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奈良女児殺害:誘拐容疑で36歳男逮捕 自宅から携帯発見>奈良市の小学1年女児(7)が下校中に行方不明になり、奈良県平群(へぐり)町の造成地で遺体が見つかった事件で、奈良県警捜査本部は30日、同県三郷町勢野東1、毎日新聞販売所従業員、小林薫容疑者(36)=30日付で懲戒解雇=をわいせつ目的誘拐容疑で逮捕した。>自宅から女児の携帯電話やランドセルなどが見つかった。<奈良女児誘拐殺害>「携帯画像入手」と自慢 小林容疑者>「これ見て、殺された女の子の写真や」。事件発生から約1週間後の11月下旬のある夜、なじみの飲食店で小林容疑者が大声を上げた。>「残酷な携帯サイトから送られてきたんや」と言いながら、携帯電話の画像を常連客に見せたという。「おれはB型。体形も髪形も眼鏡も犯人に似ている。困ったな」。聞こえよがしに話した。とんでもねぇ大馬鹿野郎がついに捕まったね。しかも、毎日新聞の販売員だとさ。いやはや、まいったねぇ。毎日新聞では、「販売所に対して従業員の人事管理をさらに強化するよう指導していきます。」だってさ。こういう大馬鹿野郎が集う会社なのか、それとも、こういう大馬鹿野郎を育成してしまう会社なのかってトコだよな。以前、進入禁止のところで捕まって「ここを進入禁止にしてるのが悪い」なんて悪態ついた朝日新聞のバカ記者について書いたけど、それを大幅に超える大馬鹿野郎だわな。まぁ、根底は同じ臭いがするけど。で、こういう常識でははかれないような猟奇的事件が起こると、必ず取りざたされるのが「精神鑑定」でさ。今回の事件で言えば、「殺害後もずっと遺品(ランドセルや携帯電話)を部屋に置いておいた執着性」とか「殺害後に、『今度は妹を貰う』と遺族にメールしてきた異常性」に焦点が当てられてるらしいんだよ。これさ、たいそうぶっていろいろと分析してるみたいだけど、要するに、ただの欠陥人間だろうっての。どうして、こう毎度毎度あれこれイジくり回して何とか答えを出そうとするかね。どうしても要因を探り出して結び付けたいというかさ。こういう事をしでかす時点で異常なんだよ。どんな理由が見つかろうが、やったことに対して免責になるわけじゃない。お花畑で飛び跳ねてるような似非平等主義者や人権屋は、そういうところを見ようとしないんだよね。「加害者を糾弾することは簡単だがそれで終わらせてはいけない」だの「原因を探って同じことが繰り返されないようにする」だの言うんだけど、それでこういう事件は減ってるのかって。逆に、増えてねぇかっての。死刑制度反対論者なんかも同じ論拠だよ。あとは「人が人を裁いていいのか」とか。ワタクシは、別に死刑制度に賛成してるわけじゃなくてさ。ただ、現行の法律ではそれが極刑だからってだけ。絶対に出られない終身刑とか、どこかの国みたいに刑が加算されていくような方式だったら別に死刑廃止でも構わないんでさ。その場合は、精神鑑定で無罪放免や減刑なんかは適用しない(ってか、今でも必要ないと思ってるし)。犯罪に等級つけて、どんなに反省しようが理由があろうがそれに準じた刑を受ける。これが一番いいと思うけどね。結局のところ、変な「保護」があるから、常人でははかれないような犯罪(行動)は、全部精神的な所為に結び付けようとするんだよな。加害者保護も、ここまで来るとホント「やったもん勝ち」感は拭えないんでさ。じゃぁ常人は日常生活のうえでどうすればいいんだって話だよ。普通に平和に暮らしてるはずだったのに、公園で連れ去られて惨い写真を送りつけられてさ。挙句の果てには、追いうちをかけるように「今度は妹をもらう」だもの。そんな理不尽さにどう対抗すればいいんだって。暴論を承知で言うとね、例えば不意に殺意が芽生えてしまうような障害を持った人間と一緒に生活してるってわけでしょ。何かスイッチが入った時に、たまたま居合わせた人が殺されちゃうというさ。