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昨日はリーグ対抗が、あったけど投げる気にならず = 欠 =4週間振りに美容院へ行って来た。ショートカット・テンネンだから3~4週間に1度はカット して貰わないと見られたモンじゃなくなる・・。ただ今回は私がこの地に住み着いてから18年来お世話になっている美容院ではなく 友人の娘さん( 娘の中学の同級生でもある ) が独立して新規オープンして間もないお店に。今月初めに今までお世話になっていた店でカット して貰った時「 浮気してくるから・・・・」 と、事情は話してきた。私の髪は癖が強くてその癖を飲み込んでもらうまでに時間がかかるのだ。だから、ホントは・・・・ なんだけど、友人から話を聞いた以上・・・と、言うのと チョッとだけ気分転換をしたい思いもあった。待つ事が苦手な私は、今までは 予約してから出掛けていたが 番号も解らない。店の場所以外何も解らないのだった。30分くらい迷った 挙句「 ヨシッ、○○ちゃんの所に行ってみるか。 」こじんまりとしてスッキリ・可愛いお店だった。○○ちゃんは、子供の頃の感じそのもので “ 上手に育てられた ”と、いう言い方がピッタリだった。( 雰囲気的にも = いかがなものか = の 不安も “ 30分くらい迷った ” 理由のひとつだった )( う~ん、彼女の娘さんらしい。 )先客がいて30分くらい待たねばならなかったけど、お手伝いの女性がこれ又 娘の同級生 ( 私の知らない人だったけど ) で、娘を肴 に( 懐かしいカルピスまでご馳走になり )話が進み 退屈させられる事も無く、無事 カット・シャンプー 終了。心配された出来栄えも = 初めてで、これなら = か。( 写真付きでヘアースタイルを公開したいのは山々なのだけど、 PCから 煙 → が出る恐れを感じ止めておきます ) 先日の = 大好きなおとうさん = 今日手術するという。 祈るのみ。
2006.06.30
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バタバタと忙しい時間を過ごしていたので一週間ボウリング場に行かなかった。(行けなかった) センター内に貼り紙。 ×・×・×・×・×・×・×・×・×・×××=300 それも2人の名前。 もちろん公認。 ワオーッ!!!・・・・・・だ。ただ、ご本人たちにとってチョッと残念だったのが このセンターの有志で構成された“ パーフェクトクラブ ” に、入会してなかった事だ。毎月会費を納めていることが最低条件であるが、300=10万円のキャッシュバックがあるのだ。私は入会してないので詳しい事はイマイチだけど、この他に年2回のトーナメントと毎月のH/G(ハンデキャップ部門・べスグロ部門)の表彰と、全てキャッシュバックである。家のトーちゃん かなりの恩恵を受けている。4度のパーフェクトの内2度10万円をGET。 ( 私は配当金《?》を戴いた )チョッとしたお小遣い稼ぎになるのだ。お2人様残念でした。 300おめでとう!!そして、“ パーフェクトクラブ ” の役員を初め会員の皆様 “ホッ” と、なさいませんように。 鳥肌も立った・・・・「 あれッ。いつもとフォロースルーの手の位置が違う・・・」 と、何気なく目に入った = 私の大好きなおとうさん = わたしと一回りくらい違う方で=いつも=ニコニコ・優しくて可愛い(失礼)= おとうさん = 親子3代でボウリングを楽しんでいらっしゃり、奥様がたまに応援にみえている。その = おとうさん = が、競技中に倒れたのだ。数ボックス離れていたので周りがざわめき始めてから気付いた。ボックス後ろの1段高くなっているカウンターと椅子の間に。「鼾を掻いてる・・・」「触るな!!・動かすな!!!」「救急車はまだか!!!! 遅い・・・」幸いに息子さんも投げていたので「・・・・いいから 連絡が取れるように家にいろっ!!」と、家族に・・・救急隊員の担架に連れられ息子さんの「お騒がせしてすいません。 ありがとうございました。」で、プロ(病院)の手に預けられた。再開します。の放送で・・・・終わりにして帰りたかった。切なかった。「大丈夫かなぁ~」「右の手足は動いてたよ。左は・・・・・」 ・・・などが聞こえていた。それから30分位してからだと思う。「○○さんの意識が戻りました。」の放送。拍手が起きた。嬉しくて涙が出てしまった。 近い内に顔見にいくからね~。 頑張ってね!!!!!
2006.06.29
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人はと、言うより生き物はすべて親があり・・・・生まれまた子を持ち親となり・・・・営々と続くのであろう自然の摂理からいえば親が消え 子が・孫が・・・・・・と今、世間を騒がしている若者たち・・・・・否一般的な・平均的な若者たちをも・・・・含め何かが変わって来ている時代の流れだ と ばかりには済まされない否若者たちばかりではないのでは・・・物分かりの良い大人を演じている私たちは?大昔から「 今の若い者は・・・・・・ 」うんそれって あるよね 聞くよねいくら物分かりの良い大人のフリをしたってそれは自分が第三者の立場を超えないのでは・・・・当事者になった時その人の本心が出るそうじゃない?そうよ そうだわ社会貢献とかみんなのために・・・・・なんて言ったって多くの時自己満足が一番に来るんじゃない?そうね気付かないだけかもね“自分を大事に出来ない人は他人を大事になんか出来ない”そう思うただ・・・・意味を取り違えている人が多いいんでは単純に考えれば自分が可愛いから自分が辛い・悲しい思いをしたくないから自分にも 世間へも精一杯 生きる笑顔と共に怒る時だって泣く時だっておもいっきり ・・・・・に“自分を大事に出来ない人は他人を大事になんか出来ない”“自分だけ・・・・” じゃないのよ~子育て中の人も 子育てのおわった(?)人も子のない人も大昔から言われてる「相手の立場になって・・・・・・」自分から見つめ直してみようよ 他人を変える事よりもはるかに・・・・・・楽?・・・・かも きっと・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2006.06.28
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=白い=桔梗始めはプランターの=青紫=の桔梗だった。8年くらい前に花壇に下ろし、2~3年した頃から白い桔梗に変化していき昨年は青紫は数えるほどしか無くなっている。白い桔梗が終わる頃 青紫が咲き始まるのではたして今年も咲いてくれるかどうか今のところ 私は、桔梗はやはり桔梗らしく ( ? 差別になるのかな ? )青紫の方が好みだ。 子供の頃から好きだった = 桔梗 = コスモス = アジサイ = の花今でも大好きは、= 桔梗 = アジサイ = だ。コスモスの花は = どんどん = 背が伸び、幹も太く育ち= どんどん =増えるので、心許ない可憐さのイメージを消し去られた。 アジサイの花は、若い頃 “ 浮気モノ ” という花言葉から大きな声では言えなかった・・・・けど 今でも好き です。( 額アジサイは、可憐 )桔梗もアジサイと同じように土壌の質に影響を受けるのでしょうか?私は、やっぱり = 青紫 = の桔梗の方がスキなんだけど・・・・
2006.06.27
