■今日(3月10日)、 東日本大震災 復興支援マッチ「日本対台湾」戦が行われている。侍ジャパンが結成されたのは、実に3年ぶり。試合開始に先立ち、 新井貴浩 選手会長が「プレーを通じて、被災された方たちに元気を与えたい」と挨拶した。
新井貴浩(広島工高-駒澤大)。駒澤大時代は名将・ 太田誠
元監督の門下生である。太田さんの座右の銘は「姿即心、心即姿」。姿すなわち心を表し、心すなわち姿を表す。その太田さんが新井を叱ったエピソードを。
ある打席で新井は甘い球を見逃し、「しまった」という顔をした。
結局、その打席は凡退してしまうが、
凡退したことではなく、「しまった」という表情に対し、太田さんは一喝した。
「あの表情に、お前の弱さが出ている。敵に隙を見せるな」
■テレビ中継したTBSの解説者は 中畑清
・横浜べイスターズ監督。中畑も新井と同じ太田門下生。太田さんは著書『球心、いまだ掴めず』(日刊スポーツ出版社)で、印象深い選手として中畑の名前を挙げている。
中畑は太田さんが監督就任した直後に入学した、いわば太田門下の1期生である。その中畑が4年生になった1975年、全日本大学野球選手権大会に出場した駒澤大は、決勝でエース・ 斉藤明夫
(元・大洋)を擁する大阪商大を破って優勝を決めた。これが駒澤大にとって初めての全国優勝だったため、一層強く記憶に刻まれていると太田さん。また中畑持ち前のガッツも印象深いという。
「私がミーティングで選手を叱りつける時、いつも私の正面に立って、それを受け止める男がいた。のっぽで頬もそげているが、それでいて筋肉の塊のような男である。それが中畑だ。安積商業から入ってきた中畑は、高校時代、無名の選手だった。だがバットから弾き出される打球には、勢いがあった。なにより闘争心がむき出しで、勝負の世界に生きるための条件を備えていた」
■同書には、中畑をはじめ多数の教え子たちの思い出が綴られている。ちなみに、中畑の同期生には 二宮至
、 平田薫
(いずれも元・読売)がいた。その2学年上には 栗橋茂
(元・近鉄)、 木下富雄
(元・広島)、逆に1学年下には 森繁和
(元・西武)、 大宮龍男
(元・日本ハム)、3学年下には 石毛宏典
(元・西武)がいた。
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