で、もちろん「人権」の配慮から、そういう情報ってないわけじゃない?「誰々が以前こういう事件を起こしましたが、精神鑑定の結果無罪放免となりました」って。「僕(私)は、ひょっとしたらスイッチが入るかもしれませんのでお気をつけ下さい」とかいう情報が無かったら、ある意味とんでもなく危ないわけでさ。電車を待ってるベンチで、隣に座ってる人のスイッチが何かのきっかけでいきなり入っちゃったりしてさ。しかも、スイッチが入ると止まらないというね。限度を知らないから。これはおっかないし、実際そういう人とともに日常を過ごしてるわけだからね。加害者の人権を叫ぶのもいいけどさ、こういうのも何とかしてくれって。だってさ、もし万が一殺されちゃたら「死んだんだから供養だけ」ってなるわけでしょ。で、加害者(の人権)ばかりが保護されるわけでしょ。それは困るんだがなぁ。それなら、そういう被害に遭うかもしれない人の人権を、殺される前に保護してもらいたいというね。こういう悲惨な事件を未然に防ぐために、何らかの対抗手段を明示してもらわないとおっかなくていられないもの。正当防衛ったって、心に病(という表現でいいんだろうか)があるってわかったからって、やられる前にやっちまおうじゃマズイわけでしょ。相手が襲いかかってきたらって話なんだよね、多分。それじゃ遅くないかって話なんだよ。ってかさ、本当の意味で「加害者に対する人権保護」を唱えるんなら、精神鑑定で無罪放免にすべきじゃないと思うね。精神だけじゃなくて身体も保護してやればいいんだよ。現実には簡単に精神病院を退院出来るらしいんだけど、もうね、死刑じゃないなら一生出さない。人権派弁護士が、法廷戦術で精神鑑定に持ち込んで無罪を勝ち取ったら(もしくは、予想以上に量刑が軽かったら)、その人権派弁護士が連帯保証人になる、とかさ。再犯したら、弁護士も一緒に刑を負うというね。精神鑑定によって無罪放免になるって事は、結局のところ「善悪の判断がつかない」というレッテルなわけでしょ。で、そういう人が殺人なんかを犯しても罪には問えないというさ。これは、そういう心の病を持った方々に対しての「人権」的な配慮なんだろうけど、そういう方々と(知らず知らず)接しながら暮らしている常人に対する「人権」的な配慮はどこにあるんだろうかっていつも思うんだよ。下手すりゃ、「事件を起こすなら出来るだけ猟奇的に」なんて事がまかり通っちゃう。想像を絶するようなことをすると、普通の事件よりも衝撃的なわけだから。常人ではかれないようなところまでヤッちゃうと、常人からすれば「こ・・これは普通じゃない」とか言って、心優しい平等主義者や人権派の方々がいろいろ勝手に分析してくれるわけでさ。その辺をついて、どんどん残忍な手口になっていくというね。そういう意味でも、以前ほどじゃないにせよ、やっぱり「加害者に手厚い」とも思えるんでさ。現実的には、こういうのみたいにDNAか何かがおかしい奴っているんだよね。それをまず認めないとダメなんだと思う。「平等」っていうのはとっても耳障りのいい言葉だけど、その胡散臭さにも目を向けないとダメなんだと思うね。殺人事件の加害者を、被害者の遺族が好きにしていいってのが一番公平のような気がするんだけどなぁ。**********うちの子供が誘拐されてさ。今回みたいな事件に巻き込まれちゃったら、そりゃもちろん復讐しますよ。「法治国家なんだから法によって裁かれるべき」という方もいらっしゃるだろうし、もちろんそれが正論だとは思うよ。だから、復讐したあとにワタクシは法によって裁かれることに異論はないというさ。うちの子供を誘拐する時は覚悟してかかれよ?>うちの子供を誘拐しようと企ててる犯人**********来年もよろしくお願い申し上げます。
2004年12月31日