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1週間ほど前 ( 自分に合わせたレーン・・・・・・)の = 方 = が私たちが投げている後ろに来た。投球の合間に「 オイルしっかり拭いている?」「・・・・・・・・」 ( 戸惑った様子で苦笑い )「 シューズで、擦って = キュッ、キュッ = って音する?」「・・・・・・・・」 ( 又、同じ・・・。 そして いつの間にか消えていた )昨日の昼、トーちゃん ( 大昔メンテに携わった経験がある )がその = 方 = にお茶に誘われ、レーンの管理法を聞かれた。どうやら苦情が殺到し、対処法が解らない・・・・・の様だ。今まで勤めたボウリング場は全てマシーン中心だったので、手びきのコツ(?)が解らなかった・・・・・。と、言うことらしい。一人でメンテを任された訳では無く、ベテランの同僚がいたのだから聞くべきだったのだろう。= 面子 = 以前の問題では。 ただ、彼にとって救われたのは、= 今頃になって = でも = 聞く耳 = に、気付いた事だろう。 = 人の上に立つ人ほど心掛けるべき事 = を、どこかに置き忘れてしまう人が往々としているが、昔からの諺もある。( 私自身も胸に刻みつけておかねば )まっ、そんな事もあってか・・・昨夜のレーンまあまあでした。176・195・231 = 602 ( 3ヶ月振りくらいにプラス )168・208・268 = 644 ( トーちゃん )おかげで 私は3週間前に = 2ヶ月悩まされた結果 =新しいボールをドリルする羽目になっていた。今までの私は = 曲がらない( ショート・フック )・回転重視 = で、ドリルしていたが、ヘッドに届かない・・・ので、そのボールの持ち味の出るドリルをしてもらったのだ。( どうしてくれるのよぉ~~ )ちなみに新調したボール トゥーム レイダー S.E 14ポンド2オンス基本的に レジェンド スター が好きで ハンマー は初めてです。我が家の “ 白い・桔梗 ” ( 珍しいとか・・ )
2006.06.26
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昨日は孫のtakatoから「 自転車の補助なし の練習するんだよ。」と、 が・・・・。 「 パパが補助をはずしてくれたの。」 「 後でね、ママと練習するんだよ。」 と。 「 ばあばは 苦手だからtakatoに負けちゃうねェ~。 転んでも大丈夫だからね。」 と、私 「 え~ェッ! ばあば 乗れないの~?」 ( ちょっと得意気に )「 そうなの~。 乗れないの~。」 ( 坂道の多い町で育ったので乗れなくて普通だったんだけど・・・ )「 上手くいくと良いけど、パパの方が教え方上手なんだよねェ~。」 と、ママ ( パパは今日・明日と地域の行事で忙しいのだ。と )そんな訳で さっき連絡をしてみると 「 全然ダメ だったけど 『 今日もやる~!!』 って、 パパも 『 少ししか時間無いけど、やってみようか。』って、今2人で出掛けたよ。♪」どうなることやら・・・・・ 2002・02・22日 ( 時間は娘の誕生日と同じ並びの数字 ) 生まれの孫 娘に言わせると 「 運動神経はイマイチかも・・・・?」 今日の “ ボビー・オロゴン ” は、長時間姿勢良く座っている自信が無いので、残念だったけど “ 欠席 ” に。
2006.06.25
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この1週間で800Kmくらい走った。 毎日の生活が“ のらりくらり ”の私は、かなり=お疲れ=気味のようだ。用事と用事の間が一日。休憩が足りないままに “ 次ッ!” 状態。年齢のせいにしたくないけど・・・・・。(やっぱり、トシだ~。認めざるを得ない)(ボウリングどころではない) 昨日は月1出勤の “ は・た・ら・く・日 ”朝10:30出発 → 隣市にある事務所 → 銀行 → 事務所 → 実家 → 母を連れて知人宅 →夜9:35帰宅知人宅の息子さんの命日の焼香に行きオイトマする時間を言いそびれ・・・・外が薄暗くなってきた頃ソロソロ・・・・と、思ってる時知人のMさん 私に何か = 目 = で訴えてる。私も気がかりな事があったので母と妹に「先に帰ってて。」「この家を抵当に入れて保証人になった。と、聞いたけど本当?」と、私から切り出した。「そうなの・・・。」 「お金も・・・使っちゃった。」「やっぱりね。」 「私に『お金は気を付けてね。』って、言われてたから言えなかった?」「そうなの・・・。」 「・・・・・・・・・。」彼女は子供をも亡くした未亡人で70歳を超えてる。 1年くらい前「恥ずかしいのだけど好きな人が出来た・・・」と、打ち明けられ、その相手に??だったのだ。彼女がいくら魅力的でも70歳を超えてる 一回りも違う歳の人が・・・・・・(何が目的か心配になったのだった)私は、「人を好きになるっていい事じゃない。」(1人息子を逆縁で失くし、長い間疲れた顔をしていた) 彼女に、そう言った。「ただ、お金が絡むようなお付き合いは避けてね。自分が淋しくなるから。」 ともそれから半年後にひょんな事から=私が経理を教えている人=S氏=から「Mさん 知ってるでしょ。彼女、保証人になって困ってるみたいだよ。」 とS氏とMさん(何か変なアルファベットになっちゃったけど、気にしないで)の彼=N氏=は、仕事繋がりがある。と、言う。(私はN氏とは面識も無い)Mさんには身内は年老いた人たちのみ。私生活の打ち明け話をするほどのお友達もいない。この半年 私はずっと気にしながら(彼女がSOSを出すまで待った方が良いか)と訪問する事をしなかった。(反面、相談し難いだろうな。とも思いつつ・・・)1千数百万円かの現金をチョコチョコ出し・・・挙句に数百万円の保証人に・・・と、言うのだ。「最初からお金目的では無かったと思う・・・・。」「・・・・・・・・・」(可哀想だけど、ココはきつく言ってやらないと今後も危ない)と、思い「わからないよ。」「だって、私にお金があるか無いかわからないでしょ。きっかけだって、私からお願い事をしたのが始まりなんだから・・・」「この家・調度品・Mさんの言葉使い・仕草を見れば想像出来るでしょ。」「・・・・・・・・・」「Mさんがそう思いたいのはわかるけど、甘い!」「淋しかったのよ・・・・。優しさが欲しかったのかも・・・・」「きっとね。」「奥さんもいる人だから養子にしても良いと考えていたの・・・・・。」(モゥーッ!どこまで甘いの!!そんな男に!)「今でも、N氏を好きだと言うなら、それはそれで良いけど、騙されたと思ったら何か手を打たなくちゃね。」「好きって思いは多分無い。でも、ココまで来たら引き返す事も出来ない・・・でしょ。弁護士に相談?」頭もいい人でしっかりしている人ほど・・・・・って、言うけど(参ったァー。)小さい小さい商売をしていて借金の返済・運転資金に使った。時々顔を出し毎日電話を掛けて来る。(きっと、騒ぎにしたくないため?)2階にあるアパートの1室も=荷物置き場=に使わせている。「誰にも相談出来ないと思ってるから 『○○ちゃんに全部話した』って、プレッシャーを掛けてみようかな。」 って、言ってたけどどういう展開になるのか・・・・・・。重たい・・・・・。明日は高校の同窓会『何が飛び出すかわからない!!』で、ボビー・オロゴンだと。(去年は、三遊亭 円歌だった)疲れてる。出席できるかなー?
