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日曜日のお昼に、家族でうどんを食べに行きました。レジでお金を払おうとした時、ふと、レジの女性店員さんの胸に着けられている名札に目が行きました。思わず目が点になるほどビックリしたんですが、名札には「出口 澄子」さんと書かれていました。(笑)こんな同姓同名ってあるものなんですね~・・・・・・。ほんと、ビックリしました。その女性は40代半ばぐらいでしょうか。とても穏やかそうな笑顔の素敵な女性でした。(*^^*)それから、土曜日の深夜には、突然、人の顔の絵を描きたくなって、画用紙にさらさらっと顔を描きました。男性の顔でした。そして、男性の顔を描いているとふと、メッセージが降りて来て「助けて欲しい」と言うのです。あなたは誰ですか?とたずねたら「スメラノミコト」と言われました。は???誰じゃいな、そりゃ(;= =) って感じでした。(笑)そして「愛しています。ずっとずっと、ここで、あなたを待っているのです。愛しています。」と言われるのです・・・。私は、なんのこっちゃ、さっぱり意味が分からず、誰だよーーーーーーー∫(TOT)∫(笑)って感じで・・・。それから、ネットで「スメラノミコト」を検索してみたのですが、どうも“天皇”の古い呼び名だそうで、「スメラ」=「統一する」「統べる」とかいう意味もあるようでした・・・。が、どうも、私が感じるに、実在する誰かの名前という感じではなく、むしろ、宇宙エネルギーに近い大きな存在だと感じました。結局、辿り着いたところは私が繋がっている、宇宙エネルギーの男性性のエネルギーとでも言えばいいのでしょうか・・・言葉で表現するのが難しいのですが・・・分かりやすく言うなれば、どうも、凍らせていた私のいち部分の最後の解放が求められたようです。それは宇宙時代に凍らせてしまった私の一部・・・男性を許し、心から愛せる力でした。私は、決して男性が嫌いなわけではありません(笑)イケメン、大好きです(笑)・・・うん・・・決して嫌いなわけではないのですが、どうも、男性を敵視し、警戒し、時には憎み、心から慕ったり、愛することができないところがありました。それは、はるか遠い昔(宇宙時代)に起こったある辛い出来事がきっかけだったのですが・・・そのときに、私は私に備わっている機能の一部を凍らせてしまったようです。だからいつもずっと何かが足りない、欠けている・・・そんな感じだったのかもしれません。だけど、やっと、私の中の男性性と女性性がひとつになった・・・私の中の、織姫と彦星が出会うことができ、手を取り合うことができた・・・そんな感じです。ちょうど、昨日、家族で遊びに行った公園もまたまた宇宙がテーマになっていて(笑)星座をモチーフとした遊具や、織姫と彦星の看板、天の川の模型をした遊具などがある公園でした。(笑)おもしろいシンクロです☆先月の半ばから氷が少しずつ融け始めたこの流れも、ようやく、完了したようです。万歳!!ヽ(´▽`)ノ(笑)・・・それから、話は変わるのですが、私の旦那さんのお兄さん(36歳)がパニック障害になって、勤務先の大阪から地元の岡山に帰って来ていると先日、知りました。実は、旦那さんの妹(32歳)も、もう随分前からパニック障害なんです。身近に、こういう心の病を抱えている人がとても増えてきていることを肌で感じていたところに追い討ちをかけるように義兄のことを聞かされ、私的には、そのことはとてもショックなニュースでした。今、すごい多いそうです、パニック障害になってる方。パニック障害だけでなく、欝などの心の病や、体調不良・・・自分自身も、そうなんだけれども、最近、すごく不安定になっている人が多いように見受けられます・・・。どうしてかなぁって・・・これらの心身の不調もアセンションに伴う変化の一環なのかもしれませんが、それにしても今、本当に何かおかしいというか沢山の人が今、揺さぶられて闇(のように見えるところ)にほうり出され、変化や気付きを強いられているというか、みんなこのままだとどうなっちゃうんだろう?って人類が気付いて変わっていかなきゃならない方向や、またそれに向けて何かがかなり押し迫って来ている(急がされている)ことをひしひしと感じます。その手がかりとして、ひめのさんの今日の日記はとても腑に落ちました。