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対話と圧力の両面から、北朝鮮に誠意ある対応求める=小泉首相>小泉首相は、政府が北朝鮮から持ち帰った安否不明者に関する資料は、真相究明には不十分と判断したことに関連し、今後も北朝鮮に対しては、対話と圧力の両面から誠意ある対応を求めるとの考えを示した。― 北の対応も、ある意味常軌を逸してるねぇ。別人の遺骨を渡したり、「経済制裁は宣戦布告とみなす」とか。「もうね、こっちの価値観で対応してたら収拾つかない気がするよな。心情的にはすぐに発動してもらいたい経済制裁はともかく、人道支援については凍結するのが当たり前だろう。ほとんどチンピラや総会屋のヤリクチだもの。危険なイメージを最大限に活用してるよな」― え?君なら「即刻経済制裁発動希望!」かと思った・・「これまでの北のヤリクチやスタンスを思うと、経済制裁を発動したら現在生存しているだろう拉致被害者を殺害しちゃいそうな気がするんだよ。経済制裁をしなくても、遺骨問題を大きく取り上げて、それを突破口にしようとすればするほど危険な気がしてさ」― 重要な機関に属していると言われている拉致被害者だもの、大丈夫じゃない?「そうだといいんだけどさ。ただ、何てたって北だからなぁ。人権なんてハナから無い国だもの。遺骨問題を突破口にしようとすると、今度はホンモノの遺骨とか出してきそうだよ。で、それを突破口にしようとしていた日本は何も言えなくなる、と。もっとも、いつ亡くなったかどうかは調べられるんだろうけど」― そう思うと、一概に「経済制裁発動」ってのも言えないなぁ。「オレはさ、例えば殺人事件なんかに関しては、被害者側が量刑について最大限の発言力があるべきじゃないかと思ってるからね。それに照らし合わせれば、拉致被害者家族会の意見が『経済制裁発動』で大勢を占めているんであれば、かなりの範囲で考慮してもいいとは思うね」― でも、凶悪殺人事件であっても死刑制度反対の人はいるよねぇ。「そう。それと、やっぱり誰でも戦争は反対だからね。無用な争いは避けるべきだとする人もいるだろうな。もっとも、『無用』ではないんだけど。まぁ、『更生』を信じて加害者に寛大なことが是とされる風潮の中では、いつまでも『対話』が叫ばれていくんだろうな、とは思うけどね」― でも、「対話」で解決出来ればそれに越した事ないでしょ。「何て言うかさ。もちろん対話ってのがまず優先されるべきなんだろうけど、それは対話に関する「価値観」が共有出来る相手ってのが条件になると思うんだよ。例えばさ、理で話しているのに、負けそうになる(やりこめられそうになる)と感情的になったりする相手だと対話にならないだろ。立場を持ち出してきたりとか。あとは、論点ズラシに終始したりね。どうでもいいような枝葉末節に執拗にこだわって、うやむやにしたいのか相手がウンザリするのを待ってるのかわからんけど」― そういう人、楽天内だけ見ても結構いるね・・「要するに、そういう人は(自説の)調子がいいときは対話を主張して、都合が悪くなると対話しても意味が無い(相手だとしたい)ってスタンスなんだよね。対象が、対話の相手じゃなくて論議に関する自説(の根拠)なんだよ。で、その自説の根拠が相手の指摘によって揺れちゃうと、それまでの主張をひっくり返しちゃうか、何が何でもゴリ押ししたくなるんだね」対話による最善の着地点を探るというより、まずは自分のプライドが大事だってことだよ。― プライド・・自分に対しても周囲に対しても、ってことかな。「わかりやすいのが、似非平和主義者の北に対する対応でさ。それらの人たちに代表される主張の根幹は『対話』『太陽政策』なわけだよ。で、とっても不思議なのが、こういう人たちほど議論を交わすことを拒むんだね。例えば、Web上で自分の意見を公開すれば、それについて反論も出たりするんでさ。ところが、こういう人たちって、最初は対応するんだけど形成不利になってくると『君とは話にならない』になっちゃうんだ。で・・『攻撃されてるぅぅぅぅーーー』『イジメられてるぅぅぅぅーーー』なんて声高に叫びまくって、いかにも(例えば今回の案件で言うと)『経済制裁支持派』に危害を加えられてるかのように振舞うというね。