ―― 植物(生産者)を餌にする草食動物が第一次消費
者で、草食動物を食べる肉食動物が第二次消費者です。以後第三次、
第四次となります。
3.分解者 ―― 生物の死骸やフンなどは、さらに他の動物に食べ
られたり、細菌、菌類などの働きによって分解されていきます。生
物を構成していた有機物は、やがて無機物と水と二酸化炭素まで分
解され、再び生産者に利用される日まで自然の中を循環します。

四、隣人をあなた自身のように愛せよ

 自然界は、植物も動物も惜しみない利他性があり、食べられるた
めに生きているようなものです。 これは進化論が教えている 「環境
に適した生物が生き残り、不適格な動物は死に絶える」 という自然
淘汰とは全く反対です。
    
 進化論は、生物の利己性を教えているのに対して、自然界は、生
命の利他性を教えています。生命に利他性がなく、進化論が教えて
いるように利己性であるなら、生物は絶滅してしまいます。生命に
利他性があるからこそ、絶滅せずに生きているのです。 生物の利己
性を教えている進化論は、誤りです。

人も、両親や教師が子どものために自分を犠牲にして教えたり、
働いたりしているので、子どもは育ちます。社会においては食物連
鎖のように農林水産業、工業、商業(商店)など製造業の人が 「生
産者」 で、生産された物を食したり使用したりする人が 「消費者」
で、清掃業者などゴミを収集したり処理したりする人が 「分解者」
で、分解された物は再び「生産者」に利用されます。 人は、隣人の
益のために自分を犠牲にしているので、生きていくことができます。
これこそ「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」ということ
です。 人は、自分の益のためだけでなく、隣人の益のために自分を
犠牲にする時、死に絶えることなく生きていくことができるのです。
  聖書は、 「キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨
てになりました。それによって私たちに愛がわかったのです。です
から私たちは、兄弟のために、いのちを捨てるべきです」 と教えて
います(第一ヨハネ3章16節)。これこそ「あなたの隣人をあなた
自身のように愛せよ」ということです。
甲斐慎一郎の著書 説教集






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Last updated  2017.01.29 17:25:42
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