2006.06.24
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からだも心も疲れ切ったみたいで一昨日はボウリングのリーグを休んだ。 毎週、水曜日 (3人チーム戦=16チーム) 第1・第3土曜日 (夫婦のリーグ=16チーム) 第2・第4日曜日 (スポンサー付きダブルスリーグ=8チーム)以上が私の参加しているリーグ=総当り=全て3ゲームの対戦=月8~9試合になる。それに、日曜の昼間開催される単発・遠征等のトーナメントを加えると月平均30ゲーム超投げてる事になる。腰痛を抱えながら、これだけ投げているのは我ながら感心する(~じゃなくて呆れる)ただ、所属センターの1700~1800人のリーグメンバー全体からしたら多くも少なくも無い平均的な数字だろう。なにせ、所属センターでは毎週が12リーグ・隔週が121リーグもあるのだ。毎日 午前・午後は、ほとんどが女性・年配が主体のリーグ(中には近隣の幼稚園に通う子達の送迎の合間の時間帯を利用したママさんリーグ・市内の高校の体育の選択授業・市主催の教室等もある)夜になると老若男女入り混じりPM11:00頃までリーグが行われているのだから。35~40年前(古い話で恐縮だけど・・)に、女子プロボウラーが誕生し今の“ 女子プロゴルファー”と、同じくらいの人気があった。(須田加代子《故人》・中山律子・並木恵美子・岩松八重子・野村美枝子・石井利枝等 が活躍)ゲームをするにも2~3時間待ちなんて当たり前だった。私も高校卒業と同時くらいに始めて投げ(スコアーは8?点)の記憶がある。その時の第1投目はガターで、ボールが後に飛んだ事も・・・・。2~3ヵ月後に“ マイボール・マイシューズ ”を用意し、当時の給料の大半を注ぎ込んでいた。(参考までに初任給21,500円也)初めてのマイボールは10ポンドで、プロ1期生の岩上太郎氏に(偶然)ドリルして貰った。この時ドリル後の投球を見て私の腕を取り「猿腕だね・・。これはボウリングよりゴルフ向きの腕だね・・・・・。プロボウラーにならない?私が面倒をみてやろう。」と、声を掛けられたのだった。嬉しかった。元々そんなつもりは無かったのだが可能性を認められ、嬉しかった。「スポンサーがいないと食べていけない。」と、言う事でその夜父に相談すると「普通のお嫁さんにするんだから、趣味として楽しみなさい。」と、あっさり。翌日、岩上氏に報告すると「残念だけど・・・。仕方ないね。」で、ご破算。当時の勤め先の労組では女性の生理休暇を確立するため各支店の女性に「休暇を取り既得権を・・・」と、叫んでいた。その上私はその役を任されていた。今と時代が違い自分の生理を公にするのは恥ずかしくて容易ではなかった。が、ウィークディーに女子の大会があったある日支店長に「・・・・・生理休暇を下さい。」優勝の喜びも・・・・・・翌日の地方新聞に結果が写真付きで・・・・。早速支店長に呼び出され「○○ちゃん、これは・・・・。」と、新聞を手に大目玉。挙句に「せっかく銀行に勤めているんだからこんな事にお金を使わないで預金しなさい。」と。そして、20歳の秋和風トイレに這いずって行かねばならないほどの “ ギックリ腰 ” を病みボウリングとお別れ。20年余りの歳月を過ぎた頃、子供の希望でボウリング場へ。「1時間待ち」と、言う。 「エッ」(世間一般では全盛期とは違いあまり・・・だったから)この時、このセンターの“リーグ”の存在をを知る。バブルがはじけてからメンバーが少し減少はしたが、一般客はリーグの合間にしか空きレーンがないのだ。 そこで、この土地でボウリングが盛んな事を知る。ママさんバレーを引退した後、リーグメンバーとなり今に至るのだが50歳前後で 800人くらいの女性ボウラーのトップを、3~4年。(この当時のアベ最高は197)“ 日刊スポーツ新聞社 ”の関東大会で準優勝してハワイの親善試合に招待選手として参加した。今では、トップはおろかひどい時は5~6位の位置でヤキモキしている。私たちはアマで=お金を払って投げている=のだから、楽しまなければ損。と、口では言っても なかなかそうはいかずストレスのひとつに。“ パーフェクトが達成出来たらボウリングをやめても良い ”と、思っていたけど、この夢も=夢の中でも達成できない=・・・・・・。 ×・×・×・×・×・×・×・×・×・9/・×=279が、私のハイゲーム。 この時の918(4ゲーム)が、ハイシリーズ。ストレスが溜まると言いつつも まだ・もう少しはミニスカートを穿いてアプローチの上に私はしがみついているでしょう。
2006.06.23
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胆のう・膵臓をやられていた。昨年の10月に「 田舎の病院では解らないので大きな病院で見て貰う様に 」と、勧められ養女の住む埼玉の病院へ医師から「 余命半年 」 を宣言された手術の経過が良く伯母は念願の自宅に戻る2ヶ月くらいを元気に1人暮らしそして、4月 再入院(この見舞の時の伯母の声が私たちには最後になる)体を拭き、寝巻きを着替えさせる(黄疸が出ている)と、妹が気付くそして、先週の木曜日=様態悪化=の連絡により取り敢えず病院へ(始めて見る“黄疸”の色)伯母眠るだけ。反応が無いそして、日曜日夜 伯母逝くアッと言う間だった。黄疸のための色は褪せず、その上に化粧を 顔の形も表情も、見慣れた伯母の顔とは違っていた。最期は苦しんだようだ人は何故 生まれ 生き 苦しむのだろう答えは解り切っている 生まれた以上、命を全うし終えるまで 生きるために苦しむのだろうただ・ 生きてさえいれば、苦しみ以上の良い事は必ずある。母と私たち子供・叔母とその家族・従兄弟口々に元気な頃の伯母のしてきたことを称え合うそれぞれが負けまいと最後に、実家の無くなる母と叔母 この2婆に「それぞれ嫁いで60年近く 親も肉親の1人もいない実家に出入りが出来た事を幸せと思わなければね。」「ほんとだね。おばちゃんのお陰で・・・・。」「本当にそうだね・・・・」と、2婆伯母の旅支度に母「黙って逝っちゃうなんて・・・・」
2006.06.21
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ホテルを予約して 今日は午後から伯母のお別れに・・・・三婆が二婆に・・・・残されたこの二婆の気持ちを思うと・・・・田舎でも現代では“ 家 ”からでは無く、セレモニーホールで事を済ますらしい。30年近く1人で家を守って来た伯母のお別れも例外ではない。と。数年前に 養女の家族が大型休暇の時に大勢で来ても、使い勝手の良さそうな新しい大きな家に建て替えてからも1人で守って来たのに縁も所縁も無いセレモニーホールが最後の床になるとは。義理の関係の私たちにさえ たくさんの思いやりをくれた人であれだけのお友達もいたほどの人なのに、なぜ?二婆の片割れは 怒りもう片割れは なだめている。「最後だから気持ちよく送り出してあげようよ。」と彼女たちにとっても“ 実家 ”が、なくなるのだ。伯母が居ない家は私たちとも縁が無くなるのだろう。多分。今夜・明朝と雑念を払い切って伯母のために祈りたい。
2006.06.20
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ホタル鑑賞会の記事が昨日の地方紙に載っていた。懐かしさを覚えつつも「父の日」のお祝いに来てくれた(トーちゃんの)長女・長男の家族への対応で忘れていた。夕方 (6/14に登場の) “ 必殺遊び人 ” さんの奥方からホタル鑑賞会へのお誘いが。ご主人がお手伝いで解説を担当していると。20年ぶり位だろうかキレイ!!可愛い!!かなりの数であろう。観客の目をもてあそぶかのような動き。地上に柔らかいひかり気がつくと空には“ 満天の星 ” そして、カエルの鳴き声勉強してきた事 ゲンジボタル 卵の時からずっ~と光り続けている 10日から2週間の命 求愛(♂は地上3メートル位まで上がり3秒間隔くらいで一斉にひかり、 一斉に止める。♀は1メートル位の位置で自分の居場所をアピールする。) (ゲンジボタルの求愛法 = ♂ 同士で発光周期を揃え、同調していない 光を発する ♀ を探す ) PM7:45ころから1時間. 3時間後に・・・・1晩に3回。 時間もほとんど正確に。 現在、日本には2年前“久米島ほたる”が、発見され44種のホタルが生息する。6月18日午後10:55分伯母の訃報が入る。
2006.06.19