首相の靖国神社参拝でもイラクへの自衛隊派遣でも、全部こんな感じ。自説について反論がくると大騒ぎ。『こんなに正しいことを言ってる私(達)に反論してくるなんて野蛮だわ!』って位置付けにしちゃう思考回路にはまいっちゃうんでさ。下手すりゃ『右翼』だの『軍国主義者』だの言われかねないからね」― あの・・それって・・何となく・・「そう、この思考プロセスって、いわゆる北と同じなんだよ」― だ、だよね・・「まず自分の意見ありき、っていうスタンスはどうなんだろうか、とさ。提起した当初に『これが自分の考えだ』『根拠だ』というのはアリだと思うよ。たださ、当然、それに対して異論反論があるわけだよな」― そりゃそうだよねぇ。不特定大多数に向けて発信してるわけだから。「でさ、都合のいい意見だけ取り上げてナァナァにやってたり、都合の悪い意見を削除しちゃったりするのは、普段こういう人たちが忌み嫌っている「権力の情報操作」と同じゃないかと思うんだよ。そういうところ、言ってみればその人のスタンスが、発する言葉と同時に周囲の人の判断基準になってることくらいはわからないとさ。単なる盲目バカ以外の、きちんと自分の頭で考える人なんかは愛想尽かしちゃうでしょ」― 「この人、自説の論拠を自分のスタンスで否定してるじゃないか・・」って。「そうそう。で、さらに厄介なことがあるんだよ。どういうわけだか、こうなるとワラワラと湧いてくるのがいるってこと。いやね、いいんだよ。たくさんの人がいろんな意見や根拠を述べて、どんどん話題が広がったり深く掘り下げていけるならね」― ところが、こういう場合、ほとんどが「こんな人たちと話していても意味がありませんよ」なんていう、矛盾点を突かれてやりこめられそうな側へのHelp対応だという・・楽天内ではよくあるね。「異論反論を提起した相手に自分の意見を言うんじゃなくて、やりこめられそうでアップアップしている側への助け船なんだよな。全然意味ないだろ。せめて、異論反論を提起した相手に意見を言えって話でさ。形成不利だった側も、渡りに船とばかりに『そうだね』なんて、『将棋盤をひっくり返すきっかけが出来た。良かった』くらいの感覚だもの。見てる方は『この人、何なんだろ』って思うよ」― 自分を高みに置いてる人ほど、もしくはプライドが高い人ほど異論反論には弱いってことかな。「例えばさ、友達に何かを指摘されたとしてね。その友達の言い分が正しいか、もしくは、指摘された方は何で指摘されたかすらそのアタマでは出来なかったりしてさ。周囲から見れば、もう見苦しいくらい枝葉末節にこだわってのたうちまわってる状態だったとするよね」― うん。「そういう場合、子供なんかだとトモダチとかに言いふらすんだよね。ある事ない事。さも自分が被害者のようにスリスリするわけ。『アイツ気にいんねぇよな』とか『何様なんだよなぁ』って。指摘してくれた、本当ならお礼を言ってもいいはずの友達に対して、一緒に悪口を言ってくれる人にスリスリして同調を求めてさ。『アイツにはヒドイめに遭わされたよ。なぁひどいと思うだろ?なぁ』なんて言う。しかも、そのトモダチは『ホントひどいよね。相手にしない方がいいよ』なんて言う」― いそうだ(笑)「本当の友達なら、その『ヒドイめ』の内容をちゃんと聞くだろう。もしくは、その状況を見ていた友達なら、自分の感覚や価値観、スタンスなんかで判断すべきものなんだよ。少なくとも、双方の言い分を汲んでから判断するだろうって。そして、それが指摘された友人に原因があるってわかったら『そりゃオマエがおかしいよ』て言うのが友達だろうってことなんだよ。状況もわからんで、「トモダチだから」なんて理由だけで擁護するのはおかしいだろうって事でさ。長い目で見たら、この友達こそがその指摘された子供にとっては価値ある友達だろ。間違っていたら指摘してくれるのが本当の友達でさ。