(ひめのさん、いつもありがとうございます(*^^*)♪)そんな中、自分ができることは、まず、人として、肉体を持った人間として、当たり前のようにやってくる毎日をスピリチュアルな精神論だけではなく、3次元的な視野や考え方もきちんと取り入れながら、頭だけでなく心も身体もそれにきちんと寄り添わせ、まず、人間として、楽しく幸せに生きること・・・、まずはそこからなんだと、いや、やはり、そこなんだと、そう感じます。今一度、地に足をつけて、人間としての幸せを感じながら生きることの大切さ・・・身に染みて感じています・・・。それは自分自身に正直に生きることであり、周りを思いやることであり、上でも下でも右でも左でもない同じライン上、ボーダーラインのないところで、共に手を繋いで、共に分かち合いながら、尊重しあいながら前に進んでいくことなんだとそう感じます(*^^*)どうぞこの不安定な状況から少しでも多くの人が気付きや変化を得て、抜け出すことができるようにと新たな一歩を踏み出すことができますようにと、祈るばかりです・・・。ちょうど、昨夜は満月でした。水の浄化の祈りに共感し、参加してくださる方も急に増えてまいりました。ありがたいことです(*^^*)自分ができることから・・・私も、頑張りたいと思います(*^^*)
2008.04.21
先日、誕生日を迎え、数秘で言う「新しい周期のスタートの年」に入りました。昨年の流れは「大掃除」「清算」の周期で、9年周期の締めくくりとなる1年でした。今、昨年の自分を思い返してみても本当に濃い、学びの1年、不要なものをどんどん手放させられた1年だったなぁと思います。この誕生日の約1ヶ月ほど前からも本当にいろいろな気付き、発想や視野の転換をもたらす様々な出来事が用意されたのですが、特に、誕生日の前々日からはそれらの総まとめとして、自分にとってとても大切な気付きを得ることができ、過去の大きなトラウマのひとつにも気付いて手放すことができたりもしました。私にとって今世で学ぶべき課題の最大のテーマに『家族』があります。それらについてこの誕生日前後で、学習したことをいくつか書きたいと思います(*^^*)家族とは・・・喜びも悲しみも苦しみも共に経験し共に分かち合い共に手を取りながら日々進んでいく 心の同志 なのだなぁと今回の様々な出来事を通してそう感じました。自分ひとりが我慢して自分ひとりが耐えて自分ひとりが頑張っていればいい・・・それではいけないんだと。 痛いのなら痛いと言えばいい。苦しいのなら苦しいと言えばいい。いや、言うべきなのだ。 一人で耐える必要は決してないし、逆に、一人で耐えていてはいけないのかもしれない。何の解決にもならないのかもしれない。 家族の溝はそうすることによってますます深まっていくのかもしれないとそう感じました。 辛いとき、苦しいときは、“一緒にこの山を、乗り越えてくれないだろうか”と家族の誰かにきちんと意思表示するべきなのかもしれない。そしてその前提には相手を理解しようと思いやる気持ちがあること・・・。 それが旦那さんであれ、母であれ、父であれ、子どもであれ、共に理解しよう、歩み寄ろうという思いやりがまずあってできる、なされることなのだとそう学びました。 また、家族であること、家族になることをあきらめることぐらい悲しいことはない・・・と。 家族になりたいのなら・・・ひとつになりたいのなら少しでも近づけるよう自分からまず歩み寄りをしてみる。 私は、人間同士は、まったく同じもの(ひとつ)にはなれないものだということ、 また、ひとつになる必要だってないんだということも知りました。 だからといって、ひとつになることをあきらめるのではなく、近づくことはいくらだってできる。 そしてそれは自分ひとりだけで頑張るのではなく、相手にも「近づきたいんだ」という「理解したいんだ」というその意思をきちんと伝え、 共に解決に向かって歩くことができるまであきらめずにくじけずに話し合いをするべきだったのかもしれないと、そう思いました。また、 自分ひとりが耐えて黙って我慢していればいいわけではない・・・というのは 家族だけでなく、友人関係や人間関係全般においても言えることだとも感じました。 嫌なことは嫌だと、 おかしいと思うことはおかしいと思う、 改善したほうがいいと思うことは改善するべきだと、 そう伝えることは、相手を大切に思っているのであればなおさら、きちんと言うべきなのだなぁと思いました。 相手を傷つけまいとして、自分がただ黙って我慢していてもそれは自分のためにもならないし、相手の成長のためにもならないのだなと身を持って感じています。 