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来月のアベ一覧が出た。(5月末〆分)恐る恐る・・・・・・?・?・?・?・?・?・?・?・?・ウッソー! フゥーッ 。 ホッ!!!!所属センターのAVE算出法1・毎月末〆2・末日よりさかのぼって17試合(ほとんどが1試合3Gだから51Gが多い)の平均3・対象となる試合はリーグ戦のみ (単発は×)ハンデキャップ算出法 (200-AVE)×0.8=? 例 180ABEの人のハンデ (200-180)×0.8=16 但し、ハンデは80が最高値 これが翌々月の適用になる。この2ヶ月くらいスペアーが取れずスコアーを大幅に落としている。スペアーを取る事は=基本中の基本=なのにイージィーミスの連発なのだ。ナゼ?・自分の投げ方に疑心暗鬼になる。ボウリングを楽しめない。『へタックソー!! 辞めちまえ!!』自分の中でそんな声が聞こえてくる・・・・・立つ位置・スパット・・・・・フォームは崩れもはや ボウリングとは言い難い=玉ころがし=・・・・AVE一覧の異変に気付くトップクラスのメンバーが軒並み大幅ダウン中にただ一人=本当に=ただ一人 UP!・・・・・ん。そう言う事か。彼はメンテのチーフ。確か4月ころから勤務してる。“ 自分に合わせたレーン作ってどうするんだぁーーーーーーぁ。”考えられない。うるう年に1回くらい=1=のハンデを貰うくらいのトーちゃんのハンデ=3=私のハンデが20になっても当然か。もう一度“ 自分に合わせたレーン作ってどうするんだぁーーーぁ。”
2006.06.18
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一度だけ携帯が鳴る開いてみるメールだった。「ドイツの彼と別れるためドイツまで行って来ます。心配しないで。」そっかぁ~。彼女それを悩んでいたのか~10日ほど前のメール そういう事だったのか~と、妙に納得し、何秒かをやり過ごす・・・・・待てよ。 と、思い、携帯を手に声を聞こうと開けてみる履歴がない。私は、ベッドの中~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ これが、昨日の昼寝中の夢。何故“ ドイツ ” なのだ。( ワールド・カップ ? ) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 隣で寝ているトーちゃんが可愛い女の子を “ 腕 枕 ” 「?・?・?・?・?」 トーちゃん (照れくさそうに) 私を見る 「どうしたいの?」 「・・・・・・・」 「好きにしていいよ。」 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~3年くらい前のこの “ 可愛い子 ” は、私の好きな女優さんの“本●まなみ”さん何故か水中で生活をしている “ 私 ” もいる。(前世は魚か?)現実では有り得ない 自転車に乗って。・・・なんて・・・有り得ない。(私は自転車に乗れない)
2006.06.17
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左から 母 ・ 母の妹 ・ 母の兄嫁 (81歳) (79歳) (81歳) ( 2003 ・ 10 月 撮影 )昨日の昼少し前 母から「栗原の伯母ちゃんの具合が・・」と 電話4月末に=入院した連絡=がその近くに住む母の妹から連絡が入り、母と妹二人を連れて見舞いに行って来た。その時は痩せてはいたが意識はハッキリしていて「遠い所を 見舞いに来てくれてありがとう。嬉しーよ。」って。母の兄嫁であるその伯母は、去年から胆石・胃ガン・・・と、相次いで病を一手に引き受けるがごとく、入退院を繰り返していた。実子に恵まれなかった事から、彼女の実妹を養女としたが、その人は他県に勤めに出て、そのまま他県で結婚した。私たちの祖母・伯父を長年介護の末に看取りそれからの30年を1人で嫁ぎ先のその家を守ってきていた。伯母は私たちが大勢で押し掛けても=いつでも=歓待してくれた。(私の好きなお赤飯・茶碗蒸し・煮魚・・・・をたくさん用意して)(私の生きかたに意見してくれた事も・・・)私たち兄妹にとって母の実の姉妹と同じように大好きな=栗原のおばちゃん=なのだ。病院の面会時間はP・M3:00からだ。母の家から車で2時間強で行ける。「おばあちゃん、体調は?」「大丈夫だけど・・・・」「今から行こうよ。」「連れて行ってくれる?」「1時間以内に迎えに行くから。」病室に着くと養女の○○ちゃんが甲斐甲斐しく看護していた。伯母は・・・・・全身が浮腫み・・黄色い= 山吹色がくすんだような =肌をしていた。気持ち良く寝ている。そんな感じだった。「おばちゃ~ん。○○だよ~。起きて~。」 と、大きな声で(伯母は耳が遠い)。眠りきって反応がない。「昨日からこの状態なの・・・。心電図では、時々途切れるって・・・。病院から付き添い(ここは完全看護の病院)を・・・・って。腎臓は機能していない・・って。」 と、○○ちゃんは、説明してくれた。「1週間の休みを貰って来た。」 とも彼女は元村山総理が理事長を務める=財団法人 女性のためのアジア平和国民基金=の何億もの予算を一手に扱う会計を任されている(2007年3月閉鎖予定)ため辞職も出来ず、養母の看護・仕事の狭間で苦労していた。伯母の顔は、識別も難しいほど膨れていた。手足を擦りながら声を掛け続けたけど子供が寝入った時のように返事は無かった。父が臥していたころ=息をしているだけでもいいから・・・=と、願って来ていた。私は、伯母を見て「おばちゃんが一番楽に・なりたいようになればいい。」と、思った。私に伯母の状態が多分・・・・冷静に受け止められたのだろう・・・・・。私たちは「いろいろイッパイ・イッパイありがとうさんでした。」と、言い病室を出た。
2006.06.16
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=手八丁・口八丁=と言うけど、彼女はホントにそのとおりだと思う。広く浅く(?)博識である。前出の“必殺遊び人”と同様、職場結婚(金融機関)のご夫妻のこと。奥方は、高校時代の1級先輩でもある。(当時は顔を知っていたくらいだが)家庭の全てを彼女がキリモリすると言う。「おとうさん 何にも出来ないんだもん。」と、孝枝さん あっさり言ってのける。一般的な家事は 当たり前。 庭仕事などの力のいる事まで全て。銀行マンでありながら経済も全て。 で、ご主人=完全なお任せ=であると「私が居るからおとうさんの今がある。」 とご主人を隣において豪語する。「そこまで言ったら・・・・」と、私たち。「だって、ホントなんだもん。」「・・・・・・・・」ご主人。(ニコニコしてる)「こんな人と結婚して失敗しちゃった~。」またも、ご主人 「・・・・・・」(ニコニコしてる)なんとか助け舟を出さなくては・・と、焦る私たちに「そんなモンでしょ。」と、ニコニコ言う。=猫背で細っピーだから余計に不憫に見える=彼には(そんな事はどうでも良い)ことらしい。まるっきり借りてきた猫だ。 このダンナさまの趣味が “カラオケ”なのだ。前出のテンネンさん・遊び人さん・この夫妻と4組8人で昨年忘年会をした時の事“中華料理のコース”で始まり、2次会にスナックへ。席に着いた途端にカラオケ本を手に。歌が好きなんて知らないし、ましてや・・・・。と、思った私は「歌いたい人が歌えばいいよ。」と。トンデモナイ事だった。“マイクを握ったら離したくない”タイプだったのだ。奥方を除いた全員が唖然・・・・・・・・。身振り・手振り・シナまで作り そう、成り切っている。その上“上手い!!”それから独壇場。一同「人は見かけに拠らないってほんとだね~。」今年からこのメンバーで=遊ぶため=の積み立てを始めた去年は我が家で “花火鑑賞付きバーベキューの会” をしたが来月あたり 安くて 美味しい アワビ・サザエなどの魚介類を食べさせてくれるお店に再度行く案が出てる。ちなみに私はアルコール・カラオケ苦手である
2006.06.15
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れっきとした会社勤めを共に定年退職したご夫婦のご紹介です。職場結婚 (高校の同級生でもある) をし、定年まで勤め上げ 悠々自適の生活を楽しんでいる。(羨ましい限りです)「家は長い事 お父さんが単身赴任してたから周りの人は=お婿さん=と、思っていたみたい。」と、美代子さん「はい。私が小さくなってますから。」と、笑う 豊さんここの家は嫁・姑の仲が良いのだ。何といっても 美代子さんの精力的な行動が・・・・・・・・原因不明の病気を抱え薬を必要としている人には見えないパワーである。市主催のいくつかの団体の(ボランティアの部類に入る)上の方に名前が出てくる。(地方新聞・ケーブルテレビでもお馴染み)会合・研修会・・・・・旅行・ボウリング・カラオケ教室・短歌・編み物・・・・・・彼女の手帳はほとんど埋まっている。先日も 「さくらんぼ狩りに行って来た。」 と、初物を戴いた。 (「甘くて美味しかったですよ~。」) 「奥さんは、きょうもお出掛けです。困ったもんだ・・・・」と、満更でもない顔で豊さん。(この豊さんも市のボランティア活動に顔を出している)「お姑さんの理解があるから出来るんだよね。」 と、私「お袋もやってきたから・・・・。」つい1ヶ月ほど前に90歳を迎えられたお姑さんの“夏子さん”が、また凄い!のだ。短歌・和歌・篭作り・・・・・・ 旅行と、美代子さんに負けていない。(頭が下がる) 現役バリバリなのだ。姿勢も良くおしゃれである。私たちがお邪魔しても付き合ってくれる。(スナックでカラオケを楽しんだ時も可愛い声でお上手だった)このご夫妻 “暇” と “金” を持て余し(?)=たかが=ボウリング=6G=のために北海道まででも出掛ける“お気楽夫妻”である。 そして(ボウリング)夫婦のリーグで付けたチーム名が “必殺遊び人” と、言う訳である。 (自覚していらっしゃる)
