可及的ゆるやかに。

可及的ゆるやかに。

MEA手術前日。



いよいよ明日はMEAの手術日。
不安があるとすれば,それは麻酔。

高校1年の春休みに虫垂炎の手術をしたときに,はじめて局所麻酔を経験しましたが,
猛烈な口の渇きに耐えられず,水に浸したガーゼを含ませてもらい,ほっとしたのもつかの間,強烈に嘔吐。
以来,「麻酔=嘔吐」が私の方程式(苦笑)となりました。

1回目の帝王切開のとき。

陣痛が来ており,子宮口が8cm開大していましたが,「胎児仮死」の診断で緊急手術に。
麻酔医「ご飯食べてきた?」
私「陣痛の合間に体力つけようと,食べてきました…」
麻酔医「食べてると,弱い麻酔しかかけられないんだよね。」
私「『弱い』って,どの程度でしょうか?」
麻酔医「…歯ぁ抜く程度かな。」
・・・・歯って,結構痛いし,分かるよな・・・・

いま思うと硬膜外麻酔だったようです。
私の意識は完全にあり,執刀医が,お腹をメスでちょりちょり触りながら
「まだ(メスの感覚)感じる?」
私「まだ分かります~(ToT)」
執刀医「ちょっと痛いかもしれないけど,(赤ん坊の)時間ないから始めるね~」
私「痛て,痛て,痛てぇ~!切られてるよ~!!」(恐怖で,訴えが声にならない)

腹に医師の手が入ってきて,赤ん坊が取り出される感覚もばっちり。
執刀医「ついでに,子宮の外壁にできてる筋腫も,今取っちゃうね。」
私「ほえあいひあふ~」(口が渇いて,お願いしますと言えない)
帝王切開での出産と,子宮筋腫の手術をして一石二鳥。
「縫合します。麻酔入りますよ~」の声を聞いたと同時に,背中に冷たい感触が走り,意識がなくなりました。

そして,意識が戻ると同時に嘔吐開始…。


8年後,2回目の帝王切開。

予定手術だったので,事前に十分な説明を受け,嘔吐に対する心構えも出来ていました。
このときはちゃんと痛くない麻酔がかかり,意識もあり,落ち着いて赤ん坊の産声も聞きました。
そして,うとうとと心地よい眠りに。

ところが,突然異変を感じ,目を開けました。
「息してない,私!!」
金魚が水面に口を出して呼吸するように,必死で深呼吸。
看護師「どうしたの?」
私「息,できない・・・」
酸素マスクは付いていましたが,この苦しさは何なんだ…と思っている間に,また意識がなくなり。
軽く臨死体験をしてしまいました。

意識が戻ると同時に,やはり嘔吐開始…
「吐く~(><;)」と訴えてるのに,何もしてくれず,ぼんやりしているツレ。
自分でレジ袋を引っ張り出し,一晩中嘔吐。


このときの『呼吸困難』が,今回MEAをするにあたって,大きな不安材料となりました。
中学のとき,同級生の母親が,局所麻酔で手術中に死亡した事故が忘れられず,
「私もそうなったら…そうなるかもしれない…」との思いが消えません。

山王LCの主治医に,過去に麻酔時に呼吸困難を起こしたのが不安だ,と相談しましたが,
「手術中に急に意識が戻って,パニック状態になったんでしょう。」と,麻酔との因果関係を否定されました。


・・・もし,明日,呼吸困難を起こしたら,今日が私の最後の日になるかも。・・・
掃除・洗濯をして,部屋を少し片付け。買い物もして。
いつものように過ごしていましたが,この思いが頭を離れません。

妹に電話して,「もしものことあったら,私の携帯電話,頼むね。」と依頼。
妹「どんなヤバイ携帯なのよ~」
私「いや,いろいろさ。ツレに見られたくないメールとかあるし。」

ツレにあてて,「遺書」まではいかないまでも,メモを書きました。
保険証券・預金通帳の保管場所。
携帯電話は妹に預ける。など至って事務的に。

メモを入れた封筒に表書き。
「もし無事に手術が終わったら,この手紙は二人で処分しましょう。」
封をしてから,気づく。
「今までありがとう。子どもたちをよろしくね。」って書くの忘れた…
いつもの抗うつ剤と安定剤を飲んで布団に入り,
「最後の日って案外何も出来ないもんだな~」とじたばたもしない変な気分。



明日は手術。


⇒MEA手術当日~翌日。へ



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