でも、どんなに自分の誠意を以ってしても、それでも気付こうとしない、変わろうとしない相手ならば、それ以上無理してそばに居る必要なんかないよなぁとも、そう思いました。(笑) ・・・そんなこんなで本当に、新たなステージを迎えるにあたって最後の数週間で一気に 盛りだくさんの学びや気付きをいただき、今の私は、もうすっかり、へとへとです・・・(笑) でも、こうして、不必要な感情をいっぱい手放し、トラウマも解放し、執着も手放し、 かなり軽い状態で新しいステージを迎えられたことを心より嬉しく思います。 まだまだ問題は山積みではありますが、この新たなステージ、肩の力を抜いて流れに任せながらゆるゆる頑張りたいと思います。 (*^^*)
2008.04.18
昨日からこの歌がずっと頭の中を流れています。『Deep Rever』点と点を繋ぐように線を描く指がなぞるのは私の来た道それとも行き先線と線を結ぶ二人やがてみんな海に辿り着きひとつになるから怖くないけれどいくつもの河を流れわけも聞かずに与えられた名前とともにすべてを受け入れるなんてしなくていいよ私たちの痛みが今飛び立った剣と剣がぶつかり合う音を知るために託された剣じゃないよそんな矛盾で誰を守れるの何度も姿を変えて 私の前に舞い降りたあなたを今日は探してるどこでも受け入れられようとしないでいいよ自分らしさと言うつるぎを皆 授かった時には流れを変えて何も持たずに与えられた名前とともにすべてを受け入れるなんてしなくていいよ潮風に向かい鳥たちが今 飛び立った***********私の中にずっとずっとあった痛みも悲しみもついに今日、旅立ちました。それは、“流れ”を変えてみたからかも、しれません。流れに身を任せる。。。私はそれが、一番だと、思っています。でも、舵は自分で取る。流れて生きたいと思う方向は自分で決めるんだ。そう思っていました。だけど、なぜだか、何かがうまく流れていかなくて、苦しいのです。なので、私は自分が流れていきたいと思っていた方向を全く逆の方向から捉えてみました。すると、今まで滞っていたものが一気に流れ始めました。本当に、思い込み、意地、と言うものは厄介です(笑)遅咲きながら私の心の中に桜がやっと咲き始めました(*^^*)
2008.04.12
ブッタとシッタカブッタというマンガにおもしろい例えがあります。幸せという“山”があり、不幸せという“谷”がありました。一匹のブタ(シッタカブッタというブタ(笑))が不幸せをなくそうとして谷に土を入れて谷を埋めようとします。でも、谷がなくなったと思ったら、山もなくなってしまった・・・というお話です。(笑)また、どこからが山(幸せ)で、どこからが谷(不幸せ)なのかという境目もはっきり決まっていないと。また、これは、少し前に、私が体験したことなのですが、寂しいと愛されたいと泣きながら空を見ながら嘆いていました。そのかたわらで泣きながらでもぼーーーーーっと空を眺めていられる時間(暇)と自由を与えられていることに言いようのない幸せを感じました。人生とはそんなものでほんのちょっとした見方で随分変わってしまうものなんだろうと、そして、こんなふうに苦しみの後ろ側に隠れている喜びや不幸せの後ろ側に隠れている幸せを見つけることが出来たならきっと人生ずいぶん楽になるもんなんだなとそう思ったりもしました。 そして、不幸な状況の中にも必ず幸せがあるはずだから、それを探してみると楽になるかも、というのは同じライン上に必ずどちらも共存しているということに気付くことであり、もっと突き詰めて言うなれば、幸せの反対が不幸せ・・・ではなくて、幸せと不幸せは同じようにそこにあるのが普通だと気づくと言うか、海の波で例えるなら・・・、不幸せの波が襲ってきても、「あぁ、また来たか」みたいに軽くやり過ごし、でも次の波は幸せかもしれなくて、その繰り返しが“幸せ”なんだと気付くと言うか、山と谷でいうなれば、山(幸せ)と谷(不幸せ)があって両方で“幸せ”とみなすというか・・・そっかぁ~って・・・そういうことかぁ~って、それに気付いて、すごく心が穏やかになりました。そして、「足るを知る」ということももちろん大切で、今、ないものに不満を覚えて手に入らないと嘆くより、すでに与えられているものに感謝するという意識もとても大切だと思います。“幸せの青い鳥”のように「幸せ」とはすでに自分のすぐ近くにあったりするものですよね。それらの、小さな、身近な幸せたちにどれだけ気が付くことができて、感謝できるかということも幸せであるためのとっても重要なポイントのように思います。