2006.06.15
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月・水・金とご主人の通院 のため隣町からやってくる ユウコチャン。月曜日の ニュースの中で日野自動車の元副社長が“神の手(医師)により心臓の手術を受ける” 話になったら、突然泣き出した。「ゴメンね・・・・・・おとうさんの時の事を思い出しちゃって・・・・・・・グスン・・・・」ご主人の体調がおかしいので掛かりつけの静岡市にある病院へ車で連れて・・・着いたら 車椅子に乗せられ 「即、手術です。」 と、言われ何がなんだか解らず 呆気にとられていると看護婦さんから 「何か言う事は?」 と、催促された。 ユウコチャン ご主人に手を振った。1人で何時間も手術室と待合室の間を行ったり 来たり していたそうだ。その間に頭に浮かんだのは 動揺していたせいか「1人で帰るんだな。帰れるかなァー。」 帰り道の心配。==それと 「息子はどうしてるかな?」 と思った事くらいしか覚えていない。そんな事を思い出したと言うのだった。いつも、ご主人の思いどおりになっているユウコチャンだから きっと心細い以外何もなかったのだろう。可愛い女性なのだ。見た目は大柄で とても可愛いとは程遠い。 (ごめんなさいよ)話していてもまどろっこしくなる。トンチンカンで・早とちり・他人の話もロクに聞かない。何をしてもすこ-しだけズレてる (またまた ごめんよ)(彼女の名誉のために断っておくが、バカとか利口の問題ではない)可愛いでしょ。「可愛い!!」仲間の亭主族が一様に言うのだから間違いない。「私は自然にしているのに・・・・・」 と言う ユウコチャン「それが テ・ン・ネ・ン なんだよ。」 と言う大学生の彼女の息子私と5歳しか離れてないのに 私にとっても=妹=と言うより=娘=みたいに思える ユウコチャン のことでした。
2006.06.14
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家計簿を付け始めて?0年という歳月が過ぎている。チョッと立派な奥さんみたいでしょ。(ところがどっこいで)付けるだけなのだ。毎年 某女性月刊誌の新年号のみ予約購入する。付録の“家計簿”目当てに。スーパーのレシートの合計を食費・消耗品等に大雑把に分けあとは家計簿のスタイル通りに付けていく。毎日の合計は計算するが 項目等の累計はしない。理由は簡単。 自分でショックを避けてるだけ。必要になった時いつでも出来るし。と、かなりいい加減な家計簿である。ただ、毎日のお天気・その日の出来事等は余白にビッチリ書き込んでいる。 レシートも何年分かを保存して置く。こんな家計簿でも後で結構役に立つ。滅多に無いが「払った、払わない。」 ような疑わしい時に出番が来る。冠婚葬祭の出費等がその先の記念日・法事等の漏れを防いでくれる。私の友人たちは、いい加減(?・失礼!)なのか不精(重ねての失礼をお詫び申し上げます)なのか皆付けていない。財布の中身が気にならないのだろうか。 否 皆 余裕があるからだ。私のの中身は、毎朝(前日分の)家計簿を付けた後 同じ金額が遠慮がちに鎮座している。1円玉5枚ー5円1枚ー10円4枚ー50円1枚ー100円4枚ー500円1枚ー千円札4枚ー5千円札1枚ー1万円札?枚ー10万円札5枚(ウッソー! 見栄を張るならバレないように) とね。(あり。いつでも受入れ態勢)若い頃金融機関にいたせいもあるんだと思うけど 1円でも合わないと気持が悪いのだ。レシートの無いものの付け忘れ防止にもなる。おつりを貰い忘れた時もこれで解決した時があった。レシート片手に電話してみると「その金額でしたらレジ皿に残っていました。」と。大きな声では言えないけど何年か前 残額の方が多いのでレシートとにらめっこ。多分おつりを2回貰った。悪いと思いつつネコババ・・・・・・しちゃった事もある。
2006.06.13
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あァー、思い出した。多分2歳になるかならないかの頃だと思う。父の背中の“背負子”に乗って山の上の方の“炭焼き小屋”に“1泊”したことを。少なくてもその頃までは、父も家に居たんだ。父は結婚前にお付き合いしていた7.8人の女性の写真を堂々とアルバムに並べていた。(いつの間にか その内の何枚かは剥がされていた。もちろん母が・・・)亡くなった今も父のアルバムには若い頃の母の写真と並んでその人たちの写真が残っている。土産物用菓子屋は潰れ、父は生活のため“土方”を始める。この仕事が性に合ったのだろう。何年か後に“世話役”待遇でと、スカウトされた。そして40歳で親戚から借金をして独立した。(このころ私たち子供は高校生2人・中学生・小学生)父は赤いハイエースと電話を用意した。苦しい時代を長く続けていた。腕を買われていたのと昭和の成長期で仕事には困らなかったが、金銭感覚が“ザル”で、お金が入ると仕事関係の人を大勢連れてバーやキャバレーで=金は天下の周り物=とばかりに・・・・・。(お陰で母はいつもお金には苦労していた)50歳で初孫に恵まれる。 (兄の長女)小さい時から私を特別扱いで可愛がってくれた父は、私が出戻った時お酒を飲んでは泣いた。白髪もいっぱいになった。反対された結婚だったので「後悔してるだろ。親の言うことは聞くもんだと解ったか。」「後悔はしてない。それで私は救われてる。」と、答えると 「バカッ!後悔しろ!」「あの時プロの道への話をを進めれば良かった。そうすればこんな思いをさせずに済んだのに。」(18か19歳の時 当時1期生の岩上プロからプロボーラーにと誘われた。但し生活が出来ないからスポンサーが必要だと言うので父にスポンサーをお願いしたら「普通の嫁さんにするのだから駄目だ。」と、断られた経緯があった) ・・・・そうして、反対に父が後悔していた・・・・私が出戻ったこの頃から=必要な理由と金額を言わなければ出さない=事を条件に、仕事のお金の管理を私に任せて貰った。 (この頃から父の大盤振る舞いが激減)職業病でもあろうが追突をされた頃から腰痛もかなりひどく病んでいた。60歳の時痔の手術をするために入院。手術当日の朝、ベッドで足が利かない・舌がもつれる。病院側は理由が判らないまま=2,3日延期=と、そのままに。私たちは納得がいかず別の病院に移し検査をして貰う。(気の小さい父は手術が怖かったのだと思う)手術予定の朝、血圧が上がって軽い脳梗塞を起こしていたのだった。その年の暮れに家業を法人にして兄に継がせた。引退した始めの頃は母と結婚した時の約束の日本1周の旅行を2,3年続けたり、気が向くと自分の運転で現場回りをしたりしていたが、兄の成長と共に次第に家にいることが多くなり(母との約束は四国を残したまま)徐々に体の自由が利かなくなっていった。15,6年間家族の介護をたのみに私の孫である曾孫の顔を見てから逝った。(この曾孫の名前はいくつかの候補の中から父が選んだもの)「俺たちはイイ。いつか居なくなるから。兄妹仲だけは頼む。」と、4人の子供それぞれの結婚相手に言っていた父(お腹がイッパイになると)「腹の減った乞食が羨ましい。」と。「人の出入りの無い家は錆びれる。」美味しいものを食べても「美味しい?」って聞かれれば首を振る。天邪鬼だった父お酒を飲んでは家族を困らせていた父子の私たちが若かった頃 私以外の3人の兄妹から母に「離婚して。」とまで言われていた父私の友人が花火大会の見物をしに泊まりに来た時、門限に5分遅れただけで(私たちを正座させ新聞紙を丸めて作った棒で)頭をバシッ!と、友人までにもした父 そんな父だったけど、老後は妹の家族に同居して貰い兄に到っては「俺 最近親父に良く似て来ただろう。」と、嬉しそうにされている。前にも母のコトは書いたけど、母は「来世も一緒になりたい。」なんて・・・・・親への気持は誰でもそうであろうけど“感謝”してます。あなた方夫婦の間に生まれた事を育てられた事を ・ ・ ・ ・ あ り が と う・ ・ ・ ・