おかしいことをしているのに指摘もしないで、『トモダチだから』ってだけで『そうだよね』なんてばかり言うのってさ、本当のところロクに考えてないんだよ」― あぁ、わかるわかる!職場でもあるよね。やたら、上司の言葉や指示に対して「Yes man」の人。で、そういう奴に限って、陰では上司や会社の悪口を言ってる(笑)「ところが、気持ちよくなっちゃうんだよねぇ、自分に同調してくれると。だから甘んじちゃう。すがっちゃう。そりゃそうだよね。耳が痛いことを指摘されるより、無防備に褒めてくれる方がイイ人っぽいもの。でもさ、そこで指摘されなかったら後で絶対に同じことやっちゃうんだよね。そして、その時に指摘されたよりも恥ずかしいことになるというさ」― 「そう言えばあの時に・・」っていうのはあるよねぇ。「イヤな役回りで指摘する人と、無防備に同調して先延ばしする人と、どっちが『友達』なんだろうかという話なんだよ」― ワタクシなら、前者みたいな人にいてほしいなぁ。「でもさ、オトナでも『後者の方がいい』って人があちこちにいるんだよね。身体ばかりデカくなったオトナ。変な知識や肩書きだけ持ったオトナが。カワイソウな自分に同調して欲しくてスリスリするオトナがさ。自分が意識的にか無意識にか思わず勢いでしてしまった(言ってしまった)ことについて、プライドが邪魔をしてるんだか他人を下に見てるんだか、意地になって認めようとしたないんだな。反省するところは反省して直していけばいい、訂正するところは訂正していけばいいと思うんだけどね。それが成長なわけでしょ。その場しのぎでいなそうとするから、後で引っ込みがつかなくなるわけでさ」― プライドが高いっていうことは、本当のところ「身の丈をこえてる」のかもしれないね。大きく見せようとして背伸びしているというか。「うん。もっとも、それを無防備にナデナデしちゃうオトナが煽るから引くに引けない・・ってか、ズルズルになっちゃうってこともあるわけだけどね。それは、盲目擁護する周囲にも責任があるわけだよ。迎合するのが友達じゃないだろう。表面的に優しい顔してても、陰で悪態ついてたらそれはいつしかバレちゃうわけだから、言葉だけじゃなくそういう行動も含めたスタンスで判断したいところだよな。まぁ、オマエはプライドなんて無いから関係ないだろうけど(笑)」― 何でそこでワタクシの話になるんだよっ!(怒)
2004年12月30日
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むかぁ~し、昔のことじゃったぁ・・樂天村っちゅぅ、それはそれは大きな村があってな。お金なんぞ払わんでも、望めば自由に土地を手に入れられるっちゅぅんで、噂が噂を呼んでたくさんの人が集まりおった。お金が無かったり家の建て方がわからんであきらめてた者も、建て方まで教えてくれるっちゅぅんじゃから、そりゃぁ、そんなイイ話があるんかとみんなこぞって押し寄せたもんじゃ。簡単に土地が手に入るもんじゃからいろんな人おってな。自分の家の前を通り過ぎただけで怒鳴り込んでくる者もおったし、誰も頼んどりゃせんのに、うちの前を通るたびにガンガンと戸を叩いて、何かと開けてみたら笑顔で挨拶して行きおる者もおった。そんな時は、また来るかまた来るかとビクビクして、ゆっくり寝る暇もなかったもんじゃ。中には、家の前で拡声器を持って叫んでる者がおってな。聞いてるとおかしなことを言っとったから「そりゃおかしいべ」と言ってみたら、「勝手に人の話を聞かんでケロ!」なんて言い出す奴もおった。「仲間内で話しとるんじゃ、去ね!」っちゅぅんじゃが、その声は村中に響いておったんじゃよ。聞きたくなくとも耳に入ってきよるわぃ。おかしいじゃろ。そうそう、将棋が強いと自慢しちょった者もいてな。何度か手合わせをしたことがあったんじゃが、終盤になるといつも将棋盤をひっくり返してスタコラサッサと逃げよる。それどころか、自分家の近所の人には「オラが勝った。