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2005年12月12日
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カテゴリ: 安土桃山・江戸


 政宗が築いた仙台城はちょうど城下町である仙台市の一番西側にあり、山の上から仙台の町をみることができます。

 この図でみると崖の上にあるのが「本丸」といって政宗が築いたものです。崖下には広瀬川が流れていて、西側の山は森になっていて、天然の要害になっているのがわかります。う~ん、敵も攻めにくいですね~。

 でもここでひとつ問題が・・・戦争が起きない平和な世の中になって、このような攻めにくいお城が必要なくなってしまったのです。「お城」はただの「政治をするところ」になります。

 政宗は晩年、仙台城を息子の忠宗に譲り、自分は郊外に「若林城」という堀つき屋敷で政治を取っていました。

 政宗死後、忠宗はついに崖上の城が不便になり、その北側崖下に「二の丸」(図の上の部分)をつくりそこに住んで、政治もそちらで行います。

 のち、本丸は全く使われなくなり、地震や火事の影響で建物もなくなっていきました。「お城」が単なる「役所」なったのです。

 仙台を訪れる方が「仙台城」といって観光するところが崖上の本丸部分ですがそこには江戸中期にはお城らしくなかったということです。ちなみに二の丸は東北大学のキャンパスになり全く建物が残っていません。

 仙台城は江戸時代という平和な時代に本末転倒していきました。現在本丸部は国史跡に指定され石垣の復元やどのような変遷で変化したのかなどを調査中です。仙台に行かれる際は全盛期の上図を想像してぜひお立ち寄りください。







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最終更新日  2005年12月12日 09時13分02秒
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