2006.06.12
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今日は日曜だというのにいつもと同じ時間に目が覚めてしまった。トーちゃんは義兄の一周忌で隣町に住む兄と埼玉の北西部まで出掛けた。私はこの義兄とは面識の無いまま・・・だった。トーちゃんの姉上から想像するときっと“借りてきた”のようにおとなしかったであろう。法事ということからか・・・・今朝は父を思い出したので父の事を書いてみよう。米・酒屋・下宿屋(村の学校に赴任してきた先生たちの)を営む当時はイイ(?)家の3男坊(末っ子)として生まれた。村の学校を出た後上京し、“明○舎”に勤めながら法政の夜間に通い、陸上競技の短距離をしていた。(戦争が激しくなってきた時親に呼び戻され志半ばで田舎に帰る)その数年後やはり看護婦見習いを東京でしていて同じ理由で田舎に帰り農協職員をしていた母と恋愛結婚。父は、私が物心ついた時には家に居なかった。私が生まれた西伊豆の山の中は、今でこそ温泉が出たり、湧き水があったりでホンの少し名前が出てはいるけど何も無い、本当に何も無いところだった。出稼ぎに出ていたのだ。現在 実家がある街の“観光土産用の菓子屋”の運転手をして(父の姉の所に下宿)いた。たまに帰って来る時は、その菓子屋の羊羹を沢山みやげに持って来ていた。(ヨーヨー水風船を小さくしたような形の羊羹だった)そう。あの当時、川で泳ぐ(水浴び程度)のに女の子は一様にシュミーズにパンツだった。仕事で運転中に目についたと水着のみやげもあったけ。酒好きの父は飲むと私を膝に乗せながら泣いていた。(生活のため女房・子供と別れて暮らす切なさだったのか、自分のしている事への切なさだったのか今となっては知りようも無い)いつの頃からか(幼かった私の記憶で良く解らない)足が遠くなり、仕送りも途絶えがちになった。“女が出来た”が、理由だった。(もちろん、この事は私は大分後で知った)小学校3年生の夏休み突然「○○にいるお父ちゃんの所に引越しをする。」と、母。田舎の親族会議で「このままじゃあダメだ。皆(母・私たち子供4人)で○○に行った方が良い。」と、決まったらしい。父は荒れていた。私たち子供を可愛がってはくれるが、飲むと母に手を上げるほどだった。今思えば、子供もいないで彼女と恋人気分で楽しくしてたのに“田舎モノ”の女房・子供が突然出てくると言うので彼女とは別れなければならなかった苦しさだったのだろう。俗に(男は何人もの女を同時に愛せる)と、言われるように“母”も“彼女”も愛していたのだろう。家族と離れて暮らす寂しさから別の女性を愛した父を非難する気はない。(仕方なかろう。と)トーちゃんから無事着いたが来た。続きは又にする。
2006.06.11
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否!即座に答える。(このあたりが 気が強いと言われる所以か)「着いて行けない。」(?)と、言い私たち母子を置いてきぼりにして女性のもとに走った最初の夫。飲む・打つ・買う(買われる?)の、3拍子・・・・見事だったけど、心底好きだった。なのに「どうして?」眠れない・食べられない・涙・涙・涙の日々を過ごし、やせ細り見るかげも失くなった私は実家に連れ戻された。(私30歳 娘4歳だった)従兄弟に“高嶋易断”の免許を持つ人がいた。「俺は他人の事は観ない主義(基本的に仏教の教えを説いてるから自分の生き方を探るために勉強した。)だけど観てやろうか。」 怖かった。本当に怖かったけど観て貰った。「従兄弟でなかったら、この嫁さん(隣にいた)と別れてでも一緒になりたい。」「強い・強い。」 「?・?・?・・・」「運が強く、周りの人をも引きずり込む。スゴイ!!」「○○ちゃん。五黄の寅は、気が強いって言われてきたんじゃない?違うんだよ。運が強いんだよ。世間はよくそう言うけど違うんだよ。おまけに○○ちゃんには凄く強いものがある。周りを見てごらん。思い当たる事が沢山あるだろ。」「・・・・・そう言われてみれば・・・・・。」「水子がいるな。障っているよ。供養しないといけないな。」それから彼の教え通り今日まで水子の供養を続けているけど確かに私は前進してる(周囲の人がどう感じているかは??)。それに家族・友人たちも確かに。私の周りから離れていった人たちの運が↓っていくのを見ることも少なくない。もちろん、良いことばかりに気を取られず落とし穴に気をつける事も忘れないようにはしている。そして、つい先日知人に“氣”を強く感じ・出す事の出来る人がいる。その人の“氣”を受けると周囲の人は一様にビックリした顔で・・笑う。なかには弾かれる人もいる。でも、私は何も感じない。(?・?・?私だけ・・・。)「ウォゥーッ!! 俺が引っ張られてるーっ。」(ナニ?)「○○さん、すごーい!!。強いねェ~。」「私なにも感じないんだけど。」「うん。多分○○さん他人の良いもの・悪いもの吸い込む力があるんじゃないかな?」なんて、言われちゃった。複雑な気持と納得している自分がいた。五黄の寅の女性は、気じゃなくて運が強いって事 間違えないでね。
2006.06.10
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ブログを始め、己に対して想定外の1ヶ月を過ごした。縛られているのだと思う。 何にでもハマり易いタチであることは自覚していたけど、これは生活改善の必要さえ感じる。確かに暇人ではある。暇さえあれば(と、言うより優先して)PCの前に座ってしまう。この状態を自己分析してみる・・・自己顕示欲が強いだけ(?)か。家事もソコソコに切り上げ(自分のどこかでそれを軽蔑してるみたいだが)今朝も又・・・・・・。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。・・・・・。昨夜の甥の結婚話。続きをチョッと。(バレたら「オレの事をネタにしないで!」と、叱られそうだが)この子を含めた3人の甥は、私が母子家庭をしていた頃の7年半を半同居のような生活をしていた。私には特別な(1人っ子の娘にとって兄弟そのもの)子たちである。長男はIT系・次男は介護系。そしてこの三男は、建設業である。今は亡き父がこの孫に「お前が○○組の3代目をやるんだ。」と、この子が小学生の頃から目を着けていた。その事が影響してか しないでか、高校進学の際「工業高校希望」とした。私たちは、「大学進学を考えたら普通高の方が後で選択肢が拡がる。」と、意見したが「勉強は嫌いだから大学進学はしない。」と、言い切り、高卒後大手の建設会社に入社・入寮。1年前後で「自分に合わない。」と、退社。そして、イベント会社でのバイトを始める。そこで出会ったのがお嫁さんになる彼女なのだ。当時の彼女は短大生。色白でポッチャリ系の可愛いコ。(アーちゃんの好み。)「ふゥーん。」勝手に“第一印象 合格”を、決め込んだ。この3人の甥たち 彼女が出来ると我が家にも連れて来て紹介してくれる。(と、言っても次男・三男は、初めて連れて来た女性を伴侶として決めている)(当たり前・普通なのかもしれないが、長男には何人もの女性を紹介させられて(?)いるので、念の為)会う毎にいい印象を残してくれた。何より笑顔がいい。病院で医療事務の仕事をしている。と言うが、優しい。おばあちゃん曰く「○○ちゃんがいるだけで家の中が明るく・華やかになる。」おばあちゃん子のこの三男 見事におばあちゃんに保証書を付けて貰ったのだ。先輩の次男のお嫁さんもすこぶる評判が良いのだが、きっと、この娘も負けないだろう。ちなみに次男・三男のお嫁さんたち同姓同名になる。(あちこちにある名ではないと思うけど字まで同じ)七夕さまの日に身内になる甥の彼女のCMページでした。
2006.06.09
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男5人女3人の甥・姪がいる内3人の男の子が実家を継いでくれてる妹の子次男は来月2人目の出産予定長男は、仕事の関係で神奈川で1人暮らし実家の家業に就いてる三男坊の“アーちゃん”から「ちゃんと聞いててよ。 結婚する。」 もう、4・5年になるだろう。彼らがお付き合いを始めて。(神奈川に住む)甥の嫁さんになる娘さんは、私たち姉妹・おばあちゃんの“お気に入り”である。つい4・5日前に彼が来た時「早く 結婚したら?」「今年中に決めるよ。 この間、ご両親が旅行に来た時 家に寄ってくれたよ。」って、聞いたばかりだったのに?(結婚費用を貯めているけどもう少し欲しいが理由のようだった)「出来たの?」 「ウン。」 「おめでとう」「ありがとう」 嬉しくて・照れくさそうな声だった。二重の喜びだ。長男の心中は如何ばかりだろう?????