アイツは相手になりゃせんわ」などとヌカしちょった。そう言や、将棋をさしている最中もおかしな事を言っとってな。「金が斜め後ろに下がれればオラの勝ちじゃ。ふぉっふぉっふぉ」「金」が斜め後ろに下がれんことなぞ、み~んな最初から知っとることじゃ。誰もが、了解済みで将棋しとるはずじゃろ。双方、同じ決まりごとで勝負しちょる。負けが濃厚になってから最初の約束事をどうこう言うのはおかしいはずなんじゃが、そういう常識が備わっとらん者も多かった村じゃったのぅ。さて、樂天村じゃが、ロクな審査もせんでどんどん土地を与えておったからな。もう、それはそれはたくさんの家が建ち、数え切れないほどの住民がおってな。元々、自分で家を建てるなんて考えた事もなかった連中じゃ。実際に、土地を貰ってみてもどうしていいかわからんのじゃ。すると、中には他人の物をかっぱらって、さも自分の物のように自分の家に飾り付けるバカ者もあちこちに湧いたもんじゃ。ところが、樂点村のおエライさん方や職員の者たちは、そんな悪行を見て見ぬふりしていたんじゃよ。そればかりか、そういうバカ者を注意していた自警団の人たちを強制退去にしちまう、なんてこともあったんじゃ。何故じゃと思う?そこには、樂天村の恐るべき壮大な計画があったんじゃよ。樂天村の商店街は、他のどの村の商店街よりも盛っておってな。「旦那ぁ、この商店街に店を出したら儲かりまっせぇ~。運営方法まで手取り足取り教えてあげちゃるし、その料金なんて微々たるもんじゃ。とにかく儲かりまっせ♪」などと勧誘しちょった。「店舗の賃貸料と少しばかりの指導料だけじゃ。あとはお前さんがガッポリ稼ぎねぇ!」なんて甘言を弄して取り込んでいきおったんじゃ。故阿佐田哲也氏の「麻雀放浪記」って知っちょるか?映画にもなったんじゃが、小説の方の話じゃ。彼の著作には、戦後の賭場のことがおもしろく描かれちょるんじゃが、特に麻雀じゃ。で、その中におもしろいことを書いちょる。当初は、玄人同士での対決で取り合いだったんじゃが、それを続けていてはいつか共倒れになっちまうべ。そこで、頭を働かして、素人に麻雀を教えて養成してそこから稼ぎを得ようと考えたんじゃ。将来食いモノにするために育てるっちゅぅ考えじゃ。たっぷり太らせてムシャムシャ骨の髄までしゃぶるんじゃよ。ほれ、樂天村も同じだべ?樂天村のおエライさん達は、商店街に店を出させようと躍起になっておる。あのテこのテを使って、「こんなに魅力的♪」っちゅぅところばかり強調しよる。「簡単に儲かる♪」なんて言いおってな。で、この言葉に乗った者が、樂天村に上納するという条件で開店させてもらうんじゃよ。店が景気良くなれば、樂天村も儲かるっちゅぅわけじゃ。だから、今度は、その店を利用してくれる者が必要じゃろ。そこで、あのテこのテで集客するんじゃな。そのひとつが、お金も貰わんで土地を与えるっちゅぅやつじゃ。うまく出来ちょるじゃろう。片方ではその気にさせて店を出させて、片方では素人を集めてその店を利用させる。うまい仕掛けじゃろうもん。ただな、ワシぁ、こんなところを批判するつもりは毛頭ない。商売なんじゃから、例え樂天村の掌で踊らされちょろうと構わん思ぉとる。それが樂天村の商売の方法じゃし、今風に言えば「あいであ」っちゅぅやつじゃ。まさに、「漁夫の利」だろうもん。自分で手を汚さんとも、売り手と買い手を養成することによって勝手に儲かっていきよる。遊ばせて場代を取る胴元みたいなもんじゃよ。だもの、他人の物をとってきて、さも自分の物のように飾り付けるバカ者みたいのが多い方が樂天村にとってはいいんじゃろうよ。そういうバカの方が、樂天村にとっては操縦しやすいんじゃから。ただな、ワシは思うんじゃ。ワシも樂天村に住まわしてもろうちょる。だからこそ言わせてもらいたいんじゃが、樂天村は、恐らく他の村より規模はデカイじゃろ。それならそれで、儲けばかりにハシらんと、他の村の手本となるようにせんとイカンのじゃなかろうか。