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2005年12月15日
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カテゴリ: 鎌倉・室町・戦国


 少し体調を崩したにもかかわらず、多くの励まし、本当にありがとうございます。少し休んでたいしたことはなさそうなので、早速「義経」の続きを
書かせていただきます。

 頼朝と対立した義経は頼朝に対抗するため兵を挙げますが敗退。吉野山に前述した 静御前 らとにげこみ、消息不明となりました。いまでもよくわかっていませんが、大胆にも京都に潜伏していた可能性が高いです。当時の貴族階級は「親義経派」が多くいたのです。

 しかし、義経をやっつけるお触れを持っている頼朝の力がつよくなるとついに京都にいれなくなり、かつての縁を頼り平泉へ向かうのでした。

 平泉では秀衛に迎えられるのですが、その秀衛が死去、息子泰衛が頼朝との対立を避け義経を追い詰め殺害に追い込みました。

 義経31歳、首はお酒に漬けられて頼朝のいる鎌倉へ送られました。泰衛も家来に殺害され藤原氏も滅びます。

 義経がいまだに人気があるのは鎌倉に新興勢力を形成しはじめた頼朝に対して京都側が嫌がっていたというのがベースにあるのでしょう。義経が追われていても助けた人が必ずいたはずです。



 やっぱり義経は美男だったと私も思いたい。





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最終更新日  2005年12月15日 00時31分06秒
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