2006.06.08
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最近 (長く人間やっているので、今日の最近は2~3年くらいの事かな~) “幸せ”って何か解って来たような気がする。 幸⇔不幸なんだよね。ってことは不幸でない限り幸なんだと思う。幸も不幸も人によってそれぞれだけど幸せは“その辺に”ゴロゴロしてる。 そのゴロゴロしてるのを1つ手にしてみると“金魚のフン”みたいに幸せが手に余るほどくっついて来ちゃう。そんなものだと思う。朝起きてお天気がいい。 (気持イイ)(ネコの額ほどの)花壇に水やりしようか。 (桔梗の花芽が出てきた)窓を開けて、布団を干して、お掃除。 (気持イイ)ブログを開けてコメントに気付く。 (嬉しい~)トーちゃんが美味しそうにご飯を食べる。(今日も一日が無事だった)お風呂に入って。(気持イイ)大の字になってゴローン。(極楽・極楽)何でもない毎日の生活の中に幸せと思えることは山ほどある。笑顔でいられる。もっと早く気付けば良かった。損しちゃったかも。笑顔のイイ人に出会うと幸せを貰える気がする。元気も貰える。そんな幸せをみ~んなに感じて欲しい。
2006.06.08
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昨夜のナイター中継 ・ トーちゃんがチャンネル速攻で切り替えた。(気持は解るけど) 綺麗になった昌子ちゃんと細木何某さんが映っていた。昌子ちゃんの事はそこそこ好きなのでPCのゲームをしながらチラチラと。細木氏の事はあまり・・・・。 なんだけど、「亡くなったお父さんを縛り付けないで、昇天させてあげなさい。」「自分のためにも前夫のためにも“いい女”になりなさい。」「もう、泣いちゃだめ!」って。 同感 !!2・3日前に知り合いとそんな話をしたばかりだった。「仕事が終わったけど、まっすぐ家に帰りたくない。」「お喋りしよっ。」 話を聞くと、 10年以上具合の悪いご主人の顔を見たくない。 そのご主人は、体が少し不自由だが口が達者。 そのご主人に優しい言葉を掛けられない。 喧嘩ばっかり。(凄まじいようだ)と、言う。理由の1つが不幸にして“逆縁”で、お孫さんを11年前に病気で・・・・。 その時のご主人の言葉が許せない。 若い時に散々遊んで(愛人が「子供が欲しい」と、言ってきた事も)ケジメをつけようとした時倒れた そうだ。「もう少し早く離れればよかったけど、手遅れだった。」「今日は少し優しく。と、思っても顔を見るとだめっ。」「孫の事が頭から離れない。」 ・・・・・って。「お孫さん、それでは成仏出来ないんじゃない。」 「?」「だって、一番の供養は“残った人”が元気で明るく暮らす事じゃない?」 「・・・・・。」「辛いだろうし、簡単には出来ないかもしれないけどお孫さんへのこだわりは、忘れなくちゃ。」「何より、自分の人生なんだよ。そんな暗い顔した人生なんて・・・・・。」切なくなった。「帰るね。」って、行った。本当に切なかった。事情を知らないで「亭主の顔を見るのもイヤッ。」って、言われた時(彼女は自立出来ている人だから)ご主人の事をまだ愛してるとも思っていたから「別れちゃえば?」なんて笑いながら気楽に言ったけど、そんな生易しい事ではなかった。彼女は、使命感のようなものさえ感じている。「でも、これだけは忘れないで。『お孫さんを成仏させてあげてね。』」って、言うのが精一杯だった。昨日のTV彼女が観ててくれたら。と、思ってる。細木氏ー「『産んで育ててくれてありがとう。私は幸せだよ。』って手を合わせていれば、お父さん天国に行けて 何年かしたら『さよなら』って、言ってくれるよ。」って、昌子ちゃんに言ってたけど本当かな。私も3年前に父を亡くし、私は間に合わなかった。連絡を受け、車を飛ばしている最中に電話がかかった。(私に断りも無しに逝っちゃうなんて・・・・)と、哀しみとも怒りともつかぬ苛立ちを抱え数ヶ月を過ごした。100日忌の法事を機に私用の父の写真を作りお仏壇に置き手を合わせている。そして、1年位前から 彼女の言った「産んで育ててくれてありがとう。私は幸せだよ。」って同じ言葉を言えていた。(毎日写真を見てるうちに自然に、自然に だった。)私の父も”さよなら”を言いに来てくれるのだろうか。
2006.06.07
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いろいろな人が私のブログを通り過ぎていく私はその足跡を辿ってみる沢山の“生き方”がある元気が貰える 怪しげな足跡もあるけど・・・・楽しく・・・・ なげやりに・・・・ 精一杯に・・・・ 生きているのが見えてくるブログなんて“若い人の・・・・”って 思ってたいたずらに触ったつもりが“ハマッた”みたいご訪問いただいた方ありがとうこの席 それなりに“居心地”が良いのでもう少し陣取っていようかな自分の本音が見えてくるような気がしてるから 金相場を毎朝新聞でチェック。9年前から顔見知りのBK員に頼まれて純金積立の最低額を始めた。2××g位になっている。昨日現在で20万円以上のの利益が出てる。当初は1300円台だったが今は1000円以上 上がっている。チマチマと・・・。ニヤニヤ・・・と売り時かな?いやいやもう少し。ささやかな私の楽しみである。
2006.06.06
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2・3年位前(記憶力が弱い)の“伊東家”で、放映された(ヨーグルトで作るチーズケーキ風)のお菓子。(知っている方が多いかも?)「これ、いいかも?」 すぐに実行しないと“すぐ忘れる”性質なためその場で早速。「おいしい!」 その時に使ったソースは、たまたま冷蔵庫にあったブルーベリーのジャム。レパートリーは少ないけどお菓子作りも趣味の1つなのでも使わない簡単レシピに加える事にした。材料は ヨーグルト・クッキー・ハチミツレモン・あれば金柑の甘露煮(これも自家製)。ヨーグルトの素の牛乳は、丹●牛乳_(我が家は自家製カスピ海)(クッキーはミスター●トウの赤い箱)(以上は現在お気に入りの材料)道具は先ず“100均”に駆け込み、茶こしを5ヶ購入。受けはコーヒーカップでちょうど良い大きさのものが家にあった。ヨーグルトを沢山作るためのビンは、1000ml用をDIYで。濾すためのペーパーは、キッチンペーパー。ソースにジャムを数種類。200cc入りのポリ容器は、包装資材問屋で。(出来上がったら友人たちに分けるために)ついでに使い捨てのスプーンも買い込んだ。ヨーグルトを作るのに約1日。それを冷蔵庫で約1日寝かせる(?)市販の物なら即使える。カップの上に茶こし・ペーパー・ヨーグルト・クッキー(裏返しに)の順で。茶こしよりはみ出したペーパーを切り取るのを忘れない。1昼夜くらいで出来上がり。(5・6時間過ぎた頃1回は濾した乳清を捨てる(?))皿に盛り付けてから金柑の甘露煮をちょこんと載せ、ハチミツレモンを好みの量かける。