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しばらく前からDVDでたまにブロックノイズが出たりしていたが、最近、DVDが読めなくなった。で、今度はCDも読めない状態に。買ってからすでに数年経つし、前のオーナーがどの程度ヘビーに使っていたかもわからないのでちょうどピックアップのレーザーの出力が落ちたのだろう。こうなることを考えると、コンポーネントの中で一番寿命が短いのはやはりトランスポートと言うことになる。で、しばし放置していたのだが、自分の発表も終わったのでAyre Acousticsに問い合わせることにした。ところが、サイトにはメールアドレスがない。別のところで見つけたinfoメールに連絡するも案の定返事がない。用があるなら電話しろと言うことらしい。電話してみると、意外とちゃんと英語が通じる。やり取りのほぼ100%は把握できたように思う。問い合わせてみると、ディストリビューターに連絡しろと言われる。アメリカのオーディオショップは日本と違い、手数料はしっかりとると考えられるのでAyre Acousticsと直に交渉した方が安くなるはずである。で、話しているうちに日本で買ったというと、電圧の違いから店では対応できないかもしれないのでうちで見ると言ってくれた。ドライブの交換はたぶん1万円もかからないだろうと言われたが、ついでにXeバージョンへの変更はいくらか聞いてみると、日本だと11万ほどだがアメリカだと660ドルでできるそうだ。結構食指が動く値段だ。いまさらDVDプレイヤーにお金をかけるのもとも思ったが、手持ちのソフトはほとんどDVDだし、将来的には480iからの960p再生が望ましいと考えているのでこれもありかなと思う。で、送ってみたら送料で107ドルかかった。日本だとこの辺はバージョンアップ料金に混ぜられているのではないか。たぶん、店にお願いすると、きっちり請求されるはずだから良かったかなと。ちなみに保険は3000ドルかけておいた。郵送の保険代はそんなに高くないはずというのと、しばらく前の日本での中古最低価格が35万ほどだったので金額としては妥当かなと。壊れているので、郵送による故障は心配していなくて、問題は紛失の場合だ。その場合、D-1を手に入れるか、PCを組めばそこそこのものが組める値段ということで3000ドルに設定した。修理は数週間、場合によってはもっとかかると言われたが、できればサンクスギビングにはかかってほしくないものだ。アメリカではサンクスギビングからクリスマスは超休暇モードに入るからね。バージョンアップの感想をググってみたら、kobさんのものしか出てこない。しかも、音に関しては結構ネガティブな意見だ。まぁ、それでも、PCに一発逆転するためにもバージョンアップにかけてみようかと思う。
2008.11.01
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訳は正確ではないが、日本語での紹介文がweb上になかったので経歴を訳しておく。ミカエル・ガーマッシュは1969年にウクライナのルガンスクで産まれた。3歳から絵画を始め、6歳から正式な絵画教育をルガンスク若手創作センターで受け始める。彼の非凡な才能に気付いた先生達は彼の作品をウクライナ、ロシア、チェコスロバキア、ハンガリーのあらゆる展示会に送るようになり、多くの最優秀賞を獲得してきた。例として、1977年(8歳)のルガンスク地区絵画審査会でのベストポスター賞、1978年(9歳)のチェコスロバキア国際若手コンペ、同じく1978年のハンガリー国際美術コンペなどがある。ミカエル・ガーマッシュはルガンスク美術大学を卒業生総代で卒業後、翌年から教師として教壇に立つようになります。1989年(20歳)から1991年(22歳)の間、軍に入隊し、この時、将来の妻であり、仕事のパートナーであるイネッサと出会いました。1992年(23歳)からセントピーターズバーグ美術アカデミーで勉強を始めます。その名門校のクラスをトップで卒業することになるのですが、彼の作品はフランスの多くの都市のギャラリーで展示されることになります。例えば、パリ、サンテティエンヌ、アヴィニョン、ライオン、マルセルといった都市です。また、ロシアのセントピーターズバーグの年会でも展示することになりました。絵画だけでなく、ステンドグラスの創作でもその才能を発揮し、セントピーターズバーグにあるスボーロフ軍事博物館で名誉勲章を受けるほどでした。イネッサ・キタイキックは1972年にロシアのリペツスクで産まれました。幼少の頃は体操や音楽にその才能を発揮していました。音楽やバレエ学校を卒業した後、彼女は15歳でルガンスク美術学校に入学しました。17歳の時にその年の最優秀学生として表彰されました。ミカエルは軍の任務期間に2週間のバケーションを取って卒業した学校に帰ってきました。その最終日、彼はイネッサとバス停で初めて出会いました。今日、ガーミッシュ夫妻はロマンティック印象派の最気鋭の二人と考えられています。彼らの信じられない才能はそのキャリアの中で彼らの愛情によって熟成されていったのです。ミカエルは彼の作品の方向性を決める時と同様、彼女に会った瞬間、彼女が故郷で寝ている姿も含めて彼女の全てのイメージを描き、彼女に求愛しました。彼女は彼の情熱にほだされ、深い愛情を理解し、まもなく結婚するのでした。1年後、彼らは初めて出会ったバス停にやってきて、かれらが初めて出会った場所に一目惚れからの愛のストーリーを記念して花束を飾りました。思い立ったらすぐ描くという似たようなスタンスの二人は後に共同で絵を描き始めます。結婚して数年の間、ミカエルは学校のプロジェクトとして彼らの娘の絵を描き始めていました。しかし、娘が2歳の時、ミカエルが不在の間にその絵にいたずら描きをしてしまいます。イネッサはミカエルに動転して欲しくなかったので、いたずら描きを修正し、作品として描き上げた上、彼にその作品を渡しました。ミカエルはその絵を批評家に見せると、彼らはその作品が彼のベストワークだと賞賛したのです。彼は驚き、新しい描写と褒められた部分を見て、即座にそれが妻の手によるものだと理解しました。それ以来、ミカエルとイネッサは絵を描くこと、スタンドグラスを創ること、モザイクやスケッチすることを共同でするようになりました。
2008.06.30
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