でも、それらの、“求めずともすでにそばにある幸せ”と、もうひとつ、“求めて手に入れるべき幸せ”もあるのだということを知りました。求めることはいけないことではないと。(求める内容にもよるけど(笑))だから、どちらかに偏ることなく、うまくバランスを保ちながら(人間ですもの、バランスを崩すことはあって当たり前ですよね)日々、幸せの中に身を置くことができたら最高だなぁとそう感じます。それでも、苦しいことや困難がやってきたときは、谷があって当たり前、山と谷があってこそ幸せというもの、という気持ちがあればきっと心穏やかにその時をやり過ごせるのだとも思います。これが、私の低空飛行時に学んだ、ひとつの気付きでした。(*^^*)
2008.04.08
やっと、低空飛行から通常の飛行レベルまで戻ってこれた気がします(笑)長かった。。。(;= =)(笑)でも、とても意味のある、低空飛行の時間でした。具体的に何をやっていたのかと言うと、私と同じように、ACとして深い苦しみを持ちながらもなんとか回復しようと這い上がろうとしている人々と繋がって一緒にいろいろなことを共有していました。それは決して、お互いの傷を舐めあうということではなく、冷静に自分の過去と向き合い、すべてを真正面から受け止める勇気を持ち、それらを乗り越える力を蓄える時間であり、お互いがお互いの気付きとなり、ともに、光へと向かって前進することができました。その過程の中で、一番、大きな気付きだったものは『いかなる自分をも肯定し、認め、受け入れる』ということでした。誰かに対して怒りを感じている自分、殺してやりたいと思うぐらい誰かを憎む自分、心の底から「私を愛して」と叫んでいる自分、寂しくて寂しくて死にそうになっている自分、そんな自分をごまかして見ないふりしている自分、自分はそんなだと認めたくない自分、いろいろなスピリチュアルな話を持ち出してきて自分の心からの声を押さえ込もうとしている自分、本当は癒されたいのに、癒されてはいけないと思う自分、・・・そんないろいろな、ありのままの自分に気付き、それをまず、受け入れてやる。その作業が簡単なようでなかなかできなかった・・・けれど、こうして繋がり、共にやり取りすることで、それに立ち向かうことができ、乗り越えよう、受け入れよう認めようと思えたことが今回の私たちの一番大きな収穫だったように思います。そうして、私自身のことで言えば、自分の気持ちに正直になることによって一気に置かれている環境に変化が起きました。本当に、一気に、です。私が私に正直に生きるための環境が着々と準備され始めたのです。私が自分に正直になり、正直に生きるんだと決めた日からわずか1週間ぐらいの間に本当にたくさんの変化が起きました。これには(このスピードには)正直、驚いています(笑)自分が幸せになるために妥協は必要なくて、置かれている環境がどうであろうと自分の心に天国は築くことができる。自分の天国に生きるためにはまず、自分に正直に生きること。それは周りに迷惑をかけたり、誰かの犠牲の上に成り立つものでもなく、それが正しければ自然とその道は開かれるのだなと・・・実感しています。私にはまた、とても大きな変化の波がやってこようとしています。でもそれは、私のために用意された神様からの貴重なギフトだとわかっています。少し、戸惑いはあるものの、大切にありがたく受け取り、与えてもらった大きな流れに身を任せて流れて生きたいと思います。すべては幸せに向かって流れている・・・。自分が望めばいつでもその流れはやってくる。その流れに乗るためには自分に正直であれ・・・ということです(*^^*)♪
2008.04.08
思わぬところで、足を止められ、低空飛行をずっと続けています。自分自身、とてもしんどい状況が続いています。(^ー^;Aだけど、やっぱり、この状況下で私がいろいろな気付きを得て、それを文章にすることによって、同じように低空飛行を続けている人たちが何らかの気付きを得てくださっているのを感じ、励まされながら低空飛行を続けています。今、私はAC関連の問題に取り組んでいます。繋がるべき先は見えているのですが、もう少しここから抜け出せそうになくて(笑)なので、もうしばらく低空飛行を続けてAC関連の問題に関わっていようと思います。
2008.04.03
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