(すぐ食べないで外に持ち出す時は35~45時間掛けた方が乳清が切れ、美味しい。)クッキーorサブレ・ソース・時間に半年近く試行錯誤を重ねた結果がこのようになった。市販のヨーグルトなら濾す為の時間は(多分)この半分以下で充分だと思う。また、時間によって味も変わるのでそれぞれお好みで。 但し、ヨーグルトはそのまま食する方が栄養価は高い。ヨーグルトが苦手な方・ダイエットをしたい方にはお勧め。濾し切った“乳清”は、そのまま飲んでも、顔・からだの洗い流すパックとしても、酎ハイの割り物にも。と、本で見た。(飲んだ事だけ経験済みだが“美味くは無いが飲める”)私たち夫婦は、毎朝250~300ccのヨーグルトを食べているので この食べ方は余りしないが、友人たちに“引っ張りだこ”で、順番待ちをしている。(中には、この季節になると甘夏・ニューサマーでソース用のジャムを手作りして持って来たり、ハチミツレモンを持って来たりしながら催促をする人もいる。)2日で5ヶしか作れないので「菌をあげるから自分で作れば。」と、言っても一様に「ヨーグルトが固まらない。食べるだけがイイッ」(モォーッ。)お陰で私は、あれから休み無く これを作り続けさせられている火を使わないので子供にも作れて健康的なおやつにいかが?
2006.06.05
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NBF全国会長の「電気屋さんと薬局やさんの尽力で当センター発足となりました・・・・・。」の挨拶で始まったと言う。(会長さん ご多分に漏れず支部長たちの名前を度忘れしたとか)前半3G 181・204・245 / 630+(年齢H/C)5×3=645後半3G 212・195・246 / 653+( 〃 ) 15=668 /1313静岡市に住む友人が1330で優勝。家のトーちゃん準優勝。 以上結果報告
2006.06.04
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ボウリングに明け暮れた5月の日曜日が終わり、久しぶりに朝寝した。(と、言っても起床は7:30)隣に居る筈のトーちゃんの枕は、主人不在。階下に下りると 外で水の流れる音がする。玄関ドアのガラスに赤い色が映っている。私の車の洗車をしている・・・・・。起床後 日課のの散歩をして、コーヒーをセットし洗車を始めたみたいだ。そうだ。今日は“NBF(当センター)支部結成記念大会”があるんだ。私は、自分が入会を決めかねていたので“忘れてた”。慌てて簡単朝食の準備。カフェオレ・パン・ヨーグルト(自家製ヨーグルトに黒胡麻きな粉・ハチミツを混ぜ合わせバナナを加える)トーちゃんは、新聞を読みながらそれらを食べる。いつもの朝と同じ光景。9:00トーちゃんお出掛け。 今日の参加人数は、116名(主に静岡・愛知県)だと。年齢性別ハンデ・男女別シングルス戦。私「キレナイで・蹴っちゃダメッ。おおらかに。だよ。」と、送り出す。最近の当センターのレーン。荒れまくり。“手引き”なのだ。今時珍しい ついでに言わせて貰えば、ウッドのレーンで“手書き”でもある。これは全国でも数えるほどしかない。この半年の間にレーンのリサーフェイスを1・2階とも行ったのに、この“荒れまくり”のレーンは、すこぶる不評であるのだ。リーグメンバー 1700~1800名 全国一。リーグの形態を発祥させた全国的に有名な“○○ボウル”ではあるけどレーンコンディションの悪さもイチで有名なのだ。その上リフトもない。オーナー曰く 「手書きは”ボケ防止”。」ボウラー「只のケチ」市内にもう1軒ボウリング場はあるが、こちらはほとんど一般客用で、“ボウリング場協会”にも加入していない。言わば独占企業なのである。客を客とも思わない所以だ。後半3Gの応援に間に合うように出掛けなくっちゃ。結果は私の大会ではないので好結果だった場合のみ報告することにする。
2006.06.04
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我が家からほんの少しだけど“海”が見える。この土地を選んだ1番の理由は“海”が見えたから。年々この“海”が小さくなってきている目の前の竹薮が成長してきたからだ。不動産屋さんは「あの竹薮は整理します。」って、言ったのに。夏(最近では冬も)の花火を居ながらにして楽しめたのに今では高く上がったものだけ。仕掛けは、見られない。風の強い時はも見えたしお天気のいい日はかすかに房総半島(?多分?)だって見えたのに市役所が見える。この市役所は“帆船”を模っている。ウィリアム・アダムス(三浦按針)ゆかりの“帆船”を。でも、あまりセンスが良いと思えない。建物の中はソレナリと、認める。(駅のそば)を売りにした高層マンションが見える。このマンションの周囲には『“住民を無視した”マンション建設反対』の、“のぼり”がたくさん立っている。過日、このマンションの売り出し広告を見た。遣い勝手は良さそうだ。それに割安かも?なんて思った。でも、狭い道路での工事なので近隣にはかなりの迷惑を掛けている。私も隣接のスーパーに買出しに行く事が減っている。どんな人が住むのだろう・・・・・。・・・・・・・・カラス・“竹薮”も、みんな良く見える。私は“ココ”が好き。
2006.06.02
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昨日、ビッキーを遊ばせながらフェンスの山吹の枝切りをした。尻尾を振り 下を覗きながら吠えた。私も連られて見てみると男女の2人連れがに(おいで、おいで)をしている。 人間大好きっだから私は咄嗟に「ダメよ!おいで。」(飛び掛って甘えるおそれがある)と。私の「おいで。」は、甘えん坊のにとってナデナデをしてもらえる最高の言葉なのである。しばらくのアゴを撫でていると見えなくなった(と、思った)2人連れが我が家に向かって来た。 は?と言えばフェンスに隠れて様子を見ていたが♂性が地面に座り込み(おいで、おいで)をすると 私の傍に逃げて来た。(こんな事は珍しいのだが・・・・・・・・。)2・3分そうしていた♂性は、苦笑いしながら、そして連れの♀性に何か言いながら諦めて帰って行った。 犬好き・自信有り。の感じを(♀性の前で)傷つけたような気がした。それにしても我が家のクン。 やはり、番犬どころか私が守るべきみたいで少し情けない。 ついでに もう一つベランダで洗濯物を取り込んでいた時。「俺の今日の運勢良いんだって。」「ホントー? 何が良いの?」「恋愛」「すごいー。私は?」「何座?」「○○。(何座と言ったか忘れた)」「どうかな?」この2人は ほとんど毎日一緒に犬の散歩でココを通るかなりの年配のカップルである。微笑ましいのと可笑しいのと・・・・で聞いていたが、あれから1年くらい過ぎる今も仲良く散歩しているのを見かける。
2006.06.01
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