他人のモンを勝手にとってきて自分の家に飾っていたら、それは飾っとる方が悪いじゃろう。そういう者の教育をせなイカンと思うんじゃが、樂天村のおエライさんはようせぇへんのじゃ。それと、樂天村では時折とんでもないことが起こりよる。まさに想像を絶する処遇を叩きつけてきよるんじゃ。先にも話した強制退去処分みたいなもんじゃな。それも、問答無用にじゃ。想像してみぃ。フラッと出掛けて、帰ってきてみたら家が無くなっちょるんじゃよ。跡形もない。まったくの更地になっておる。手入れしていた畑の作物や、庭木、飾りつけた部屋が消滅しちょる。帰ってきたワシは、しばし呆然と立ち尽くしたもんじゃ。よく見ると、石っころの下に紙が一枚挟んであった。「お主の家は、違反と判断したため取り壊した。悪しからず」これだけじゃ。何で取り壊されたかさっぱりわからん。事前に注意もなかったんじゃよ。ある日突然、家が取り壊されちょった。取り壊した後に紙切れ一枚じゃ。もう、済んでしまったことの通告じゃ。家が無くなっとることくらい、目の前に立ち尽くしているワシが一番ようわかっとる。「ずいぶん、見晴らしのいい土地になってしもうた・・」ただな、ワシが一番知りたいのは、何 で 更 地 に さ れ た か、じゃ。まるで、「タダで貰った土地でグズグズ言うな」と言われてる感じじゃよ。「タダなんだから、樂天村に全権あるのは当然じゃ」っちゅぅことかぃな。タダより高いもんはないとは、昔の人はよく言ったもんじゃ。これまで積み重ねてきた時間と労力が一瞬でパァじゃ。もう、その時のパワーや発想は取り戻せん。その時代その時代の感性と今の感性はビミョーに違うもんじゃ。そうは言ってもじゃ、何で更地になったんかと言うと、紙切れによると「規約違反」っちゅぅことなんじゃが、「規約違反」っちゅぅことは誰かに迷惑がかかったっちゅぅことじゃろ。どの「規約」に違反していたのか、もしくはどういう理由でその「規約違反」に該当するのかを教えてくれんと、また同じ過ちを繰り返して迷惑をかけちまうべ。理由を教えられんて、そんなものおかしいじゃろうて。っちゅぅか、更地にする前に事前通告するのが普通じゃろうが。それで、再三の通告を無視した場合にっちゅぅんならまだわかる。要するにじゃ、樂天村は、規約を遵守させるように教育していくつもりなんぞ、これっぽっちもない村だっちゅぅこっちゃな。銭儲けばかり考えて、ちょっと面倒臭いと思えば臭いものに蓋。口で注意して更正させるというより、いきなりブン殴って何も言わずに立ち去るようなもんじゃ。銭儲け以外のことは考えたくないっちゅことか、樂天村。
2004年12月05日
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前回の予告通り、今週末にた~っぷりと楽天のトホホさを書いちゃう予定だったんだけどさ。仕事が入っちゃってこんな時間だよ。ってなわけで、明日にでも腰を据えて書こうかと思います。すみません。それにしてもさ、『臭いものに蓋』『事なかれ主義』の象徴みたいなもんだな、楽天。会社としてのスタンスも何も、世の中の悪しき風潮が凝縮されてるって感じだよ。どうでもいいけど、一度ログインさせろって。映画のコンテンツなんかも、結構時間と労力がかかってたんだからさぁ。出来ないなら完全に抹消しろよ。リンクしてくれてる人なんて、観られないのにワタクシのHNが残っちゃって迷惑じゃねぇか。この中途半端さも企業スタンスなのかよ。どこが規約違反なのか指摘されなくちゃわからないんだよねぇ。ってかさ、違反箇所の明示と(理由と併せて)削除の事前通告をしろよ。気づいた時には『規約違反でした』『削除しました』だもの、何が何だかわかんねぇって。そもそも・・ホントにあったのかよ、規約違反。あったんなら言ってみろよ。どこだよ。ったく、調子に乗ってんじゃねぇぞ、楽天。
2004年12月04日
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